西の空が夕焼小焼に染まった
浮かぶのお寺の鐘か赤とんぼか

2020年10月 岩徳線 欽明路
さて、夕焼け小焼けと聞けば、貴方ならどちらのメロディーが浮かぶだろうか。「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る」それとも「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われて見たのは何時の日か」。何とも紛らわしいが、前者は「夕焼小焼」、後者は「赤とんぼ」という。どちらも日本を代表する童謡になる。こあらま的には圧倒的に後者の「赤とんぼ」の歌詞と旋律が流れてくる。前者の「夕焼小焼」は如何にも童謡といった感じで、子供じみた平易な表現に感じられる。それに比べれば、「赤とんぼ」の歌詞は意味深で、旋律もシューマンのパクリではないかと思われるほど洗練されている。そんなことは単なる個人の戯言で、どうでもいいことだが、ふと頭に浮かんだメロディーが、「夕焼小焼」と「赤とんぼ」のチャンポンだったので、ちょっと整理してみたくなっただけだ。
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- 2021/02/14(日) 00:00:00|
- 岩徳線
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モノクロがよく似合うクラの佇まいだ
蒸気の寝息が今にも聞こえてきそうだ

1973年3月 日高本線 静内
やはり、蒸気機関車はいいもんだ。鉄道車両として唯一無二の特別な存在だ。薄暗いクラの中で静かに寝息をたてる罐の生命感がたまらない。独特のタンク機の後姿にも惚れ直してしまう。もう一度、あの日の感動を味わってみたいが、そうはいかないのが世の常だ。短い期間ではあったが、現役蒸気に燃えた時代があったことに感謝するばかりだ。
生まれ育った東京練馬には、今も昔も国鉄/JRは走っておらず、西武と東武の大手私鉄の牙城だ。小学4年生くらいの時、どうしても国鉄を見たくて、自転車で環七を辿って中央線を見に行っていた。当時、中央線の高架化が始まっており、地上駅の中野の西側にある跨線橋をやっと見つけて、そこが指定席だった。何より、エンジン音を響かせて高架に駆け上がっていくキハ58の急行アルプスが好きだった。
中央線の新鮮味が落ちてきた頃、環七を逆に進めば赤羽に行けることが分かった。何時間も掛かって着いた東北線は国鉄パラダイスだった。こだま型はビュンビュン通るは、電機の客車列車もバンバン来るは、82形気動車の「つばさ」には大感激だった。しかし、自転車では余りに遠く、そう簡単には行くことは出来なかった。その後は、僅かな小遣いをコツコツと貯めて、電車で上野や東京に行ったりもした。
そうこうしているうちに、八高線に蒸気が走っていると友達が言い出した。早速、親を口説いて行ってみると、もう一目惚れだ。一気に気動車や電車のことは吹っ飛んだ。すぐさま八高線通いが始まったが、それも束の間。あっという間に八高線はDD51に蝕まれていった。中学生になったばかりの夜行日帰りの小海線を口火に、そこから先は全国行脚に明け暮れたが、ファンの多さに何度か怯んだこともあった。
そして、蒸気無きあと、また気動車に戻ったような気がする。小学生の頃、冬の赤羽で見た、床下にぎっしりと雪を纏って北国から上野を目指す長距離列車に、まだ見ぬ遠い地を思い描き、何時しかそんな列車に乗って旅をすることを夢見たあの日が、今の鉄道写真の原風景なのかもしれない。
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- 2021/02/12(金) 00:00:00|
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南アルプスに雪雲が流れる
社会に流れる暗雲は何処に

2021年2月 小海線
2月になり、大分日差しに勢いが出てきた。日も長くなり、春が近いことを感じられるようになってきた。寒さの合間の暖かい日も増えてきた。しかし、まだまだ一年の寒さの底に在ることも確かだ。冬型の寒気で流れ込んでいた雪雲が、夕方になってやっと途切れ始めた。南アルプスの峰々に陽が入り始めたが、山稜は寒風が吹き荒れているはずだ。何とも神々しい冬の甲斐駒の姿だ。日没前の南アを横目に、小海線のキハが八ヶ岳山麓へと登って行くが、残念ながら乗客はほんの数人だった。こちらにも、早く春が来ることを祈りたい。
そう言えば、コロナで開催が危ぶまれている今年の東京オリンピック・パラリンピックに、別の暗雲が立ち込めている。組織委会長の女性蔑視発言だ。謝罪会見で逆切れの醜態まで晒して、ジェンダー・ギャップ指数121位の実力を世界に見せつけてしまった。
こあらまはドイツのグローバル企業で働いてきたが、「全ての個人の尊重」と「Diversity」は、何者も犯してはならない聖域だ。不思議なもので、長年の教育と訓練で、そういう考えと行動が染み付いていくものだ。女性蔑視発言など発覚しようものなら、管理職であれば即刻解雇される。もし、経営の中枢であれば、その企業は間違えなく社会から猛烈な制裁を受けることになる。市民も黙ってはいない。そこまでの認識は日本にはないだろうが、世界相手の組織委の会長ともなれば、当然体得しておく掟だろう。多分、このままポストに居座ったら、参加をボイコットする選手、いや国が現れることになる。それ程、悍ましい発言であり、上辺で謝って済むことでないことを、日本人も認識しておくべきだろう。
ついでに、「Diversity」にも触れておこう。多様性という英語だが、ビジネス的には、性別、人種、国籍、年齢、職歴などの多様性を尊重し、経営資源とする姿勢をいう。特に、グローバル企業においては、人種や国籍の偏見は、何としても乗り越えなければならない最重要課題だ。年齢というのもあるが、年功序列を基本としてきた国には厳しい項目だ。日本のスポーツ界でよく耳にするが、当たり前のように、公共の電波で後輩選手を呼び捨てにしたり、君付けにしたりしている。これもダイバーシティに反する行為とされる。何故なら、その反対が許されないからだ。こあらまのいた会社では、全て「さん付け」という決まりがあった。役職名や呼び捨ては禁止されていた。社長であっても名前+さんで呼ぶ。これは慣れると意外と心地良いもので、何の支障もないことに気付く。かつて後輩を呼び捨てにしていたことが恥ずかしくなったくらいだ。
何が最良かは誰にも分らないが、最も進んだ民主主義とされる北欧国家を中心に、こういう社会規範が広がっていることは知っておくべきだろう。少なくとも、男女平等くらいは日本人にも共通の価値観で在って欲しい。この問題が、この先どう展開していくか注視したいが、もし、東京オリンピック・パラリンピックを無理やり開催しようというのであれば、「日本のDiversity元年」くらいのレガシーは打ち立ててもらいたい。箱物のレガシーなど無駄遣いにしかならない。
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- 2021/02/10(水) 00:00:00|
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冬の寒風が松本盆地を吹き抜ける
ホームには乗客と並んでもう一人

2020年12月 アルピコ交通 上高地線 渕東
北風の冷たい、空気の良く澄んだ日だった。上高地のシーズンオフでもあり、コロナの外出自粛もあり、松本と新島々とを往復する電車は、どれもガラガラだった。それでも、列車に合わせて一人、二人と乗客が現れる。バス停でもないのに、不思議と、現れた乗客は、律儀に乗車位置と書かれた場所で列車を待つ。寒いので待合で待てばいいのになんて、お節介なことを思ったりもする。この駅、「渕東」と書いて「えんどう」と読む。駅名票の上高地線のイメージキャラクターは「渕東なぎさ」さんと云うそうだ。久しぶりにカメラを向けたこの鉄道、「松本電気鉄道」とばかり思っていたのだが・・・。
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- 2021/02/08(月) 00:00:00|
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