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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

時刻表に遊ぶ

今回は趣向を変えて時刻表の話をしよう。こあらまは貧乏性なので、これまで使った時刻表は全て捨てずにとってある。鉄旅の必需品とも言える時刻表だが、一度鮮度が落ちてしまえば、当初の目的からすれば、あえなく用済みとなってしまう。しかしだ、20年、30年、そして半世紀も経れば、別の価値を持つようになる。現役蒸気時代の旅を、タイムマシンよろしく机上で再現できるのも、この貧乏性のお陰だ。当時の撮影記録には、移動に乗った列車程度のメモ書きしか残っていない。撮影した列車が何者なのかも判然としない。記憶は掠れていくばかりで、頼みの綱は、僅かな記録と当時の時刻表ということになる。乗った列車さえはっきりしていれば、遠いあの日の足取りを追うことだけは出来る。購入当初の旅の計画用としての時刻表は、今では旅の記憶の一端を担うことになった。

それでは、時系列的にこあらまの使った時刻表をお見せしよう。


その1 交通案内社 1966年4月号

手持ちの最も古い時刻表になる。祖母が使っていたものを貰ったもので、実際の旅には使っていない。これを眺めていて鉄道ファンになってしまったのかもしれない。残念ながら装丁はボロボロでご覧いただけない。そこで、汚くはなっているが、巻頭の鉄道地図の北海道部分をお見せしよう。どうやら祖母は、この時刻表で、洞爺、登別、摩周、阿寒辺りを旅したようだ。

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北海道にはこれだけの鉄道網があったということだ。根北線や寿都鉄道、雄別鉄道、留萌鉄道なども存在している。オホーツク沿岸路線はもう少しで全通だったことが分かる。逆に、石勝線、藤城線、白糠線の先端部などはまだ出来ていない。


その2 交通公社 1970年1月号

ここからは、実際にこあらまが購入し、鉄旅に使用したものになる。これも装丁が酷く、表紙も無くなってしまっているので、今度は中央西線のページをお見せしたい。この時代の中央西線の主力の優等列車は急行「きそ」で、「しなの」は一往復しかない。その後、電化を契機に「きそ」が゙「しなの」に統合されてL特急化する。

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どうやら、どの列車が蒸気列車かを色々と考えたようだ。当時は、情報が少なくどの列車が蒸気牽引かを突き止めるのも難しかった。この頃は「SLダイヤ情報」はまだ創刊前で、69年12月号と71年1月号の鉄道ファン臨時増刊号の「蒸気機関車撮影地ガイド」のダイヤを使っていたと思う。それ以前は現場聞き込みだったはずだ。しかし、この鉄道ファンのダイヤにしても、全ての路線が揃っていたわけではなく、誤りや変更が結構あったので、痛い目にも何度も遭っている。小海線の野菜列車等の臨時ダイヤは所管の鉄道管理局に問い合わせるしかなかった。


その3 弘済出版社 1970年7月号

余程熱心に眺めていたとみられ、これも表紙が無くなっているが、醜い姿をお見せしたい。

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何故この会社の時刻表を買っかには訳がある。時刻表にはお馴染みの多くの符号が用いられるが、この弘済出版社には他にはない符号があった。蒸気機関車のマークだ。説明には「蒸気機関車けん引列車」とある。蒸気筋の情報の少ない当時に在っては、これはいいものがあったとばかりに試しに買ってみた。

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まずは、奥羽本線の青森口を見てみよう。蒸気マークがあるはあるは。これらは青森区のC61の筋で、結構たくさんの区間列車を牽いていた。懐かしの「津軽」や「きたぐに」の列車名もある。「みちのく」はこの頃は弘前発着だったようだ。

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次に、函館本線函館口を見てみよう。何と、彼のシロクニの103レ「ニセコ3号」に蒸気マークがない。山線区間にマークを二つ付けろとは言わないが、何処にもマークがない。70年7月は正真正銘シロクニの筈だ。続く125レはD51で、同じホームに並んで発車を待っていたと記憶している。喜んだのも束の間、限られた路線にしか蒸気マークは付いていなかった。当時蒸気の旅客列車が走っていた路線を見て行ったが、蒸気マークが付いている路線の方が明らかに少なかった。さらには、蒸気マーク自体の信頼性にも疑問が生じるようなケースも多々見つかり、残念ながら糠喜びに終わってしまった。

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ちょっと視点を変えると、函館本線がそのまま時刻表になっている。現在は、室蘭廻りで札幌方面を記載している。当時は、まだまだ鉄道の栄華が残っていた時代で、札幌、小樽方面から函館や内地に向かう乗客のための列車を仕立てることが出来た。そうなると、距離の短い山線経由となる。軸重軽減した大型幹線用蒸気を重連にしてまで高速運転を堅持したのは、室蘭経由に負けるわけにはいかないという事情があったからだ。辣腕の機関士だけがハンドルを握ることが出来る怒涛の走りだった。ちなみに、103レの倶知安発は18:26、小沢発は18:42だ。この時刻を聞いただけでジ~ンと来る方が多いのではないだろうか。稚内間の急行「宗谷」も同じような発想だろうか、目指すは道北で寄り道は許されず、山線経由で先を急いでいた。そんな山線も、今では優等列車は全て室蘭廻りになり、寂しい時代となった。一方、長大編成の気動車長距離列車である「おおぞら」や「おおとり」は室蘭廻りになっている。この時代、「おおとり」は釧路・網走行きだった。


その4 交通公社 71年5月号 小型版

こちらも表紙が無くなっているので、巻頭の伊豆の観光案内部分をお見せする。特急「あまぎ」や急行「伊豆」「おくいず」等の直通列車増発云々とある。1981年に、この「あまぎ」と「伊豆」が統合されて生まれたのが、185系の「踊り子」になる。JR東日本の定期運用の最後の国鉄型電車となったが、先日のダイヤ改正で引退となった。

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広告にも注目してみよう。懐かしの「清酒一級」の級別。「太平山」は秋田の小玉醸造の酒で、今も健在だ。300mlが¥160というのは少々高め目のような。


その5 交通公社 72年4・8月号 小型版

ここからは表紙も含めてほぼ完全な形で残っている。八高線が無縁化され全国行脚となっていたため、時刻表はほぼ定期購入となっていた。ダイヤ改正と学校の休みの関係で、春号と秋号の年2冊を買っていた。ただし、携行性とお金の関係で、ここまでは小型版ばかりだ。値段は表紙に載っているが¥100とある。これが安かったのか高かったのかは難しいところだ。

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表紙から察するに、この頃、電車特急はボンネットのこだま型から貫通型に切り替えが始まったのだろう。国鉄の低迷からか、車体のデザインよりも、より編成を組み替え易い合理的な車体構造になったのは当然の流れだろう。4月号の「やまばと」は上野-山形間を85年まで結んでいたが、当初はキハ82系だった。8月号の初代「さざなみ」は、この年7月のデビューで館山、千倉まで行っていたが、現在は君津止まりになっている。

さてさて、北海道の函館本線函館口の時刻表をご紹介したので、公平を期するためにも、今度は4月号から九州は鹿児島本線門司口をお見せしよう。この頃になると、交通公社の時刻表の特徴である特急列車の太線が入るようになった。

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これは凄い。鉄道ファンなら溜息の出そうな豪華なダイヤだ。ぞくぞくと寝台列車が関門トンネルを潜って九州に上陸して来る。まずは、早朝から関西方面からの列車を中心に現れる。この時すでに鹿児島本線は完全電化されてしまっていたので、鹿児島本線内を往く「月光」、「明星」、「きりしま」は電車寝台で、長崎・佐世保の「あかつき」や、急行の「屋久島」、「雲仙」、「西海」は客車列車だ。その中に、こあらま御用達の「桜島」の筋がある。東京発10:00、西鹿児島着10:51の25時間近い長い長い鉄旅だ。さらに見ていくと、山陰から懐かしの「さんぺ3号」もやって来る。米子発21:48で、山陰線撮影で駅寝が出来なかった時の非常寝床の一つだった。

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ページを繰ると、今度は、8時頃から東京勢が押し寄せる。1レ「さくら」、3レ「はやぶさ」、5レ「みずほ」、9レ「あさかぜ1号」、11レ「あさかぜ2号」と国鉄の看板列車が続く。7レは「富士」で日豊線に入る。その中に、名古屋発の「金星」の列車名もある。この時、新幹線は岡山までだが、間近に博多開業を控えており、東海道・山陽路を往く寝台列車が最後の輝きを放っていた時代だ。この数年後、「ひかりは西へ」でこの豪華陣容は崩壊していくことになる。


その6 交通公社 73年3・7月号 74年3・7月号 75年3月号

いよいよ蒸気の全廃が見えてきた。ラストスパートとばかりに撮影にも力が入った。時刻表も大型の普通サイズに格上げされたが、高度成長期だったのか、値段も¥250、¥350、¥400とうなぎ上りに高くなっていった。このサイズになって邪魔になったことは確かだ。そもそも、この大きさは携行を目的としていない。普通は、駅や職場や家で見るもので、持ち歩くものではない。しかし、明日の行動も決めていない放浪旅では事情が違う。ましてや人知れずの小駅を目指し、無宿で通そうというのだから、列車と駅が生活の場となる。そうなると、時刻表は情報量が多いことに越したことはないと、このサイズに落ち着いた。

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1975年3月号をもって、こあらまの現役蒸気撮影は終了となった。デザインが一新された交通公社の時刻表だが、表紙は0系新幹線で、「新幹線博多開業 3月10日全国ダイヤ大改正」とある。蒸気は風前の灯、在来線長距離列車も先が見えてきた。新幹線だけがが増長する中、鉄道の地盤沈下が本格的に始まった。


その7 交通公社 76年3・7月号 77年3・7月号

蒸気全廃後も周遊券を使った鉄旅が続き、77年まで時刻表を買い続けた。価格は¥450とさらに高くなった。この頃は、蒸気全廃直後で鉄道ファンが極めて少ない時代で、今考えれば本当にいい鉄旅が出来た。無いのは蒸気だけで、古き良き鉄道風景がまだまだ残っていたし、ファンの姿は消えて、思いっきり撮影に没頭することが出来た。この頃の写真の一部に、当ブログでは「漂泊の道標」という題名を付けている。車両が中心でない写真で、どんな鉄道写真が撮れるか試していた頃になる。

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この後、移動手段は車に移っていくが、就職を境に、春夏の長期撮影旅は夢物語となった。何日かの車旅のためだけに時刻表を買うこともなく、次第に鉄道からも離れて行った。鉄道写真を目的とした長旅は、長い休眠期に入ることとなった。


その8 弘済出版社 87年4月号

鉄道休眠期にあってもこの時刻表だけは買い残している。JNRが編集したJR時刻表だ。価格は¥740。国鉄が消滅することとなった節目の時刻表になる。1987年3月31日が日本国有鉄道の最後の日となり、翌4月1日にJRグループが発足した。そうして、慣れ親しんだ国鉄時代に幕が下りた。

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表紙はとてもシンプルなデザインで、白いのが象徴的だ。6社のイメージカラーが右下に入っている。あれから34年が経ったが、政府の国鉄分割民営化の功罪の総括は聞いたことがない。JR東海が独自財源でリニア新幹線を造りだしたかと思えば、JR北海道とJR四国には多額の財政支援が必要となった。新幹線が出来る度に並行する在来線が見捨てられる。何故か、北海道新幹線の建設経費はJR北海道ではなく負担能力のあるJR東日本に担がせている。何か、変じゃありませんか。ちゃんと総括して、あるべき姿を模索すべきだろう。JR化されたといっても、その鉄路はそもそも国民の財産だ。国にはその財産を有効活用する義務があるはずだ。

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折角なので、JR紹介のページを貼っておこう。冒頭の「健全経営を目指して生まれかわります。」とは意味深なフレーズだ。国鉄からのご挨拶があるかと思いきや何もない。新会社に引き継がれるのでよろしくというだけだ。旅客時刻表なのでしょうがないが、JR貨物については一言も書かれていない。


その9 交通新聞社 2020年4・10月

鉄道写真に復活してからは、ネット上でぐるなびが運営する「えきから時刻表」を利用していたので、冊子の時刻表の必要性を感じなかった。必要な路線のものだけを印刷して持ち歩き、それを記録として残していた。しかし、2019年3月29日にサービスが終了してしまい、代わりとなるような使い勝手のいいサイトも見つからず、2020年からは冊子の時刻表に先祖返りした。例によって、春秋の購入ということになるが、昔は交通公社派だったが、今は交通新聞社派だ。選んだ理由は、単純にJR編集といういオリジナル感からだけだ。まあ、出費は嵩むが、やはり全国網羅の冊子は頼もしい。印刷の手間も掛らないし、保存価値も高い。デカくてもロケ車なので何の邪魔にもならない。持ち歩いていないので綺麗なものだ。

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さて、ここで新聞交通社なる会社について説明しておこう。弘済出版社が2001年に資本や合併の関係で改称したものだ。その弘済出版社は1958年に鉄道弘済会の出資で設立された会社だ。以前キヨスク事業を展開していたことで鉄道弘済会の名前はご存じだろう。黎明期の鉄道事業は非常に危険な職場で、鉄道弘済会は国鉄職員の負傷者や殉職者とその家族を救済するための公益財団法人として1932年に設立されている。つまり、国鉄、そしてJRグループの関連会社ということになる。一方、日本交通公社は、1912年に鉄道院が創立した東京駅内のジャパン・ツーリスト・ビューローが起源だ。つまりは、交通公社の時刻表も、交通新聞社のJR時刻表も、どちらも身内が出版しているもので、鉄道分野で使われるか、観光分野で使われるかで棲み分けをしているだけだ。


その10 交通新聞社 2021年3月号

こちらが最新の時刻表になる。春のロケシーズンが近づいてきたので、先日近くの書店から買ってきた。コロナ禍で大分ダイヤも縮減されていそうなので買わないわけにはいかない。速いもので表紙には「九州新幹線全線開業10周年!」とある。値段は¥1205と随分と高くなったものだ。さて、この時刻表をもって何処に行こうか。コロナの具合を勘案しつつ悩ましい今日この頃だ。

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その11 番外編 小田急電鉄 小田急時刻表 99・2000年ダイヤ改正号

こちらは長年通勤でお世話になった小田急線の時刻表になる。小田急線だけでこんなに立派な時刻表になるはずはなく、近在の関連するJR線や他社線の時刻表も収載されている。傘下の箱根登山鉄道や江ノ電の細かい時刻表もあり、列車番号などが分かるのは、この時刻表の有難いところだ。面白半分に2冊まで買ってみたが、その後はご無沙汰している。値段は¥750と¥740で、何故か新しいものの方が¥10安い。

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その12 番外編 弘済出版社 SLダイヤ情報 73年4月10日発行

最後は、72年創刊で年2回店頭に並んでいたSLファンのバイブルだった「SLダイヤ情報」だ。出版元は国鉄関連企業の弘済出版で、表紙には国鉄協力とあるが、まさに国鉄そのものだ。DISCOVER JAPANのロゴまで入っている。つまり、SLブームを先導したのは他ならぬ国鉄だったのだ。この記事の前の方に蒸気マークの時刻表があったが、それも弘済出版だった。ブームの火付け役に、とうとうSL時刻表まで作ってしまったのだ。どれだけのSLファンが周遊券を買って、全国を飛び回ったことだろうか。国鉄の衰退が続くなか、数少ない援軍だったに違いない。国鉄本社から各管理局に、ファンを丁重におもてなしするよう指示まで出ていたというから驚きだ。あの何でもありの時代は、そうした国鉄の台所事情が生んだと言えよう。見方を変えれば、まんまと国鉄に踊らされてしまったわけだ。そういう仕掛けなら、無煙化をもう数年遅らせて貰いたかった。お値段はマニアックな冊子であるにも拘わらずお手軽な¥380。最後は¥500だったと思う。こいつを買って、どしどし国鉄に乗ってもらえば、元は十分にとれると云わんばかりの、こませ効果を狙った価格設定だろう。

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その「SLダイヤ情報」から石北本線のダイヤグラムを見てみよう。今では考えられないような列車本数だ。瀬戸瀬、丸瀬布、白滝にもこんなに列車が走っていた。しかし、やはり普通列車は極めて少ない。どうやら上川-遠軽間は混合列車で凌いでいたようだ。ただし、当時は、常紋越えを止めにして、北見峠越えの補機付き混合列車を狙うという発想は、残念ながら無かった。

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いやいや、随分と長い記事になってしまった。このブログのダントツの最長記事となったことは間違いなしだ。本当は、まだ貨物の時刻表が残っているのだが、今回は旅客時刻表ということにして、貨物は貨物で色々あるので別の機会としたい。

こうして見ていくと、時刻表は立派な読み物で在り、その時代の語り部だ。国鉄を駆け抜けていった様々な列車の証人でもある。写真は写真の良さがあるが、時刻表には時刻表ならではの世界がある。数字の配列でしかないが、そこからは色々な思いが広がって行く。「あの日」がじわじわと蘇って来るのは、写真とは異なる楽しみだ。旅に出ることが出来なかった小さな頃、時刻表を眺めては、長距離列車の筋を追って、その列車に乗れる日を夢見ていた。ボロボロになった時刻表には、そんなこあらま少年の思いが籠っている。今また時間に余裕が出来た。あの頃のようにお金の心配をすることも少なくなった。ただ、あの頃の時刻表をワクワクして眺めた初心は忘れたくないものだ。

長い記事に最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2021/03/16(火) 00:00:00|
  2. 写真集・書籍
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
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コメント

旅路の果て

その人の部屋の書架は、その持ち主の人生のありようを写すと申しますが、実体験と共に過ごされて来た時刻表たちの重厚過ぎるラインナップに言葉が出ません。
長い長い時間の中で、移ろい行く鉄道のありようを、正確に記録していたのが時刻表であると、記事を読みながら感慨を覚えております。
自分の部屋にも書棚があって、購入した時刻表が並んでいたのですが、何度かの引っ越しの際に処分してしまったりして、比較的新しいものしか手元に残っていません。
最近は復刻版の時刻表などが販売されていたりするので、懐かしさを思いながら再び買い直したりもしていますが・・・

自分の時刻表の原体験も、昭和50年代、祖母の家にあった一冊だと思います。
浅学で行動力もない少年は、巻頭の路線図にまだ見ぬ土地への憧れを抱きながら、貪るようにボロボロになるまで読んだものです。
ボロボロになるまで読みたくなるような時刻表は、もう出て来ないのかなと思うと、そこが一番寂しかったりもするのですけど。
  1. 2021/03/17(水) 05:40:24 |
  2. URL |
  3. lonely-bluesky #-
  4. [ 編集 ]

時刻表は捨てられない!

lonely-blueskyさん、

在来線特急が僅かとなって、時刻表も随分と華やかさが失われました。
新幹線の時刻表って、何ともビジネスライクで、旅というイメージには欠けますね。
色々な行き先や経由があって、色々な列車名があって。そういう時代は、時刻用の中に封印されてしまいました。

断捨離したらスッキリするだろうなと思ったことはありましたが、もうそういうことは考えないことにしました。
どうせ捨てられないのなら、あれこれ考えるだけ無駄です。趣味のものは基本捨てないことにしました。
そんな中、時刻表は最初から捨てる気はありませんでしたし、それは今でも変わりません。
鉄旅の行動の記録の一つであり、撮ったものを確定するために欠かせない資料です。

ちょっと不満なのは、私鉄を省略し過ぎということです。交通新聞社も交通公社もJR主体ですからね。
まあ、私鉄をJRと同じように収載したら倍の厚さになりますよ。それでも欲しいな。
lonely-blueskyさんも、私鉄を結構巡られているご様子ですから、そんなことを思われたことがおありでは。
地方鉄道の現地駅で、路線図付きの全列車収載の鉄道会社の冊子の時刻表が手に入ると嬉しいですよね。
実は、そういうのもとってあるので、断捨離は程遠いです。
  1. 2021/03/17(水) 23:31:40 |
  2. URL |
  3. こあらま #bhV1oT4A
  4. [ 編集 ]

SLダイヤ情報

こあらまさま、こんにちわ。

>どれだけのSLファンが周遊券を買って、全国を飛び回ったことだろうか
確かにその通りで、私はその中の一人でした(笑)
とりあえず、私は道内のみでしたが・・・。

SLダイヤ情報は全部で5冊位だったでしょうか?
ネガと共に段ボールの底に眠ってるのは見ました。
当時の新聞のSL関連記事の切り抜きを貼ったノートとかも。
これらを見始めると、とんでもない事になるので、
ネガのデジタル化が終わるまで止めてる状況なのでした(笑)。
貴重なモノの触りを見せてくれてありがとうございました。
  1. 2021/03/18(木) 00:03:49 |
  2. URL |
  3. 海も好き #-
  4. [ 編集 ]

SLブームの火付け役

海も好き さん、

SLブームの頃の北海道と九州には、相当な数のファンが回遊していたはずです。
「SLダイヤ情報」が在るか無いかでは大違いで、ブームを過熱させるアイテムの一つだったと思います。
当時は車社会の一歩手前で、ファンも若年層が中心でしたから、マイカーロケの人は特権階級でした。
大半の人が国鉄利用の鉄道旅でしたから、国鉄はホクホクですよね。少しぐらいのことには目を瞑ろうと。
金がないので、周遊券片手に、北海道であれば、夜な夜な札幌に集結して、夜行で各地に散って行きました。
未成年者の浮浪者が昼夜構わず徘徊していても、何らお咎めもなかった不思議な現象でした。
普通の中学生や高校生が駅に寝ていたんですよ。凄い時代でした。

海も好きさんも、密かにお宝をお持ちのご様子で。
高価なものより、其処らに転がっているようなものや、私的なものの方が、世相を反映していて面白いものです。
ネガのデジタル化が完了した暁には、是非お宝を交えた記事をお見せください。
ちなみに、当方では、先日やっと、モノクロとポジのデジタル化がほぼ終わり、取りこぼしがないかチェック中です。
残るは大量のカラーネガで、多くがスナップショットなのですが、どうしたものか思案中です。
  1. 2021/03/18(木) 21:50:37 |
  2. URL |
  3. こあらま #bhV1oT4A
  4. [ 編集 ]

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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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