この路線にもコロナ禍が押し寄せた
生徒の消えた通学列車が空しく走る
2020年3月 只見線 薮神
今年度のJR東日本の営業収支は、コロナ禍で前代未聞の大赤字に陥っているそうだ。あらゆる路線の乗客が激減しているというから救いがない。ドル箱の東京圏でも、外出自粛とテレワークで、終電が繰り上げられたりもしている。好調だった駅中の客商売も大打撃のようだ。ローカル線の乗客が減ったところで、御大には大きな影響はないと思われるが、大黒柱が揺らげばローカル線への風当たりも強くなるだろう。稼ぎ頭の路線では後々集客に動くだろうが、ローカル線では出費を減らす合理化に向かうのは必定だ。実際のその傾向を強めている。期せずしてコロナ禍が、ローカル線の命を奪うということまでは行かなくても、簡素化に火が付くことになるのだろう。
それでは、本題の薮神駅に入ろう。薮神は只見線小出口の最初の駅で、小出からは平野続きのほぼ平坦な道程となる。只見線小出口は1日4往復の超ローカル線で、列車絡みの撮影チャンスは、朝晩の回送を含めても1日10回しかない。どうしてそんな路線に執着するのかは、結局は好みの成せり技だろう。もう少し走ってくれると有難いが、決して少ないからと云って退屈することはない。ただし、早朝や夜間の列車も無駄にはできない。思わず、灯撮影が多くなってしまうことは確かだ。
午後5時を過ぎたばかりだというのに、雨降りも手伝って辺りは真っ暗になった。小出の町灯りが瞬きは始める頃、只見線の上り2426Dのヘッドライトが見えてきた。小出から薮神までは、ひたすら田圃の中を走り抜けることになるので、遠くからその灯りが見えてくる。列車が徐々に薮神駅へと近付いてくる。
列車は定刻の17時16分に薮神の盛土のホームに到着した。無人の小駅の薮神には駅舎はない。在るのはホーム横の待合所になる。例によって、待合所の中には小さな除雪機が置いてある。暖冬のため殆ど出番がなかったとみえ、気持ち埃が被っていた。当たり前のようにして、この列車に乗車する客はいない。
到着した2両編成のドアが開いたが、降車する者はいない。車中にも人影を見つけることは出来ない。この列車の役目は高校生の帰宅の足にある。普段なら高校生で座席は埋まっているはずだが、コロナによる休校のため乗客が皆無となった。数えるほどの通勤者には次の2428Dの20時04分が使われる。
サボにあるようにこの列車は只見行になる。こんな時刻だが只見まで行く終列車だ。次の最終の2428Dは大白川止まりで、回送になって小出に戻る。東京圏の終電繰り上げなど比較にならない早仕舞いだ。運転席のスタフは、先日の山陰線御来屋の鳥取行228Dのものと比べると簡潔そのものだ。発着駅を含めても9駅、それも1路線1閉塞のため交換もない。何とも、すっきりしたスタフだ。そして、何といっても新潟のヨンマルの最後の姿となった。敢えてアップ画で有終の美を飾りたい。今頃は、ミャンマーの悪路をガタゴト走っていることだろう。
大粒の雨の中、乗降もなく空しくドアが閉まった。定刻の17時17分、乗務員だけの列車は次の越後広瀬へと向かった。只見着は、ちょうど1時間後の18時27分となる。この列車が小出行として再び薮神に戻って来るのは2時間半後だ。それまでは、雨に濡れながら、ひっそりと帰りを待つことになる。
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2021/01/31(日) 00:00:00 |
只見線・小出口
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雪のない季節には不思議な設備だ
冬らしい冬の今頃は大活躍だろう
2020年10月 福井鉄道 福武線 三十八社
この冬は、このスノーシェルターが活躍していることだろう。度重なる寒波の到来で、北陸地方も大雪が絶えない。このところの暖冬で少々緩んでいた雪への警戒心が、一気に呼び覚まされたことだろう。鉄道にとって、分岐器は冬の最大のウィークポイントだ。東京都心などで積雪があると、ポイントの凍結から運行不能に陥り大騒ぎというのがよくある話だが、積雪地帯では当然ながら転ばぬ先のポイントの雪害対策は欠かせない。特に無人駅が増えてきているので、駅員による除雪も儘ならない。熱源による凍結防止が第一の策になるが、雪の多いところでは、やはりこのスノーシェルターが信頼性が高く、全国各地に存在する。
今亡き石北本線の常紋信号場の末期は、信号場全体がシェルターに覆われていた。木次線の名所の出雲坂根のスイッチバックの折り返し点もシェルターで防備されている。そして、ここ福井鉄道では、ポイント部のアーチ状のシェルターが名物だ。同郷のえちぜん鉄道などでも見られる。その形状から雪下ろしの必要もない優れものだが、雪を落とせない、民家が線路に迫っている場所などには設置できない。ここ三十八社駅は田圃の中の吹きっ晒しにある。設置するには好都合かつ効果的な環境だ。走り抜ける車輌は何処かで見たことがあると思ったら、名鉄の岐阜600ボルトで活躍していたモ770形だ。今は福井鉄道770形だそうだ。
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2021/01/29(金) 00:00:00 |
福井鉄道
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唱歌故郷はこの地で生まれた
ただしその名歌も世につれだ
2020年3月 飯山線
「兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川」で始まる文部省唱歌「故郷」は、日本人であれば誰もが知っている馴染みの歌詞でありメロディーだ。当初、作詞作曲家は不明だったが、後に作詞は現在の長野県中野市が出身地の高野辰之と特定されている。つまり、「故郷」に歌われる山河は、飯山線近縁の地がモチーフになっているようだ。日本の故郷を往く飯山線のイメージとも大いに合致する。地元の名歌と言わんばかりに、北陸新幹線の飯山駅のホームでは「故郷」の発車メロディーが流れる。
話はかなり安っぽくなるが、真偽のほどは知らないが、故郷の歌い出しの「兎追いし」を「兎美味し」だと思っている方々が大勢いるとかいないとかの噂がある。世界中にウサギを食する文化は普通にあり、日本でも毛皮と食肉目当ての狩猟の対象であることは確かなので、そう思い込むのも無理もない話だ。こあらま的には、「追いし」→「捕獲」→「料理」→「美味し」という公式で、結局は「美味し」となる。小鮒の方はやっぱり甘露煮か。何れにしても、食い意地が勝っているということだ。
名歌だけのことはあって、テレビCMにもよく登場する。2019年の土屋太鳳のプリマハムでは、故郷の父母への贈り物という設定で、王道的な使い方がされている。一方、2015年の金沢の菓子処の金澤福うさぎのCMでは「うさぎ おいし かなざわ」と謳われているが、まあ、先の噂を裏付けるような罪のない駄洒落の範疇だろう。ちなみに、作曲家の岡野貞一の故郷の鳥取の銘菓に「因幡の白うさぎ」があるが、こちらは名歌を使った形跡はない。「兎美味し」では洒落にならない因幡の白兎だ。
理解に苦しむのが、2014年のキョンキョンの明治安田生命で、小泉が歌う「兎追いし」に、子供達が「うさぎって美味しいの?」と問う。小泉の答えは「信頼できるってこと」。こうなると何が何だか分からない。さらには、ここに登場する兎は「ウサギとカメ」のウサギで、まさに意味不明の極みだ。安定感と堅実性のイメージに重きを置くものばかりと思っていた生命保険会社のCMとしてはなかなかの迷走ぶりだ。ウサギの思い上がりと油断で、最後に勝つのはカメだと知ってのことだろうか。
文部省唱歌にあっても時代の荒波に翻弄されるものだ。作詞家の高野辰之は豪農の生まれで、後に国文学者となった人物だ。格調高き「故郷」の中に、「兎美味し」などという歌詞が在ろうはずもないが、今は自然の動物と戯れる機会も少なくなった。まさに、「歌は世につれ世は歌につれ」なのだろう。そのうち、飯山線沿線の何処かで、観光客相手に兎の丸焼きなんかが登場して、名物になっているやもしれない。もちろん、その店先には「故郷」が流れ、「兎美味し」を連発していることだろう。
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2021/01/27(水) 00:00:00 |
飯山線
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2021年1月 江ノ島電鉄
江ノ電の陸橋の袂に小さな御堂がある
子供の成長を見守る導地蔵と呼ばれる
それを知ってか知らずか縁側は賑やかだ
夕暮れ前のほのぼのとした時間が流れる
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2021/01/25(月) 00:00:00 |
江ノ島電鉄
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海産物の鉄道輸送は古になった
鉄道はおろか町の存続も儘ならない
1973年3月 根室本線 厚岸
写真はC58貨物の厚岸駅出発シーンだが、追い風が強く、次のコマはドレインで機関車が見えなくなっている。しかし、今回は蒸気の話ではなく駅の方だ。もう100年以上も前の1917年に、根室本線は釧路から厚岸まで達したが、当時の終着駅は貨物駅の浜厚岸駅で、旅客につては厚岸駅だったようだ。写真はその貨物線が使われていた時代で、向かって左側の海側にある駅舎前の線路が、1km程先の浜厚岸へと通じていた。貨物線のため、駅舎前にも拘わらホームは見当たらない。旅客ホームは、跨線橋を渡った先の、往時の賑わいを想起させる幅広の島式ホームで、山側には3線の貨物線があった。駅周辺には、樹木の少ない、何とも殺風景な道東チックな冬枯れの風景が広がっていた。
さて、現在の厚岸駅は、浜厚岸への貨物線が撤去され、跨線橋使用の不便を解消するために、廃線跡に新たに簡易なホームが作られている。交換時以外は上下列車ともに、駅舎前の新しいホームが使われるが、定期列車の交換はなく、昔ながらの立派な島式ホームと小奇麗な跨線橋は平時は使われていない。この先、使い道が無ければ消える運命なのかもしれない。厚岸と云えば、花咲線の途中主要駅で、かつては釧路機関区の駐泊所もあり、機関庫や転車台もあった。その中核駅が今では実質棒線駅となっている。鉄道とは対照的に、海岸段丘の上にある「道の駅厚岸グルメパーク」はなかなかの人気のようだ。厚岸湾の牡蠣は、その大きさとジューシーさで、厚岸を代表する食材になっている。
その牡蠣を求めて毎年40万人の観光客が厚岸を訪れるが、町自体は衰退の一途だ。町の人口は1960年の国勢調査で20,185人を記録しているが、町のHPによれば2020年11月30現在の総人口は9,079人とある。1960年以降、一貫して毎年200人程のペースで人口が失われている。このままでは45年後には厚岸から住民が居なくなる計算だ。東京都の檜原村や奥多摩町でも同様の状態で、消滅の危機にある。厚岸町でも色々な対策を採ってはいるが、どうにも歯止めが掛からない。近い将来、全国的に人は都市部に集約的に居住することになるのだろうか。厚岸は夏のバカンスの地になり、冬は無人地帯になるということだ。鉄道云々の先には、そんな将来が待ち受けているやもしれない。
私事になるが、義母の北海道でのファミリーヒストリーは厚岸に始まるようだ。その頃、尾幌地区などで農業開拓が始まったが、冷涼な気候とやませの日照不足で、農業は諦めざるを得なかった。代わりに取り組んだ酪農が上手くいき、浜中町に掛けては日本の一大酪農地帯へ発展した。雪印が設立され、けむりプロの「ミルクを飲みに来ませんか」へと繋がっていく。ファミリーの一員が厚岸を離れ、音別で酪農を始めた。太平洋戦争も潜り抜けてきたが、生業は酪農から公職になり、音別の町も限界集落のようになった。一方、雪印の茶内工場で、簡易軌道でミルクを集めていた叔父がいる。その妻の叔母は浜中の酪農家の娘だ。そうこう思いを巡らせると、厚岸の衰退も他人ごととは思えない。
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2021/01/23(土) 00:00:00 |
根室本線
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白雲が引っ切り無しに通り過ぎて往く
ちょっぴりセンチな旅の時間が流れる
2020年10月 山陰本線 長門古市
「青い空と白い雲」は、こあらまにとって永遠のテーマだ。何故か、その眺めには開放感が味わえる。抜けるような青空は、頭に閊えるのもが無いわけだから、身も心も伸び気味になるというものだ。流れる白い雲には、悠久の時の流れが感じられ、姑息な自身の生き様が漂泊されるような錯覚にも陥る。虚ろな時の流れに、浮遊感のような不思議な感覚にも誘われる。旅の道すがら、こういう空を眺めて、少々センチメンタルな時間を過ごせるのも、旅を続ける理由のひとつだろう。
さて、写真は夏空ではなく晩秋の空だ。なかなかこの組み合わせの空模様から季節を言い当てるのは難しいものだ。少し前まで、北からの季節風が、冬なら雪雲となる乱層雲を、日本海から引っ切り無しに連れてきていた。折からの冬型が緩んで、翳りのない白い積雲が流れる丁度良い雲量となった。夏なら、ここまで空が青くなることは少ない。そう言えば、晩秋の宗谷北線でもこんな空模様に何度が出くわした。冬間近の日本海が作り出す絶妙なコントラストなのかもしれない。
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2021/01/21(木) 00:00:00 |
山陰本線
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日本の風景は水の風景だ
春の雪解水が滔滔と流れる
2020年3月 飯山線
千曲川もこの辺りでは豊富な水量で、日本最長河川の貫禄がある。河岸段丘に沿って道が延び民家が建ち並ぶ。後釜の鉄道はその少し上の民家裏を走ることになる。日本全国、山間部を流れる大河を遡る鉄道風景だ。千曲川は、この先信濃川と名を変えて日本海を目指す。本来であれば、さらに立派な流れとなるはずだが、その水量目当ての水力発電所が連なるので、取水によって流量は激減する。脱炭素が叫ばれる現代社会にとって水力発電は頼もしい味方だが、自然環境への侵襲が無いわけではない。只見川のように、堰き止めダムが連続する大河では、ダム湖のプールによって広大な水面が出現し、美しい水の風景を醸し出しているところもあるが、信濃川のように、取水導管による発電では逆に川から水が失われ、巨大導管を有する発電所が下流の河岸に出現する。また、黒部川のように巨大ダムで水を制する場合もある。どれも力技で水を操ることになるが、過ぎたるは及ばざるがごとしだ。自然からのしっぺ返しを食らわないようにしないといけない。気象激化の時代に安全神話などない。
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2021/01/19(火) 00:00:00 |
飯山線
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高嶺の冬も随分と楽になった
それでも住人は減るばかりだ
2020年3月 只見線 入広瀬
昨冬は異常に雪の少ない魚沼だったが、それでもこの高嶺には1m程の積雪が残っていた。暫く積雪が無かったのか、雪面は調度良い塩梅に固まっていた。用意していたスノーシューもワカンも使うことなく目的地に辿り着けた。しかし、開けた眺望はとても3月初旬とは思えない眺めだった。本来であれば、積雪深が最高になる時期で、道路から雪上にでるのも、雪壁に大いに阻まれるのが、これまでの経験則だった。その昔、この地域のスキー場は、この時期一旦閉鎖になることが多かった。あまりの積雪にリフトが閊えてしまうためだった。そのスキー場も、ブームが去るとともに消えていった。代わりに、地域振興のために大枚を叩いて造られたハーブ園も、どうも期待したほどの集客にはなっていないようだ。
昔、入広瀬村には入広瀬、横根、大白川の三つの小学校が在った。さらには、横根小学校には芋鞘に分校が存在した。1968年に入広瀬小学校に統合され、魚沼通いを始めたころには、既に横根小学校は廃校になっていたが、施設は残っており、地域の子供たちの遊び場になっていた。土門拳を気取って、雪の中で遊ぶ子供たちにカメラを向けたものだ。今は、守門神社横の空き地でしかないが、当時はそこに使われなくなった小さな校舎があった。無雪期であれば、何とか小学生の足でも本村まで下れないこともないが、積雪期ともなれば遭難の危険すらあった。今でこそ、車社会になり、車道の除雪も滞ることも少ないが、当時は雪国の厳しい冬の生活があった。下界を臨んで並んだ仏さんには、その厳しい集落の歴史が刻まれている。
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2021/01/17(日) 00:00:00 |
只見線・小出口
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写真現像はこんなになった
酢酸臭の籠る暗室が懐かしい
「駅舎の灯」の写真現像・編集現場
今回は趣向を変えて、「駅舎の灯」の写真を生み出す現像室をお見せする。撮影機材を云々する記事はよく拝見するが、よそ様の現像システムがどうなっているのかは、なかなか覗き見る機会は少ない。そこで、まずは自らの現像室をお見せすることにした。何時もお出でいただいている方々の何らかのご参考になれば幸いだ。
写真の2台のPCは完全に写真専用の stand-alone 機で、ネットには一度も接続したことはない。それぞれには、OSと作業に必要なソフトとドライバーしかインストールしていない。バックグラウンドで走るコミュニケーターや勝手に動くメンテナンスなども全て殺してあるので、動作は最速と云っていい。もちろんウィルス対策ソフトも不要だが、USB等のチェック機能だけは持たせている。ブログの記事を作成したり、インターネットへ接続したりは、これらとは別の持ち運びのできるノート型を使っている。
まず右のPCはフィルムスキャン専用で、NEC の Windows 7 の Mate をダウングレードして Windows XP で動かしている。CPU は Core Duo と古典機だが、スキャンだけなら支障はない。接続するスキャナーは、ニコン、コニカミノルタ、エプソンの3種だが、コニカミノルタのマルチプロのインターフェイスが IEEE1394 なので、そのボードを増設している。何せ古いソフトのオンパレードなので、HDDが逝ってしまうと復元が厄介なので、クローンのSSDを定期的に更新している。ディスプレイはEizoの普及型となる。
次に左のPCだが現像専用になる。マウスで組んだ Windows 7 のPCになる。故障が多いとされていたマウスだが、今のところ健康優良児だ。CPU は Ivy Bridge の Core i7 だが、こちらも年代物になりつつある。起動はSSDで2TのHDDを2枚内臓している。ブローニー判のレタッチもあるのでメモリーは16Gで、ディスプレイはちょっと気張ってEizoの ColorEdge、グラボは Nvidia Quadoro で、一応クリエーター仕様になっている。現像ソフトはニコン、アドビなど数種類を併用しているが、メインにしているのは Lightroom になる。ただし、そのカタログ機能は使わずにシーケンス処理だけを行い、2枚のHDDのうちの1枚に Lightroom で加工した写真のみのカタログをストックしている。
一方、日に日に溜まって行く写真データの保存をどうするか頭を悩ますことになるが、少々投資は必要になるが面倒の無い Drobo のストレージシステムを使っている。複数のHDD/SSDによってRAIDに似たシステムを構築し、壊れたドライブを順次差し替えていくことにより、データを失うことなく維持していくという優れものだ。メンテは壊れたハードの交換だけで、DVDに焼いたりする手間もかからず、データの検索や取り出しも楽だ。今回の写真のPCは山梨ベースのシステムで、ストレージシステムは本宅にあり、山梨ではそのコピー版のHDDを使っている。二地域でデータを保存しているので、災害等の万が一の時にも安心だ。家は金を出せば再建できるが、家族の命と写真データは失われたら終わりだ。機会があれば、もう少し詳しく Drobo のシステムのことと、今回触れられなかったプリンタのことをご紹介したい。
さて、写真の中の作業は、谷川岳だろうか、ニコンのライカ判専用の coolscan で山岳写真をスキャンしながら、現役蒸気の銀塩画の化粧直しをやっているところだ。スキャンには時間が掛かるので、合間にレタッチということにしている。室蘭本線は栗山の現役蒸気画の方は、既に上梓してあるのでご記憶の方もおられるのではないだろうか。銀塩時代の現像と云えば、現像液、停止液、定着液を作って、酢酸臭の籠る暗室でこそこそやっていたが、デジタル化で作業工程は一変した。何といっても、機材とソフトの初期投資だけで、フィルム代も現像代も掛からないのがいい。銀塩時代の印画紙の写真も捨てがたいものがあり、引伸機なども倉庫で眠っているが、気持ちだけで二度と日の目を見ないような気がする。
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2021/01/15(金) 00:00:00 |
写真機材
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片肺になってしまった千鳥ホーム
灯火の消えた暗い構内に雪が降る
2021年1月 小海線
この駅は当ブログによく出てくる小海線の小駅だ。千鳥ホームの2面2線の交換駅だったが、昨年10月20日に棒線化された。当所4月20日と掲示されていたが、半年遅れで現実のものとなった。棒線化されて3ヵ月が経ったが、設備はそのままで、レールも錆びてはいない。何故か使われなくなった旧下り線のホームにも灯りがともっている。しかし、上下の出発信号やポイント標識の灯火は消えている。閉鎖された構内踏切の警報機が作動することはない。灯火の落ちた構内がこうも寂しくなるものなのか。別の駅になってしまったような錯覚に陥る。
久しぶりに雪が降ったので、お気に入りの場所から駅の様子を眺めてみた。小淵沢から登って来た下り列車が向かって左側の旧上り1番線に入るのを初めて見た。何年か前までは、この駅で定期列車が交換していた。その後は、観光列車同士の交換だけになったが、それも見られなくなってしまうことになる。この一年、観光列車もコロナで低調だ。観光路線から観光客がいなくなった時、残された選択肢は合理化ということなのだろう。
時を同じくして、小海線に新しい閉塞方式が導入されている。「無線式列車制御システム」だそうだが、地上設備のスリム化と指令からの運行管理が可能になるという。交換設備の停止は、甲斐小泉、佐久海ノ口、八千穂、臼田の4駅で、併せて合理化が進められている。この先設備が剥ぎ取られて、棒線化の線形だけが残ることになるのか。身近な小海線の合理化は、身につまされるものがある。小海線も立派な赤字ローカル線だということに気付かされる。設備が温存されているところを見ると、暫し様子見なのだろうか。コロナが早く収束しないと、この駅の交換設備の復活もないのだろう。
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2021/01/13(水) 00:00:00 |
小海線
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