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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

日はまた沈む

石巻平野にも夕暮れ時が訪れた
何時もの踏切を列車が過ぎて往く

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2018年11月 石巻線 曽波神

2019年も大晦日となった 今年も、短いようで長く、長いようで短い一年だった
年をとると時間の流れが速くなるというが、人生の新鮮味が薄れていくためだそうだ
子供は毎日が初めてのことばかりだが、年を重ねると「ボーっと・・・」ということになる
皆さんはどんなだったのだろうか 刺激多き多彩な長き一年であったなら良いのだが

このブログを始めて、今年で5周年を迎えた 何とか石の上にも三年はクリアした
初回から一貫して、ほぼ二日に一度の更新を続け、この記事で「第926話」となった
次は1000話になるのを楽しみにしている 無事に行けば来年5月下旬になるはずだ
頻繁に記事を考えるのは結構しんどいが、ボーっとしているよりはましと続けている

今年の最後の写真は、例によって日暮れ時を選んだ どこにでもあるような踏切だ
何が撮りたくて、鉄道絡みの写真を続けているのか、はっきりと説明するのは難しい
ぼんやりとした掴みどころのないイメージを写し込もうと、シャッターを切っている
一向に上達せずお見苦しいこと頻りだが、鉄道写真の奥深さは分かっているつもりだ


今年も「駅舎の灯」にお越しいただき、ありがとうございました。
良い年をお迎えください。


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  1. 2019/12/31(火) 00:00:00|
  2. 石巻線
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年の瀬のトラブル

この年も雪の少ない年の瀬だった
穏やかな師走をハイブリッドが往く

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2015年12月 小海線

忙しい時期に限って、トラブルが起きるもので、画像編集用のWindows PCにトラブルが起きた。ハードディスクの読み込みが極端に遅くなった。まさにHDDが昇天する前兆だろう。このPCはF社のHDDのみのi7のノート型で、保証期間内にHDを交換している。その後もHDDが不調続きで、Cドライブを何度も書き換えている。はっきり言ってハズレのPCだろう。編集用なので、Dトライブには大したデータは入っていないのが不幸中の幸いだが、幾つかどうしても救出したいファイルがあった。3時間くらい掛っただろうか、何とか次々と発生するエラーを掻い潜ってセーフモードでの立ち上げに成功し、お目当てのファイルをUSBに落としてまずは一安心。とは言っても編集ができなければ、ブログ用の写真も上げられない。手持ちの分で正月が越せるかは綱渡りだ。

実は編集用の御大は別所にあって、壊れたのはサブ機だ。御大はタワー型のスタンドアローンで、CドライブはSSDで、編集画像データ用に2枚のHDDを差してある。これとて編集用で、元画像は別に2重3重にストックしてある。サブ機もタワー型、編集用ディスプレイに更新するつもりでいたが、なかなか先立つものが厳しく、延び延びになっていた。ディスクイメージも丸々とってあるので、ソフトの関係もあり、まずは自力でHDDを換装するつもりだ。PCに拘わらず、災難は忘れた頃に突然やってくるものだ。普段からのまめなリカバリーがいざという時に功を奏することは十分に分かっているが、ついつい先延ばしになってしまう。無くなってしまっても、運命だと諦められる悟りの開けた方ならともかく、何時までも未練が残るくらいなら、気を引き締めたいものだ。


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  1. 2019/12/29(日) 00:00:00|
  2. 小海線
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昭和の東京都電車物語 コインランドリー

都電の線路沿いにアパートが立ち並ぶ
こんな場所からコインランドリーが生まれた

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1976年6月 都電荒川線 滝野川一丁目

路面電車のはずの都電でありながら、荒川線の立派な専用軌道だ。御多分に漏れず、踏切中央の看板には「歩かないせんろは電車が通る道」と子供でも分かるような注意書きがある。傍らには、こちらは大人用であろうか、「軌道敷地内通行禁止」の警告も見える。しかし、踏切横の軌道内には、ごみの集積場らしき処もあり、エプロン姿のおばさんが何やらしている。電車が通過してもなんのそのだ。そう言うこあらまも、どう考えても軌道内で撮っている。当時、都電も国鉄ローカル線と同様に、建前上は軌道内は立ち入り禁止だったが、実際は沿線住民の生活に活用されていた。しかし、この時既に、東京の国鉄や大手私鉄の軌道内からは、概ね人は排除されており、現在の法的処罰対象の絶対禁止の時代へと繋がっていく。

この都電沿線には多くのアパートが立て込んでいた。窓には所狭しと世相を映す洗濯物や布団が干されていた。ベランダなんて気の利いたものは少なく、普通の大きめの窓が物干し台の役割も果たしていた。とうに洗濯機が三種の神器の時代は過ぎていたが、洗濯機の置けないアパートも多かったのか、こういう場所からコインランドリーが出現した。狭い部屋では洗濯物を干すのも難儀なのか、乾燥機も登場している。写真の看板には「全自動洗濯機 乾燥機コーナー 100円」とある。現在のコインランドリーは、家庭では洗えない布団などの大型のものや、大量の洗濯物を一度に処理するのに使われているようだ。料金は乾燥までして、一回千円弱というのが相場だ。コインランドリーも時代とともに役割を変えてきたようだ。


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  1. 2019/12/27(金) 00:00:00|
  2. 東京都電車
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残された秘境

木々の成長で抜けが少なくなった
数少ない新たな抜けはゴルフ場だ

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2017年1月 小海線

背景の小高い丘にあるのはゴルフ場だ。かつての名撮影地の代表格だった小海線境川橋梁のお立ち台は、今は旧道となっている国道141号上にあった。そのお立ち台の反対側の丘は、現在は広大なゴルフ場になっている。このゴルフ場からは幾つかの抜けが期待されるのだが、どうやって撮影許可を得るか考えあぐねている。この写真もそうだが、こちらから見えるということは、向こうからも見えるということだ。スキー場なら山スキーを履いてリフトに乗ってしまえば何とかなりそうだが、さてゴルフ場となるとどうしたものか。敷居はスキー場より遥かに高そうだ。そう言えば、花輪線の龍が森はスキー場からの眺めが秀逸だった。夏でも冬でも、スキー場は素晴しい展望台だった。寒冷地にあるこのゴルフ場は冬季休業だ。休業期間中なら立入のお許しが下りるかもしれない。どんな眺めがあるのかは全くの未知数だが、機会が巡って来れば探ってみたい残された秘境だ。


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  1. 2019/12/25(水) 00:00:00|
  2. 小海線
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確かにそこに駅は在った 白糠線 北進

その駅は、原野の只中にあった。周囲には人工物らしきものは見当たらず、踏み分け路のような細い道、いや足跡が、ちょっと離れたところにある数軒の民家へと続いていた。

国鉄の駅名の命名法には厳しい条件があった。少なくとも駅周辺の地名として実在することが必須だった。ところが、白糠線の「北進」周辺には、その地名は存在しない。ここの実在地名は釧路二股だ。白糠線がもっと北へと伸びていって欲しいという願いがそのまま駅名になっている。当時の国鉄は己の基準すら通せないくらいに弱体化していたことになる。

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1977年3月 白糠線 北進


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釧路鉄道管理局の国鉄マンだった今亡き叔父は、根っからの鉄道好きで、記念きっぷの収集も行っていた。彼のコレクションは現在はこあらまが管理しているので、白糠線に関するものがないか漁ってみたところ、さすがは管内の路線だけあって、節目の記念きっぷが揃っている。それらの資料に沿って白糠線を振り返ってみよう。


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白糠線は根室本線の白糠から池北線の足寄を結ぶ予定線だった。森林開発と石炭輸送が建設の目的として挙げられていた。しかし、用地を所有する地元白糠の農民団体の猛反対があり、血みどろの争いが起きている。国の力で用地が買収され、一部開通となったが、その争いが響いてか、沿線住民の白糠線への愛着は盛り上がらなかった。

白糠線の白糠-上茶路間が開通したのは、きっぷの日付の1964年10月7日で、この頃本格操業に入った雄別炭礦上茶路鉱の石炭輸送が開始された。D51の牽く石炭列車が走っていたようだが、ウェブで探してもその姿はほんの僅かしか見つけられない。蒸気ファンにとってもあまり食指が動かないマイナーな路線であったことが窺える。

上茶路炭鉱の操業によって上茶路の人口は一気に600人まで増えたが、雄別炭礦は国策に乗って補助金目当てに1970年に突然閉山してしまう。白糠線の人員輸送は激減し、貨物輸送も皆無となった。もう一つの建設目的の森林開発は、すでにモータリゼーションが始まっており、鉄道には荷が回ってこなかった。


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そんな事情にはお構いなく、日本鉄道建設公団は予定線の工事を続け、1970年には釧路二股までの工事が終わっていた。しかし、大きな赤字が見込まれるため、国鉄はその受け入れを強く拒否し続けた。ところが、1972年に田中角栄内閣が発足し、北海道出身の佐々木英世が運輸大臣に就任した。その先は、推して知るべしで、すんなり開業許可が下りてしまい、きっぷの日付の1972年9月8日に北進までが延伸開業となった。記念きっぷの裏面には「上茶路-北進間は・・・日本鉄道建設公団において工事を進め・・・」とあり、政治的に赤字ローカル線が国鉄に押し付けられたという思いが文面に滲み出ている。そして、折しも北進開業の年の1970年に予定線の建設の中止が決まっている。

当然のことながら、国鉄改革に伴い、1981年に白糠線は第一次特定地方交通線に指定された。その時の輸送密度は123人/日、営業系数2,872と、全国でも群を抜く大赤字ローカル線となっていた。さすがにこの数字ではと白糠町も諦め、醒めた沿線住民からは反対運動すら起こらなかった。


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そして、開業から19年目の1983年10月22日にさよなら列車が走ることとなった。北進延伸開業からは僅か11年の命だった。最終列車乗車証明書にあるように、白糠線のダイヤは日に3往復だった。上茶路開通時は4往復あったが、北進延伸時に3往復に減らされている。このダイヤを見ると日中線を思い出す。まさに国鉄時代の限界ダイヤと云うべきものだ。こうして、北海道の盲腸線は後を追うように消えていった。

ちなみに3枚の記念きっぷの何れにも「白糠馬踊り」がデザインされている。白糠町の郷土芸能で、青森県の「南部馬踊り」に起源があるとされている。


さて、こうして白糠線の歴史を調べていくと、ここにも政治の国鉄への圧力があったことが分かる。先日、国鉄民営化を推し進めた中曽根元首相がお亡くなりになった。英国のサッチャー女史の影響と思われる国営企業の民営化策だが、日本のこの政策には最も重要な処置がなされていない。確かに、国鉄はガバナンスという点で大きな問題があったが、技術的には世界に誇れるものがあった。優秀な技術屋集団であったはずだ。国鉄の債権が膨らんだ理由は色々あるが、その大きな一つに政治的な介入がある。「我田引鉄」と揶揄されていた問題だが、今も「整備新幹線」にその後を見ることが出来る。鉄道の地位凋落で、政治家の関心が薄れたことは確かで、興味はやはり道路の方に移ったのだろう。収支が問われるとなると、無料の高規格道に衣替えさせる手法などは、もう開いた口が塞がらない。そういえば「忖度」が問題になったも道路建設絡みだ。与野党問わず、「金を使うのが政治だ」と勘違いしている輩がいなくならない限り、日本の借金は留まることはないだろう。ということで、日本が破産するまで借金は膨れ上がるということだ。


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  1. 2019/12/23(月) 00:00:00|
  2. 白糠線
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雪が降らない

清冽な空気の雪晴れが眩しい
毎冬の積雪がこの地の風土を創る

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2019年3月 飯山線

今年も気象庁のHPのアメダスの積雪深が気になる頃になった。ところが、この冬は異常事態だ。豪雪地帯であるはずの新潟県内の飯山線、只見線には全く積雪がない。積雪が観測されているのは、山形県以北の山間部と北海道くらいだ。アメダスのあるのは人里なので、高い山は真っ白だが里には雪がないといった状況だろう。

寒冷地では冬場の水回りの凍結防止に結構金がかかる。電気代が夏場の倍くらいにはなってしまう。ところがこの冬は、年末が近いというのに多くのヒーターが遊んでいる。例年なら地面も凍ってコチコチで、日陰は来春まで解けることはない。ところが、今年は一旦凍り始めたもののすっかり解けてしまった。こんなことは初めてだ。

豪雪地帯に雪が降らなかったらどうなるのか。こしひかりの田植えが出来なくなる。JR東の信濃川発電所がお手上げになり影響は首都圏に。限界集落が延命する。どんな影響が出るかは未知数だ。恐竜は巨大隕石の衝突で滅んだとされる。人類はどんな理由で滅ぶのだろうか。スウェーデンのあの女子高校生のことを思い出した。


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  1. 2019/12/21(土) 00:00:00|
  2. 飯山線
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APPIという名のスキー場

前森山の山肌にスキーゲレンデが並ぶ
多くの札束が飛び交った金欲に満ちた山だ

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2016年11月 花輪線 北森

山頂が朝日に照らされるのは、標高1305mの前森山だ。安比高原スキー場のメインゲレンデのある山になる。この場所からは、何といっても岩手山が望める。風太郎さんが『秋光清冽 花輪線』という連載を上梓されているが、その中にも岩手山が度々登場する。岩手山でコラボしつつ、こあらまはもう一つの山である前森山を話題にしてみたい。

かつての龍が森駅のそばには龍が森スキー場があった。安比高原スキー場はその反対側の前森山に開かれ、山麓一帯は安比高原としてリゾート化された。そもそも開発される前の安比は、林野庁が所轄する国有林で、人は全く住んでいなかった。1970年代後半には多くのデベロッパーが安比に群がった。勢力が強かったのは丸紅だったが、ロッキード事件でその地位を失った。代わって主導権を握ったのはリクルートの創業者である江副浩正だった。開発に心血を注ぎこんだが、行政関係者に金までも注ぎ込んでしまった。1988年にはリクルート事件が発覚し、リクルートコスモス株の譲渡問題等も世間を騒がせたが、安比高原の主導権はリクルートが握ったままだった。

1980年代のバブル景気、スキーブームの頃には、マイカーに『APPI』のステッカーを貼るのが流行るほど、若者の間で安比は目立ったが、1990年代にはスキーブームは去っていった。安比高原スキー場もリフトの減少が始まり、それ以降、スノーボードの広がりはあったものの縮小の一途だ。2003年には負債清算のため、リクルートは安比高原の経営から手を引いた。譲渡された加藤観光も、写真の2016年には、持株会社のアジアゲートホールディングスに全株式を売却した。

国民の財産だったはずの安比の国有林3500ヘクタールは、ロッキード事件、リクルート事件の首謀者たちの手によって開発されたが、結局は一時のブームのためだけのものだった。終わってみれば、海外投資家の手中に収まっていた。日本のリゾート開発の多くは、高度成長期の終焉とともに頓挫した。特に、官主導のプロジェクトは悲惨な結末を招いている。「金儲け」は自由経済においては必要悪だ。しかし、国土が金儲けの玩具にされるのは避けなければならない。今、日本の国土はじわりじわりと海外に流失している。気が付いてみれば、国はあるが国土のない国になっているかもしれない。


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同場所からの岩手山


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  1. 2019/12/19(木) 00:00:00|
  2. 花輪線
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運転再開の日の遅い紅葉

不通区間に再び列車が通う
遅れ遅れの紅葉に間に合った

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2019年11月 小海線

この秋の小海線は、台風19号の豪雨災害により最後まで野辺山-小海間が不通になっていので、今年の紅葉は駄目だなと思っていた。千曲川の渓谷部を往くこの区間は、小海線の中でも最も紅葉の美しい場所だ。運転が再開されたのは11月1日だったが、例年なら既に一帯は枯野になっている頃だが、今年は日中の気温が高く、落葉は遅れに遅れていた。その運転再開の日、不通になっていた区間に撮影に出掛けた。本当に列車がやってくるのか一抹の不安があったが、通常ダイヤの定時運転での運行再開となった。

その朝、レールを眺めてみたが、錆が付いていないばかりかピカピカだった。その時、とっさにしまったと思った。災害現場は急峻な渓谷を千曲川沿いに進む処で、付近に車道はなく、仮道を延ばす余地もない。多分、復旧のための建設資材や重機の送り込みは鉄道だったはずだ。不通区間を軌陸車やひょっとしたら工臨が現場に通ったのではないか。修復作業を記録すればよかった。運転再開の日にそのことに気付くとは、何と先見の明がないことか。再びチャンスがあったらと思うが、そんなことがあったら大変だ。


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  1. 2019/12/17(火) 00:00:00|
  2. 小海線
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平館 晩秋

急に冬の寒さがやって来た
キハの排気が白く立ち昇る

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2016年11月 花輪線 平館

冬はある日突然やってくる。まだ紅葉が続く平館の晩秋の朝、凍えた空気にキハの排気が白くなって立ち昇る。その前日、強い寒気が入り、山では雪になった。八戸線を撮り終えて花輪線に向かう道中にある紅葉の平庭高原は、すっかり白くなっていた。念のため四駆にして積雪の峠を越えて来た。氷点下5℃くらいまで下がっただろうか。平館の冷え込んだ夜がようやく明けて、朝日が心地良い。なかなか先行き厳しい花輪線だが、この辺りの朝の上り列車は通学生徒で一杯だ。何本かの長い編成のキハ110が続けて過ぎて往く。平館でも多くの生徒たちが、列車通学の途に就いた。周囲の山々は、雪を頂き寒々しい姿に衣替えした。通学列車がひと段落した後に向かった、今は安比高原と名を変えた龍ヶ森もやはり白銀の世界だった。


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  1. 2019/12/15(日) 00:00:00|
  2. 花輪線
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野花南という名の駅

野花南とは何とも柔らかい響きの地名だ
その名に相応しい穏やかな秋の日だった

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2018年10月 根室本線 野花南

これまで、名前に引かれて訪ねた駅を幾つかご紹介してきたが、今回は「野花南」という名の駅だ。本題に入る前に、つい先日、野花南で発生した架道橋の破損事故についてお伝えしておこう。2019年11月21日午前5時ころに、国道を走るトレーラーの積荷の油圧ショベルが、交差する根室本線の架道橋に接触して、架道橋が損傷した。そのため、一時、芦別-東鹿越間が不通になり、バスによる代行運転が行われていた。これは新たな不通区間ということで、不通区間は芦別-新得間に広がったということだ。その後のJRの調査で、補修には3か月を要するとのことだ。富良野線経由で車両が送り込まれて、富良野-東鹿越間は列車運行を再開したが、芦別-富良野間は暫くはバス代行運転が続くようだ。補償の得られない自然災害でなかったのが不幸中の幸いだ。

さて、本題に行くが、野花南は芦別市野花南町にある根室本線の駅だ。例によってアイヌ語由来で、北海道環境生活部の資料によれば、「ノッカアン」(機弓の糸を置く所)、あるいは「ノカンナイ」(小さい・川)となっているが、確定レベルは何れも「C」で、説の一つと考えた方がいいだろう。野花南川や野花南岳も存在しているが、何れにせよ意味が忘れ去られた地名の一つだ。「糠南」と表記された時代もあったようだ。ちなみに糠南は宗谷本線の駅名にある。根室本線も芦別までは炭鉱の町が連なるが、ここからはガラッと様相が変わる。野花南は山間部の入口で、一時は林業で栄えたようだが、今は僅かな面影が残るのみだ。東隣の駅は富良野で駅間は19.4kmもある。以前は滝里、島の下の2駅が在ったが、滝里はダム建設に伴い廃止、島ノ下は信号場に降格している。


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駅舎と駅前になるが、国鉄末期の1982年に無人化されている。JR北の統計では乗車人員は2.4人/日で、微妙な数字だ。数字の割に駅舎が大きいのは、過疎化が著しかったということだろうか。


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駅舎前にはこんな碑が。開通が大正2年11月(1913年)とあるが、野花南町開基百年事業修復というのは何なんだろうか。現在の駅舎は、この事業で平成8年(1996年)に建て替えられたということか。


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駅前に林業に関係する建屋を見つける。屋根には垂直偏波の地デジアンテナ、電灯線も電話線も繋がっている。なかなか微妙な建物だ。2階の看板は「国有林入林心得」、1階のは「野花南町防犯委員会」と「町内会」。どう見ても民家ではない。林業関係者の詰所のようなものだったと想像できる。冒頭の写真の左側にあるのはチップ工場のチップ積み込み用のホッパーになる。貨車用ならいいのだが、残念ながらトラック用だ。この工場はどうやら操業中のようだ。どちらも、この町が林業の町であったことの証だ。


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名前に引かれて訪れた野花南だが、その名からイメージしていたものの一端は見たような気もする。野花南の明るく穏やかな秋の日だった。これから始まる険しい山岳ルートを前にした一服の野の花を連想することのできる土地柄だった。この土地が、野の花だけの場所になってしまわないことを祈りたい。


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  1. 2019/12/13(金) 00:00:00|
  2. 根室本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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