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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

湿原の朝

晩秋の湿原が朝日に目覚めた
大型機を拒むか細い鉄路が伸びる

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2018年10月 根室本線 厚岸

道東を往く根室本線、石北本線そして釧網本線では、こんな湿原の軟弱路盤を行くことになる。どうして春先に線路が沈まないのか不思議なくらいだが、それなりの土木技術を駆使した結果ではある。現代の車輛は軽さが売りのため、軸重云々が問題になることは殆どない。しかし、蒸気機関車の時代はそうはいかなかった。巨大な鉄の塊に水と石炭を満載して走るわけで、重量は気動車や電車の比ではなかった。それぞれの路線で耐えられる機関車の軸重が厳しく定められ、それに見合った車両形式が充当されていた。

湿原を行くこれらの路線では、力のあるD51の入線は叶わず、少々パワーは劣るが旅客も貨物も無難に熟せる中型万能機のC58の独壇場だった。そのD51とC58の縄張りの境目にある拠点機関区の釧路と北見は、数多くのC58で溢れていた。夜行寝台の「狩勝」や「大雪」の客車や荷物・郵便車は、最後はC58に牽かれて終着の根室や網走を目指した。今や普段は単行しか見掛けないこの線区にも、かつてはC58が客レと貨物を牽いていた。平坦区間で煙は期待できなかったが、湿原の湿気のせいか何時も白煙を棚引かせていた。


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  1. 2019/11/29(金) 00:00:00|
  2. 根室本線
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標茶機関区斜里支区

煤けたクラに罐の息遣いがある
次の仕業までじっと体温を温存する

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1973年3月 釧網本線 斜里 (現知床斜里)

蒸気機関車を運行するためには、色々な専用の地上設備が必要になる。ディーゼル機関車であれば、燃料さえ給油すれば通常の運行は続けられる。電気機関車は、バックに巨大な発電所が控えているが、通電された架線さえあれば走り続けられる。ところが、蒸気機関車となると、しょっちゅう水と石炭をくれてやらなければならない。おまけに、水は勝手に自然に戻るが、石炭からは燃えカスの炭殻がでるため、こいつも頻繁に処理してやる必要がある。おまけに寒がりで、体が冷えると動けなくなってしまう。火を落とそうものなら再出発には数時間を要する。

釧網本線は斜里のクラにC58331が佇んでいる。休む時には、こうしてクラと呼ばれる機関庫の中で、ひっそりと体温を温存している。時折、不寝番が石炭をくべて、最低限の体温は維持されている。クラの中は罐が持ち込んだ雪が解けてびしょびしょだ。外には罐の血液ともいえる水を補給するための給水塔が見える。その向こうに、今も在る構内を跨ぐ歩道橋が見える。斜里を知る方なら、このクラが何処にあったか大方の目星は付くはずだ。今この場所は更地になっている。釧網本線の運行を支える機関支区があったことなど当の本人も忘れかけていた。


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  1. 2019/11/27(水) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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八ヶ岳 晩秋

夕空に八ヶ岳の晩秋の稜線が浮かぶ
高原野菜の一年が終わろうとしていた

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2019年11月 小海線

2019年もそろそろ年末が見えて来た。八ヶ岳の高原野菜の畑も一年の作業を終えようとしている。寒くなったり暖かくなったり大雨が降ったりと、今年もおかしな陽気が続いているが、八ヶ岳連峰の稜線もようやく白くなり始め冬本番が近い。畑ではマルチが剥がされ、季節に追われるように、来る年のための土作りが行われている。大地が凍てつき出せば、来春までこの高原は静寂に包まれる。ちょうど紅葉も終わろうとしているこの時期の日暮れ時の色彩は、ミレーの「晩鐘」を連想させる。鮮やかさを失った地味なトーンの風景は、かえって祈りを誘うような厳かな眺めだ。


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  1. 2019/11/25(月) 00:00:00|
  2. 小海線
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野上峠への道

かつてこの峠道には補機が付いた
緑はその運用を支える要衝でもあった

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2018年10月 釧網本線 緑

この駅をロケしていると、赤だったはずの川湯温泉方面の出発信号が何故か青に変わった。営業列車は数時間は来ないはずだが、何者かが札弦側から緑駅に接近している。何が来るのか楽しみにカメラを構えていると、現れたのはこいつだった。川湯温泉方面側のこの眺めが気に入って色々と撮っていたが、列車を入れ込むのは無理だと諦めていた時に、運よくこの釧路のノロッコ色のDE101661が現れてくれた。

現在の釧網線は、網走からここ緑までがオホーツク局の管内で、川湯温泉から釧路までが釧路局となる。緑-川湯温泉間にある野上峠が境界になっている。この峠越えのため、現役蒸気時代には補機運用があった。そのため緑には転車台が存在していた。その昔、線路伝いに野上峠を目指したことがあったが、天候悪化で泣く泣くの敗退となった。峠にはトンネルがあり、その通過に備えて懐中電灯も用意していた。

リベンジを果たしたいところだが、どこの地図を見てもこの峠道には車道がない。釧網線と並行する国道391号線の野上峠は、鉄道から遠く6km程離れたところにある。昔のように線路を辿るのは今はご法度だ。ましてや保線の方々に同行させてもらうことなど在り得ない。杣道のような細道があるかもしれないが、ヒグマの餌食にはなりたくない。どうみてもかつての釧網線の難所は車窓で眺めるほかなさそうだ。


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  1. 2019/11/23(土) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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千曲川橋梁の秋

台風豪雨でこの橋梁も危なかった
そんな千曲川にも錦秋の秋が訪れた

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2019年11月 小海線

先日の台風19号の大雨では、長野県の千曲川では大規模な氾濫が起きてしまった。北陸新幹線の車両基地の水没はニュースで大きく取り上げられた。小海線には7つの千曲川橋梁が存在する。支流を含めるとさらにその数は増える。千曲川の流れは、埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する奥秩父山塊の甲武信ヶ岳に始まるが、今回の豪雨では、その長野県と埼玉県・群馬県の県境周辺の山塊で記録的な雨量となった。

小海線沿線の上流部では大きな氾濫とはならなかったが、至る所で護岸が崩れ危機一髪の状況ではあった。幸いにも小海線の千曲川橋梁は全て無事だったが、支流の滑川橋梁は一時不通に追い込まれた。小海線は復旧したが、八高線、水郡線、吾妻線は今もって不通が続いている。水郡線の久慈川第六橋梁の状況は、只見線の只見川橋梁群の惨事を連想させる痛ましいものだ。復旧にはそれなりの時間が掛かるだろう。

これだけの大雨が降るようになると、何処にいても不安は拭えないだろう。こあらまの住む集落でも土石流の危険のため避難準備をしていた。何時しか集落が地図から消える日が来るかもしれない。

そんな千曲川橋梁にも錦秋の秋が訪れた。こちらも温暖化の影響か、紅葉は例年より2週間以上は遅れた。美しく染め上がったカラマツ林の傍では、何台もの復旧工事の大型重機が唸りを上げている。


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こちらは千曲川最上流の川上村の道路橋になる。小海線撮影のためによく渡る橋だ。橋桁が沈み込んでご覧の状態だ。道路橋は自らの重量で流れに耐えているようだ。周辺には何本かの橋があるので、少し遠回りすることで済んではいる。ニュースには流れない、こんな被害があちこちに見られる。


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  1. 2019/11/21(木) 00:00:00|
  2. 小海線
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確かにそこに駅は在った 広尾線 愛国

「愛の国から幸福へ」。1973年放送の「新日本紀行」で「幸福への旅」として紹介され、一躍大ブームとなった。

1922年に制定された改正鉄道施設法には、苫小牧から鵡川、浦河、広尾を経由して帯広に至る鉄道路線が記載されている。苫小牧と帯広の両端から工事が始められ、西側の日高本線は1935年に様似に達し、東側の広尾線も1932年には広尾まで開通していた。しかし、様似-広尾間は開通することはなく、国鉄バス襟裳線によって連絡されていた。愛国駅は1929年の帯広-中札内間の開通時に設置されている。一方、幸福駅は1956年に仮乗降場として生まれ、直後に駅に昇格している。

こあらまが最初に広尾線を訪れた際には幸福駅に降り立った。ブームが始まる前で、駅には1ドア分のホームしかなく、正確には降り立ったのではなく、デッキから雪の中へ飛び降りる羽目になった。愛国周辺も事前調査していたが、防風林の只中にある幸福をターゲットとして選んでいる。その後、何回か広尾線を撮っているが、現役蒸気時代に愛国を訪れることはなかった。無煙化後の旅で初めて愛国に降りたが、駅周りに被写体がなかったのか、次の列車で直ぐに幸福に向かっている。

一大ブームによって、爆発的に愛国から幸福行きの乗車券が売れ、ブーム最盛期の1974年には、広尾線全体の営業係数が大幅に改善したが、熱しやすく冷めやすい日本のことだ、瞬く間に熱は冷め数年で元の状態に戻ってしまい、1984年には第2次特定地方交通線に指定された。十勝港からの海産物等の貨物輸送のためキューロクの牽く定期貨物列車も設定されてはいたが、北海道有数の大規模畑作地帯のため人口密度も低く、残念ながら地域内人員輸送はついぞ上向くことはなかった。

写真はブームもひと段落した1977年の愛国駅だ。例によって帯広から始発列車で向かったが、下車したのはこあらま唯一人だった。1974年には無人化されていたが、1979年の駅舎改築前で初代木造駅舎が残っていた。周囲に遮るものはなく、十勝晴れの寒風が吹き渡っていた。駅のずっと向こうに防風林が見えるが、やはり防風林狙いなら幸福が手っ取り早かった。ちなみに、愛国という名は、当地の開拓者集団が「愛国開拓団」を名乗っていたことによるとされるが、その先は分からない。

愛国駅は幸福駅と共に、1987年2月2日の広尾線84.0kmの廃線に伴い廃駅となった。


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1977年3月 広尾線 愛国

この「愛の国から幸福へ」ブームの際には、芹洋子の歌もヒットし、彼女の出世作にもなっている。写真は何気なくとってあったものだが、詳細は失念してしまった。国鉄のキャンペーンか何かで、芹洋子のレコードが当るといった類のものだったような気がする。愛国のホームに立つ女性のいで立ちが、如何にも時代掛かっている。若かりし芹洋子の顔もある。こあらまと同じ1950年代の生まれだが、こあらまよりはかなりお姉さんになる。当時のこあらまはもっと若かったことになる。


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さて、現在の愛国駅もご紹介しておこう。広尾線の廃線後も、愛国、幸福、虫類、大樹の4駅の駅舎が残されている。愛国と幸福は、帯広市の交通公園になっている。以前の記事で幸福はお伝えしている。愛国には線路上に19671が保存されている。広尾線のさよなら列車も牽いているが、小樽築港のゼブラの入換機だった罐で、現役蒸気末期の盥回しで、広尾線で最後の数年を過ごしている。保存状態は露天の割には良さそうだ。こうして眺めていると蒸気はやっぱり特別だ。北の大地を駆け抜けたキューロクの力強いフォルムは開拓者の面構えだ。


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2016年7月 旧広尾線 愛国駅交通公園

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  1. 2019/11/19(火) 00:00:00|
  2. 広尾線
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鎌倉 若宮大路

若宮大路が一直線に鶴岡に向かう
今無き段葛を車と電車が行き交う

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2019年11月 横須賀線 鎌倉

この若宮大路は、鎌倉幕府を開いた源頼朝によって、平安京の朱雀大路を参考にして町づくりの手始めとして1182年に造られた。この南北に走る若宮大路の向かって右側の東側には小町大路、西側には今大路が、東西方向には写真2番目のT字路標識の三の鳥居前の横大路、1番目の標識の下馬四つ角を通る大町大路、写真後ろの旧一の鳥居で交差する車大路が造られ、合わせて鎌倉六大路と呼ばれる。一応碁盤の目を摸しているが、かなり小規模かつ歪曲、変形しており、平安京、平城京には遠く及ばない。車大路の一部を除き、今も六大路は車道として使われているが、町全体としては中世とは断絶した地割りで、迷路のような小道が多く、車の観光客が迷い込むと身動きできなくなってしまう。ちなみに、観光客で賑わう小町通りは、単なる土産物通りで、歴史的な名称ではない。

若宮大路は、鶴岡八幡宮から由比ガ浜まで一直線に1800mあるが、当初は1300mに渡って中央に段葛が造られた。北条政子の安産を祈願したものとも言われている。その後の地震や津波、横須賀線の開通などで、現在の段葛は鶴岡寄りの480mを残すのみとなっている。段葛に限らず、鎌倉には中世の歴史的建造物や仏像は殆ど残っておらず、京都や奈良と違ってイメージだけの古都だ。それが理由で、ユネスコの世界遺産にも落選している。しかし、イメージと云うのは恐ろしいものだ。ウィークデイにも嫌と云うほど観光客がやって来る。北海道などではアジア系の観光客が多いが、旧鎌倉では欧米系の来訪者も多い。ただし、同じ鎌倉市内の江ノ電の鎌倉高校前のスラムダンクの踏切は、台湾のお客様で何時も大盛況だ。この通りは年始には200万人の初詣客で賑わうことになる。


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  1. 2019/11/17(日) 00:00:00|
  2. 横須賀線
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湿原の印象

湿原の秋空を雲が流れていく
短い秋の日が足早に過ぎてゆく

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2018年10月 釧網本線 塘路

北海道は今頃は白い大地に衣替えしたはずだ。真冬の寒気にすっぽりと覆われ、湿原も冬の眠りについたことだろう。毎年繰り返される厳しくも生命観溢れる四季の移ろいが、この湿原の美しい景観を形作ってきた。そんな悠久の時間を感じつつ、穢れのない風景の中でひたすら列車を待つのが、何時しか極上の時間となった。それが風雪の季節であっても何も変わらない。列車の多い少ないなど問題ではない。少ないほど、その土地との対話は豊かになる。今また純白の湿原が脳裏をよぎる。キハの排気が白くなる極寒の風景もまたこの湿原からの掛け替えのない贈り物だ。


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  1. 2019/11/15(金) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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西武鉄道過去帳 ブラウンボベリ E51

スイス生まれの洗練ボディーが目を引く
西武は輸入電機のワンダーランドだった

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1974年7月 西武鉄道 富士見台

シリーズ初回のジャンボE851形から大分時間が経ってしまったが、第二回は西武赤電機の中でも一際ヨーロピアンスタイルの優美さを誇ったE51形をご紹介したい。1923年、当時の鉄道省は、東海道本線の電化のために、スイスのブラウン・ボベリとシュリーレンの2社で共同開発された1020形1021・1022の2輌を輸入した。その後の形式称号規定の改正により、ED12形ED121・ED122に改められている。国鉄での性能上の不具合はなかったようだが、1949年に2輌とも西武鉄道に譲渡されている。精巧さ故に、保守に手間が掛かったともされている。

西武鉄道時代にはE51形E51・E52の車番が付与されている。E51は車軸の損傷により1976年に即廃車になったが、E52は1987年まで現役を続け、現在は他の赤電とともに横瀬車両基地に静態保存されている。写真は先に廃車となったE51の最晩年の姿になる。池袋線で貨物を牽いているが、背景は子供の頃を思い出させる半世紀前の練馬の長閑な風景だ。1400mmの蒸気機関車並みの大動輪と腰高の台車、両端に張り出した長い庇、屋根に鎮座する2つの大型のエアタンク、小窓の並んだ洗練されたサイドビュー。E51形の特徴的なスタイルが見て取れる。

本邦で蒸気機関車が全盛だった頃、大型の本線用電気機関車の製造技術は国内にはなく、イギリス、アメリカ、スイスといった電化先進国からの輸入に頼るしかなかった。しかし、輸入電機は次第に国産化を急ぐ国鉄から私鉄へと譲渡されていった。かくして、西武鉄道にも個性派揃いの輸入電機が集結することとなった。今回のスイス製のE51の他にも、アメリカ製のE61・E71、イギリス製のE41等も在籍していた。今では大型電機はJRグループの独壇場だが、鉄道貨物輸送が華やかなりし頃には、私鉄にも輸入電機のワンダーランドが在ったということだ。


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  1. 2019/11/13(水) 00:00:00|
  2. 西武鉄道
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レンズ沼への誘い

突然のやませに海は鉛色に沈んだ
雨も落ちだしていよいよ釧路日和だ

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2018年10月 根室本線 音別

果して何ミリまで望遠撮影を手持ちでこなせるか。なかなか難しいところだ。現代のデジタル技術と高画質をもってすれば、どこまででも行けそうだが、画質を考えるとそうも行かない。この写真では換算1000mmは優に超えているが手持ちだ。足場が悪く、やっとのことで撮っているので、超高足三脚でもない限り手持ちは避けられない。そのため、レタッチでカバーはしているものの、少々画質に問題があることは否めない。時代物になりつつある純正単焦点に、飛び道具などを使って焦点距離を稼いでいるが、そろそろグレードアップを図りたいところだ。野生動物も撮るこあらまとしては、手持ちで行けるに越したことはない。超望遠には価格と重さという二つの壁が立ち塞がる。

ニコン派としては超望遠といえば大砲レンズが気になるところだが、野鳥撮影の方々の話を総合すると、どうやらサンニッパは余程の根性なしでなければ手持ち可能、鍛錬を積んだ強者ならロクヨンまでなら短時間なら手持ちで追尾可能のようだ。一方、最近のレンズの小型化、軽量化はなかなかのものだ。昨年発売の「AF-S NIKKOR 500mm f5.6E PF ED VR」 は約1460gとフレコミ通り誰でも手持ちで撮れる軽さだ。ズームとサードパーティーに根強い不信を抱くこあらまとしては、純正単焦点の長球で補強したいところだが、これがレンズ沼に嵌る第一歩であることは諸先輩の足跡から明らかだ。今のところ先立つものがないのでその心配はないが、何れはと目論む今日この頃だ。


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  1. 2019/11/11(月) 00:00:00|
  2. 根室本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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