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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

小海線近況

ローカル線の最大の敵は天災だ
小海線も災害による一部運休が続く

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2019年10月 小海線

先日の台風19号の豪雨は、関東甲信越を中心に甚大な水害を引き起こし、鉄道も深刻な被害を被った。28日にやっと中央本線が完全復旧し、山梨・長野に特急「あずさ」が戻って来た。「あずさ」の走らない中央本線がこんなにも寂しいもかと思い知らされた。小海線についても、被災箇所が複数に及び全面運休に追い込まれたが、滑津川橋梁が渡れるようになり小諸-中込間が復旧した。現時点の運休は野辺山-小海間に狭まったが、海尻-松原湖間の千曲川の瀬戸で道床が流失する事態になっている。28日のJR東の発表では11月1日の全通の計画と云う。11月9日からは、小海線の「HIGH RAIL 1375」、飯山線の「おいこっと」、大糸線の「リゾートビューふるさと」がそれぞれ運転を再開するそうだ。

写真は現在の小海線の災害時暫定ダイヤだ。近頃の閑散ローカル線の時刻表を連想する。朝夕に各2往復、昼間に申し訳程度の1往復の計5往復。現在のJR東の限界ダイヤとも云える5往復だ。もし、小海線が観光路線でなかったら、盲腸線になってしまったら、こんなダイヤになってしまうのかと身震いした。決して小さな災害ではなかったが、小海線も飯山線も復旧の運びとなってよかった。


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被災した時に小淵沢寄りに来ていたのは、このキハ111/112固定の1編成で、小淵沢-野辺山間を往復している。塒の中込には帰れないので、小淵沢で臨時の給油を受けているのだろうか。16:27発が野辺山に向かうが、明らかに何時もよりも乗客は少ない。調度山並みに日が沈んだばかりで、空が焼けるのはこの30~40分後になる。冬を待つばかりの刈田と相まって、大カーブを往く列車も寂しげに見えるのは気のせいだろうか。


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このところ、ここでは酒蔵「七賢」の山梨銘醸の契約米を栽培していることが多いが、今年は稲架木が現れた。多分自家米を天日干ししているのだろう。台風災害で品薄になっているブルーシートが少々味気ないが、時流なので致し方ない。よく見ると支柱も鉄管のようだ。


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返しの17:31も狙ってみたが、こちらは夕焼けは終わってしまっている。おまけに10分遅れで現れたので露出は限界だ。この時間帯の10分は致命的だ。暫定ダイヤを見てみると、野辺山での折り返しの時間はたったの2分だ。これでは遅れが出て当然だ。こんな時に文句を言うもんじゃない。走っていることだけでも良しとしなくては。

毎年、災害がどんどん甚大化していくのだろうか。近頃のローカル線の最大の敵は天災だ。町の存続すら危なくなってくるような洪水が頻発するようでは、ローカル鉄道云々どころではないのだが。


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  1. 2019/10/30(水) 00:00:00|
  2. 小海線
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第一白川橋梁

背景の山にやっと日が入って来た
朝の川の冷気と湿気に白煙が棚引く

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1971年7月 高森線 立野

この旧国鉄高森線の第一白川橋梁については何の説明も要らないだろう。あまりにも有名な撮影スポットだったので、只々懐かしいというほかない。この時は戸下温泉の碧翠楼に泊まって、始発からにこの場所に立った。川音で列車の走行音は全く聞こえず、通過予定時刻が近づくと、ひたすらレリーズを握って橋梁を凝視することに集中した。

1970年に阿蘇大橋が開通するまで、南郷へ向かうには戸下温泉、栃木温泉を経由する旧道が唯一のルートだった。文化人も多く訪れ、隆盛を極めた歴史ある戸下温泉も、大橋の開通により衰退が始まった。そこに立野ダム建設の計画が持ち上がり、1984年にダム損失補償交渉が妥結調印されるや否や、碧翠楼は跡形なく姿を消してしまった。

しかし、立野ダムは1983年に事業はスタートしたが、未だに本体工事に着工していない。何故か工事が凍結された状態が続いている。一方、2016年の熊本地震では、阿蘇大橋は崩落、第一白川橋梁は崩落は免れたが大きな損傷を負ってしまった。どちらも国の予算での復旧工事が始まっている。白川橋梁はアーチ部分を架け替える計画だ。

ところが、市民団体によると、立野ダムが着工されると南阿蘇鉄道の付替えが必要になるという。昨年突然に、国土交通省はダム本体工事の起工式を行った。その総事業費は917億円とのこと。こちらも国交省が支援する、予算40億円の現在進行中の南阿蘇鉄道の白川橋梁復旧工事に影響はないのだろうか。何とも不安が拭えないお役所仕事だ。


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  1. 2019/10/28(月) 00:00:00|
  2. 高森線
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海 騒めく

風が強く海が騒めいている
悪天候を予兆する煌めきだ

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2017年10月 室蘭本線 長和

11月が近いというのに、千葉県、福島県を中心にまたしても豪雨による洪水となった。多くの人が気象災害など自分には関係ないものだと思っていたはずだ。当のこあらまも決定的に痛い目に遭ったことはないので、その嫌いは拭えない。確かに、これまでは洪水など一部の低地に限ったことで、家屋だって沖縄並みの台風の風速想定など必要はなかった。しかし、どうも状況は急転しているようだ。

先の台風19号の豪雨では、山梨はまたしても陸の孤島になってしまった。東京へと通じる中央本線、中央自動車道、国道20号線の全てが途絶え、臨時の高速バスが東名高速経由で運行された。中央高速が復旧したため物流は何とか平静を取り戻しつつあるが、新宿方面の中央本線と国道20号は今も不通のままだ。そして、こあらまがホームにしている小海線と飯山線も全線復旧には時間が掛かりそうだ。

こうなってくると、もうとても他人事ではなくなってくる。昨年、一昨年の台風では庭が川になってしまった。家には被害はなかったが、夜中に不気味な水音で目が覚めた。近所では床下浸水のお宅もあった。このまま気象が激化すれば、家が流されるような事態も現実味を帯びてくる。幸いにも、自宅はハザードマップの土石流の危険地帯の中にはないが、近場にある湧水は土石に埋もれた記録がある。

自分の命は自分で守る。当たり前の話だが、具体的な行動の仕方などを真剣に考えたことなどあるのだろうか。いざという時に、どんな行動を起こせばいいのか。その昔、山岳写真をやっていた頃には、山では悪天候に備えて何時も逃げ道、避難方法を想定していた。町での生活でもそんな緊張感が強いられる時代になってしまったのか。台風の度に、ビービーと携帯が鳴るのはその予兆なのかもしれない。


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  1. 2019/10/26(土) 00:00:00|
  2. 室蘭本線
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北四線踏切

山線を往く車両は変わっていくが
羊蹄の雄大さには何の変りもない

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2018年10月 函館本線 倶知安

この踏切が有名になったのは、復活C623の「C62ニセコ号」の時代だ。それ以前の現役蒸気の時代には、それほど脚光を浴びる場所ではなかった。その理由の一つに、下りのC62重連の103レ「ニセコ3号」の通過時間が遅過ぎたせいもあったのだろう。1970年1月の時刻表を覗いてみると、103レの倶知安発は18:26、小沢発は18:42とある。現代のデジタル一眼の感度をもってすれば、夏場であれば逢魔時の色付く羊蹄山をバックに、倶知安峠に向けて猛ダッシュするジェット音の巨体を捉えることも出来ただろうが、銀塩時代には到底叶わないことだった。精々倶知安駅の場内灯の下で慌ただしく繰り広げられた火床整理、そして吹雪の中の怒涛の発進を、スローシャッターでフィルムに焼き付けるのが通例だった。

そんなかつての超有名スポットも、今では殆ど人気のない静かな踏切に戻っている。その昔、線路際まで畑だったように記憶しているが、大分農地が後退して視界が狭まったような気がする。それでも羊蹄の姿が見られる際には、ついつい引き込まれてしまう場所だ。山の表情は千差万別で、撮り尽くすことはない。ただし、今や存続すら覚束ないローカル線化した山線だけに、列車が少ないのが最大のネックだ。この日も、ピッカピカなら通過していただろうが、少々雲の湧き出しが気になったので、国道から吸い込まれてしまった。この場所に立つと、なんだかんだと様々な思い出が蘇る。再びここでC62を待つことはもうないだろうが、その残像に導かれて、これからもこの場所に通うことになるような気がする。


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  1. 2019/10/24(木) 00:00:00|
  2. 函館本線
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江の川を往く

江の川の流れに沿って列車が往く
災難をもたらす水は生命線でもある

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1973年7月 三江北線 川戸

今年も台風によって甚大な被害を被った日本列島だが、温暖化による気象の激化はもう後戻りできないところまで来てしまっているようだ。今後は自然災害に対しての認識を一変させないといけないかもしれない。風水害に対して新たな発想の家屋構造も必要だろう。台風15号では千葉県の太平洋岸で多くの木造家屋の屋根が飛ばされ、台風19号の大雨では未曽有の広範囲の大洪水となった。今晩も台風20号から変わった温帯低気圧による大雨が警戒されている。これからは、固定資産であった筈の家や土地も流動資産と考えた方がいいかもしれない。

写真は江の川に沿って上流を目指す三江北線の浜田区のC56だ。この「江の川」の名称は意外に新しく、1966年に一級河川に指定された際に付けられた名称で、以前は「可愛川(えのかわ)」、「郷川」、「江川」などと流域によって様々な呼ばれ方をしていた。この川は、洪水の絶えない川としても知らている。1945年の「枕崎台風」、1972年の「昭和47年7月豪雨」では大きな被害がでている。その度に三江北線も災害不通となってきたが、その都度不思議と再起を果してきた。その三江線も過疎化と車社会の荒波には打ち勝てず、敢え無く事尽きてしまった。

農耕民族の日本人にとって水と平地は不可欠なもので、水辺の氾濫原が最も豊かな土地であったはずだ。洪水の度に土地は肥沃になり豊穣をもたらしてきた。世界の主な文明も大河の氾濫原に起こっている。人口が集中する平地の生い立ちは殆どが沖積平野で、そもそもが洪水が造ったものだ。着の身着のままの生活ならともかく、所有物が増えていくと治水が求められるようになった。瑞穂の国の地域社会の歴史は、水を制する歴史でもあった。温暖化で急速に激しさを増す気候に人の英知が追いつけなくなった時、それはもう天罰と言わざるを得ない。


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  1. 2019/10/22(火) 00:00:00|
  2. 三江線
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4つの富良野

富良野の語源は十勝の硫黄臭だ
秋の好日に初雪の連峰が映える

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2018年10月 富良野線 上富良野

旭川駅から富良野線に乗ると、上富良野町、中富良野町を通って、富良野市で根室本線の富良野駅に到着する。さらに、根室本線を東進すると災害休止となっている幾寅駅が玄関駅の南富良野町がある。さて、この4つの富良野はどういう関係にあるのだろうか。前々から興味があったが、つい後回しになってきてしまった。やっと、その成り立ちを知ることができたが、ちょっと想像していたのとは違う事実があった。まず、富良野とは何処を指すのか。富良野盆地に広がる一帯を指すようだが、そのアイヌ語の語源は、臭いのある処という意味の「フーラヌイ」と言われている。ラベンダーの香ならぬ、十勝岳の硫黄臭がこの地の語源のようだ。考古学的に富良野はアイヌ文化によって縄文時代から栄えていたことが検証されている。

倭人の入植は、1896年に富良野原野殖民地区画が設定され、1897年に富良野地区への入植が始まり富良野村が設立された。主に開拓は美瑛に続く北部から南部へと進められたため、当時の富良野村では、北部が上富良野、南部が下富良野と称された。1899年には鉄道が美瑛-上富良野間に開通し、翌年には下富良野まで延伸されている。1903年には、下富良野が分割され下富良野村となり、富良野村は上富良野村となった。その下富良野村からは1908年に南富良野村が分割され、1917年には上富良野村から中富良野村が分割された。この時点で現在の4つの富良野に分割された。一番早く町制が施行されたのが人口の最も多い下富良野村で、1919年に富良野町を名乗った。その後、上、中、南の順に町制が施行されている。富良野町はさらに周辺町村を合併して、1966年に市制が施行され富良野市になっている。

現在の4つの富良野のおよその人口は、上、中、市、南の順に、1万、5千、2万、2千5百だ。面白いことに南、中、上、市の順に倍々になっている。こうして生まれた4つの富良野だが、何れも農業と観光を主産業としているため結びつきは強い。4つの富良野に美瑛町、占冠村を加えて「富良野・美瑛観光圏」を形成し、JAも4つの富良野に占冠村を加えた「JAふらの」が設立されている。何れも富良野村に起源をもつ富良野の市町だが、産業的には逆に結びつきを深めている。北海道の代表的な観光地域で、移住政策も積極的に推し進めているが、残念ながら、それでも若い働き手の流失は止まっていない。こあらまも、生活が一変する東山・美瑛・富良野辺りへの移住を考えたこともあるが、軟弱にも首都圏に留まってしまった。もっともっと自由な発想で居住地を考えられる環境と発想が整えば、富良野の人口減少にも歯止めが掛かるかもしれないが、なかなかそうはならないのが世の常だ。


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  1. 2019/10/20(日) 00:00:00|
  2. 富良野線
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千曲川の流れ

秋の佐久をさらさと千曲川が流れる
何時もは穏やかな清流も時に牙をむく

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2017年11月 小海線

今回の台風19号の大雨では、各地で河川の大規模な氾濫が起きている。特に大きな災害の一つとなったのが千曲川の流れだ。長野県内の数カ所で、堤防の決壊などで洪水が発生した。長野県の千曲川は、新潟県に入ると信濃川と名を変える。埼玉県・山梨県・長野県の県境部に聳える甲武信ケ岳を源とする全長376kmの日本最長の河川だ。千曲川の上流部に位置するこの辺りでは、まだ大河の風格は備えていないが、この先に遠い流れが待っていることだけは予感させる。何時もは穏やかな千曲川の流れだ。

今回の千曲川の大雨災害報道で目に留まったのが、長野市赤沼にある北陸新幹線の長野新幹線車両センターでの120両もの新幹線車両の水没だ。関係者には想定外の災害とする向きがあるが、長野市のハザードマップでは、洪水時の基地周辺の浸水予想は「最大10m以上」とされていた。何故に車両を安全な高架線に避難させなかったのか。国鉄の洪水の危険のある車両基地では、車両を高架線に逃がす訓練までしていたという。時代が違うでは片付けられない、釈然としない何かがあるように思えて仕方ない。


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  1. 2019/10/18(金) 00:00:00|
  2. 小海線
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駅舎の灯 函館 16時56分

市電に夕方のラッシュが訪れる頃
函館山山頂に夜景見学の時間が迫る

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2018年10月 函館本線 函館

このモダンな5代目函館駅舎は、北海道新幹線の乗り入れに備えて、函館市の50億円の財政支援によって2003年に使用開始された。デザインはJR北海道と提携先であるデンマーク国鉄とのコラボよるものだ。しかし、立派な駅舎が出来上がり、新幹線の受け入れ準備が出来たかと思いきや、結局ここには新幹線はやって来なかった。札幌との距離が優先され、新駅は北斗市の畑の中に造られた。駅名は、函館市と北斗市の攻防戦の上、新函館北斗という継ぎ接ぎだらけの美しくない駅名で落着となった。地元の駆け引きを他所に、北海道新幹線は低迷を続けている。2030年に予定されている札幌延伸に漕ぎつけても、業績不振が解消されなかったら、一体誰が責任をとるのだろうか。


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駅舎の正面入口の上には巨大な北海道新幹線の看板が見える。その広告に起用されたのが、今や大リーガーとなった当時の日本ハムファイターズの大谷翔平選手だ。思うに、ファイターズは本拠地を東京から札幌に移して本当に良かったと思う。東京の後楽園ドームでは、常にジャイアンツの裏チームのようだった。ご存知の通り、札幌に移ってからというもの道民の声援を受けて人気度は急上昇だ。


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こちらは駅前から見た函館山になる。そろそろ夜景の時間が近づき、駅前からも函館山の展望台に向かう路線バスが引っ切り無しに出ていく。手前のすぐそこに見えるのが有名な函館朝市であるが、あまりに観光化し過ぎてしまったので、地元民がここで買い物することは珍しくなった。


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代わって、こちらは函館市電の函館駅前停留場だ。こちらも洒落たデザインの停留場で、2015年には「グッドデザイン賞」を受賞している。夕方のラッシュ時間を迎えており、昼間の観光電車の趣とは違った表情を見せている。停車しているのは低床式の「らっくる号」だ。


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その昔、駅の通路が津軽海峡を渡る連絡船の桟橋に繋がっていたころ、この駅は北の玄関口だった。多くの優等列車の始発がここ函館で、連絡船に合わせて道内各地とを結ぶ特急や急行が設定されていた。北海道新幹線の開業で、再び玄関口の威厳を取り戻そうとしたが、そう上手くは行かなかった。最近では、名物のイカが不漁な上に、韓国人旅行客の激減により、特に観光関連業は辛いところだ。しかし、振るわない点を論っているだけでは始まらない。是非とも過去の栄華に縛られない、未来志向の函館であって欲しい。


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  1. 2019/10/16(水) 00:00:00|
  2. 函館本線
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鉄道の日

鉄道開基から127年が経った
古き良き国鉄時代が懐かしい

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1970年2月 八高線のとある駅

今日10月14日は「鉄道の日」だ。国鉄時代の方々には「鉄道記念日」と言った方がピンとくるだろう。今から127年前の1872年10月14日に、新橋-横浜間に本邦初の鉄道が開業した。1921年には鉄道開基50周年事業として東京駅丸の内北口に初代鉄道博物館が開館し、翌1922年に鉄道省が鉄道記念日を制定している。その記念日は日本国有鉄道、JRへと連綿と受け継がれてきたが、1994年に当時の運輸省によって、全ての鉄道事業者の記念日として、「鉄道の日」に改称された。それ以来、記念日には全国の鉄道事業者がイベントを催している。

もう半世紀も経ってしまったので、こんな写真をアップしてもよいのではと思えるようになった。こあらまが蒸気機関車を撮り始めた頃には、貨物の列車ダイヤや蒸気の筋の情報を入手するのは難しかった。現地で駅員さんから情報を入手するのが、最も現実的で手っ取り早い手段だった。当時はいい時代で、情報を懇切丁寧に教えてもらえた。後に必需品となった「SLダイヤ情報」の創刊は1972年10月のことだ。そうこうしているうちに、こんな写真まで撮らせてもらった。鉄道記念日とともに制定された鉄道省の省旗で、後の国鉄に引き継がれた。

この旗には、動輪と二条のレールがあしらわれている。事ある毎に日の丸と共に掲げられていたようで、国鉄時代を彷彿とされる逸品だ。しかし、旗は本当は脇役で、主役はやはり駅員のお二人さんだ。左が駅長さんで、右が助役さんになる。仕事には厳しい駅長さんと、場を和ませる助役さん。本当にいいコンビだった。助役さんのトレードマークは蝶ネクタイで、「ちょちょさん」と呼ばれていた。色々とお世話になったお二人だが、もうお会いすることも叶わなくなってしまった。小さな蒸気ファンにとって、国鉄の方々は鉄道趣味の大先輩でもあった。


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  1. 2019/10/14(月) 00:00:00|
  2. 八高線
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錦秋ライン

黒沢川の渓谷が秋の色に染まった
錦秋ラインの短尺キハがよく似合う

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2018年11月 北上線 小松川

世間では今日から折角の三連休だが、猛烈な勢力の台風19号が日本列島に接近している。昭和33年の狩野川台風に匹敵するなどと、随分と恐ろしいことが伝えられている。先般の台風15号による千葉県の被害もあり、その備えについて気象庁や報道機関から再三聞かされているためか、昨日の夕刻にスーパーに行ってみると、ものの見事にパンとインスタントラーメンが棚から消えていた。何が目的かは知らないが、車のガソリンを満タンにしておけという指摘もあり、安いガソリンスタンドでは給油待ちの状態だった。昔、オイルショックで店先からトイレットペーパーが消えたことがあったが、日本人の横並びの行動パターンが今回も発揮されたようだ。

さて、今回の画は北上線の錦秋風景だ。黒沢川渓谷の紅葉も、錦秋湖辺りのものに引けを取らない素晴らしさだ。キハ110系より小柄なキハ100系がよく似合う。最近の異常気象のせいか、紅葉も気まぐれになってきた。今年も紅葉のシーズンを迎えたが、どんなもんだろうか。

三連休初日の今日は、交通機関も計画運休のところが多く、家で台風通過を見守るしかないだろう。我が家も普段は使わない雨戸を閉め、風呂に水を張って防衛態勢に入った。そろそろ風も出てきて雨戸に雨が打ち付け始めた。何としても、備えが空振りに終わってもらいたい。


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  1. 2019/10/12(土) 02:00:00|
  2. 北上線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

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