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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

棒線化の線形

ポイントを外しただけの線形
かつての交換駅の確かな痕跡だ

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2018年10月 函館本線 比羅夫

こんな線形の駅が増えてしまった。現在の山線しか知らない方々には信じられないだろうが、半世紀前の現役蒸気の時代には、ここ比羅夫でも日に何度も列車交換が行われていた。優等列車が行き交っていたので交換設備もそれなりの長さがあった。相対式ホームに退避用の中線を有する2面3線に、貨物用の引込み線とホームまで在った。そんな比羅夫も1985年に現在の棒線となった。駅が在るだけまだマシだろうか。廃駅を探し出す時に、この線形が手掛かりになることがあるから悲しい。

正午過ぎに、104レ急行ニセコ1号がC62重連に牽かれて倶知安を出発する。怒涛の加速が終わり、最高速度に達して間もなくすると比羅夫の通過となる。駅向こうの林から、絶気の薄煙の巨漢が姿を現す。C62のジェット音とスハの軽快なジョイント音とともに、身をくねらせてニセコ1号が通過していく。過ぎ去った時のちょっとした心地良い脱力感と微かに漂う石炭の臭いが蘇る。妄想とも思い出ともつかないそんな光景が瞼に浮かぶ。線形は変わっても、今も変わらぬ比羅夫の佇まいだ。


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  1. 2019/10/10(木) 00:00:00|
  2. 函館本線
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狩勝の要衝 落合

かつての狩勝の要衝が草に埋もれる
往年の本線を伝える構内が錆びていく

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2018年10月 根室本線 落合

こあらまが蒸気機関車を撮り始めた頃には、既に狩勝峠は無煙化されていた。更には新線に切り替えられ、鉄道三大車窓の峠道も過去のものになっていた。北海道内最難関とされる狩勝峠の乗務員は、過酷な職場環境を強いられ、労働争議も起きていた。そのため、新製間もないDD51が道内で真っ先に導入され、早々と無煙化となった。伝説の狩勝峠の大パノラマは諸先輩方の力作を拝むしかなかった。

狩勝峠に挑む列車をサポートする補機のため、上川側に落合機関庫が、十勝側に新得機関区が置かれていた。峠の狩勝トンネルの出入り口には、煙から乗務員を守るため、開閉式の幕が設置され、幕の開閉のための係員が常駐していた。その狩勝峠の上川側の要衝である落合が今回の話題だ。峠越えは三大車窓の十勝側が25‰ときつく、新得機関区の罐が補機として峠のシェルパの大任を担っていた。

上川側の落合は南富良野町東端の山間部にある。はじめから機関庫を置くことが前提で設置された駅で、周辺に大きな集落があるわけではなく、あくまで狩勝峠越えのための鉄道施設としての性格が強い。その落合は現在休止中だ。2016年の台風10号の土砂災害で、根室本線の東鹿越-新得間は不通が続いており、このまま廃線の可能性が高い。かつての狩勝峠の要衝は草に埋もれて眠りについている。


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幾寅方面を臨む。廃止になったわけではないので設備は全て温存されている。しかし、災害復旧のための工事は何らされておらず、手付かずのままで不通が3年以上続いている。レールの存在はまだ失われておらず、何とも痛々しい状況だ。


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この駅は1981年の石勝線の開通で大きく衰退した。優等列車と貨物列車は全て石勝線経由となり、本線筋のこちらの定期列車は普通のみとなった。もし、石勝線が開通していなかったら、逸早く復旧していただろうが、ローカル線化した現在では叶わないことなのか。


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新得側からの構内の眺めになる。草に覆われてはいるが、まだまだ構内の線形は見て取れる。駅の右手に機関庫があったようで広いスペースが空いている。単車の気動車には立派過ぎる構内からは、賑やかだった往年の根室本線が思い出される。


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最後に新得側。左に向かうのが旧線だったところで、この直ぐ先でレールは途切れている。旧線は狩勝信号場、新内を通って新得に向かっていた。右のトンネルが1966年に開通した新線で、幾つかの短いトンネルを抜け、石勝線と合流して、新狩勝トンネルに入る。上落合、新狩勝、広内、西新得の4つの信号場を経由して新得に至る。

時代の流れと云うのは容赦ない。かつての狩勝峠の要衝も、バイパス線の開通と台風災害で追い詰められてしまった。これも時代の趨勢と云うものだろう。生まれるものがあるからには、消え去るものも出てくる。狩勝峠の旧線に観光トロッコ列車でも走らせればと思ってみても、すでに鉄路は剥がされ痕跡もおぼつかなくなってきた。鉄道流行りの昨今、鉄道三大車窓となると、ちょっとした人気になったかもしれない。


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  1. 2019/10/08(火) 00:00:00|
  2. 根室本線
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線路の向こうに 北星

秋色の中に一条の線路が伸びる
最果ての町を繋ぐ最後の鉄路だ

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2018年10月 宗谷本線 北星

この駅は、一見すると国鉄の仮乗降場だったように見えるが、1959年の開業時から不思議とずっと正式な駅だ。ただし、駅員が配置されたことは一度もない生粋の無人駅だ。2016年には、JR北から廃止が通告されたようだが、地元名寄市の反対で今現在も駅は残っている。一日乗降者数が1未満と、予断を許さない状況にはある。木造デッキ式ホームから少し離れた場所に、「毛織の北紡」の赤いホーロー看板が掲げられた待合所があり、駅巡りのファンには知られた存在だ。

周囲の山が美しい秋色に染まり、紅葉の盛りを迎えた。しかし、この駅に停車する列車は日に4往復で、秋を愛でる来訪者は皆無に等しい。例によって、この駅の紅葉も人知れず散っていくことになる。人だかりの紅葉狩りなど止めにして、こんなところで静かな時間を楽しもうという人が増えれば、宗谷本線と北星駅もちょっとだけ長生きできるかもしれない。


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  1. 2019/10/06(日) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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北の終着駅

北の盲腸線の終着駅の一コマ
職員総出でキューロクを迎える

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1974年8月 相生線 北見相生

国鉄時代には、全国に多くの盲腸線と呼ばれる短距離行き止まり路線が存在した。鉄道が華やかなりし時代には、壮大な鉄道網計画が策定された。その多くは、国鉄と国の財政事情の悪化により、工事を中断せざるを得なかった。敷設工事が両端から始められていた場合、中断により二つの盲腸線が残されることになる。◯◯北線と◯◯南線などと云う路線名がその生き残りだ。

この相生線もその片割で、当初は釧路と美幌を結ぶ釧美線として計画された。全線の測量は終えてはいたが、釧網本線の開通によって、敷設の意義は大きく後退してしまい、結局、全線開通には至らなかった。そして、北見相生はたまたまの終着駅として1925年に開業した。蒸気機関車の折り返しのために、簡便な転車台や給水塔、給炭台などが備えられ、人力で応対していた。

そんな盲腸線も、多くが国鉄末期の特定地方交通線に指定され、敢え無く消えている。相生線36.8kmも第一次特定地方交通線に名を連ね、1985年に廃止された。キューロクが通った北の盲腸線の終着駅は、今や昔話の世界になった。人力転車台に木造施設。職員総出で北のキューロクの折返し準備に当たる様は、鉄道がまだまだアナログだった時代の懐かしさ一杯の思い出だ。


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  1. 2019/10/04(金) 00:00:00|
  2. 相生線
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錦秋を往く

錦秋湖に紅葉シーズンが訪れた
その秋色は名前通りの鮮やかさだ

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2017年10月 北上線 ゆだ錦秋湖

重力式アーチダムという全国に12基しかない希少な形式の湯田ダムによって造られた人造湖は、錦秋湖と命名された。周辺渓谷の紅葉の素晴らしさから名付けられたが、「地域に開かれたダム」として、地域振興のための環境整備が進められ、春の新緑、秋の紅葉、そして解放された湖面を利用したウォータースポーツの場として、水利資源ばかりでなく観光資源としても地元にとって重要な役割を果たしている。

その錦秋の湖を往くのが北上線で、鉄道ファンは元より観光客にも人気の観光アイテムのひとつになっている。紅葉シーズンを中心に、2002年からの3年間は「SL錦秋湖号」が、2006年からの2年は国鉄色の「錦秋湖号」が運行されているが、それ以降は音沙汰がない。地元の罐としてC58239が盛岡に確保されたのだから、釜石線だけでなく北上線や花輪線、願わくは山田線にもブラストを響かせて欲しいものだ。


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  1. 2019/10/02(水) 00:00:00|
  2. 北上線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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