陽炎のストレートに罐の姿が大きくなる
シゴナナの発する熱が夏を盛り上げる

1971年7月 日豊本線 竜ヶ水
暑い暑いと言っている間に、早くも8月も最終日となってしまった。当分の間、秋風は期待できそうもないが、気持ち的には少々楽になったような気がする。48年前の夏も暑かった。今なら真夏の長期ロケなど願い下げだが、あの頃は若さに任せて酷暑の九州を旅している。当時は冷房など一般的でなかったので、何処にいてもそう変わりはなかったし、待ちに待った長い旅ができる夏休みだった。現役蒸気時代は暑さや寒さなどお構いなしに、北へ南へと時間と懐が許す限り旅を続けていた。この旅もそろそろ終盤を迎えていた。さすがに薩摩の日差しは強烈だった。それでも、ひたすら炎天下で蒸気を待った日々は、若かりし頃の良き思い出だ。
さて、写真は宮崎区の一次型の名機の117号機だ。この罐は、2年後の1973年4月の宮崎県での全国植樹祭のお召列車を牽引し、蒸気機関車最後のお召機として名を残している。そして、ファンサービスの1974年1月に始まる1121レ日南3号の牽引にも活躍し、1974年8月に宮崎区で廃車になっている。静態保存の予定だったが実現せず、結局1976年5月に鹿児島工場で解体となってしまった。名機の最期は呆気ないものだった。
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- 2019/08/31(土) 00:00:00|
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道東厚岸の原野にやませのガスが漂う
単行キハが落穂拾いの様に小駅を巡る

2018年10月 根室本線 門静
この時も釧路地方特有の愚図ついた天候が続いていた。春夏秋と日本有数の晴天率の低さのこの地方では、夏でもストーブを片付けることはない。ひと夏で何度半袖の服が着られるのかという場所だ。原因は太平洋から吹き付ける「やませ」によってガスや雲が発生しやすいからだ。例によって、この夕暮れも濃いガスに包まれ、雨音が絶えなかった。この時間帯をこよなく愛する当ブログの管理人にとって、この気象状況は決して悪いものではない。この地を象徴するガスの中、釧路から通学列車が下ってきた。男女二人の高校生が降りてきたが、さすがにこのアングルでは上手くは捉えられない。人影と列車は、すぐにガスの漂う暗闇へと消えていった。
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- 2019/08/29(木) 00:00:00|
- 根室本線
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欧州では鉄道時代の再来か
鉄道自慢の広がりは如何に

2005年5月 オランダ鉄道 ハーレム駅 ”Stoptrein”と呼ばれる各駅停車 ”ハーレム”の語源になった町
北欧から始まった『flygskam』が、欧州全体そして北米へと伝播しつつある。語源はスウェーデン語だが、一般的に英訳は「flight shame」、和訳は「フライトの恥」が使われている。ウェブ検索してみると、多くは欧米のサイトで扱われている。先日、某放送協会の朝のワイドショー的番組で、「飛び恥」という名で取り上げられたらしいが、反応は否定的なものが多いと伝えられている。環境技術では世界をリードする日本だが、個人の環境意識は決して高くないことが表れているようだ。
この環境運動は、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんという現在16歳の女子高校生のたったひとりでの行動に始まる。もちろん温暖化ガスの発生の著しい航空機の使用を自粛する活動だ。今年初めのダボス会議でも発言の場を得ているが、「すぐには受け入れられないだろうが、それでも自分は発信し続ける」という主旨の言葉もあり、なかなかの腹の座りようだ。母親は有名なオペラ歌手のMalena Emmanさんだが、娘の説得で飛行機を使う公演は自粛中だというからこれまた凄い。
この『flygskam』と対をなすのが『tagskryt』だ。こちらの和訳は「列車自慢」とされる。つまり、「飛行機をやめて列車に乗ろう」ということだ。飛行機よりも遥かに環境への負荷の小さい鉄道利用を求めるものだ。女子高校生活動家は、鉄道があれば、飛行機ばかりか自動車にも乗らないという徹底ぶりらしい。最近、フランス政府は新たなフライト税を導入して、その税収を鉄道の整備に充てることを発表した。いやはや、彼女の主張はフランス政府までも動かしており、先の言葉も最早謙遜だ。
この記事を書いたのは、当然のことながら鉄道復権の契機になればと願ってのことだ。勿論、色々と事情の異なる本邦でそう上手くは行く筈もあるまい。逆に土建族の整備新幹線推進の具にでもされたら大変だ。マイルが溜まるのを細やかな楽しみにしている世の飛行機出張族のお父さん、ちょっと彼女の言い分にも耳を傾けてみては・・・。
写真はスウェーデンではなくオランダだ。全国にオランダ国鉄を引き継ぐオランダ鉄道の鉄道網が張り巡らされる鉄道国だ。幹線にはEuro都市間のインターシティ列車が走り、日本と同様に定時運行が板についており、数分の遅れでアナウンスが入る。首都のアムステルダム中央駅の駅舎は東京駅のモデルにもなった逸品だ。アムステルダムはトラムと自転車の街だ。過去にはトラムの地下鉄化も検討されたが、市民の反対で路面電車が残されている。理由は簡単で、短い水平移動の方が人に優しいという路面電車の最大のメリットからだ。自転車はというと殆ど専用レーンを走ることになる。歩行者からは完全に分離されており、自転車にも厳しい規則がある。この街では、人と自転車とトラムが幅を利かせ、自動車は肩身が狭い。便利さと快適さの在り方はそれぞれの街で異なる。自動車ばかりが優先される単一思考は最早時代遅れだろう。

アムステルダム市街のトラム 後ろはマダムタッソーの蝋人形館

アムステルダムの運河の風景 運河に浮かぶ大型の船には人が住んでいる

ライデンに停車中の全車ハイデッカーの都市間快速の”Intercity” 黄色に青がオランダ鉄道の企業色

アムステルダムの旧市街 テーマパークではなく本物の町並みだ

オランダ鉄道の券売機
上の矢印マークがオランダ鉄道のマーク。窓口でも買えるが、ちょっとでももたつくとサービス料が付加される。日本では考えられないことなので要注意。しかし、最も注意を要するのは「乗り越し」という概念がないことで、検札で走行区間の切符を持っていなければ即無賃乗車となり、極めて高い罰金が科せられる。もし、どうしても切符が買えなかった際には、乗車後直ちに車掌を探して事情説明の上、切符を購入すること。入札も改札もないので当たり前といえば当たり前。極端に高い罰金を定めることによって無賃乗車の抑止効果を狙っている。設備や人件費で浮いた分は運賃に反映されるので合理的な考え方だろう。このことは自動車の有料駐車場でも同じで、券売機があるだけ。管理人がダッシュボードにその時間に有効な駐車券を確認できなければ、何十万円もの罰金が待っているので、普通の人間は必ず正しく駐車料金を納めることになる。

デンハーグのトラム 運転手さんが照れてしまった すいません

トラムの車内
このトラムでデンハーグからデルフト方面に向かう。途中にあるデルフト焼の工房に行くためだ。トラムにしては長距離で下車が心配だったので、運転手さんに下車駅を告げておいたらご丁寧に停まって降ろしてくれた。田舎の停留所で回りに家がなく、やっと見つけた住民に道を聞いて工房に辿り着けた。お陰で、オランダの田舎の風景を堪能することが出来た。何時だって、旅の楽しみはそんなところにある。

アムステルダム中央駅の駅前
生憎駅舎の修復中だが、東京駅のモデルとなったレンガ造りのアムステルダム中央駅。駅前にはトラムのターミナルがあり、数多くある路線がここに集まっている。どうやって、行先の違うトラムを捌いているのかは分からないが、次々と発着していく。車輛も低床式で、市民が選択した人にも環境にも優しい交通手段だ。

こちらは”ICE International”で、ドイツのケルン・フランクフルトとを結んでいる ドイツのシーメンス社製

ハーレムの駅中の花屋の店先 さすがは花の国だけあってハイセンスでお値段も手頃

雨上がりの朝のアムステルダム 本当にトラムがよく似合う街だ
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- 2019/08/27(火) 00:00:00|
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日が沈むと風が綺麗に止んだ
田圃の水面が天空列車を映す

2019年5月 小海線
やっと猛暑が収まって来た。乾いた空気に入れ替わり、いよいよ今年の夏も終わりが近づいた。冬の厳しい当地では、夏休みが短く、冬休みが長い。先日、一足早く夏休みが終わって、通学バスが走りだした。大カーブも大分日没が早くなり、朝晩の虫の音が耳に着くようになった。今年は天候不順で、畑仕事にも身が入らず、畑は荒れ気味で何もかもが不作だった。来る秋が穏やかな日々であることを願うばかりだ。
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- 2019/08/25(日) 02:00:00|
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そぼ降る雨の中、ヨンマルが離合する
特急と貨物を掻い潜って普通列車が往く

2018年10月 函館本線 大沼
以前、タモリのブラ歩きテレビ番組を発端に、「離合」が九州・山口の方言であることが話題になったことがあるようだ。「車の離合」として使われ、狭い道をやっとのことで車が擦れ違うことを云うそうだ。「離合」は、そもそも鉄道用語のようで、こあらまを含めてその道の関係者には馴染みがあるので、言葉そのものには別段違和感はない。逆に、車社会では九州・山口でしか使われていなかったことに奇異を感じるほどだ。この二文字単語は、「離合集散」という四文字熟語が分離してしまったという説もあるが、そういう観点からすれば「離合」のニュアンスが少々変化してしまっているようだ。
さて、鉄道界の「離合」についてだが、単線区間で列車が擦れ違うことを「交換」または「離合」と呼ぶが、「離合」については、複線区間の上下線で列車が擦れ違うことに限定するとする解釈もある。どれが正しいかは皆目見当がつかないが、最大公約数的には列車の擦れ違いということだろう。ところで、写真の状態はどう呼ぶのだろうか。仁山経由の上り普通列車と藤代線経由の下り普通列車の邂逅であるが、単線でしょうか、複線でしょうか。ここから先の線形のことを考えるとさらに話は複雑に。まあ、細かいことは置いといて、複線的な2本の線路上で擦れ違っているので、「離合」ということで。
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- 2019/08/23(金) 00:00:00|
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十勝浦幌に夜の帳が降りてきた
おおぞらが北の大地をひた走る

2018年10月 根室本線 浦幌
8月も後半に入り、少しずつ日の入りが早くなってきたのが感じられる。あまりに暑い日が続いているので、夕暮れ時が近づくとホッとする毎日だ。もう二月もすると、十勝はこんなにも日が短くなる。夜の帳が降りようとする17時過ぎ、2556D新得行きの普通列車が浦幌の待避線に当たる2番線に到着した。運悪くラッピング車の上に何やらヘッドマークまで付いている。間もなく、通過線に札幌行きの4010D Sおおぞら10号が進入してきた。追い越し様に、北海道色のキハ40の白いボディが闇に浮かび上がる算段だったが、何ともグロテスクなラッピングがヘッドライトに照らし出された。まんまと目論見は外れて、”FURICO283”はコマツの直列6気筒エンジンを唸らせて、さっさと遠ざかっていった。
「おおぞら」は、1961年10月1日のサンロクトオにデビューした北海道初の特急列車だ。最初は、当時では珍しい海線経由の函館-旭川間だったが、翌年の1962年には釧路編成が増結され、1967年にお馴染みの函館-釧路間の長大編成の特急列車となった。1997年には、現行のキハ283系のよる「ス―パーおおぞら」が運行を開始した。現在では、「スーパーおおぞら」も「スーパー北斗」もスーパーのみになっている。そろそろ由緒ある二つの列車名を、元に戻してもいいのではないだろうか。北の大地の大きな空をイメージした「おおぞら」は、間もなく58歳の誕生日を迎える。
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- 2019/08/19(月) 01:00:00|
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高原の朝の冷気の中を野菜列車が往く
通風車の開け放たれた荷扉が印象的だ

1970年8月 小海線 今は林の中の大門川橋梁
その昔、エアコンが一般的でなかった時代、国鉄には通風車というものがあった。生鮮野菜や果物などの貨物が蒸れないように工夫された貨車のことだ。小海線では、沿線の高原野菜を首都圏に運ぶためにツム1000が活躍していた。屋根上の数多くのベンチレーターをはじめとして、車体の側面や妻側、床面にまで通気口が設けられていた。前夕から早朝にかけて集荷されたレタスが、野菜列車に仕立てられて、小淵沢に向かって高原を降りて往く。最高地点を通過した高原のポニーは、ブレーキ操作のみの絶気の旅路になる。早朝の冷気が貨車内を抜けていくように荷扉は両側とも解放されている。小淵沢で中央本線の貨物列車にバトンタッチされて首都圏へと向かう。
その後、通風車は衛生上の問題などもあり、早々に姿を消していった。そもそも畑に植わっていたものなので衛生上もないものだが、そんな時代へと移って行ったということだ。確かに、汚れた油煙に塗れた町の空気を思えば許せないのだろう。この日の朝も清々しい冷気に一面の露が降りていた。日が高く昇るまで肌寒かったことを覚えている。通風という原始的な方法でも十分に効果があったのだろう。今のような猛暑が訪れるとは、当時想像だにしなかった。近頃の暑さでは熱風に当たってすぐに萎れてしまうだろう。今流行っているハンディ扇風機もあまりの高温では逆効果ということもあるらしい。げに恐ろしい時代になったものだ。通風車の時代のおおらかさが懐かしい。
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- 2019/08/17(土) 00:00:00|
- 小海線
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鎌倉を強引に横切って横須賀線が往く
路線の起源は軍港の軍需輸送に始まる

1973年9月 横須賀線 鎌倉
車輛のことを言うとボロが出てしまいそうだが、この電車は目玉がデカいのでスカ色の111系と思われる。111系とその後継形式である113系、115系が国鉄近郊線を席捲していくことになる。列車は北鎌倉から扇ヶ谷隧道を抜けて鎌倉の市街地に入るところだ。鎌倉の寺院の撮影の折に、警報機に反応してしまい、ながらで撮ったものだ。
明治末期に日本海軍は、横須賀、舞鶴、呉、佐世保の4港を軍港に指定して、鎮守府と海軍工廠を置いた。また、大湊を軍港に次ぐ要港とし、要港部を設けた。この5港は、海上自衛隊に引き継がれ現在に至っている。横須賀と佐世保については、在日米海軍第七艦隊の拠点ともなっている。
その軍港に繋がる鉄道には当然軍需を目的に敷設されたものがある。呉線にC59やC62が闊歩していたのは、軍需目的の幹線仕様であったからに他ならない。横須賀線も横須賀軍港のための幹線で、かなり強引な手法によって建設されている。円覚寺の参道を横切り、鶴岡八幡宮の段葛を薙ぎ倒して行軍している。鶴岡の段葛は一の鳥居から三の鳥居まで存在していたが、横須賀線敷設のために一の鳥居から二の鳥居の間が撤去されている。以前の記事にも書いたが、戦時中には御殿場線のレールを使って、横須賀から久里浜まで延伸されている。
今日は「終戦の日」だ。日本政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としている。追悼と祈念とは国民も随分と甘く見られたものだ。盲目的に為政者に従っていればいいと言わんばかりだ。祈念さえしていれば平和が訪れるのなら何の苦労もない。先の大戦の際、どれだけの国民が開戦を望んでいたというのだろうか。軍国化の兆しは、文化財の保全などお構いなしに強引に軍需路線を敷設することに始まっている。軍国主義は今は金儲けの経済主義にも姿を変えている。前回の東京オリンピックでは都電が廃止され、日本橋の上に首都高が通った。今度は都心上空に航空路が開かれるという。そういう守銭奴の無節操すら阻止できずに、いざという時にどうやって戦争を回避するというのだろうか。やはり、追悼や祈念だけでは何も生まれてこない。

1977年10月 鎌倉東慶寺 Mamiya RB67 PRO SD Mamiya K/L 127mm F3.5 Ektachrome 64 (EPR)
写真は横須賀線北鎌倉駅近くの松岡山東慶総持禅寺、通称縁切寺と呼ばれる東慶寺の境内に鎮座する石仏になる。墓石の上に載る仏様で、多くの石仏がそうであるように、その出自の詳細は不明だ。とても慈悲深い御尊顔には安らぎを覚える。こあらま的には、鎌倉の石仏で最も気に入っている中の一体だ。今日という日に、まずはこの仏様に、国を思って儚く散っていった多くの若人の御霊を慰めてもらおう。
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- 2019/08/15(木) 00:00:00|
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フェーン現象で猛暑の只見線
炎天下での列車待ちも緩くない

2018年7月 只見線 上条
世間はお盆休みの真っ只中だ。温暖化で何処に行っても猛暑の日本列島になってしまったが、夏のレジャーの習慣は相変わらずだ。ちっとも涼しくない山の避暑地に、台風の高波で泳げもしない海水浴場。それでも延々と続く渋滞を我慢して、ひたすら目的地を目指す日本国民の忍耐力は大したものだ。そうかと思えば、日本のオタク文化の象徴ともいえる東京はお台場ビックサイトのコミケの炎天下の大行列には、あんたがたホントに大丈夫なのと心配すらしてしまう。そうやって、今年の暑い夏も過ぎていくわけだが、秋風が吹くころにでもなれば、やっぱり過ぎゆく夏を惜しむということになるのだろうか。精々殺人的な日本の夏を思いっきり楽しんで、楽しかったひと夏の記憶として焼付けよう。温暖化がもっと進めば、あの頃の夏はよかったということになるやもしれない。
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- 2019/08/13(火) 00:00:00|
- 只見線・小出口
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