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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

開聞とそら豆とヨンマルと

開聞の稜線がすっくと天に伸びる
そら豆畑を最南端のヨンマルが往く

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2017年4月 指宿枕崎線 西大山

開聞岳の麓、JR最南端の西大山駅の周辺は一大畑作地帯だ。特にそら豆の畑が目につく。地元では、そのそら豆が驚くほどの安価で売られている。さや付きで一抱えもある袋売りが数百円と、まさに産地特価だ。持って帰れないのが残念だった。そんなそら豆畑が広がる山麓を、南国らしい明るい朝日を浴びて、単車の5323D西頴娃行きが下って往く。開聞岳の稜線には、螺旋状の登山道が浮かび上がる。如何にも指宿枕崎線らしい田園風景だ。今年もビアホールが恋しい季節になってきた。西大山の塩茹そら豆を肴に、開聞と最南端のヨンマルを思い描いて呷るビールはさぞかし美味いことだろう。


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  1. 2019/06/30(日) 00:00:00|
  2. 指宿枕崎線
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雨に煙る

雨に煙る山水も日本の四季だ
風情ある降りに留まっていればだが

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2018年4月 姫新線 久世

天気予報で傘マークが並ぶようになった。間もなく7月だが、いよいよ東西日本は梅雨モードに入るようだ。いきなり台風へと発達した低気圧に荒れ模様の太平洋岸となっているが、湿った暖かい空気が流れ込み、この季節特有の蒸し暑さだ。写真は雨の季節といっても、ちょっと花冷えもする桜雨だが、この2か月後には平成30年7月の西日本豪雨によって大きな被害が出でいる。JR西日本の路線も至る所で不通となり、今も芸備線では一部区間で代替輸送が続いている。廃止に追い込まれた路線がなかったのは不幸中の幸いだ。最近のローカル線の大敵は天災だ。地震や大雨、台風で傷ついたローカル鉄道が立ち直るには、多くの幸運が重なる必要がある。今年もまた危険な季節がやってきた。どうか、日本列島にご加護あれ。


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  1. 2019/06/28(金) 00:00:00|
  2. 姫新線
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谷汲線の記憶

谷汲山華厳寺の門前鉄道だった
御開帳ともなると参拝者で賑わった

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2018年4月 名古屋鉄道 谷汲線 谷汲

こんな奴が美濃の田舎をカタコトと走っていたとは、惜しいことをしたものだ。その昔、何度も雑誌で見たことがあるが、「名鉄」という大手私鉄の大看板に惑わされていた。日本を代表する老舗私鉄だけあって、名古屋圏に多くの鄙びたローカル路線を持っていたことに早く気付くべきだった。この谷汲線が廃止になったのは2001年のことだ。長い鉄道趣味の時間の流れを考えるに、それほど遠い昔のことではない。

今はこの谷汲駅跡に保存されるモ755は、廃止の日まで走っていたというから驚きだ。谷汲線の劣悪な電力環境下では、直流電動機と単純制御回路の老兵しか走れなかったというから、何が幸いするかは分からない。傍らのモ514は揖斐線が職場だったが、2005年の岐阜600V全廃まで、80年近く現役を続けたこちらも驚異的な長寿車両だった。きちんと造ってあれば、人の寿命くらいは働き続けられるということだ。

この駅舎は1996年に、谷汲線開通70周年を記念して、谷汲村によって大枚をかけて建て替えられたが、駅舎としては僅か5年と短命に終わってしまった。ただ、それまでの開業以来の木造駅舎はかなりのお値打ちものだったようだ。何故か村の「昆虫館」なるものが併設されているが、こちらは今も現役だ。駅舎と車両の保存状態はかなりリアルで、現役かと見間違えるほどだ。モ755は車内を見学することが出来る。


リンクの「煙を求めて幾千里」の高辻烏丸さんと、「銀『塩』鐵道の夜」のぜっきあいずさんが、現役時代の谷汲線、揖斐線をアップしてくれました。二連のモが渓谷を往く、なかなか素晴らしい光景です。夜の黒野駅のモ514には絶句です。本当に惜しいことをしましたが、地元の方々には敵いません。その眺めはこちらと、こちらです。


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モ750形のモ755 模型をそのまま大きくしたような車輛だ


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モ510形のモ514 前面曲線と丸窓、塗装もお洒落だ


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侘しく線路が途切れる 僅か11.2kmの短い路線だった


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島式ホーム1面2線の潔い線路配置が如何にも村の終着駅だ


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モ755の車内 ワンマン運転だったことが伺える


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モ755の運転席 素晴らしくシンプルなメカ
 

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今にも出発ベルが鳴りそうな雰囲気だ 気分は20世紀にタイムトリップだ


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運賃表 黒野経由で揖斐線、岐阜市内線を乗り継いで岐阜駅前710円也


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出札口もそのまま 駅員さんもそのまま?


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  1. 2019/06/26(水) 00:00:00|
  2. 名古屋鉄道
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大淀川に日が昇る

宮崎の大河の大淀川に日が昇る
大型機に交じってC11も渡って往く

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1973年8月 日豊本線 南宮崎

大淀川橋梁と云えば、優美なパシフィックC57や北国育ちのハドソンC61の牽く客レのサイドビューを眺める場所だったが、日南線に入るC11の貨物列車も走っていた。まだ川沿に観光客が現れる前の、日向灘に日が昇るころ、小さな機関車に牽かれた短い貨物列車が、大橋梁をコトコトと渡ってくる。大型機とは違った、可愛らしさを感じるローカル列車だ。橋梁には既に架線が張られ、あと半年もすればC61は用済みとなる。宮崎以南の無煙化はもう少し先になるが、いよいよC57の聖地にも国鉄近代化の波が迫り、ファンとしては気の休まらない頃だった。


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  1. 2019/06/24(月) 00:00:00|
  2. 日豊本線
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最高地点の夏休み

最高地点は高原の夏の観光地になった
今年もまた賑やかな夏休みがやって来る

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2015年8月 小海線 JR最高地点

高原のポニーが走っていた頃、国鉄最高地点は高原野菜畑の中の砂利道国道の粗末な踏切だった。JR最高地点となって早32年、近頃の最高地点はこんな感じだ。周囲には観光客相手の出店が数軒、ホテルも出来た。立派な碑が建ったが、傍らの「幸せの鐘」には少々興醒めだ。観光地色が強まり、駐車場や公衆トイレも整備され、警報機が鳴りだすと近くの観光客が集まり、カメラを構える光景が日常となった。

夏休みに入り、子供たちの姿が目立つようになった。高原の短い夏の賑わいだ。地元の学校の遠足か、それとも都会の林間学校か。速度を落とした列車をしげしげと見上げる。車内には最高地点通過のアナウンスが流れているはずだ。現れたのは小海線全通80周年記念企画の国鉄急行色だが、タラコ色ともども期間限定で、あっと言う間に無くなってしまった。今年もまた、梅雨が明ければ夏休みがやって来る。


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  1. 2019/06/22(土) 00:00:00|
  2. 小海線
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駅舎の灯 音威子府 17時05分

最終の下り普通列車が音威子府を去る
往く手には果てしない宗谷の原野が続く

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2018年10月 宗谷本線 音威子府

朝から不安定な天候の一日だった。冬の訪れを予感させるような激しい降雨を伴う雨雲が、繰り返し上川地方を横切っていた。そんな一日も暮れようとする16時過ぎ、名寄からの普通4327Dが音威子府に到着した。およそ1時間の停車時間の後、4331Dとして再び稚内に向けて走り出す。都会では考えられないが、これが普通稚内行きの最終列車となる。これから、灯りの少ない宗谷の細道をひた走り、稚内までは3時間弱の旅になる。

音威子府駅には駅員が配置されているが、この列車の到着をもって営業時間は終わり、明朝までは無人駅の扱いとなる。かつては名寄機関区音威子府支区が置かれ、宗谷線、天北線を往くキューロク、そして急行利尻、最果て鈍行を牽くC55の休憩場所として煙の絶えない場所だった。その天北線も1989年に廃止され代替バスが走る、今は交通の要衝としての面影を残すのみだ。JR北海道中、最も人口の少ない自治体の特急停車駅となる。


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ホームは駅舎前の片側1面1線と跨線橋で繋がれた島式1面2線の3線となる。1番線は短く普通列車のみで、特急列車は島式の方の2、3番線に停車する。そのため、名物の音威子府そばの常盤軒は、かつては島式ホーム上にあり、優等列車や最果て鈍行の乗客の胃袋を満たしていた。


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駅舎は、かつてはどっしりとした風格ある木造駅舎だったが、天北線廃止後の1990年に、音威子府村によって今の駅舎に建て替えられた。天北線の代替バスの宗谷交通と村の地域バスの待合室も兼ねている。駅舎内には天北線資料室なるものがある。どうやら天北線の上音威子府を摸しているようだ。キハ82らしき天北号の絵があるが、宗谷線でキハ82は見たことはないような気がするのだが。


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さて、音威子府そばの常盤軒だが、駅舎建て替えの際に駅舎内に移っている。久しぶりの黒そばを楽しみにしていたが、何と直前の10月1日に休業になっていた。聞くに西野さんの体調が優れないためだそうだ。再開は未定だと云う。また一つ駅の名物が消えてしまうかもしれない。現役蒸気時代には、金がなくてなかなかあり付くことができなかったが、冬の撮影後の温かい一杯は至福の時間だった。


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最終の普通稚内行き4331Dが去り、ディーゼルの鼓動が消えると、駅は静寂のしじまに包まれた。駅の右手に広がる暗闇は、かつての名寄機関区音威子府支区の跡地だ。機関区としての一通りの設備があった。最果て鈍行のC55が給水給炭を受けていたのが思い出される。人口が1000人に満たない道内最小の自治体だけあって、街の灯は少ない。ここも、今では1軒のセイコーマートに頼る小さな村となった。


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  1. 2019/06/20(木) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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現代入換考

列車と云うのは駅間の本線上を往く車輌のことで、本線になものは単なる車輌で、その車輌の移動を「入換」或いは「操車」と呼ぶそうだ。国鉄時代であれば「操車掛」や「構内作業掛」という職種が、入換の誘導や貨車の連結・解放や制動の作業に当たっていた。本線を往く列車には、多くの公的な保安基準が適用されるが、内輪の作業である入換には規制が少なく、やり方はそれぞれの事業者に任されている。動力車の運転についても、本線乗務に不可欠の機関士や運転士のライセンスは要らないようだ。

入換と云えば、操車掛が青旗と赤旗を使って機関車に飛び乗って行っていたのが目に浮かぶ。貨物輸送が盛んだった頃には、操車場での突放による貨車の組成も行われていた。操車掛と構内作業掛がチームを作って操車を行っていたが、かなり危険な作業で、死亡事故も絶えなかったようだ。貨物もコンテナの時代になり、貨車の入換を見ることは珍しくなった。電車や気動車では、信号や無線による誘導が多くなり、現場は運転士のみで行われることが多くなり、伝統の入換風景は希少なものとなった。

さて、現代の入換風景はと云うと、たまたま根室本線は新得駅での入換を観察する機会があったので、その様子をご報告したい。新得駅は狩勝峠の帯広側の駅になる。帯広方面からの普通列車は多くが新得止まりで、狩勝峠を越えていくのは僅かしかなかった。そのため、新得駅では普通列車の入換が行われている。ただし、その僅かの狩勝越えの普通列車は2016年8月の台風災害で途絶えている。写真はその被災の1か月前の2016年7月に撮ったものだ。新得駅構内の下新得川橋梁も完全に流されている。


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今回の入換作業は、2線ある留置線の奥の2両編成のキハ40を切り離して、前の1輌を3番線ホームに移動する。操車担当の定位置は、信号担当に繋がっていると思われる有線電話の前だ。有線で入換開始の許可を得て、無線で運転担当に作業開始を指示している。


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留置線から本線に出てきた。操車担当はポイント通過に異常がないかを見守る。有線電話の支柱がかなり傾いている。ピンクテープは要補修の目印か。


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完全に本線に出てきた。正面が帯広方面。向かって左のホームが1番線、右は島式で2番、3番と続く。信号機は場内、出発ともに全赤になっている。車輌は進行方向を変えて待機中。操車担当が有線で発進許可を取っている。


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方向を変えて3番線ホームに向かう。例によって操車担当はポイント通過を見守る。


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無事に3番線ホームの定位置に停止。有線で作業の終了を伝える。ちなみに3番線は狩勝を越えて行く富良野方面の専用ホームで、現在休止中。


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操車担当が指差で安全確認。これで終わり。ご苦労様でした。


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  1. 2019/06/18(火) 00:00:00|
  2. 根室本線
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瑞穂の国

梅雨明けの田圃が鮮やかに広がる
瑞穂の国に連綿と伝わる心象風景だ

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2018年7月 只見線 薮神

青田が最も鮮やかなのは、梅雨明けの7月頃だと思う。今年もそんな時期が近づいてきた。日本人の遺伝子に刻まれた田園風景と云うのは、田圃と民家や集落が上手く調和した風景にあるのだろう。そんな米作りの営みが感じられてこそ、瑞穂の国の眺めというものだ。列車は魚沼米の青田の中を、右から左へと僅かな勾配を登って往く。それに合わせて、田圃にもちょっとだけ段が付いている。その落差を上手に利用して、全ての田圃に水を引くことが出来る。まさに一朝一夕には成し得ない、長い水稲栽培文化の結晶だ。左手に見えるのが、JA北魚沼のカントリーエレベーターだ。収穫期には、エレベーターが魚沼産コシヒカリで一杯になることだろう。同じ魚沼米でも、朝夕の温度差が大きい山沿いの方が美味いといわれる。春夏秋冬、美しい瑞穂の国の四季を感じられるこの線区は、例え列車が少なくとも、水稲文化の遺伝子に響く、心地よい場所だ。


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  1. 2019/06/16(日) 00:00:00|
  2. 只見線
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田野の築堤

南九州の盛夏の日差しはしんどかった
それでもひたすら線路を辿る日々だった

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1973年8月 日豊本線 田野 

電線をどうにかしろよ!何て言わないでほしい。今日の一枚は只々懐かしさ故に選んだもので、写真の善し悪しを問うようなものではない。田澤義郎さんの「南国の薔薇」のごとく、田野の築堤は片井野川橋梁を入れてサイドから狙うのが好きだったが、それではこの築堤の全容が分からない。そうなるとこの定番ポイントだ。ちょうど線路を横切る道があったので、多くのファンが立ち寄ったお手軽ポイントだった。

田野の駅は写真の右端あたりにある。田野から線路を辿ってこの場所まで約1.5km、20分程の距離だ。片井野川の谷戸を渡るためにこの築堤と橋梁がある。開けた河川敷と川沿いに連なる田圃によって、絶好の見通しが確保されている。この日の591レは65号機だった。田野での1時間の停車を利用して、田野到着と停車風景を撮ってから、急いでここまでやって来た。こう天気が良いと、さすがに体力を消耗する。

着いて間もなくして、65号機の牽く貨物が築堤を渡ってきた。これから門石信号場へ続く登攀が始まる。南九州の炎天下だけあって夏の黒煙だ。今なら朝夕のサイド狙いに集中するところだろうが、この頃は今以上に未熟だった。つまらない写真ばかり撮っていたが、それでも現役蒸気時代が懐かしい。蒸気を追いかけ全国を放浪した素晴らしい日々だった。そんな時代を思い出させてくれるのがこの「田野の築堤」だ。


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  1. 2019/06/14(金) 00:00:00|
  2. 日豊本線
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三陸縦貫鉄道構想 祝リアス線開業

三陸縦貫鉄道構想は大津波にも負けなかった
営々と続けられた鉄路の延伸は岩手の希望だ

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2016年7月 三陸鉄道 北リアス線 (現リアス線) 堀内 

今春の鉄道界の祝い事として、三陸鉄道リアス線の開業が挙げられる。廃止が続くローカル鉄道の中に在って異例の再出発となった。不通となっていたJR山田線の宮古-釜石間の復旧工事が完成し、2019年3月23日に三陸鉄道に移管された。北リアス線と南リアス線に分かれていた三鉄は、一本のリアス線で大船渡市盛駅と久慈市久慈駅を結ぶ、163.0kmの第三セクター鉄道最長の路線に生まれ変わった。

三陸沿岸を結ぶ鉄道構想は1896年に始まった。しかし、三陸のリアス式海岸がその建設に立ちはだかった。大幹線の東北本線の主要都市から三陸の主要な町々へ向けて官営鉄道、国鉄の鉄路が伸びて行ったが、その地勢故に沿岸部を繋ぐことは困難を極めた。そのため、この三陸縦貫鉄道を形成する国鉄時代の路線は細分化されている。全ての路線を記憶されている方は、かなりの岩手通といえるだろう。

現役蒸気末期の1975年の時刻表の索引地図を見ると、南の仙台から仙石線、石巻線、柳津線、気仙沼線、大船戸線、盛線、山田線、宮古線、久慈線、八戸線と辿って八戸で東北線に再会する。この時点で繋がっていなかったのは、柳津-本吉、吉浜-釜石、田老-譜代の三区間だった。その後、気仙沼線が延伸し、空白だった柳津-吉本間が繋がり柳津線か統合されたが、ここで国鉄が息絶えてしまった。

さらに、盛線、宮古線、久慈線が第一次特定地方交通線に指定され、もはや三陸縦貫鉄道構想もここまでかと思われたが、岩手県と沿岸市町村が立ち上がった。国鉄分割民営化の6年前の1981年11月10日に、三陸鉄道株式会社が設立された。廃止対象となった3路線を引き継ぐばかりか、建設がかなり進んでいた二つの未成線区間も開通させ、縦貫鉄道構想を成し遂げ、南北リアス線の経営に乗り出した。

三陸鉄道は好調なスタートを切り、日本各地で第三セクターが生まれる機運を作ったが、それでも黒字経営が続いたのは10年程で、沿岸部の過疎化は深刻で、輸送人員の減少に苦しめられることになった。2003年には経営改善計画を策定するまでに追い詰められ、観光客誘致へと舵を切った。そして、2011年3月11日の大津波に見舞われるが、早くに運行を再開して被災者を勇気づけたのは三鉄だった。

東日本大震災という想像を絶する天災であったことで国家的支援体制がとられ、山田線不通区間の鉄道での再起が図れたと言えなくはない。しかし、三鉄の歩みを思い起こすにつけ、取りも直さず明治に始まった三陸縦貫鉄道構想が岩手にとっていかに悲願であったが伝わってくる。新たに三鉄に加わった宮古-釜石間は、山田線でも輸送人員の多かった区間だ。地元はやはりバスでは納得できる筈がない。

2013年放送の「あまちゃん」も三鉄の観光客誘致を後押ししたに違いない。三鉄は鉄道事業を軸に、旅行業やキャラクターグッズなどの物品販売業も行い観光業化を進めている。大企業の社会貢献としての支援機運も手伝って、多くの復興企画が持ち込まれ、話題性には事欠かない。しかし、時代の流れは直ぐに変わる。真価が問われるのはこれからだ。どこまでも泥臭く岩手県人の底力を見せて欲しい。


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  1. 2019/06/12(水) 00:00:00|
  2. 三陸鉄道
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

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