SL大樹の生まれ故郷はここ静内だ
後にドナー役となった僚機の現役時代だ

1973年3月 日高本線 静内
今回はモデラ―に喜んでもらえそうな、機関区ストラクチャー豊富な写真でお送りします。日高本線は静内に在った、苫小牧機関区静内支区です。ここに配置されていたC11の特徴は、何といっても二つ目の前照灯にありました。こあらまが確認している二つ目は、206、207、209、210の4輌です。206~210の連番5輌は、新製時に静内に配属されています。早くに釧路区に転出した208が二つ目であったかは定かでありませんが、少なくとも釧路区では一つ目でした。静内には他にも何両ものC11が所属していましたが、何れもが二つ目ではありませんでした。これらのことから、初期に配属されたこの連番5輌のみが二つ目に改造されましたが、その後は何らかの理由で二つ目化は見送られたと考えられます。二つ目の理由は胆振線のキューロクと同じとされています。その辺も含めて、事情をご存知の方が居られましたらお教えください。
現在は東武鉄道で活躍しているSL大樹のC11207の故郷もここ静内です。日高線の無煙化後は、長万部に移って瀬棚線を走っていましたが、廃車になると故郷の静内に戻って静態保存されていました。そして、JR北海道での復活、東武鉄道への貸し出しと繋がって行きます。その間、ずっと二つ目で通しています。写真は僚機の209です。こちらは、釧路に移り標津線を走り終え、中標津町で静態保存されていますが、JR北の復活蒸気のための部品供給源となってしまいました。もしかすると、栃木を走る207の車体には、209の魂が宿っているかもしれません。ついでにもう一つ。大井川鉄道の「きかんしゃトーマス」のC11227も静内が故郷です。日高線無煙化に合わせて、大井川鉄道に売却されました。お値段は100万円+国鉄線輸送費30万円だったそうです。次回の日高線はこちらの罐にしましょう。写真の機関庫の中で227は休憩中でした。
お知らせ諸事情により暫く日々の更新ができませんので、次回からは例によって写真メインの「東北の秋 2017」を予約更新でお送りします。少々長くなりますが、定期更新は休まず続きます。
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- 2018/09/30(日) 00:00:00|
- 日高本線
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あれだけ暑かった今年の猛暑もやっと鳴りを潜め、過ごし易い頃合いとなりました。少々、秋の長雨が鬱陶しいですが、あの凶器のような暑さを思えば、大したことではありません。先日、富士山の初冠雪が観測されましたが、平年より4日、昨年より27日早いくなっているそうです。一気に季節が進んだようで、やはり春秋は短くなる傾向でしょうか。
小海線は小淵沢の大カーブからお送りしてきた今年の天空時間も、9月も末になりましたから今回で終わりです。例によって、最終回は2作をアップして計10作とします。No.10は小淵沢18:12発の「HIGH RAIL 星空」です。こんな時間と目的の観光列車に人が集まるのだろうかと疑問がありましたが、なかなかの集客力のようです。野辺山での1時間程の星空観察が売りですが、この日はいい夜空になりそうでした。これからは、寒くなるほどに星は輝きを増していきます。アンノン族の清里ブームは昔話。今は星空が観光資源になる時代です。
No.9
No.10
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- 2018/09/28(金) 00:00:00|
- 小海線
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夏の日差しがコシヒカリを育てる
車窓に流れる魚沼の風が懐かしい

1977年7月 上越本線 小出
今回は165系の急行「佐渡」でスタートです。当時、昼行3往復、夜行1往復の計4往復が運転されていました。ビュッフェのサハシ1両とサロ2両を含む、堂々の13両編成での運用でした。前照灯がシールドビーム化される前の、大きな目玉の原形ですが、残念なことに、後ろにはあの大きなヘッドマークは付いていなかったようです。
こあらまが魚沼への往路に乗っていたのは、「とき」でも「佐渡」でもなく733Mです。この列車の前身は、所謂「ヨン・サン・トウ」までの、上越線、羽越線経由の1821レ上野発秋田行の夜行鈍行です。43年10月改正で、電車化されて上野発長岡行に短縮されています。115系にクモユとクモ二が連結されていました。週末には、谷川岳や越後三山などを目指す山屋で賑わっていましたが、高崎までは通勤客も大勢居たので、山屋や旅行者が羽を広げられるのは、長時間停車する高崎から先でした。

上越線の車窓から
733レで夜明けの塩沢をロケした後に、小出に移動中の塩沢付近の上越線の車窓から撮った写真です。越後の山並みから朝日が昇ります。この辺りにも稲架木がまだまだ残っていました。塩沢は「魚沼コシヒカリ」の本場を自称する場所です。こあらまの好きな清酒の一つである「鶴齢」の青木酒造があります。

只見線の車窓から
この風景は、越後須原から上条に向かう途中でしょうか。この時代から、鉄塔があったんですね。現在もこの鉄塔が強敵です。稲架木ではなく、杉並木があります。



只見線の車窓から
入広瀬の大栃山の田圃の中のカーブを通過中です。この道の先には今も農家が健在です。どうして集落から離れて、ぽつんと住んでいるのか知りたいところです。一連の写真にはO2フィルターを使っています。山岳写真には欠かせないフィルターでしたが、今では使うことのないモノクロ用フィルターの一つです。

上越本線 小出
最後は小出から旧形国電40系です。モノクロですが、スカ色であることは間違いないでしょう。何とも愛嬌のある顔付です。なかなかスノウプラウもよく似合ってます。国鉄40系は大宮の鉄博と青梅鉄道公園に各1両が保存されているだけです。
さて、春から夏に掛けての魚沼をお送りしてきましたが、この春夏編で「魚沼へ」は一旦終了といたします。当初は、春夏秋冬を1年掛けてご紹介するつもりでしたが、更新が遅れて来てしましました。また、この先、長期旅行も計画していますので、秋冬編は態勢を立て直して、またの機会にお送りしようと思います。最も印象的な季節は雪に閉ざされる冬期なのですが、そこまで一気に辿り着けず残念ですがご容赦ください。
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- 2018/09/26(水) 00:00:00|
- 上越本線
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【ご案内】
このシリーズでは写真だけをご覧いただいております。個々の写真には題名も文書も付けていません。ごゆっくりお楽しみいただければ幸いです。路線は小海線。撮影は2018年夏です。
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- 2018/09/24(月) 00:00:00|
- 小海線
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かつての賑わいは叢となって消えた
雪解けの来春、最後の軌道も役目を終える

2017年10月 石勝線 夕張支線 鹿ノ谷
随分とすっきりした駅になったものだ。多くの引き込み線が鬩ぎ合う広い構内。夕張鉄道の機関区もあり、機関庫や転車台もあったはずだ。頻繁にセキを連ねた石炭列車が行き交い、構内にはいつも何条かの煙が上がっていた。そんな賑わいのあった構内は一面の叢になり、今は石勝線支線となった一条の軌道が残るのみだ。駅舎は元々のものだと察せられるが、横幅がこんなに狭くなかったはずだ。かなり減築されているようだ。今のこの駅を初めて訪ねた人は、多分、風情のある木造駅舎が佇むローカル線の一駅にしか見えないだろう。
さて、街はと云うと今は緑の中にカラフルな家々が建ち、パッと見には瀟洒なリゾート風に見えなくもない。何時の間に、こんな町に生まれ変わったのだろうか。炭鉱町時代には、この周辺は見渡す限りの炭鉱住宅だった。大規模分譲住宅地のように整然と下見板張りの炭住長屋が延々と続いていた。色彩に乏しい風景は、まさにモノクロの世界だった。鹿ノ谷辺りは炭鉱幹部の住宅街だったようだが、はた目にはその違いに気付かなかった。最盛期116,000人の人口は、現在8,000人程だ。駅がこうなって当然というような激しい減リ方だ。
現役蒸気の末期、夕張線には多くのファンが押し掛けていた。炭鉱住宅を背景に往く石炭列車が狙い目だった。相次ぐ炭鉱の閉山に、夕張鉄道も三菱大夕張鉄道もなくなり、かつての多くの炭鉱町がそうであるように、現在の夕張にも石炭の面影は殆どない。ただ、この町が他と違うのは、炭鉱業からの脱却に大きな失敗をしたことだ。その影響からか、夕張市は夕張支線の補助金目当ての積極的廃線を選択した。夕張鉄道は早々に鉄道事業からバス事業に転身し、夕張の基幹公共交通を担っている。残された夕張線もあと半年の命となった。

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- 2018/09/22(土) 00:00:00|
- 夕張線
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列車は夜道の甲州街道をひた走る
間もなく甲斐山梨から信州長野へと入る

2018年9月 中央本線 小淵沢
まだまだ日中は暑い日が続いているが、朝晩はめっきり過ごし易くなった。夕暮れの空色も何となく秋めいてきた。ここ小淵沢の田圃では、早くも稲刈りが始まった。小海線の大カーブ内の田にも、先日コンバインが運び込まれ、間もなく苅田へと姿を変えることだろう。日没時刻も、ここ2か月で1時間半近く短くなっただろうか。夕涼みがてら撮っている夏のこの界隈の夕景だが、冬には八ヶ岳おろしの吹く寒さ厳しき場所となる。
写真の右の非電化の1本は小海線だ。小淵沢を出ると直ぐに野辺山への急登が始まる。このストレートの先にあの大カーブがあり、180度進行方向を変える。ここに来るのは、夕暮れの小海線を狙うためだが、何せ列車が少ないので、夕焼けの具合に合わせて上手くキハが来るとは限らない。そんな時は中央線に場所を変える。さすがは中央本線だ。架線柱が大いに邪魔だが、撮りたいときに、間髪開けずに、何らかの列車がやって来る。
この時は、3本の特急と2本の普通を遣り過ごして、夕焼けがクライマックスとなった。狙うは松本行きの普通列車の後追いだ。中央線の山スカ115系は絶滅して、今は風情のない軽量ステンレス車の211系が走っている。何の興味も湧かない車輌だが、夜の後ろ姿と、車窓から漏れる明かりの塩梅は、特急車両のE257やE363よりはましかもしれない。3枚窓と丸い二つのテールライトは、何となく古き良き時代の国鉄車輌を思わせる。
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- 2018/09/20(木) 00:00:00|
- 中央東線
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魚沼の青田に夏の日差しが降り注ぐ
田圃を渡る涼風が稲架木を渡ってゆく

1977年7月 上越本線 小出
今回の鉄道シーンは、上越線を往く181系特急「とき」です。さすがは、ボンネットこだま型の流麗な編成美ですが、この頃は181系の末期で、老朽化の傷みが痛々しい状態でした。ちょうど、無骨な旧型電機EF15の上越貨物との擦れ違いとなりました。まさに、ザ・国鉄時代といった眺めです。当時、「とき」は13往復で、4往復の急行「佐渡」とともに上野-新潟間を結んでいました。その他にも多くの優等列車で賑わっていましたが、1982年の上越新幹線の開業で一変しました。「とき」は、上越新幹線の各駅停車タイプに引き継がれましたが、その後一時その列車名は消滅しています。新潟県内から強い復活の要請があり、再登板となったという経緯があります。この朱鷺という名称は、新潟県民にとって象徴的なもののようです。
この日は、例によって前夜に夜行鈍行で上野を発ち、早朝に小出に着いています。朝方、入広瀬をロケして、早々に小出に戻ってきました。この季節、日中の撮影はしんどいものがあり、主に涼しく光線状態の良い朝晩に活動して、日中はのんびりと乗り鉄というパターンが多かったと思います。この後、再び只見線に乗車して、会津若松に向かっています。只見線の出発まで時間があったので、上越線を往く列車を撮っていました。この時代は、まだ車を持っていなかったので鉄道旅行でした。現役蒸気が終焉を迎えてまだ日が浅かったため、まだまだ鉄道への興味があったので、こんな写真も残っています。車を手に入れてからは、一旦暫くの間、ぐっと鉄道写真は減って行きます。それでも、駅に寄る習性は健在で、駅撮り専門でした。

さて本題ですが、今回も入広瀬の稲架木です。前回は梅雨時の曇天でしたが、今回は梅雨明け後の夏の眩しい日差しの中の稲架木です。田圃の稲も順調に成長し青田になりました。同じ入広瀬の大栃山地区ですが、天候次第で全く雰囲気が変わります。やはり、写真は朝晩が勝負時間です。朝日に、稲架木の影が田圃に長々と伸びています。夏の朝の、稲架木を渡る涼風を感じていただければ幸いです。


向こう側の山の斜面には結構な田圃が広がっています。実はこの途中を只見線が走っています。現在、ここに撮影に訪れると、その斜面の田圃の多くが、叢になってしまっていることに気付かされます。この山村でも確実に離農が進んでいることの現れでしょう。田圃は小さなものから消えていきます。何時しか、この大栃山の田圃だけになってしまうような気がします。魚沼産コシヒカリも、北海道産の特A米に押され気味とも聞きます。何とか山村の田園風景を守る手立てはないものでしょうか。


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- 2018/09/18(火) 00:00:00|
- 上越本線
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今日はこの交差点が祭りに賑わうの日だ
江ノ電が露店の龍口寺を横目に走り抜ける

2018年9月 江ノ電 江ノ島
神奈川県藤沢市の龍口寺前交差点は、国道、市道などの変則5差路だ。さらに、江ノ電が家並の中の細い専用軌道から交差点に飛び出してくる。おまけに、交差点内がS字カーブになっているため視界が利かない。通行量が多く、偶に事故も起きているようだが、今も交通信号機は設置されていない。というより、設置のしようがないというのが実情だろう。下手につけると、進路の複雑さ故、待ち時間ばかりが長くなり、渋滞の原因になってしまう。交差点の中央辺りには、列車接近表示器が吊り下げられている。この表示器が点灯した際に、軌道内にいなければ危険はないが、無理に突っ込む輩が絶えないらしい。信号機など付けられてしまうと煩わしいことになるので、是非とも江ノ電の通行を妨げないように心がけたいものだ。
近頃、鎌倉に所用が多く、ちょくちょくこの交差点を通過しいてるが、この日は「龍口寺法難会」にたまたま出くわした。別名「ぼたもち供養」と呼ばれるこの例祭は、曜日などはお構いなしに、頑なに毎年9月11・12・13日に行われている。今年は3日とも平日になってしまったが、人出は決して少なくはない。さすがに、江ノ電のために交通誘導警備がなされていた。供養の所以は、日蓮上人の「ご難ぼた餅伝説」にあるが、そのお話は今回は止めておこう。何度かこの交差点は撮っているが、この江ノ電の撮影名所に露店が出ているのを知りながら、みすみす通り過ぎることなど出来ない。祭りのクライマックスの夜の万灯練り供養、ぼたもちまきなども狙いたかったが、残念ながら少々疲れていたので、それはまた次回ということにした。




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- 2018/09/16(日) 00:00:00|
- 江ノ島電鉄
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紅葉の山々に冬の気配が忍び寄ってきた
形だけの本線をヨンマルの単行列車が往く

2017年10月 根室本線 東鹿越
この山中に北海道官営鉄道十勝線の鉄路が西から延びて来たのは、117年前の1901年のことだ。1907年には狩勝峠を越えて帯広へと繋がった。そして、1909年には旧釧路線と統合され、滝川-釧路間の新しい釧路線が誕生する。1921年になると根室まで延伸開業され、ついに北海道最長の根室本線が形作られた。1966年には、金山ダムの建設により、この区間は現在の位置に付け替えとなり、同じ年、狩勝越えも新線に切り替えられ、新内が廃止されている。長い歴史を持つ根室本線だが、1981年の石勝線の開通によって、根室本線の長距離優等列車は急行「狩勝」を除いて、全てが石勝線経由となった。それ以来、滝川-新得間はローカル線化することとなった。2016年の台風10号の被害で、東鹿越-新得間が不通となり、そのまま廃止されようとしている。
この朝、初冬を思わせる折からの寒気で、かなやま湖を囲う山々の稜線が白くなった。彩の紅葉の季節を追うように、白い冬はそこまで来ていた。この区間を、粉雪を掻き分けて、多くの列車が狩勝峠に挑んでいた時代が思い出される。大雪でDD51でも狩勝を越えられず、富良野に引き返し一夜を過ごしたこともあった。あの南富良野の「ぽっぽや」の「幌舞」こと幾寅の駅には、もう二度と列車が通うことはないのだろうか。こんな山中を往く線区に地域内輸送など見込めるはずもない。石勝線の開通が運の尽きと言ってしまえばそれまでだが、歴史ある根室本線が寸断されるのは、関係者にとってもまさに断腸の思いだろう。素晴らしい自然の中を往くということは、裏返せば旅客輸送が見込めないということだ。かなやま湖畔の原生林を往くヨンマルの姿はあまりにも寂しげだ。
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- 2018/09/14(金) 00:00:00|
- 根室本線
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上富良野の丘に美しい秋の田園風景が広がる
十勝岳連峰の高嶺から冬の足音が近づいてきた

2017年10月 富良野線 上富良野
先日の9月6日の北海道胆振地震では、厚真町で大規模な土砂崩れが発生して、不幸にも多くの人命が奪われてしまった。幸い、こあらまの道内各地の親戚には大きな被害はなかった。しかし、全道で大停電となり、道民全体が不自由な生活を強いられ、今も十分な電力を得られていない。函館に住む義母に電話が繋がったのは、地震発生から3日目のことだった。発生の日の朝に、義母の近所に暮らす叔母とメールで連絡がついていたので、元気にしていることは判っていたが、二晩を懐中電灯と蝋燭で過ごし、電気の有難味を思い知らされたようだ。この大停電が真冬に起きていたら、この程度の混乱では済まなかっただろう。多くの暖房器具は電気制御であり、相当に寒い目に遭っていたはずだ。しかし、苫東厚真発電所の全面復旧は11月以降にずれ込む模様で、内地からの送電も含めて、電力源の模索が今暫く続きそうだ。
写真は、昨年10月半ばの十勝岳連峰だ。今年は大雪山系黒岳では早くも8月に初積雪が記録されている。もうひと月もすれば、北海道では平地でも雪が舞い始める。北海道の電力需要のピークは、最も寒さが厳しい2月だ。東日本大震災の影響で、泊原発が停止して以来、毎冬の電力の需給バランスがひっ迫しているが、この冬はさらに先が見通せない状況に陥っている。今日は、始めて節電目標の20%を達成したとのニュースがあった。さすがに、計画停電は御免だということだろう。ふと、東日本大震災後の計画停電の際、小田急が計画的に区間運休し、電車が走っていた相模川の川向うへと、歩いて橋を渡る人の列ができたことを思い出した。さながら、難民の行列のようだった。自然の猛威の前には、便利で快適な生活など砂上の楼閣だ。何時サバイバルが求められるかもしれない。何時生きる力が試されるやもしれない。
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- 2018/09/12(水) 00:00:00|
- 富良野線
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