夏の夕日を浴びてC57が静々と下りてきた
日向路の暑かった一日が終わろうとしていた

1973年8月 日豊本線 日向沓掛
昔も今も、蒸気機関車の名撮影地と言えば、煙を天高く勢いよく吐く、登りの急勾配か出発シーンと相場が決まっている。確かに、爆煙を上げてブラスト高らかに、懸命に急坂を上ってくるSLには心時めくものだ。ただ、そんな場所に陣取れば、坂を惰性で駆け降りる罐を見送ることにもなる。それとて貴重な被写体で、どう料理するかで悩んだものだ。希に、峠にトンネルもなく、サミットを行ったり来たりして、どちらも力走が狙えるという好都合な場所もあった。そんな峠道で補機運用がなされていれば、あの懐かしい絶気合図を聞くことも出来た。
絶気合図というのは、先導する罐が後続の罐に、峠のサミットなどで加減弁を絞る合図で、長音1回短音2回の組み合わせで、文字で表せば「ボーボッボッ」といった感じだろうか。後続の罐は、同じ音で了解の返事を返す。ところが、蒸気の汽笛というのは、同じ形式であっても、それぞれの車輛、状態によって音程や音質が微妙に異なる。そのため、本務機と補機が、如何にも会話をしているかのように聞こえるのだ。総括制御の無かった時代の協調運転は、こんな機関士間の合図によって成り立っていた。ファンにとっては思い出深い汽笛の饗宴だった。
少々話が横道に逸れてしまった。さて、写真は青井岳越えを終えて、宮崎に下る日豊線の貨物列車だ。見事なまでの絶気で静々と坂を降りてきた。この年は酷く暑い夏で、じりじり照り付ける晴天が続いていた。この日も灼熱の線路を歩き続けてバテバテだったが、この後は夜撮りに向っている。この頃は、残された時間の短さに急かされるように、寝る間を惜しんで撮っていた。そんな遠い日々を呼び起こすのは、爆煙よりも、日が傾いた日向路を、夕日を浴びてゆったりと進む1次型C57の美しい姿だろう。あの堪らなく暑い夏の日が沈もうとしていた。
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- 2018/05/31(木) 00:00:00|
- 日豊本線
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今年も八ヶ岳山麓が緑に包まれた
川沿いの鉄路にも緑が迫り来る

2018年5月 小海線
早春の残雪の八ヶ岳連邦と新緑の取り合わせはいい被写体だ。撮影の機会を狙っていたが、春先の畑仕事と草刈が忙しく、なかなか高見に登れないでいた。やっと一息つけ、久しぶりに八ヶ岳バックの小海線と千曲川を拝むことが出来た。ただ、時期が遅れてしまい、残雪が僅かになり、緑は濃くなり過ぎてしまった。本当は、山全体がもっともっと若々しい黄緑の風景を撮りたかったが、残念ながら今期は時期を逃してしまった。
この場所の素晴らしさは、千曲川に沿って走る列車を、およそ600mに渡って観察できることにもあった。しかし、その川沿いの線路は、いよいよ木々に覆われ、視界不良に陥ってしまった。列車全体を捉えられるのは、コンクリートに固められたトンネルの出入口辺りだけで、あとは列車の屋根がチラホラと見えるだけだ。鉄道と列車の存在感が大分失われてしまった。この調子だと、木の葉が落ちる冬場の視界も風前の灯だろう。
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- 2018/05/29(火) 00:00:00|
- 小海線
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村の鎮守に花の季節が訪れた
バス窓のキハ10系が懐かしい

1977年4月 只見線 入広瀬
日本が瑞穂の国となったのは、国が行った食糧管理制度のせいかもしれない。この法が制定されたのは1942年の東条内閣の時代のことだ。当初は、食糧の需給と価格の安定が目的であったが、1960年代には、高度成長期の都市部と農村部の所得格差を是正するための、農家への所得補償制度へと変貌していった。かくして、コメ作りは経済的リスクの最も少ない農業収入源として、日本の津々浦々に広まっていった。そして、1967年には、米の自給率が100%を超え、米余りの時代へと進んでいくことになる。
ここ魚沼は、言わずと知れた魚沼コシヒカリの産地だ。「農林100号」が「コシヒカリ」の命名で登録されたのは1956年のことで、「越の国に光り輝く米」という願いが込められている。魚沼産がコシヒカリの一つの産地ブランドとして確立されたのは1980年代のことで、1989年から28年間連続で食味「特A」を誇ってきた。偽米も横行する名ブランドとなったが、何と2017年産で「A」ランクに転落し、産地に激震が走った。さらに、他地域の大躍進に、美味いコメの代名詞の魚沼コシヒカリも安穏とはしていられなくなった。
さて、北魚沼の入広瀬にも、ようやく水温む季節が巡ってきた。田植えの準備が始まり、屋外に農作業に勤しむ人々の姿が見られるようになった。まだ、大型耕作機械が見られない、伝統的な素朴な稲作が残されていた時代で、菅笠が郷愁を誘う。写真は本流沿いの比較的平坦な田だが、沢筋には小さな棚田が幾重にも連なっていた。そのブランド米の田も、今や減る一方だという。高齢化が進み、トラクターやコンバインの故障を切っ掛けに廃業になるという。機械化が望めない中山間部の棚田は推して知るべしだ。




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- 2018/05/27(日) 00:00:00|
- 只見線・小出口
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雪解けとともに出雲坂根にジョイント音が響く
中国山地の山懐を静々と単行列車が折り返す

2018年4月 木次線 出雲坂根
スイッチバックには、幾つかの分類がある。石北本線の遠軽のように、単に進行方向が変わるだけのもの。篠ノ井線の姨捨などで見られる、勾配区間において駅だけを本線から分離させたもの。この2種が多くを占めるが、鉄道ファン的に人気が高いのは、やはり高度を稼ぐために、本線がZ字型に方向転換しながら急勾配を登っていくタイプだろう。この3段式スイッチバックのタイプは、全国に5箇所が現存する。
木次線 出雲坂根
豊肥本線 立野
「立野の危機」肥薩線 大畑
「山線の記憶 大畑の軌跡」肥薩線 真幸
「山線の記憶 真幸の追憶」箱根登山鉄道 大平台
「雨のスイッチバック」面白いことに、全てが逆Z字の線路配置になっている。大平台だけは折り返し点に、上大平台信号場を有しているため、別タイプに分類されることもあるが、信号場が在るか無いかの違いで、線形と敷設目的は同じだ。JRの4箇所は、何れも国鉄現役蒸気時代には名撮影地として、蒸気ファンで賑わった場所となる。このブログでは、これまで立野、大畑、真幸、大平台の4箇所を、付記題名(リンク付き)でレポートしてきたが、今回は残った木次線の出雲坂根をご紹介したい。
この出雲坂根が開業したのは1937年で、他の4箇所に比べてかなり歴史が浅い。本線筋でも、都市近郊の名立たる保養地でもない、出雲街道沿いの中国山地の陰陽連絡線の歴史が短いのは当然だろう。しかし、スイッチバックの規模となると、出雲坂根と立野が抜きんでている。ところが、立野は2016年の熊本地震から休止状態が続き、ここ出雲坂根も積雪期の運転休止が恒常化しつつある。ここも自然災害にでも遭えば、結果は推して知るべしだ。旅客輸送の需要が尽きた今、一日3往復と云う限界ダイヤの中、観光列車「奥出雲おろち号」だけが頼みの綱だ。
1枚目の写真は、出雲坂根を出発して、30‰のスイッチバック2段目を登る下り列車だ。2~4枚目はスイッチバックを降りてくる上り列車になる。2段目と3段目の折り返し場所には、積雪からポイントを守るための屋根が設けられている。2段目は林に隠れて全く見えないため、ジョイント音だけを楽しむことになる。出雲坂根の駅は向かって右側にあり、折り返した列車は桜並木の1段目をスピードを上げて八川へと向かう。急勾配と軟弱路盤のため、スイッチバック内は徐行運転され、折り返しには運転士の移動もあるので、通過には結構な時間が掛かる。その分、高みの見物が長く楽しめる。スケールの大きい出雲坂根のスイッチバックの醍醐味を、少しでもお伝えできれば幸いだ。


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- 2018/05/25(金) 00:00:00|
- 木次線
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山の緑が一気に濃くなった
高原の小駅も小さな花で華やぐ

2018年5月 小海線
冬には人の気配の少ない無人の小駅だが、このところの夏のような陽気に誘われたのか、多くの観光客が降り立つようになった。週末には臨時の「八ヶ岳高原列車」が走りだし、いよいよ小海線の観光シーズンが開幕した。去って行く青い列車は「HIGH RAIL 1375」の回送で、小淵沢に観光客を迎えに行くところだ。この駅の列車交換はオフシーズンには殆どないが、オンシーズンになると忙しくなる。観光路線化するにしても、増発の余地がなければ話にならない。持つべきものは交換設備だ。この日はチビッ子たちが降りてきた。カルガモ親子のように、一列になって構内踏切を渡って行った。駅の花は、やはりカラフルな子供たちだろう。
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- 2018/05/23(水) 00:00:00|
- 小海線
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1977年8月 肥薩線 矢岳
トラが続く客車内に穏やかな時間が流れる
それぞれのボックスに、それぞれの人生
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- 2018/05/21(月) 00:00:00|
- 肥薩線
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か細い線路が集落を横切っている
桜の築堤をキハがゆっくりと登って往く

2018年4月 木次線
木次線といえば、今春散った三江線と同じような閑散としたローカル線を思い浮かべがちだが、どっこいこちらはそうとは言えない。現在、宍道-木次間には1日10往復程の列車が行き来している。この区間は1918年に簸上鉄道として開業しているが、国有化されるまで営業収支は良好だった。一方、観光客にも人気の出雲坂根のスイッチバックは、超閑散区間の出雲横田-備後落合間にあるが、こちらも、週末は奥出雲おろち号で賑わっている。この列車、木次線の利用促進のために1998年に運転が始まったが、今や島根県の有数の観光資源に育っている。そこそこの地域内輸送と人気観光列車があり、幸いにも廃止の噂も聞こえてこない。
写真は旧簸上鉄道区間だ。当初は道床が脆弱で、C12すら入線できなかった。1937年に木次線が備後落合まで延伸され、芸備線との連絡が始まって、やっとC56が走れるようになった。現役蒸気末期は、この区間はC11の担当で、木次-備後落合間の山間部をC56が勤めていた。今も、細々とした線路が集落を横切り、桜の築堤を、短尺のキハ120が急勾配をゆっくりと登って往く。如何にも中国山地のローカル線といった風情だ。超閑散区間の山岳部は、代替えバスやタクシーの方が安上がりのため、大雨や大雪で直ぐに運休になってしまうが、何だかんだと鉄路が守られてきた。だましだましの運行でも、消えてほしくないローカル線の一つだ。
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- 2018/05/17(木) 00:00:00|
- 木次線
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若葉が眩しい清々しい朝の一時だった
穏やかだったこの地にジョイント音が響く

2017年4月 日田彦山線 今田
「目には青葉 山ホトトギス 初鰹」とは、江戸時代の俳人 山口素堂の句だ。字余りになってしまうが、「目に青葉」ではなく、「目には青葉」が正しいそうだ。俳人自身が、「目には青葉といひて、耳には郭公、口には初鰹と、おのづから聞ゆるにや」と解説している。この青葉、ほととぎす、初鰹は何れも夏の季語だが、この句がヒットしたお陰で、一躍、初鰹が江戸の粋になったとか。「初物七十五日」という言葉があり、初物を食すれば、75日寿命が延びると持て囃されていた。ただし、江戸の初鰹は目が飛び出るほど高かったそうな。
写真は青葉というにはちょっと早い初夏の若葉だ。この柔らかい黄緑色が濃くなると、三夏の青葉ということになる。この季節にしては珍しく、空気の透き通った気持ちのいい朝になった。列車は、福岡県北九州市の小倉から、香春、田川、川崎、添田、東峰の各市町村を経由して、大分県日田市に入った。久大線の夜明まではあと一駅だ。釈迦岳トンネルで抜けてきた福岡の奥座敷の山稜がくっきりと見える。さて、この写真をご覧になって、カツオが食べたくなったかは別にして、魚屋には美味そうな初がつおが並ぶ季節になった。
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- 2018/05/15(火) 00:00:00|
- 日田彦山線
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夕方になり、国電からの乗換客が増えてきた
家路に向かう乗客で、小さなホームが賑わう

1976年6月 都電荒川線 王子駅前
1960年代に、エノケンの「うちーのテレビにゃ色がない 隣のテレビにゃ色がある♪」というCMソングが流行った。三洋カラーテレビの宣伝だ。世間は高度成長期。東京オリンピックをカラーテレビで観戦しようと、お茶の間のテレビがカラー化されていった。ゴールデンタイムには、クレイジーキャッツやドリフターズのドタバタ喜劇や、スポ根アニメの「巨人の星」が流れていた。写真の頃には、そんなお茶の間テレビ時代も終わろうとしていたが、まだナショナルのカラーテレビの広告塔が立っていた。それから半世紀、テレビは受難の時代を迎えた。インターネットの登場で、情報はパーソナル化し、流れてくるものから、取りに行くもの、発信するものとなった。テレビ界では、受像機の分解能だけが独り歩きし、肝心のソフトは置いてきぼりだ。
夕方になり、京浜東北線との乗換駅である都電王子駅前停留所は、ご覧の通りの混雑ぶりだ。この人では乗り切れないかもしれない。まだ高層の建物は見られないが、これから先、地方の人口を日々吸い寄せて、膨張していくことになる。これだけの利用客があったにも関わらず、国や都が廃止しようとしていたとは、とんでもない話だ。廃止されていった他の系統にしても、そこそこの乗客があったはずだ。今の時代、これだけの乗客がいるローカル線を廃止することは難しいだろう。都電は、先見性の無い国が進めるモータリゼーションの犠牲になってしまったということだ。面白いことに、テレビは相変わらずの凋落ぶりだが、路面電車は様々な理由から見直され始めた。こちらには、人にやさしい交通機関としての普遍性があるのだろう。
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- 2018/05/13(日) 00:00:00|
- 東京都電車
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