夕日に浮かぶ開聞に向かって一条の鉄路が伸びる
去りゆくキハのテールライトが何時までも目に残る

2017年4月 指宿枕崎線 西大山
今年も予定通りの183本目の記事で、大晦日を迎えることが出来た。
何とかペースを保ちつつ、3年程の時間をかけて通算560本となった。
思えば、二日に一本の記事を書き続けるのも大変なことだ。
どうしてもネタが浮かんで来ない時には、どうしようかと思ったりもする。
新聞や雑誌の連載を抱える作家や漫画家の苦しみが分かるような気がする。
文章を書くのが苦手なので、ブログはやらないとおっしゃる方がいる。
写真だけ貼って終わりという手もあるが、それでは記事でないという強迫観念もある。
画像特化のインスタグラムが人気なのは、その辺りのニーズの表れだろう。
しかし、旧人類的な活字好きにとっては、やはり写真だけじゃあと思う次第である。
写真集にしても、前書きも後書きもなかったら、物足りないものになってしまうだろう。
好きで始めたものの、続けるにはやはり執念染みた気力と体力が必要だ。
このままの形で続けられるかは些か自信はないが、何とか頑張ろうと言い聞かせている。
ブログをやっていていいことも沢山あった。多分、これから先もそうだろう。
何故か舞台裏を吐露することになてしまったが、これも年忘れということで。
そろそろ戯言は終わりにして、2017年の「駅舎の灯」に幕を下ろしたい。
今年もお付き合いいただき、ありがとうございました。
良い年をお迎えください。
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- 2017/12/31(日) 00:00:00|
- 指宿枕崎線
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一日の終わりの日が八ヶ岳を照らす
山から駆け降りるキハの旅ももう少しだ

2017年12月 小海線
この冬は早々に寒さはやって来たが、例年に比べて12月の降水量がかなり少なく、小海線沿線の山々は雪が僅かしかない状態が続いていたが、ここ数日の強い冬型と寒波の南下で、かなり冬山らしい姿になってきた。北海道は大荒れで、宗谷線ではラッセル車が雪に乗り上げて脱輪したというニュースもあった。新潟は年末の大雪に見舞われている。温暖化は冬の風雪をも荒げているようだ。
冒頭の写真は、その寒波が到来する前に撮った八ヶ岳になる。この時期にしては珍しく、山頂部にしか白いものはなかった。中央奥の右の尖頭が主峰赤岳で、左が権現岳になる。その頂をつなぐのがキレット尾根で、川俣川の源流域になっている。写真は16時過ぎの列車で、日没が遅くなって、この場所で再び撮れるようになった。本当に最後の残照で、列車通過後すぐに南アルプスの山入端に没してしまう。稜線に雲でも張り付いていれば、こうはいかない。この日最後の日を受けて、列車は下って行った。

こちらの背景は、前回ご説明した南アルプスだ。季節風が強くなると、雪雲が飛ばされて来て一時的に雪になるが、この地では薄っすら白くなる程度だ。本格的に雪になるのは、南岸低気圧が通過する際で、ひと冬に数回あるかないかだ。ただ、一旦積もれば、寒冷地だけに暫く雪景色が続くことになる。さらに高地の野辺山では、雪解けは春先まで持ち越しになってしまう。個人的には、もう少し降ってもらってもと思うのだが、雪下ろしや、雪掻きのことを考えれば、若くはないのでやめておいた方がよさそうだ。
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- 2017/12/29(金) 00:00:00|
- 小海線
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師走の小駅に週末の高原列車が到着した
凛とした冷たさの中、穏やかな冬の日が降り注ぐ

2017年12月 小海線
クリスマスも終わり、今年も残すところあと5日となった。ここらで小海線の近況お送りしておこう。今年は寒さが早くやってきたので、11月末ごろからは最低気温が氷点下の日々がずっと続いている。東京から中継される気予報では、お天気キャスターが寒い寒いと厚着をして縮こまっているが、その最低気温はこっちの最高気温じゃわいと、何時も思っている。雪国の方々は、東京に薄っすら雪が積もって大騒ぎをしているのを見て、何をバカなと思っているはずだ。全国ネットの天気予報では、東京感覚の実況などやめてしまった方がいいと常々思っている。ちょっと脱線してしまったが、要は今年は寒いということを言いたい。
さて、1枚目は定点観測のように撮っているアングルだ。列車を待つ人や降りてくる方々の姿が毎回異なるので、同じようで違う写真になるので、ついつい撮り続けている。そういう意味では土曜休日に狙った方がチャンスは大きくなる。この時は、男性のバックパッカーが列車を待っていた。八ヶ岳登山かどうかは微妙なところだが、山岳路線らしい駅の風景となり、しめしめといった感じだ。急勾配が続く最中にある駅だが、かつてのC56の発進のために、何とか駅構内だけは平坦にされている。駅の向こうでいきなり線路が見えなくなっているのはそのためだ。

2枚目は野辺山方面から山を下ってきた列車だ。この区間はカーブが連続するので、山下りの列車であってもスピードはかなりセーブしている。何といっても33‰はやはりきつい。この手前に場内信号機があるが、通常であれば確認動作はもっと後になる。この時は、ドンピシャのタイミングで指差し呼称を入れてくれた。ホームの路線ではこういった細かい特典があるのが嬉しい。

こちらの背景は南アルプスの山並みになる。キハのヘッドライトの上辺りのどっしりとした山が甲斐駒ヶ岳で、その右に連なるギザギザのやつが鋸岳だ。鋸岳の稜線には一般者向けの登山道はなく、ザイルワークを要するエキスパート向けの場所になる。変わって、左手の尖がった白い頂が、日本で富士に次ぐ第二の高峰の北岳の山容だ。この場所からは北岳カールが眺められ、実に美しい姿で聳えている。そのカールの上部はバットレスという日本屈指の大岩壁で、ロッククライミングの聖地の一つになっている。どの頂にも若かりし頃に撮影に赴いている。今ではこうして下界から眺めているだけだが、鉄道写真を通して狙う山岳風景も決して悪くはない。
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- 2017/12/27(水) 00:00:00|
- 小海線
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雪の細道を窓明かりが近づいてくる
遠くに浮かぶ踏切の灯が幻のようだ

2017年3月 飯山線
さて、早いもので今年もクリスマス・イブになってしまった。カトリックの典礼暦の一日は、日没から日没までだそうだ。つまり、クリスマスは24日の日没から25日の日没までということになる。そうなると、24日の晩がクリスマス・イブの聖夜となる。決して、イブが前夜ということではないようだ。
クリスマス・イブらしい写真でもないかと鉄道写真庫を漁っていると、こんなのがあった。何でこれがクリスマス・イブなのかの説明はつけられない。単なるイメージで、何となくそんな気がしただけだ。雪に映る窓明かりが、神聖な夜を想わせるのかもしれない。よいクリスマスをお過ごしください。


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- 2017/12/25(月) 00:00:00|
- 飯山線
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オホーツクに一面の流氷の海が広がる
ファインダーの中を、テロップのようにスローガンが流れる

1973年3月 釧網本線 北浜
流氷の接岸を聞きつけ、オホーツクの海辺を訪れた。天気も上々で、あとは釧網線名物のC58の牽く混合列車を待つばかりだ。いい煙を吐きながら、その瞬間がやって来たが、テンダーに何やら白いものが見える。直ぐにやられたと思ったが、わざわざここまで来て、シャッターを切らずに見送る訳にはいかない。この年は、団結号に散々な目に遭っているので、ある程度は諦めの境地に達していたが、さすがにこの眺めを前にしては嘆き節の一つもでよう。気を取り直して、この後の釧路行きに期待を繋いだが、次はテンダーに「73春斗」の大スローガンが。それも完全なスカだ。煙室扉の団結号を避けるためにも、真横から狙ったが、それが完全に裏目に出てしまった。その2両は煙室扉は綺麗なもので、白文字はテンダーのサイドだけだった。何と間の悪いことだろうか。この「春斗」というのは、「春闘」の中国語バージョンだ。画数が少なくて書き易かったのか。動労にはなかなかの知識人が居たということだろう。
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- 2017/12/23(土) 00:00:00|
- 釧網本線
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大夕張鉄道の廃止から30年の年月が流れた
辛うじて生き長らえた1本のレールも風前の灯だ

2017年10月 石勝線 夕張支線 清水沢

夕張炭田は、夕張山地に点在する多くの炭鉱から成っている。夕張線は夕張川を遡って清水沢まで来るが、ここで夕張川と分かれて、北炭夕張炭鉱へと向う。一方、夕張川沿いには三菱石炭鉱業 大夕張鉄道が上流へと延び、南大夕張を経て、大夕張炭山へと続いていた。石炭産業が斜陽化する中、大夕張炭鉱に替わって、当時の最新鋭の技術をもって新たに開発されたのが南大夕張炭鉱だったが、大爆発事故に見舞われ、低価格の海外炭にも抗しきれず、合理化に伴い大夕張鉄道は1987年に廃止、南大夕張炭鉱自体も1990年に閉山した。最盛期の人口が25,000人近くあった大夕張の炭住街は、2014年に夕張シューパロダムの湖底に沈み、その面影すら偲べなくなってしまった。
かつて夕張線のホームは、駅舎前の大夕張鉄道のホームと跨線橋でつながっていた。跨線橋の下には6線ものレールが敷かれていた。大夕張鉄道は気動車を導入したことはなく、最後まで機関車が客車と貨車を牽いていた。炭鉱鉄道らしくダルマストーブの客車が活躍していた。大夕張と国鉄の機関車が走り回っていたそのヤードは全て無くなり、夕張線の島式ホームがポツンと残され、旧下り線の1線のみとなってしまった。この日、上りの始発の到着を待つのは4人だけだ。炭鉱が栄えていた頃には、一日2,600人もの乗車人員があったとは、到底思えないような寂しさだ。駅前の商店街は廃屋ばかりが目立つ。良きにつけ悪しきにつけ、炭鉱と栄枯盛衰を共にした町の現在の姿だ。




夕張線には遅くまで腕木式信号機が残されていたが、現在は新夕張-夕張間が1閉塞であるため、この駅にも信号機は存在しない。何年か前までは有人駅だったようだが、今は無人化され待合室の発券窓口なども塞がれてしまっている。待合には、古き良き時代のこの地の写真が展示されている。この中に、ブログ
「風太郎のPな日々」の風太郎さん の作品があるそうだ。さて、どれでしょう。

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- 2017/12/21(木) 00:00:00|
- 夕張線
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日が沈み、雪の里から光と色が失われていく
集落を巡る車窓の灯が、ことのほか暖かい

2017年3月 飯山線
今年は期せずして冬の到来が早く、積雪地帯を走る路線では、連日のように降雪が続いている。飯山線沿線の津南のアメダス積雪深は既に80cmに達している。飯山線の森宮野原以北の新潟の各駅は雪に埋もれていることだろう。冬型が緩んだ頃合いを見計らって出掛けてみたいのだが、なかなか踏ん切りがつかずに春先になってしまうのが、このところの流れだ。昨冬もやはり春先になってしまった。まだ積雪はそれなりにあるが、やはり春先の趣だ。路上に雪が積もることも少なくなり、撮影は至って楽だが、偶には、豪雪地帯の圧倒的な雪景色にもご対面したいものだ。今年も飯山線沿線のアメダス積雪深と気圧配置が気になる季節になった。
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- 2017/12/19(火) 00:00:00|
- 飯山線
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真っ直ぐな道が富良野盆地を横切っている
間もなく十勝岳連峰の頂から冬が降りてくる

2017年10月 富良野線 西中
富良野線沿線は、東京などの都市部からの移住者が多い場所だ。十勝岳連峰から大雪山へと連なる山並みの眺めは秀逸だ。大雪山系の東側に位置するために積雪量も多いが、それも移住者にとっては魅力のようだ。積雪地域の方が四季の変化が明瞭で、それぞれの季節に楽しみがあるのだろう。沿線には旭川空港があり、東京へのアクセスも申し分なく、写真家を始めとする多くの芸術家も居を構えている。倉本聰氏もそのお一人で、北海道を舞台とした作品を数多く輩出しているが、その代表作である、富良野の麓郷の生活を描いた「北の国から」が、この地の人気の火付け役と云われている。
この朝の富良野盆地は深い霧に包まれていた。仕方なく、線路近くで朝の列車を見送っていたが、昼近くになってようやく雪を頂く十勝岳連峰が姿を現した。ここまで来て十勝岳を撮らないで帰るわけにはいかない。そこで、富良野盆地の東側の丘を探ってみることにした。この盆地の農地は北海道らしく大きな碁盤の目になっている。真っ直ぐな道が、盆地の反対側の十勝岳連峰の裾野まで続いている。途中に富良野線の踏切が小さく見える。どうしてもこの道を撮りたくなったが、線路の手前には通行量の多い縦道が交差し、観光バスも目に付く。車が来ないことを祈りつつ列車を待つこととなった。
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- 2017/12/17(日) 00:00:00|
- 富良野線
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支線となってひっそりと走り続けて来たが、終わりが見えた
夕張山系の紅葉の中を往く姿も、来年で見納めだ

2017年10月 石勝線夕張支線 清水沢
石勝線に編入され、その支線扱になったのが幸いしてか、夕張線は廃止を免れて来たが、夕張市からの廃止提案という、予想外の展開で結末を迎えることになった。2019年春を目途に廃線となることとが決まっている。石炭を搬出する目的で敷設された夕張線は、札幌指向の旅客輸送を担うには、かなりの遠回りになる。住民は、かつては夕張鉄道を使って札幌に出向いていたが、その路線が途絶えてからは、もっぱらバス便を使うことになった。札幌とのバス便は夕鉄バスと中央バスが運行しているが、この夕鉄バスこそが夕張鉄道株式会社の現在の姿で、国鉄と張り合っていた鉄道時代から一転して夕張のバス事業に専念している。一方、中央バスは札幌に本社を置き、主に高速バスを道内各地へと走らせている会社で、JR北海道の最大のライバルだ。最大時12万人を誇った人口は8,600人まで減り続け、バス路線についても縮小傾向にはあるが、運賃、所要時間、利便性の何れにおいても、JRとは比較にならない。東京出身のしたたかな市長が、先手を打って積極廃止に傾注したのにも頷ける。
夕張線の往く夕張山地は、道内でも紅葉の見事なことで知られた山塊だ。現在の新夕張が、かつては紅葉山という駅であったことを記憶されている方も多いだろう。この日は、10月下旬ではあったが雪の朝になった。湿った重い雪が降りしきる中、夜明けを迎えた。先ほどまで白いものが残っていたが、残念ながら列車が来る頃までには消えてしまった。朝の2往復が終ると、夕張線の午前は打ち止めになる。年を越すと、夕張線の最後の一年が始まることになるだろう。
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- 2017/12/15(金) 00:00:00|
- 夕張線
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廃止されるはずだった駅に今も灯が点る
十勝へと続くこの先の鉄路は放棄されたままだ

2017年10月 根室本線 東鹿越
根室本線は、滝川から根室までの全長443.8kmの長大路線だが、1981年の石勝線の開通により、札幌発着の帯広・釧路方面の優等列車と貨物列車のすべてが短絡線経由となり、滝川-新得間は一気にローカル線に転落した。特に富良野-新得間は狩勝峠を越える山間区間であり、人口密度が小さく地域内輸送も希薄な地域だけに、廃止対象とされてしまった。かつては、特急「おおぞら」や急行「狩勝」が通った街道は、今では単行のキハ40が細々と走る閑散区間になっている。その根室本線が、昨年の台風10号の水害で甚大な損害を被ってしまった。狩勝峠周辺の被害が大きく、長らく十勝への鉄路は不通が続いていた。石勝線ルートは何とか復旧したが、本線筋ではあるがローカル線化した東鹿越-新得間には、復旧の槌音が響くことはなかった。
その閑散区間の南富良野町にある東鹿越駅は、線区の存続如何とは別に、本来なら今年の3月に廃止されるはずだったが、東鹿越-新得間の不通が続いているため、辛うじて今も存続している。この駅は石灰鉱山専用線の貨物を捌くための信号所が始まりだ。ここには王子工業鹿越鉱業所、日鉄鉱業東鹿越鉱業所の2社が鉱山を構えていた。1982年に貨物の取り扱いが終わってからは、殆ど乗降客のない秘境駅としての時間が流れてきた。近隣には集落はなく、金山湖畔の鬱蒼とした森林の中に佇む。広い構内跡地は信号場機能の名残りだ。ところが、台風災害の不通で、この駅が代行バスとの乗り継ぎの場となった。何時までこの状態が続くのかは予断を許さないが、数奇な事情で生き長らえることになった金山湖畔の秘境駅の様子をレポートしたい。

高校生が帰ってくるであろう列車に合わせて、車で駅を訪れた。小さな駅前だが、代行バスの転回のために俄作りの未舗装の転回用のスペースがある。バスの転回方法を考えて、邪魔にならない場所を探して車を止め、バスの到着を待つ。17:30に新得からのバスが到着する。中小型のマイクロバス程度を思い浮かべていたが、到着したのは大型の観光バスだ。驚いたことに最初に降りてきたのは、どう見ても日本人ではない。時間があればお話を伺いたいところだったが、列車が入線してきたので、それどころではない。

滝川からの2429Dが定刻の17:31に到着する。列車が止まり、まず走ってきたのはランドセル姿の二人の小学生だ。列車通学は義務教育以降の高校生と相場が決まっているが、小学生とは珍しい。何らかの事情がありそうなので聞いてみたいところだが、足早に何処かに消えてしまった。ふと、この二人が「北の国から」の純と蛍に見えてしまうのは、この地も富良野の名が付くからだろうか。この後、折り返し準備が終わるまで、キハ40のドアは一旦閉じられる。

代行バスで到着した高校生たちは、列車の折り返し準備が済むまで、少しだけ駅舎前で待つことになる。秘境駅といっても、金山湖の対岸には観光施設群があり、南富良野の市街も近いので、通信に問題はないようで、ここでもスマホに興じる姿がある。一方、代行バスは時刻通りの17:36に、乗り継ぎの生徒たちを乗せて新得に向けて出発した。


折り返しの準備が整い、サボも「東鹿越-富良野」に差し換えられた。ホームに高校生たちがやって来たが、ほんの数人かと思っていたが、予想外の多さには少々ビックリさせられた。この先の不通区間の次駅は、「鉄道員(ぽっぽや)」でお馴染みの「幌舞」こと幾寅だ。市街の外れにあるので田舎駅のようなイメージだが、歴とした南富良野町の中心駅で高校もある。多分、富良野市と南富良野町の間で、高校生の相互の移動があるのではないだろうか。


駅の周りは漆黒の闇と静寂で、停車するキハの白さばかりが闇夜に浮かび、アイドリング音が暗闇に響いている。定刻の17:40に、折り返しの9634D富良野行きは、東鹿越を出発し、闇の中へと消えていった。本来であれば乗降の少ないはずの東鹿越の一時の賑わいは10分ほどで終わった。

さて、この線区を廃止してしまってよいものだろうか。心ある大人なら、この子たちの足を守ってやりたいと思うのは当然のことだ。ましてや小学生までいるではないか。しかし、感情に任せてそう思うのは簡単だが、実際に鉄路を守るのは容易なことではない。この土地に適した持続可能な交通手段が鉄道とも限らない。ただ、一度レールを剥がしてしまえば決して元には戻らない。よくよく考えての結論であってほしい。実際に列車を待つ子供たちを目の当たりにすれば、無下なことは出来ないだろう。子供たちを大切にできない国に明日などあろうはずがない。
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- 2017/12/13(水) 00:00:00|
- 根室本線
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