駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

漂泊の道標 飫肥杉のある風景

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1977年8月 日南線 榎原


日南の日が西に傾き、飫肥杉の影法師が伸びてきた
夕日に浮かぶ山入端が、暑かった一日の終わりを告げる



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  1. 2017/08/21(月) 00:30:00|
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続・青葉の山陰線を往く その18 再び飯井へ

トンネルの合間の僅かな入り江にその集落はある
住民悲願の細やかな駅は今も集落を見守り続けている

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2016年4月 山陰本線 飯井

昨春は「青葉の山陰線を往く」と題して、竹野-三見間の非電化区間を17回の長きに渡ってお送りした。旅は兵庫県豊岡市の竹野に始まり、山口県萩市三見の飯井で終わっているが、撮影は三見までで飯井は下調べだけに終わっている。今春は、非電化区間の全線踏破のため、残った飯井-下関間を旅した。実際の旅は下関から東に向かったが、前シリーズの続編ということで巻き戻しでお送りしたい。既に残暑の季節で青葉もないものだが、掻い摘んでこの区間を、例によって断続的にご紹介しようと思う。今回の物語の始まりは、鄙びた石州瓦の赤い集落の向こうに日本海が望める飯井だ。今年は井伊が流行りだそうだが、こちらの飯井には何の関係もない。

飯井の駅はご覧の通り妙に小さい。今となっては単行か2両のキハしか停車しないので、これでも十分過ぎるホームの長さだ。山陰本線にはかつては長大編成の普通客レが行き交っていたために、優等列車の停車駅でなくても長いホームと交換設備を持つ駅が多く、こんなちんちくりんなホームの駅は少ないのではないだろうか。これまでに、両隣の三見長門三隅 の駅を上梓しているが、どちらも山陰本線然とした駅だ。1970年代初めに現役蒸気を撮りに訪れた頃には、この駅を通過する普通列車が結構あった。長大な客レは通過し、区間列車の短い気動車だけが停車していた様な気もする。とにかく、時刻表を精査してから降りないと、大変なことになってしまう要注意駅だった。

山陰本線のこの区間が開業したのは1925年のことだが、飯井駅は1964年の開業だ。鉄道は通ったものの20年近くここには駅がなかった。この集落出身の県議会議員が駅の設置を請願し、国鉄が渋々認めたというのが、俄作りの小さな駅となった理由のようだ。その議員の息子が、山口3区選出の現衆議院議員の西村建夫氏である。二枚目の写真が飯井集落のほぼ全景であるが、川沿いにもう少し集落が続いている。家の数も簡単に数えられそうな集落だ。この駅が開業した頃、ここには三見小学校の分校があった。幼い低学年のための分校で、高学年は6km離れた本校に徒歩で通っていたそうな。それを見かねた西村議員が奔走することになった。何か餘部の駅とも通ずるところがある。


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この集落の中を流れる小川が、萩市と長門市の市境になっている。小さな集落で行政区が分かれるのは何とも奇異だが、この周辺の地勢を見てみると、鎖峠に続く尾根筋とこの小川が江戸時代の三隅中村と三見村の村境だったことが頷ける。ちょうど両村の中程を流れる水無川は村の境に打って付けだ。三見が赤間関街道の宿場として栄えていた頃、僅かな平地だが水の得られるこの小さな入り江にも人が住むようになり、つられて三隅からも人がやってきたというのが、この集落の誕生の勝手な見立てだ。


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集落には僅かな水田と簡単な漁港があるが、半農半漁の自給自足の時代ならともかく、今の時代に生活の糧を得るのは難しいだろう。察するに多くの住人は、半年金半農か半年金半漁と云ったところだろう。列車で萩や長門に働きに出る人の姿も減って、駅の乗車人員はこのところ日に10人程度で推移している。夕方の列車だというのに通学風景も見られない。時代を象徴するかのようにクルーズトレインのトワイライトエキスプレス瑞風が「美しい日本」の風景を求めてこの駅を通過するようになったが、その華やかさととは裏腹に、海辺を彩る集落は過疎化と高齢化に苛まれている。飯井の浜にも明日があることを祈るばかりだ。


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  1. 2017/08/19(土) 00:30:00|
  2. 山陰本線
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冬の気配

風向きが北西に変わり、海の色が変わった
風合瀬を出たキハと海越しに一瞬目が合った

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2016年10月 五能線 風合瀬

先日、品川のキャノンで猪井貴志氏の写真展「鉄道漁師」を拝見した。ちょうど猪井さんがおられたので色々とお話を伺ったが、まずはそのカッコよさに感心させられる。一時期、あの真島さんと鉄道写真の双璧を成した方だが、共通点はお二人ともカッコいいことだ。真島さんの口癖は「写真は自分を映す鏡だ」だったそうだ。カッコいい鉄道写真を撮るためには、まずは自分がカッコよくなくてはならないということだ。何とも耳の痛い話だ。お茶目な風貌で「ゆる鉄」を編み出した御仁もおられるので、その関係は満更ではなさそうだ。自分でどんな写真が撮れるかは、まずは鏡にでも聞いてみた方がいいかもしれない。

さて、その「鉄道漁師」にインスピレーションを貰って選んだのが今日の一枚だ。誰が名付けたのか「風合瀬」とは旅情をくすぐる地名と駅名だ。単なる連想なので、何の意味合いもない。この「漁師」という言葉の持つイメージは、風景探しに奔走するカメラマンには、違和感なく受け入れられるものだろう。季節の魚を狙って、漁師が小舟で船出する。カメラマンの季節探しの旅にも通ずるところがある。漁の成果の次第は、腕前なのか、運なのか、それとも天候なのか。中には、鉄砲ならぬ長玉を携えて、ひたすら山中を徘徊する、俯瞰症に侵された「鉄道猟師」、はたまた「鉄道マタギ」の方もたくさんおられることだろう。


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  1. 2017/08/17(木) 00:30:00|
  2. 五能線
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下北の夏

起伏の少ない丘陵がどこまでも続いている
穏やかな夏の陸奥湾を横目に単行キハが走り抜ける

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2016年7月 大湊線 吹越

平坦線でカーブも勾配も少なく、駅間距離も長い大湊線の列車は頗る速い。特に有戸-吹越間では駅間13.4kmを12分程で走り抜け、最高速度は85km/hに達する。快速は全線58.4kmを51分で走破し、表定速度は68.7km/hにもなる。ローカル線には似つかわしくない速さだ。短尺のキハ100系でも330PSの機関を積んでおり、キハ20系やキハ40系の時代の走行性能とは比べものにならない。それでも、陸奥湾を望む長いストレートを走り切るには、それなりの時間が掛かる。前照灯を確認してから、テールライトが視界から消えるまで、ファインダー越しに、じっくりと高速キハの走りが観察できる。DMH17エンジンには強い郷愁を覚えるが、これがJR東日本のローカル線の今の姿だ。ただ、早いものでキハ100/110系が登場して27年となった。つまり、キハ20系が絶滅危惧種になってから、既にこれだけの時間が流れたということだ。


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  1. 2017/08/15(火) 00:30:00|
  2. 大湊線
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天空の時間 空に一番近い列車 2017 No.5

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【ご案内】
このシリーズでは写真だけをご覧いただいております。個々の写真には題名も文書も付けていません。ごゆっくりお楽しみいただければ幸いです。路線は小海線。撮影は2017年夏です。


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  1. 2017/08/13(日) 00:30:00|
  2. 小海線
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道東の草の香り

細く伸びる鉄路が道東の小さな町を繋いでいた
キューロクの汽笛が夏空の山々に木霊する

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1974年8月 相生線 北見相生

この写真を見ていると、あの夏の日、線路端でひとり汽車を待った道東の臭いがしてくる
北の大地の伸びやかな風景と、その中をコトコトと往くキューロクの貨物列車がたまらなく好きだった
頑強なキューロクの姿は去り、夏草の香りのするローカル線も後を追うように次々と消えていった
二軸貨車がほんの数両の短い貨物列車は、第二網走川橋梁を渡り、まもなく終点の北見相生に達する
林業が盛んだった頃、オホーツクの原生林に分け入る沿線風景にも、確かに人の営みが感じられた
日中の草いきれをよそに、早くも秋の気配が忍び寄り、青空に夏雲が見られるのももう僅かだ 
風雪に閉ざされる極寒の地の一時の夏が、静かに終わろうとしていた


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  1. 2017/08/11(金) 00:30:00|
  2. 相生線
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有明海の1号機関車

この鉄道は、日本の1号機関車が走ることで始まった
有明海を望む小さな入江の町を、黄色いキハが巡る

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2017年4月 島原鉄道 古部

九州の私鉄と言えば、大手の西日本鉄道だが、中小でも意外と少ない。筑豊電気鉄道、熊本電気鉄道、島原鉄道と、軌道事業者の長崎電気軌道の計4社だけだ。その中でも、福岡、熊本、長崎の市街地を往く3社と一線を画すのが島原鉄道だ。島原半島で非電化43.2kmを維持しているのは立派なものだ。普賢岳の火砕流災害からの復旧に際して、地元自治体からの支援を受け、長崎県の部長、島原、諫早、雲仙の市長も取締役に名を連ねており、今では私鉄起源の第三セクターと言えなくもない。今年の決算報告では、苦しいながらも、前年並みの鉄道旅客収入が維持されていたが、鉄道部門の赤字を、フェリーやホテル、不動産賃借の事業収益で補っているのが実情だ。

かつては、官営鉄道や国鉄の車両のお下がりを、数多く受け入れてきた島原鉄道だが、現在は自前の新潟鐵工所製の黄色のボディーカラーのキハ2500形と2550形に統一されている。JR九州がローカル線のキハ40族の置き換えのために導入を進めている同じ黄色のキハ125の近縁種だ。一方、写真のキハの側面に描かれているのは、現在大宮の鉄博に展示してある初代1号機関車だ。開業時に官営鉄道から譲受され、後に返還されたそうだ。車体には「日本の1号機関車が走った島原鉄道」と謳われている。昔は国鉄色のキハ17やキハ20が走り、今はJR色のキハ125の兄弟が往来するが、歴とした有明海を巡る九州の私鉄だ。何時までも走り続けてもらいたいものだ。


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  1. 2017/08/09(水) 00:00:00|
  2. 島原鉄道
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ハチロクの日 2017

朝の筑豊線にハチロクの客レがやって来る
大動輪のかつての本線機の穏やかな余生だ

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1971年7月 筑豊本線 中間

暑さにやられて、危なく「ハチロクの日」を忘れてしまうところだった。「キューロクの日」の予告編みたいなものだから、蒸気愛好家の諸先輩方におかれましては、くれぐれもご記憶の程を。今年は筑豊本線を訪れ、連載記事もお送りしたことだし、香月線の客レの筑豊線走行シーンを選んでみた。前方左手に吉田町営住宅が見えるので、現在の東水巻駅の辺りだ。当時、香月線の列車は、朝の通勤通学時間帯だけ客レで運行され、筑豊線にも乗り入れていた。牽引は室木線とともに若松区のハチロクが担当していたが、短距離での行ったり来たりで転車はできず、下りは逆向きで牽いていた。一方、線路端には撮り鉄が。蒸気が左右から引っ切り無しに現れる筑豊線では、来た列車を手持ちで撮るというスタイルだった。

この香月線は、筑豊の典型的な炭鉱盲腸路線だったが、1960年代後半には沿線の炭鉱が全て閉山し、この路線も85年に廃止となっている。廃止といえば、沿線住民が涙ながらに最終列車を見送るというシーンを想像しがちだが、それは鉄道好きの単なる思い込みにしか過ぎない。この路線は、沿線自治体と市民の廃止運動によって葬られている。モータリゼーションが進展し始めた時代、地域開発と発展のためには、香月線のようなオンボロ鉄道は邪魔な存在と見なされた。東京の都電とトロリーバスが大幅縮小されたのも、前回の東京オリンピックを契機とした、同じような理由からだった。そして今度は、夕張発の廃止ビジネスが始まろうとしている。ローカル線も、廃止の代償の金銭的価値が値踏みされる時代となった。


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  1. 2017/08/06(日) 21:00:00|
  2. 筑豊本線
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天空の時間 空に一番近い列車 2017 No.4

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このシリーズでは写真だけをご覧いただいております。個々の写真には題名も文書も付けていません。ごゆっくりお楽しみいただければ幸いです。路線は小海線。撮影は2017年夏です。


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  1. 2017/08/05(土) 00:30:00|
  2. 小海線
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吉松は今

島式ホーム2面4線は要衝の駅の名残だ
機関区廃止とともに鉄道の町の歴史にも幕が降りた

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2017年4月 肥薩線 吉松

隼人発肥薩線上り4222Dが吉松に定刻に進入した。この列車は列車番号を2924Dに変えて、吉都線の都城行になる。進行方向に見える吉松駅の先で線路は二手に分かれる。肥薩線山線は、直進して正面の山中へと分け入る矢岳越えに進み人吉を目指す。一方、吉都線は右にカーブして、霧島連山の裾野を回るように、えびの市、小林市を経由して都城へと向う。この二線は開通当時の鹿児島本線,日豊本線であり、その要衝として吉松は鉄道の町として発展した。駅の山側には吉松機関区が設置され、多くの蒸気機関車が配置されていたが、今は広い跡地が広がっている。


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現在の駅舎は、初代の木造駅舎を取り壊し、1968年に落成した鉄筋コンクリート製だ。JR東海カラーとでもいうような鮮やかな外装と相まって、落成当時は時代の先端を往く、モダンな建物だったはずだ。駅舎の横には、何やら記念碑が並んでいる。左から、「肥薩鐵道開通記念碑」、「吉松駅開業百周年記念碑」、「吉都線全線開通百周年記念碑」の三つだ。この駅の歴史を物語る記念碑だ。吉松駅は1903年(明治36年)に、鹿児島から建設が進められた鹿児島線の終着駅として開業している。人吉からの山線が難工事の末に繋がり、鹿児島本線が開通するのは、その5年後の1908年のことだ。蒸気のスポーク動輪も展示されているが、台座のナンバープレートには「48674」とある。この罐は鹿児島で撮ったことがあるが、C56のテンダーを持つ異色の入換専用機だった。吉松区には在籍したことはないはずだ。こうしてみるとハチロクの動輪も結構な大きさだ。


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さらに進むと、小さな「鉄道資料館(観光SL会館)」があるが、残念ながら開館の10時までいるわけにはいかないので、屋外の石倉とC5552を見せてもらった。C5552は九州のSL最晩年まで残った罐で、K-6型門デフが目印だ。吉松区には2年間程在籍し、吉都線、日豊本線を走っていた。SLブームの盛りの頃だったので、多くの方々のネガに焼き付けられているはずだ。保存当初は、駅近くの線路脇の公民館に野晒しで保存されていたが、20年程前に今の場所に移動されている。吉松機関区OBの方々を中心にして維持・管理されているので、保存状態は頗る良さそうだ。そのうち、JR九州からの復活の呼び出しがあるのを楽しみに待とう。


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さて、一番気になるのは機関区のその後だ。線路、機関庫、転車台などの設備は綺麗になくなり、跡地だけが広がっていたが、機関区本屋だけが残っており、「鹿児島鉄道事業部 吉松運輸センター」の看板が掲げられていた。乗務員の詰所ということだが、保線関係も使っているようだ。この建屋は、70年代始めに撮影したものと同一で、かなりの年代物と思われる。駅で入手した情報では、機関区入口の門柱が残ってるということだったが、見つけ出せないまま時間切れになってしまった。


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1971年7月 吉松進入

面白いもので、46年前と同じ場所で撮っている。今昔物を撮ろうとは思っていないので、その時の気分で場所選びをして撮っているが、偶然にも同じ場所に立っていたりする。この記事の一枚目の列車の正面撮りで、おまけに撮ったものだが、偶々同じアングルの蒸気画があったので並べてみた。過去画はピンボケで、はなからボツ写真のため存在を失念していたが、微かな記憶が蘇り探し出したものだ。半世紀近くが経ち、吉松機関区を訪れた際のことはあまり思い出せないが、この写真は、かつてこの吉松の同じ場所に立ったという確かな記憶だ。


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  1. 2017/08/03(木) 00:30:00|
  2. 肥薩線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

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