駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

赤峠の咆哮

変則三重連が登った築堤は、春の新緑に包まれていた
そこには、炭鉱時代から抜け出た、新たな風景があった

05333F16.jpg
1973年8月 田川線 油須原

80009591.jpg
2017年4月 平成筑豊鉄道 赤

油須原駅をアップしておいて、あの赤峠の築堤を登場させないわけにはいくまい。当時、撮影スポットへは油須原からとぼとぼと歩いて行ったものだが、現在は油須原と勾金の間に、赤、内田、柿下温泉口の3駅ができている。赤を降りれば、そこはもう築堤の端だ。その赤の駅前には国鉄油須原線の未成線跡を利用した道路が走っているが、路上にはナローのレールが敷かれ、赤村トロッコ油須原線が月に1回程度運行されている。早いもので、このトロッコも生誕14年となったそうだ。

44年前にキューロクの変則三重連を撮りに行った時は、背景に聳える筈の香春岳は、生憎の視界不良だったが、今回はすっきりと晴れ渡り、その全貌を眺められた。石灰石の採掘が続く香春岳は日々姿を変えているので、新旧が比較できず残念だ。一の岳は既に掘り尽くされ上部が無くなってしまった。次は二の岳に取り掛かるようだ。田川、香春岳とくれば、五木寛之の『青春の門』だが、23年間の連載中断から目覚めて、今年1月に「第九部 漂流編」と銘打って連載が再開されている。

44年前は、周囲には木々はなく、如何にも炭田地帯を往く石炭列車という感じだった。それが、今ではご覧通りだ。何処にも炭鉱として栄えていた頃の雰囲気を伝えるものはなく、どう見ても、新緑の木々が綺麗な山間に、単行のキハが似合う場所だ。現在の写真だけをアップしていたら、あの油須原の築堤だとは気付かれない方も多いのではないだろうか。かつての撮影スポットを訪れると、障害物が増えてどうにもならないというのが通例だが、この場所に関してはなかなかの眺めだった。


スポンサーサイト

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/26(月) 00:30:00|
  2. 田川線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

駅舎の由緒 油須原

この鉄路と駅舎は九州にいち早く造られたものだ
広い構内からは石炭時代の栄華が伝わってくる

05313R16.jpg
1973年8月 田川線 油須原

この駅名の「油須原」は、「ゆすばる」と読む。国鉄田川線の現役蒸気機関車の時代には、崎山、油須原、勾金といえば、知らないファンはいないほど有名な撮影地だった。勾配区間であったため、2両、3両のキューロクで石炭列車を押し上げていた。さて、九州の鉄道の歴史は、私設の九州鉄道による1889年の博多-千歳川間の開業に始まる。その頃、筑豊田川の石炭の運び出しのために、民間の豊州鉄道が設立され、行橋-伊田間が開通したのは1895年のことだ。つまり、この油須原駅が開業したのは、122年も前ということになる。

ウェブで「九州最古の駅舎」を検索してみると、嘉例川と大隅横川の駅名がドサッと出てくる。中には門司港の名も散見されるが、こちらは言語道断だろう。この肥薩線の両駅が開業したのは、114年前の1903年で、逓信省鉄道作業局の手によるものだ。この2駅は、一貫して国の管理下にあったため、その由緒はかなり克明に記録保管されている。現存する木造駅舎が、初代のものであることもはっきりしている。そのため、国の登録有形文化財の指定を受け、地元ボランティアと行政によって、町のお宝として大切に扱われるに至っている。

一方、油須原だが、残念ながら駅舎の由緒が定かでない。豊州鉄道、九州鉄道、官営鉄道、国鉄、JR九州、平成筑豊鉄道と、駅舎の大家は既に6代目だ。122年前に民間が設置した駅舎の記録など残っている筈もない。ただ、誰がどうやって調べたのか、建替えの記録もないという。限りなく九州最古の駅舎である可能性が高いが、ただの古い木造駅舎の地位に甘んじている。近くに住んでいれば、初代駅舎であることの証明に乗り出したいところだ。肥薩線には十分に遺産があるのだから、一つくらいへいちくに譲ってやって欲しいものだ。


【追記】
まこべえさん が、国鉄時代である1974年当時の油須原駅舎の写真をアップしてくれました。
どうやら、この駅舎は、近年改装・改築が為されてしまったようです。目的は種々推察されますが、何れにしても、旧駅舎のオリジナリティが、大きく破壊されてしまったことは事実です。本来であれば、文化財としての取り扱いが求められるところですが、残念ながら、安直な改装がなされてしまい、その歴史的・文化的価値が失われてしまいました。構造材は残されているようなので、復元という手もありますが、それでも、覆水盆に返らずです。日本はスクラップ&ビルドのお国柄ですから、古いものへの関心にやや欠けるところがあります。一方で、現在人気のある観光地の多くは、地域の努力によって古いものが大切に守られてきた場所です。古い建造物はそれだけで公共財ですから、これからは、地域で監視し合い、守っていくという気概も必要かと思います。「九州で最も古い骨格をもつかもしれない なんちゃって駅舎」では、何とも哀れです。


80009573.jpg
2017年4月 平成筑豊鉄道 油須原

70014211.jpg


70014210.jpg


70014206.jpg


70014205.jpg


70014212.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/24(土) 00:30:00|
  2. 田川線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

大志慕情

徐々に色合いを変化させながら暮れてゆく一日
千変万化の夕暮れの空模様とは一期一会の出会いだ

80010001.jpg
2017年5月 只見線

昼間の喧騒は新緑号とともに去って行った。いつもの静けさに戻った大志集落が夕暮れ時を迎えようとしていた頃、川風が止まった。只見川は磨き抜かれた鏡のように紅の空を映し出した。日中の新緑号が罐を愛でる時間なら、この暮れなずむ川面のキハは写真を創作する時間だ。その両方を楽しむのがこあらま流だ。川辺を往くキハは、まもなく終点の川口で折返しとなる。さて、その時、天空はどんな表情を見せてくれるだろうか。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/22(木) 00:30:00|
  2. 只見線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

開聞の青い空

日本最南端の富士は、晴天の青空に聳えていた
裾野では、日々の人の営みが忙しく繰り返されている

80009228.jpg
2017年4月 指宿枕崎線

山岳写真では、雲一つない晴天は決して良いものとはされない。風雲渦巻くなかに見せるほんの一瞬の光芒を捉えるのが山岳写真の妙味であり、迫力ある山岳風景の醍醐味だ。鉄道写真にも、そんな山の神々しさを写し込めればいいのだが、それは欲張り過ぎというものだろう。すっきりと晴れ渡ってくれたことに、素直に感謝しなければなるまい。

さすがは南国の薩摩地方だ。ソラマメなどの収穫のピークを迎え、農家は早朝からの作業で忙しい。あちこちから刈払機のエンジン音も聞こえてくる。開聞岳の裾野は広大な畑作地帯のため、どこからでも聳え立つ開聞を眺めることが出来る。名山というのは、しっかりとその土地に根付いてこそのものだ。白い軽トラに九州のヨンマルが良く似合う。


70013845.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/20(火) 00:30:00|
  2. 指宿枕崎線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

山線の記憶 真幸の追憶

住民とともに時を紡いできた駅は、秘境駅になっていた
無人地帯となった駅に咲く桜は、どこか物哀しい

70013685.jpg
2017年4月 肥薩線 真幸

山線の駅巡りも大畑、矢岳とお送りして、最後の真幸となった。大畑と矢岳は熊本県、真幸の次の吉松は鹿児島県に在する。そして、今回の真幸はというと肥薩線唯一の宮崎県となる。この矢岳越えの山中にある真幸は、宮崎県に最初に出来た駅だ。鹿児島本線として山線が開通したのは1909年のことだ。開通に合わせて大畑、矢岳の両駅は開業しているが、真幸は2年遅れとなっている。現在の日豊線、吉都線を辿る宮崎回りの鹿児島ルートが開通するまでには、さらに10余年の歳月を要した。ということで、真幸の駅舎は宮崎県最古の駅舎でもある。


01816RF16.jpg
1971年7月

まず、1971年の真幸から見ていこう。真幸の駅はスイッチバックの中にあり、如何なる列車も通過することの出来ない構造になっている。駅の後方の盛土が本線で、右手が人吉方面になり、左手に折り返しの施設がある。駅の周りには民家が点在していた。駅舎横の便所脇にはステテコらしきものが干されている。なんとも長閑な眺めだ。翌年の土石流災害で住民の全てが移転してしまい、真幸の周辺は無人地帯と化してしまった。この時の写真は山線のデゴイチとともに、真幸集落の最後の記録となってしまった。

写真は2本の列車が交換のため同時に真幸に進入するシーンだ。手前の客レは吉松から人吉に向かう上り列車となる。客車はダブルルーフを含む3両で補機は付いていない。列車の停止位置はさらに右手で、ゆっくりと右に進行している。この列車の出発シーンを撮るためのこの場所に陣取っていた。当時の山線では普通列車は混合列車が主体だったが、その合間を埋めるように一部客レもあった。朝には1121レのような門司港発都城行の夜行普通客車列車も乗り入れていた。気動車といえば急行「えびの」と「やたけ」が結構頻繁に走っていた。

次に、客レの向こうの貨物列車だが、人吉から吉松に向っている。後ろの本線を一旦通過して、逆向で駅に進入し、同じく右方向に動いている。停止位置はまだまだ右の奥で、ホームの先の方まで下がると、やっと編成全体が所定の位置に収まる。写真右手にもう1両蒸気機関車があるが、鹿児島で廃車となったC6028で、解体待ちなのか、暫く留置線に放置されていた。こうしてみるとベースのC59はD51よりかなり大柄だ。


01912RF16.jpg
1971年7月

吉松行の混845の出発シーンだ。引き出しのためにちょっと力が入っているが、直ぐに絶気となって25‰を下って行った。右奥はキハ58/55混成の上りの802D 急行「やたけ」だが、運転停止ではなく、れっきとした停車駅だった。キハ82の特急「おおよど」が登場するのは74年のことだ。


70013675.jpg
2017年4月


70013683.jpg


70013682.jpg


さて、現在の真幸駅に移ろう。1972年の土石流災害では構内が土砂に埋もれてしまったが、不幸中の幸い、駅の施設は流失を免れた。駅舎は開業当時のものが、今もそのまま残っている。ただ、周囲に集落のあった1971年に比べて、あまりにも人気のない駅になってしまった。秘境駅などと呼ばれるようになってしまったが、かつての様子を知る者にとっては、その変貌ぶりには驚かされる。特急「しんぺい」の後方に見えるのは、災害後に設けられた土石流対策の堰堤だ。昔、駅を見渡せた山の中腹の撮影スポットは、樹木に覆われて場所すらわからなくなっていた。住民が居なくなってから植えられたものと思われる桜の木がこんなに大きくなっている。住民が去ってからというもの駅の乗降客は殆どいない。今は、観光列車「いさぶろう しんぺい」の観光スポットというのが大きな役目だ。満開の桜は人の来ない駅舎の脇で、そっと散ろうとしていた。


70013695.jpg


70013699.jpg


70013709.jpg


現在の定期列車は、普通列車が単車、観光列車の特急「いさぶろう しんぺい」が2両編成となっている。奥の深いスイッチバックを持て余し気味だ。「ななつ星」の停止位置の標識もあるが、7両編成であっても余裕で折り返せる。かつて、長編成の列車が身をくねらせるようにして越えていったスイッチバックのレールには薄らと赤錆が浮いていた。


01914RF16.jpg


長い混合列車の最後尾に付く、峠のシェルパの後ろ姿には、復活蒸気の観光列車では味わえない、輸送力の一翼を担っていた現役時代の風格と迫力が感じられる。過ぎ去った時代は、決して戻っては来ない。


80009065.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/18(日) 00:30:00|
  2. 肥薩線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

天空の時間 空に一番近い列車 2017 No.1

EM02999.jpg
2017年6月


【ご案内】
小海線の2017年版の「天空の時間 空に一番近い列車」をお送りします。今回は連載ではなく、バラバラにアップしていきます。何番まで行くかは撮り終えるまで分かりません。撮影は9月頃までとします。この記事が小海線の100本目となりますので、特にラッキーな一枚を選んでみました。例によって、このシリーズに関しては写真のみの掲載と致します。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/16(金) 00:30:00|
  2. 小海線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

川線の印象 雨降りの駅

激しい雨の中、特急「かわせみ やませみ」が到着した
かつての賑わいが漂う坂本駅も、いまや無人駅だ

80008922.jpg
2017年4月 肥薩線 坂本

梅雨入りしたが、あまり雨が降らない。梅雨前線は南に遠く離れ、列島になかなか北上してこない。以前は梅雨時の雨はしとしと降るものだったが、温暖化の影響なのか、空梅雨のような顔をしていて、末期に集中豪雨というのが近頃の降り方だ。今年も、雨の季節だというのに、水不足で我が家の野菜の生育は遅れ気味だ。気象庁のホームページの季節現象の説明には、空梅雨は「梅雨期間に雨の日が非常に少なく、降水量も少ない場合をいう。」とあり、梅雨とは「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる現象、またはその期間。」とある。つまり、梅雨入り早々から空梅雨ということはおかしく、まだ梅雨ではないということだろうか。

一転、桜の時期の九州では、よく雨が降った。それも大降りだ。川線の旅の初日は、土砂降りの一日となり、球磨川沿いの集落は雨に煙っていた。八代から人吉へと向かったが、朝方は特に雨が酷く、八代から一つ目の段と二つ目の坂本では、我慢の駅撮りとなった。乗客の少ない肥薩線ではあるが、そこは九州、両駅の周りにはかなりの民家数の集落がある。特に坂本は西日本製紙坂本工場の通勤客と貨物輸送で栄えた駅だ。かつては写真の中に少なくとももう2線は存在していたはずだ。立派な駅舎は往時の賑わいを今に伝えている。雨の中「かわせみ やませみ」がホームに入ってきたが、特急列車の停車駅ですら無人駅という時代になってしまった。


80008916.jpg
2017年4月 肥薩線 段


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/14(水) 00:30:00|
  2. 肥薩線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

筑豊本線を歩く 筑豊の要 直方

筑豊が炭鉱で栄えていた頃、直方は蒸気の煙で煤けていた
よくある近郊線の駅となった今では、石炭の匂いは何処にもない

02118F16.jpg
1971年7月 筑豊本線 直方

かつて筑豊が石炭で繁栄していた頃、直方は筑豊本線の要だった。筑豊三都と呼ばれる飯塚、田川、直方の石炭は、まず石炭列車により直方に集められていた。筑豊最大の炭都であった田川からの輸送を担う伊田線も全線複線で、ピストン輸送がなされていた。直方で列車編成が組み直され、若松や北九州の各地へと供給されていった。そのため直方には広いヤードと機関区が設置され、昼夜を問わず列車の往来と入換作業が繰り返されていた。直方機関区には、常に多くの蒸気機関車が屯して出番を待っていた。その煤煙で直方の町は煤けているような印象すらあった。

一枚目の写真は、直方が蒸気機関車による石炭輸送を行っていた時代のものだ。蒸気列車の多さに、こんな余裕の写真も撮っている。これが蒸気機関車ブームの頃の撮影風景だ。飯塚方面から直方に進入してきたC57の客レだが、この170号機は東北一筋の罐だった。当時は車検切れの車から廃車という時代になり、地域性などお構いなしに車検が残っているものを全国的に使いまわしていた。九州らしくない罐もこうして筑豊を走っていた。背景には、右手に機関区の扇形機関庫と寺、左手にアーチ状の道路橋が見える。左の塔は、終日続く入換作業のための照明装置だ。

さて、直方の現在はと言えば、「福北ゆたか線」を運行する筑豊篠栗鉄道事業部とその運輸センターが置かれている。列車表示の電光掲示板からは、頻繁に列車が発着していることが分かる。車両数から見て、博多方面の方が乗客が多いようだ。直方機関区は直方運輸センターとなり、福北ゆたか線の電車と原田線の気動車が所属する。隅っこの平成筑豊鉄道の直方駅の後ろには、あの黒田藩士一族の菩提寺である雲心寺が変わらずあり、アーチ道路橋も残っているが、何所から見ても、直方には炭鉱時代の面影はない。町というものは、時代に翻弄される生き物ということだ。

70013188.jpg
直方駅前には、直方出身力士の魁皇、現浅香山親方の像が出現

70013187.jpg
列車の電光掲示板には「福北ゆたか線」の表示のみで、「筑豊本線」の名は何所にも見当たらない

70013185.jpg
直方運輸センター 今では職員はマイカー通勤だ かつてはこの辺りに扇形機関庫があった

70013186.jpg
福北ゆたか線の電車と原田線の気動車 もう煤煙に煤けていた時代は感じられない

70013191.jpg
平成筑豊鉄道のホーム 雲心寺とアーチ型の道路橋は昔のままだ


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/12(月) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

バランストアーチ橋を愛でる

美しいバランストアーチ橋が青空に浮かんでいる
列車の走行音を聞きながら愛でるのもまた楽しい

80010223.jpg
2017年5月 只見線 第一只見川橋梁

九州の鉄道風景をお送りし始めて、あっという間に一月を越えたが、シリーズものも終わっていないので、もう一月くらいは続けさせてもらおうと思う。ただ、季節はどんどん進み、桜の季節だったのが、早くも入梅となり雨の季節になった。九州ばかりではというご諸兄の声も聞こえてきそうだ。これからは、ポツポツと新ネタなども織り込んで進めて行こうと思う。今回は先月の只見線の新緑号の一コマから。写真が撮りたいというよりは、写真仲間との再会が楽しみで出掛けた次第だ。どういうわけか、例年のような人出はなく、試運転初日は本当に汽車が来るのか心配になったくらいだ。

この第一只見川橋梁は、最も有名かつ人気のある鉄道橋梁の一つだろう。或る程度以上の規模であり、美しい構造をもっていること、そして、風光明媚な環境に存在していることが人気の条件だろう。その多くが鋼製橋だが、余部橋梁のようにコンクリート橋に掛け替えられたもあれば、南阿蘇鉄道の第一白川橋梁のように前途多難な状態に陥ってしまったものもある。城東貨物線の淀川橋梁のように、複線化で歩道がなくなるという変わり種もある。只見線の不通区間は、上下分離方式で2020年の復旧を目指すそうだが、失われた橋梁跡には、どんな橋が架けられるのだろうか。


80010208.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/10(土) 00:30:00|
  2. 只見線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

桜の日に 春の嵐

桜は満開になったが、折からの春の嵐にちょっと可哀そうだ
濡れたホームに列車のライトが滲み、春雨の一日が暮れてゆく

70013584.jpg
2017年4月 くま川鉄道 肥後西村

どうも九州の桜の季節は天候が安定しない。この日も朝から雨が降ったり止んだりの繰り返しだ。そろそろ夕暮時の高校生たちの帰宅の時間となったが、列車時刻に合わせるように、また黒い雨雲が近づいてきた。ほんの15分くらいのことだったが、辺りが暗くなり、風も吹き荒れ、春の嵐になった。高校生たちは、田園シンフォニーに飛び乗るようにして帰って行ったが、可哀そうに、一人だけ乗り損ねてしまった。母親でも呼んでいるのだろうか。次の湯前行きはちょっきり1時間後だ。


70013587.jpg


70013589.jpg


70013595.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/08(木) 00:30:00|
  2. くま川鉄道
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ

プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

最新記事

最新コメント

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

カテゴリ

小海線 (100)
飯山線 (20)
宗谷本線 (13)
天北線 (1)
興浜北線 (1)
深名線 (1)
石北本線 (7)
渚滑線 (2)
湧網線 (1)
相生線 (2)
釧網本線 (3)
根室本線 (2)
池北線 (1)
広尾線 (2)
留萌本線 (7)
札沼線 (1)
函館本線 (36)
室蘭本線 (6)
千歳線 (1)
日高本線 (3)
江差線 (11)
大湊線 (4)
津軽鉄道 (1)
五能線 (2)
八戸線 (3)
花輪線 (1)
三陸鉄道 (2)
釜石線 (8)
秋田内陸縦貫鉄道 (2)
由利高原鉄道 (1)
米坂線 (2)
磐越西線 (1)
日中線 (3)
只見線 (43)
真岡鐡道 (14)
東北本線 (1)
総武本線 (1)
中央東線 (3)
東海道本線 (2)
八高線 (8)
秩父鉄道 (7)
西武池袋線 (1)
西武山口線 (1)
江ノ島電鉄 (10)
箱根登山鉄道 (3)
御殿場線 (2)
岳南電車 (6)
中央西線 (1)
関西本線 (2)
宮津線 (1)
山陰本線 (22)
播但線 (1)
姫新線 (3)
津山線 (1)
芸備線 (6)
木次線 (1)
三江線 (3)
山口線 (5)
日豊本線 (14)
筑豊本線 (7)
日田彦山線 (1)
後藤寺線 (1)
田川線 (2)
唐津線 (3)
松浦線 (3)
佐世保線 (1)
大村線 (1)
長崎本線 (2)
久大本線 (2)
豊肥本線 (2)
高森線 (1)
肥薩線 (14)
くま川鉄道 (1)
日南線 (2)
指宿枕崎線 (2)
写真集・書籍 (4)
鉄道模型 (1)
ご挨拶 (0)
はじめまして (3)
未分類 (0)

写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

こあらまへのメール

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

ご来場者累計

RSSリンクの表示

QRコード

QR