駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

筑豊本線を歩く 筑前垣生今昔

かつての石炭列車の道を、蓄電駆動電車が往く
閉山から半世紀、街は新たな歩みの最中だ

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1971年7月 筑豊本線 筑前垣生

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2017年4月 同所

今回は完全な今昔物だ。1971年夏の九州行きで、九州を去る日、品川行き桜島51号の時間まで筑豊本線で過ごした。さすがに最終日となるともう体力は限界に来ている。東京を出た時から既に10kg近く体重が減っている。顔も日焼けで真っ黒で、白目が妙に目立つ。前夜は「かいもん」だったが、風呂に入りそびれたので、少々他人迷惑な状態にもなっている。もう灼熱の筑豊本線を歩く気力は残っておらず、筑前垣生の駅傍で、引っ切り無しにやって来る蒸気列車を、定点観測のように撮っていた。ここからの望遠画 を以前アップしたが、今回は標準レンズ仕様だ。

そんな訳で、今回筑前垣生を訪れた際に、その定点観測場所を探してみると、何とか立ち入りが許されそうな場所だったので、全く同じアングルで撮ってみた。やって来たのは非電化の若松線対応の「DENCHA」の愛称をもつ近郊形交流用蓄電池駆動電車のBEC819系だ。床下の青い箱がマンガン酸リチウムイオン電池になっている。今昔が意外と似たような背景になったのには驚きだ。ただ、駅舎が建て替えられているのは一目瞭然で、跨線橋も新たに設けられている。蒸気の時代にも度々登場する線路沿いの垣生公園の桜がちょうど満開で花見客で賑わっていた。


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筑前垣生の新しい駅舎も木造だ

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この古いベンチは旧駅舎のものだろうか

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桜が満開の垣生公園

さて、処変わって次は中間駅だ。駅舎はかなり改築されているが、ベースは初代駅舎のようだ。中間市の玄関駅だけあって、1日乗車人員は2,000人近い。マルス設置駅でみどりの窓口もあり、跨線橋にはエレベーターも設置されている。駅から延びる旧香月線跡地を利用した「もやい通り」には、世界各地の石造のレプリカが並ぶ、屋根のない博物館なるものがあるが、当のハチロクが行き来した香月線の痕跡はほぼ無くなってしまっていた。


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2017年4月 筑豊本線 中間

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中間駅構内 エレベータ付の跨線橋の向こうが西口

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旧香月線起点地の碑


最後に昔ながらの筑前植木の駅舎も載せておこう。ここも宅地化されているため、1,000人を越える乗降がある。


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2017年4月 同筑豊本線 筑前植木


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  1. 2017/05/31(水) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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桜の日に 「かいもん」と言う名の駅

かいもんと言う名からは、遠い南国薩摩鹿児島に思いが馳せる
南国の陽光の下、桜の花が舞い、開聞駅はそっと春を迎えていた

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2017年4月 指宿枕崎線 開聞

その昔、「かいもん」という急行列車が鹿児島本線の門司港-西鹿児島間を走っていた。客車の夜行列車もあり、宿代わりにしたこともあるが、あまり勝手が良くなかったので、夏場はステーションホテルということに落ち着いた。もちろん、その列車名は日本百名山の鹿児島の開聞岳から来ている。かいもんと聞けば、この百名山と列車名の二つを条件反射的に想起してしまうが、今は指宿市と合併してしまっているが、かつては開聞町が存在した。その町の玄関口が開聞駅というわけだ。あのJR最南端の西大山駅から枕崎方面に3つ目だ。

有名な「かいもん」の名を頂く駅だ。そこそこの大きさの駅が構えているのかと思いきや、ご覧の通りの質素な佇まいだ。開業は意外と遅く1960年で、当初は有人駅だったようだ。線路の形状から以前は島式ホームだったことが窺える。駅横の更地には駅舎が建っていたのだろう。開聞岳に一番近い駅ではあるが、残念ながら駅付近から山を望むことは出来ない。8時54分発の上り指宿行きが出発していったが、次の上りまでは5時間、下りでも3時間程ある。早起きして始発から撮ったが、9時だというのに、午前中の撮影はこれでお仕舞だ。


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  1. 2017/05/29(月) 00:30:00|
  2. 指宿枕崎線
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山線の記憶 峠の秘境駅

厳しい矢岳越えの山中のサミットにその駅はある
峠越えの休息場所は、今や観光列車の記念写真のスポットだ

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2017年4月 肥薩線 矢岳

この肥薩線矢岳駅は熊本県人吉市矢岳町にある。2010年の国勢調査では人口77人、33世帯とある。今回初めて車で訪れてみて、その秘境駅ぶりを再確認することとなった。大畑駅は国道221号線から続く市道189号線をほんの数キロ走れば行き着く。真幸駅は駅前に国道447号線が通り、京町温泉からひとっ走りだ。ここ矢岳駅へは大畑から細い山道を辿るか、京町温泉から九十九折の坂道で矢岳高原を越えなくてはならない。さすがに、現在はその全線が舗装されているので、通行には大した問題はないが、砂利道だった頃は、余程の用事がない限り、行き来するのが憚れるような道程だ。人吉市立矢岳小学校は2014年に廃校になったが、その始まりは1892年設立の大畑尋常小学校大川間分教場ということで、矢岳は大畑の辺縁集落の一つであったようだ。

この矢岳集落は、鉄道と盛衰をともにしてきた。1909年の鹿児島本線の開通から、1927年に肥薩線となるまでの18年間が最も矢岳が栄えた時期とされている。運行上の理由とは思われるが、優等列車も停車し、駅弁まで売られていたというから驚きだ。もちろんその跡地から当時の交換設備の様子などを窺い知ることが出来る。この肥薩線全線が現在観光路線として人気を博しているのは、変化に富んだ車窓風景や峻険な矢岳越えのスイッチバックやループ線にもあるが、当初鹿児島本線として敷設され、その後ローカル線化したということに由るところが大きい。本線仕様の橋梁や隧道、駅舎などの鉄道施設が、ローカル線という時間の止まった博物館で静かに保存されてきたように思う。そういった意味では、やはり肥薩線自体が掛け替えのない鉄道遺産というべきものだ。

下りの「いさぶろう」が到着した。車内から乗客が一斉にホームに降り、駅舎や列車などをバックに記念写真の撮影会が始まった。暫し賑やかな時間が流れたが、列車の出発とともに直ぐに静かな秘境駅へと戻った。列車はすぐ先の宮崎県との県境を過ぎると矢岳第一トンネルへと入る。その隧道を抜けたところが日本三大車窓となる。残念ながら、いさぶろうの乗客で人吉市SL展示館に足を向けられた方はおられなかった。横に展示されていたハチロク58654が現役復帰してからは、D51170が一両でこの展示館を守っている。現役引退直後からずっとここで保存されているため状態は良さそうだ。人吉市と湧水町のこのデゴイチの復活プロジェクトは一体どうなったのだろうか。そういえば、プロジェクトがスタートしたときの国交相は前原誠司氏だった。時間が経つのは早いものだ。


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  1. 2017/05/27(土) 00:30:00|
  2. 肥薩線
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川線の印象 雨のトラス橋

平地の少ない球磨川沿いの斜面に民家が寄り添う
109歳の橋梁を、95歳の機関車が往く

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2017年4月 肥薩線 鎌瀬

このハチロク58654は、名門の日立笠戸で1922年に製造されて以来、ずっと九州で走り続けてきた。どういうわけか、この罐とは縁があり、これまで、湯前線での現役時代、矢岳の人吉市SL保存館での静態保存時代、豊肥線での「あそBOY」時代を見てきた。そして今回の「SL人吉」で4時代目となった。復活蒸気の中では最古参の罐になるが、ボイラー、動輪、台枠といった主要部品が新造交換されているので、川線なら助っ人の力を借りずに今も走ることができる。例によって、復活時に、重油併燃装置も付けられている。一時期、JR九州お抱えの三戸岡鋭治氏によって不細工な姿にさせられていた時期もあったが、現在は本来のハチロクの姿に戻されている。

さて、こちらの球磨川第一橋梁はハチロク58654よりさらに古く、1908年竣工だ。作業ネットが残念だったが、ニューヨーク生れのアメリカン・ブリッジ社製で、トランケート式の美しいトラス橋だ。同様式のトラス橋は、球磨川第二橋梁とともに全国に二ヶ所しかない。余部橋梁の前例があるので、こちらの橋梁も大丈夫かとちょっと心配になるが、ここは肥薩線だ。架け替えなどあろうはずがない。万が一流されるようなことがあれば、只見線と同じ運命を辿ることだろう。折からの大降りの雨のせいだろうか、同業者は殆どおらず、この大人気スポットで構えてみた。数人のファンのためにサービスもしてくれた。古い橋梁に、古い機関車。どちらも、消えて欲しくない鉄道遺産だ。


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  1. 2017/05/25(木) 00:30:00|
  2. 肥薩線
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多久のアングル

多久の大築堤は、あの日と同じようにそこにあった
木製の電柱が加わったが、雰囲気は変わらぬままだ

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2017年4月 唐津線 多久

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1971年7月 同所

今春の九州の旅では、主に現役蒸気機関車の時代に訪れた撮影名所を巡礼して廻ったが、何も所謂「今昔物」を撮ろうと思ったわけではない。あの場所の半世紀後の姿を見たかったのは確かだが、かつての名所は今でも名所で在り続けているかもしれない。今の姿を、今の機材で、もう一度撮ってみたいというのが、巡礼の一番の目的だ。そこには、もう蒸気機関車は走っていないが、そんなことはどうでもいいことだ。その土地の今の在り様に接し、今の姿を捉えることのみだ。そこに、少しばかりの過日の面影でも残っていれば、それで十分だ。

今回は唐津線の多久の話だ。多久と厳木の間には、唐津湾と有明湾の分水嶺である笹原峠がある。「ささばる」と読む。現役蒸気の頃は、キューロクの客レが走っていたことで人気を博し、石炭列車には後補機が付くものがあり、こちらも見所だった。当時は、多久駅から笹原トンネルまでの「多久の大築堤」周辺をうろつくのが初心者の常道だったように記憶している。今回も半世紀前に倣って、その築堤でポイント探しをしたが、その昔、何所でどう撮ったかなどという記憶は殆ど残っていない。気の向くままに撮影をして多久を後にした。

後日、写真をチェックしていて、何となく昔見たような眺めがあることに気が付いた。そこで過去画を探ってみると、やはりあった。門デフ、化粧煙突のキューロクが多い唐津線にあって、デフなし、パイプ煙突とかなり無粋な罐だが、同じ背景の写真に間違えない。荷が軽いのかスカ状態で登ってきたが、ドレインサービスに救われた一枚だ。期せずして同じ場所の同じアングルに行き着くところをみると、進化がなかったということだろうか。偶然か必然か、今昔物と相成った。そして、列車はあの日と同じように笹原トンネルに消えていった。


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複線用の笹原トンネル 九州の炭鉱線に特有の構造だが、草木に覆われてしまっている


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  1. 2017/05/23(火) 00:30:00|
  2. 唐津線
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筑豊本線を歩く 複々線の面影

蒸気牽引の石炭列車が行き交った複々線は無くなっていた
炭鉱の気配は消え、今や通勤列車が行き交う博多の近郊線だ

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1971年7月 筑豊本線 折尾-中間

「上も行く行く 下も行く 一度おいでよ 折尾駅」
「なんぼ 別れがつらいとて 別れにゃならない 上と下」
これは1971年に折尾駅で押したDISCOVER JAPANのスタンプにあった都々逸風の忘れられない名文句だ。
今回は、蒸気が嫌というほど行き交っていた、その折尾-中間間の線路配置の現状を中心にお送りしたい。


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筑豊本線沿線の直方、飯塚などは、今では博多・福岡、北九州への通勤者のベットタウンとなっている。そのため、筑豊本線もその流れに準じた運行形態になっている。鹿児島本線の黒崎から筑豊本線、篠栗線を経由して博多に至る「福北ゆたか線」が今の運転系統だ。福岡、北九州、筑豊の一文字ずつを繋ぎ合わせた愛称名が使われている。他区間の折尾-若松間は若松線、桂川-原田間は原田線の愛称が付けられている。福北ゆたか線は電化されたが、若松線と原田線は非電化のままだ。つまり、筑豊本線というのは正式な路線名であることには変わりないが、もはや前面には出てこない隠れた名称となっている。

以前の折尾-中間間は、筑豊本線の複線と、鹿児島本線門司方面との短絡線の複線の計4線が並行する複々線区間だった。折尾から筑豊本線の上下線の南側に短絡線の上下線が並行し、両駅間の中程で、平面交差を避けるために、筑豊本線の下り線と短絡線の上り線が立体交差して、中間以西の複線区間へと接続されていた。このことをよく覚えておかないと、撮影どころか危ない目にも遭うことになった。このシリーズの前回記事 のキューロクの石炭列車は、中間から上りの短絡線に入り北九州方面に向かっている。その向こうに見えるのが筑豊本線の上り線となり、若松に続いている。今回の写真はその列車の立体交差後の後追いで、正面が折尾方向で、右が短絡線の下り線となる。撮影の立ち位置が本線の下り線の築堤となる。以前、D60の驀進シーン をアップしたが、これは現東水巻駅辺りの中間寄りの上り短絡線を北九州方面に向かっている。立体交差に備えて、左右2線ずつが距離を置き始めている。

現在は、その短絡線の2線が残され、旧本線筋の2線のレールは剥がされて空地になっている。若松線は折尾駅付近ですまなそうに平面交差の単線で分岐し、折尾駅からは再び複線に戻っている。若松側にも博多方面からの単線の短絡線があったが、こちらは僅かな痕跡を残すのみとなっている。ということで、今は完全に「福北ゆたか線」仕様の線路配置になり、電車が頻繁に行き来している。若松線に向かう列車には架線式蓄電池電車が導入され、こちらも気動車は消えている。石炭輸送の大動脈だった筑豊本線の複々線は消えていたが、沿線の街は衰退どころか、都市化が進んでいる。立体交差部の線路に挟まれた畑で農作業をされていた年配の方にお話を伺ったが、昔は家の少ない寂しい場所だったが、随分と賑やかになったとのことだ。やはり、この地域は九州の産業の中軸地帯に隣接していたことが幸いしたようだ。


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折尾の分岐 右が短絡線というより「福北ゆたか線」の本線 左の単線が本来の本線で若松方面

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折尾駅近くには西鉄北九州線の「ねじりまんぽ」の煉瓦造りのアーチ橋が残っている

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折尾近くを走る「福北ゆたか線」の下り列車 線路左手の空地が筑豊本線の旧本線跡

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かつての立体交差地点 奥が中間方面 右の築堤が旧本線の下り線

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立体交差部分 橋桁は取り払われている

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立体交差部分を往く上り若松行きBEC819系 

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立体交差部周辺の線路の間には畑がある すべてが鉄道用地ではないようだ

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最も北側にあった旧本線上り線の跡地 正面が折尾方向

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この立体交差付近には、4本の線路を横切る細い道があり、立派な煉瓦積みのトンネルも残る

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東水巻駅から折尾方面 右が下り線、左が上り線、真ん中は旧本線下り線の築堤跡


話はガラッと変わるが、折尾駅近くの堀川運河沿いの飲み屋街は昔のままだ。小さな木造酒場が軒を連ねる眺めは、洒落た新駅舎とは全くもってミスマッチだ。その昔、近くの八幡工業地帯の三交代制の工員さんたちが、朝昼晩とよく来たところのようだ。看板には「角うちできます」や「立ち飲み」と書かれた店も並び、超一流の庶民酒場だ。近くには角打で有名な宮原酒店もあったりする。所謂「せんべろ」の典型のような飲み屋街だ。ちなみに中間出身の高倉健はこの飲み屋街の道を、東筑高等学校へ通う通学路にしていたそうだ。筑豊線の線路配置などより、こちらをピックアップした方がよほど面白いと思うが、場違いなのでやめておこう。気になった方は是非実際に訪ねられてみるといい。この飲み屋街も再開発計画地区の中にあるのでお早めに。


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  1. 2017/05/21(日) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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日南の陽光

南国宮崎日南の日差しは本当に眩い
美しい海岸線を往く観光路線として走り続けて欲しい

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2017年4月 日南線 南郷

さすがは一流の南国、宮崎日南だ。4月だというのに夏を思わせるような陽光が降り注いでいる。その昔、ここ宮崎が新婚旅行のメッカだったと言われても、今の若者には信じ難いことだろう。ピークの1974年にはその数が37万組に達し、当時の新婚さんの35%をも占めた。その後は沖縄、そしてグアムやハワイなどの海外へと移り、新婚さんは日南から急激に去って行った。それが原因ではないが、日南線の輸送密度も低迷するばかりで、吉都線、肥薩線に次いで九州のワースト3となっている。すでにその数値は志布志線や大隅線の廃止時の半数ほどまでに落ち込んでいる。

昨年10月にJR九州の株式が上場されたが、これらのワースト路線が通る地元自治体がJR株式の取得に走るケースが増えている。日南市も真っ先に取得している。別にJR九州が廃止を示唆したわけではないが、遠い北の大地から聞こえてくるJR北海道の動向が恐怖感を与えているのだろう。もちろん、決議を仕切れるような株数ではないので効果の程は未知数だが、地域の要望くらいはより聞き入れてもらえるだろう。事業者と沿線自治体が連携して、よりよい方向性を見出していってもらいたいものだ。

現在、JR九州は「D&S列車」(デザイン&ストーリー列車)というブランドを展開し、観光客の呼び込みを図っている。先日お送りした肥薩線川線に新登場した「かわせみ やませみ」もそのブランドの一つだ。その先駆けになったのが、日南線に投入した「海幸山幸」だった。導入した車両には一般からも賛否両論があるが、こうして収益性の悪い路線にも積極的に新列車を投入して観光客の開拓を試みるというのが、JR九州の鉄道屋としての意気込みではないだろうか。それを可能にしているのが、好調な不動産業などの鉄道外事業の収益にあることは否めないが、これからも鉄道事業者としての意地を見せ続けて欲しいものだし、その成功を陰ながら応援したい。


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2017年4月 日南線 大堂津


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  1. 2017/05/19(金) 00:30:00|
  2. 日南線
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筑豊本線を歩く 吉田住宅は今

炭住のスラム化対策だった町営住宅
半世紀の時が過ぎ、その役目を終えようとしている

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1971年7月 筑豊本線 折尾-中間

現役蒸気機関車を撮っていた頃、九州旅行の行き帰りに訪れたのが、九州の玄関口にある筑豊本線だった。まずは飽きる程の蒸気を眺めてから九州内へと向かい、最後の煙分補給をして九州を後にしたものだ。特に鹿児島本線からの短絡線のある折尾-中間間は、変化のある複々線が人気で、多くの方々が訪れた筈だ。両駅間の中程に線路が立体交差する場所があり、撮影の核心部だった。そして、その線路脇に当時としては洒落た白いコンクリート造りの集合住宅が並んでいたことを記憶されていることだろう。今回のお題はこの集合住宅だ。このブログを始めた頃、こんな眺め をお伝えしたこともある。

この住宅のことを水巻町誌などで調べて行くと、筑豊特有の意外な成り立ちが浮かび上がってくる。水巻町には、日本炭鉱第一礦の閉山直前の1966年には、所謂炭鉱住宅区が12箇所あったそうだ。当時折尾から水巻と芦屋の炭鉱に伸びる日本炭礦専用鉄道が走っていたことをご記憶の方もおられよう。日炭第一礦の閉山によるスラム化対策のため、その炭住のあった吉田地区に、国の支援による「住宅改良事業」を適用して、1969年にこの「吉田町営住宅」が建て始められた。つまり、この写真を撮った2年前までは、ここには木造長屋の鄙びた炭住があったということだ。

吉田地区には1988年に東水巻駅が設置され、現在では公共施設も整った交通の便のよい場所になっている。駅周辺には博多や北九州への通勤者と思われる方々の一戸建てがびっしり並び、新興住宅街の側面もある。吉田住宅は今もその姿を残しているが、老朽化が酷いため建替計画があり、殆どの住民は既に退去している。ほぼ廃墟化した団地は、治安も悪くなっているという。ただ、栄えていた時代の炭鉱社会の心地よさが忘れられなかったのか、ここに長年住み続けられた方が多かったという。この住宅が建て替えられた時、筑豊からまた一つ炭鉱の残渣が消えることになるだろう。


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東水巻駅 上下線の線路幅だけでこれだけある

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駅周辺には一戸建てがびっしりだ

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折尾に向かう上り列車と線路脇の吉田住宅

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以前の記事のハチロクを撮ったのはこの場所か?

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住宅は2階建てのメゾネットタイプで、1階に台所、トイレ、風呂がある 広さはおよそ40平米だ

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殆どが空き家で、ドアのベニヤの破れが、何とも侘しい

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桜が咲いたが、もう愛でる人は殆どいない


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  1. 2017/05/17(水) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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川線の印象 雨降りの川面

激しい雨に球磨川が煙っている
川線を往く翡翠のヘッドライトが川面に輝いた

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2017年4月 肥薩線 海路

海路とは面白い集落名と駅名だ。大河の球磨川に由来するものだろう。因みに小海線にも千曲川沿いに「海」の付く駅が4駅もある。その一つの小海が路線名にもなっている。球磨川は急流として知られ、八代と人吉を結ぶ水運は、1600年代の開削工事によって初めて可能となった。それ以降、球磨川が人吉の発展に貢献してきたことからも、その流域に海路という集落があるのも頷ける。肥薩線が開通し、両岸に車道が整備されると水運は衰退し、現在は観光用の舟下りの川になっている。

この区間の対岸からの撮影はなかなか難しい。現役蒸気の時代もそうだったが、バックの深い緑に列車が沈んでしまう。そういう意味で、この3月改正で登場した「かわせみ やませみ」も強敵だ。深い青と緑を基調にしているので、気象条件のせいなのか、川の宝石というには程遠い。ここ海路にはよく知られた俯瞰場所もあるが、この天候では選択肢にはならない。苦肉の策のヘッドライト撮りと相成った。この後にやって来た普通列車の白い車体が、この時ばかりは天使の羽衣のように思えた。

この日は明け方から、雨もまたよしなどと言ってはいられないほどの大降りだった。球磨川の川面も白く煙っていた。人は濡れても乾かせば元に戻るが、カメラはそうはいかない。それなりの雨対策はしているつもりだが、そんなことが心配になるような降り方だった。「待てば海路の日和あり」なんて諺があるが、この場合どういう解釈をつければいいのだろうか。天候の回復を辛抱強く待てということか。それとも、辛抱して撮っていれば必ず幸運に恵まれるということか。後者を信ずる他あるまい。


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  1. 2017/05/15(月) 00:30:00|
  2. 肥薩線
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駅舎の灯 千綿 18時06分

どんよりとした空模様の一日が終ろうとしていた
海辺の駅舎にも優しい明りが灯った

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2017年4月 大村線 千綿

大村線に早岐の美しいシゴナナの牽く客レが走っていた頃の、1928年に建てられた初代駅舎をご存知の方には、ちょっと不思議な風景に映るかもしれない。実は、1993年に旧駅舎をイメージして、再び木造で建て替えられている。その際に、駅舎のダウンサイジングと地盤のかさ上げがなされている。旧駅舎よりこぢんまりとした、今では調度いい大きさかもしれない。「青春18きっぷ」のポスターにも登場し、今や押しも押されもしない人気の海の見える駅の筆頭格だ。

無人駅化してから、この駅舎の所有者は地元自治体の東彼杵町だ。町のHP にもちゃんと駅の紹介が載っている。千綿という駅名は合併前の千綿村からきている。活気をなくしていく駅の再生策の公募で選ばれたのがデザイン事務所「UMIHICO ウミヒコ」だったわけだ。デザイン事務所に再建やその運営を任せるのも善し悪しだが、千綿はまずは成功といったところだろう。一昨年カフェも併設され、翌日の仕込みをされていたのか、カレーの良い香りが漂っていた。

訪れたのは、調度そのマシマ・レイルウェイ・ピクチャーズのポスターが撮られた時間帯だ。綺麗な夕日に染まる海と空をお見せしたいところだが、そうは問屋が卸さない。狙い目の快速長崎行きの国鉄急行色のキハ66が定刻に通過していくが、相変わらず生憎の空模様だ。晴れの日もあれば、雨降りの日だってあるさ。与えられた条件下で、その風情を何とか引き出したいのが、写真屋の願いだ。どんよりとした空の下、ゆっくりと静かに光を失ってゆく或る日の千綿駅をお楽しみいただければ幸いだ。


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  1. 2017/05/13(土) 00:30:00|
  2. 大村線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

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