今夏小海線に観光用の改造車両がお目見えする
そのコンセプトは、どこかで書いたことのあるフレーズだ

2016年4月 小海線
今夏のJR東日本の信州ディスティネーションキャンペーンに合わせて、小海線に登場する「のってたのしい列車」の車両愛称が、先月JR東日本 長野支社から発表された。その名は「HIGH RAIL 1375」ということで、1375 はもちろんJR最高地点の標高だ。車両コンセプトには「天空にいちばん近い列車」とある。むむ。これはどこかで書いたことがあるようなフレーズではないか。当ブログにお出でになる方ならピンとくるだろうが、小海線の空をテーマにした「天空の時間 空に一番近い列車」と題するシリーズだ。
「天空に一番近い」をネット検索すると様々な文言がこの後に続く。世間一般に広く使われているフレーズだということだ。そのために、駅舎の灯では頭に「天空の時間」と付けてみた。試に、JRのコンセプトの「天空にいちばん近い列車」で検索すると、天空の時間が一番にヒットする。次に「いちばん」を天空時間の漢字の「一番」にしてみると、JRが先で、駅舎の灯はぐっと後の方に下がる。グーグルでもヤフーでも同じだ。いったい検索エンジンのアルゴリズムはどうなっているのだろうか。
ふと、先日の「北辺の機関車たち」復刊の記事を書いていた時のことを思い出した。出版前に著者の御三方は、廣田尚敬さんのお宅に、あることをお願いに行ったという。当時、廣田さんには「蒸気機関車たち」と題する写真展があり、著書名の一部を「機関車たち」とすることのお許しを乞いに行ったそうだ。もちろん、廣田さんの答えは決まっている。後輩たちを優しく励まされたという。
命名に際してネット検索をするのは今では常識だ。かなり汎用的な表現でもあり、オリジナリティー云々などはさておいて、こちらもそれなりにない知恵を絞っているわけで、同じ道の関係者なら何か一言くらいという思いも湧いてくる。ましてや、当ブログは長野支社の小海線と飯山線をホームグランドにしているので尚更だが、そこは辺境のサイトの悲しいところだろうか。46年前の大学生の律儀さに、清々しさを覚える管理人だった。
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- 2017/03/30(木) 00:30:00|
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夜の帳が降りて来たが、プラントが眠ることはない
ホームに明りが灯り、製紙工場の夜が更けてゆく

2017年2月 岳南電車岳南線 岳南原田
この鉄道を訪れた最大の目的は工場夜景にあった。工場夜景ブームは2008年に神奈川県の川崎から巻き起こったとされている。高度成長期には公害都市と言われ、お隣の横浜に比べて圧倒的に観光資源に乏しい川崎市が、逆転の発想から取り組み始めたのが工場夜景の観光化だった。その後、ブームは全国に広がった。日本五大工場夜景として、室蘭、川崎、四日市、北九州、周南が挙げられるようになり、ここ富士と尼崎は、それに次ぐ場所とされているようだ。工場夜景の愛好者からは「工場萌え」なる言葉も生まれている。
鉄道に日本三大車窓があるように、夜景の分野にも日本三大夜景があり、函館、神戸、長崎の三か所ということになっている。何れもが港町だ。新日本三大夜景や夜景100選なども加わり、根強い夜景人気があることが窺われるが、この「工場夜景」はその延長線上にはないような気がする。巨大コンビナートのもつ非日常的な重厚な機能美は、生活の光である街の夜景とは、異なる性格のものだろう。何れにしても、観光客相手の薄っぺらな商業施設には踊らされない本物志向の人たちが、ここでも増えているということだろう。
民間の日本夜景遺産事務局が、日本夜景遺産の認定を行っているが、「岳南電車(岳南鉄道)」もその遺産の一つで、唯一の鉄道施設ということだ。暗くなってくると、沿線には三々五々カメラマンが現れるが、多くが「工場萌え」に鉄道を絡めようとする工場夜景趣味の方々で、鉄道趣味からは少数派だ。ただ、製紙工場の夜景はあまりぱっとしない。川崎や四日市の石油化学コンビナートの眩い照明を期待していたが、どうも事情が違うようだ。カメラの感度アップで施設を浮き上がらせる作戦にでたが、敢え無くセンサーの限界となった。
これで「岳鉄駅巡り」を終わります。

岳南原田

比奈

比奈

岳南富士岡
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- 2017/03/28(火) 00:30:00|
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現役時代の蒸気機関車を追いかけていた世代が、今次々と還暦を迎えている。あちこちの蒸気ブログに「還暦」という文字を見かけるようになった。1960年代の半ば頃に「SLブーム」という現象が巻き起こった。そのブームの絶頂期の団塊の世代は、10代の中高生だった。消えゆく蒸気を求めて、夜行列車で北へ南へと旅立った。中高生が単独で冬の北海道に向かうことなど、今では考えられないことだ。まだまだ社会が、素朴で、親切で、安全で、寛容だった時代で、そんな世相に助けられて、少年たちの我武者羅な旅が、1975年のSL全廃まで繰り広げられた。
そんな、ブームの真最中の1971年8月に、この「北辺の機関車たち」は出版された。そこにある北海道の凍てつく原野は、多くの若者たちのハートを鷲掴みにした。そして、少年たちの北海道詣が加速することになった。折しも山線のC62重連が終焉の時を迎えており、ツバメマークを一目見ようと、我先に青函連絡船で津軽海峡を渡った。このカバーを飾る音威子府のC55に逢おうと、日本最北端を急行利尻で目指した。そうこうしながら、この写真集は何時しか蒸気ファンのバイブルとなり、そのファンと共に46年という年月を重ねてきた。
そして、2017年、遂にファンの願いが届き、「北辺の機関車たち」は復刻されることになった。
この写真集の原本の定価は¥1,500だった。当時、国鉄の北海道周遊券は東京発¥9,300 で、学割、冬季割引を使うと¥6,000 程で、撮影旅費とフィルム代の捻出に苦しむ中高生には、「北辺」は決して安い買い物ではなかった。キネマ旬報社の「蒸気機関車」に広告が出ていたが、泣く泣く見送った同胞も多いと聞く。そんな心残りをずっと抱えて来られた方々には、「北辺」の復刻は、還暦祝いの素晴らしいプレゼントになるはずだ。掛け替えのないあの日に思いを巡らせるのは、とても懐かしく楽しい時間のはずだ。もちろん、オリジナル本をお持ちの方は、「北辺」の進化を確かめるために、迷わず手にされることだろう。
ただ、一番お勧めしたいのは、現役の蒸気機関車を知らない、復活蒸気ファンの方々だ。もし、この「北辺」が記録写真的なものなら、こんなことは決して申し上げない。バイブルになったのには、それなりの理由がある。一枚一枚の芸術的な価値があってこそだ。やはり、先人たちの業績には、きっちり学ぶべきだ。復活蒸気の撮影地には、高価なカメラやレンズがずらりと並んでいるが、一番大切なのは撮る人の感性だ。安物フィルターの一枚分くらいの出費で、この珠玉の写真集を手元で眺められ、感性に磨きを掛けられるのだから、決して高いものではないだろう。
さて、最後になってしまったが、著者はご存知、大木茂さん、武田安敏さん、堀越庸夫さんのお三方で、大学生時代に出版されたものだ。原本の帯には、ご相談にも行かれたという巨匠廣田尚敬さんの書評がある(当時は廣田さんだった)。ここで、「北辺」の幾つかの作例をお示しすべきだろうが、大木さんのサイトでご覧になった方が的確だろう。堀越さんはといえば、ネコ・パブリッシングの「国鉄時代」で活躍されている。最新のVol.49では、その広田さんと堀越さんの記事が掲載されている。大木さん、堀越さんのサイトはリンクさせて頂いているので、そちらをクリック願いたい。
今「北辺の機関車たち」復刻版を予約すると、特典が付いているようだ。
復刊ドットコム などから予約できる。価格は¥4,320 とお手頃だ。もし、「北辺」がお気に召されたら、大木茂さんの写真集「汽罐車」も必見だ。今では、この2冊はセットもののようになっている。

大木茂さんの「汽罐車」と、現役蒸気の撮影に使っていた3台のカメラたち。今も全て完動品だ。
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- 2017/03/26(日) 00:30:00|
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岳南富士岡ではかつての電機たちが迎えてくれる
検修庫のなかには井の頭線風が顔を覗かせている

2017年2月 岳南電車岳南線 岳南富士岡
この駅の側線には、かつての電気機関車が留置されている。ホーム横という場所からみて、展示といったところだ。先日の比奈編では、狂電関人さんから「
突放の駅」でコラボいただいたが、その中で登場するED402とED403の2両もここに並べられている。それほど年月が経っていないので、直ぐにでも動きそうだ。鉄道貨物が斜陽のため、次の働き場所が見つからないのだろう。
須津寄りには、小さい検修施設がある。庫内には、ブルーグリーンの7000形が見えるが、どう見ても井の頭線で走っていた頃の再現だろう。岳鉄の電車は、全て京王線3000形中間車の改造車で、7000形のオレンジが2両、青緑が1両、2両固定の8000形が1編成の計5両と本当に小所帯だ。この井の頭線風が走っているのを見たかったのだが、残念ながらこの日は庫を出ることはなかった。
駅舎の様子から一見無人駅のようだが、高校生が多いため、朝夕のみ駅員が配置される。駅員と言っても、制服・制帽の凛々しい姿を想像してはいけない。最初は駅員さんとは分からなかったのだが、気さくな話好きのおばちゃんだった。ただ、岳鉄への熱い思いは並々ならぬものがある。何と、有難いことに、岳鉄の歴史や車両について、みっちりレクチャーを受けさせていただいた。



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- 2017/03/24(金) 00:30:00|
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日の出とともに川霧が湧き立ち一面乳白色になった
霧をかき分けて通勤列車が長野に向かう

2017年3月 飯山線
千曲川ではよく川霧に出合うことがある。なかなか晴れずに数時間が過ぎてしまうこともある。この朝は冷え込みが厳しく、千曲川からの川霧と雪面からの放射霧が混じって濃い霧が発生した。こうなったらお手上げだなどと考えて退散するほど諦めはよくない。千載一遇のチャンスとばかりに色々試してみるが、例によって失敗の連続だ。何とかそれらしい一枚をゲットしたが、どんなもんだろうか。微妙な色合いは一応それなりのモニターで調整しているが、手持ちのノートパソコンの何台かで見てみたが、見事にてんでバラバラだ。さて、皆様方のディスプレイにはどんな色で再現されているのだろうか。
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- 2017/03/22(水) 00:30:00|
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朝日が雲間から現れ、漂う霧と列車を染めた
毎日の列車の通過が、この集落の生活のリズムだ

2017年3月 飯山線
旧信越線豊野から上越線越後川口までの、31駅、96.7kmの長大ローカル線である飯山線が生き延びてこられた理由は二つある。一つは、両端の豊野-戸狩野沢温泉間と十日町-越後川口間の朝夕の利用客が多いこと。もう一つは、その中間部の戸狩野沢温泉-十日町間の長野・新潟県境一帯が豪雪地帯のため、代替えの交通機関を容易に準備できないためだ。この地域の路線バスは、上越の湯沢や六日町、秋山郷や松之山と東西に走っており、南北は飯山線に頼っている。豪雪地帯を往くが故に生き延びてきたとも云える。
さて、写真は飯山線で最も乗客の多い、長野口の千曲川の蛇行地帯だが、何故か鉄路も川も中野市の外れを通っているため、街が近く列車本数が多い割には、米作中心の風情のある農村風景が見られる。飯山から豊野までの所要は30分と、この辺りは完全に長野の通勤圏内だ。今年も厳冬期を過ぎ、南斜面は既に雪が消えかけている。雪崩などの雪害事故防止のためなのか、列車は小ピークからゆっくりと下って来た。谷合の農業集落に朝日が昇る頃、何時ものように朝の通勤通学時間を迎える。今年の雪景色ももう僅かだ。
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- 2017/03/20(月) 00:30:00|
- 飯山線
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オホーツクの流氷もそろそろ海明けの時期を迎えた
早春の陽光を浴びて、混合列車が海辺を駅を往く

1973年3月 釧網本線 北浜
釧網本線の流氷とくれば、かつてはこの北浜の海岸段丘が最もポピュラーな撮影場所だった。数多くの映画のロケ地にもなり、「オホーツクに一番近い駅」として、今は中国や韓国からの観光客に人気を博しているようだ。流氷というのは、常に風任せで移動しているもので、東風が吹けは接岸し、西風が吹けば沖に遠ざかるということを繰り返す。当時は、道内を巡業する同業者同士で、接岸状況を情報交換しながら撮影のタイミングを図っていた。例年、網走の流氷は1月下旬から2月上旬に掛けて流氷初日を迎えるが、3月も下旬になると何時終日となってもおかしくない時期となる。まもなく春一番の強い西風が吹き、一気に海明けとなる。
この写真も、悪い眺めではないと思うが、月並みであるということは免れない。定番スポットでのピカピカ状態では大した感動も湧かない。今なら、もう少しマシな時間帯やアングルを考えただろうが、当時は残念ながら定番止まりだった。以前「
釧網本線の二つの太陽」という記事で、大木茂さんのとびっきりの名作である朝日の浜小清水をご紹介したことがある。当時も浜小清水の原生花園側の段丘は気になっていたが、さすがに朝日を絡めようなどとは、全く考えが及ばなかった。今でも、未練がましく始発列車の時刻なんぞを調べてみたりもしているが、もう棚引く煙が蘇るわけでもなく、街の様子も変わってしまったので、別のアングルを探せという声も聞こえてくる。
独自色に欠けるお立ち台写真とは言え、当時蒸気を追いかけた方々には、やはり懐かしさが込み上げてくるシーンだろう。この時は「団結号」に散々泣かされたが、テンダーのスローガンは、うまい具合にドレインで隠されている。盛大な黒煙はファンに対する、その埋め合わせのつもりだったのだろうか。オホーツクの早春賦の流氷と、知床連山海別岳と、在りし日のC58の混合列車を、それなりにお楽しみいただければ幸いだ。
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- 2017/03/18(土) 00:30:00|
- 釧網本線
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南アルプスの山並みが浮き立つころ、タンカーが帰って来た
国道を行き交う車の生命線は、脇の鉄路を往くこの列車にある

2017年2月 中央東線 竜王
鉄道衰退の最大の原因は、モータリゼーションの進展にあるというのは動かしがたい事実だ。その主たる燃料であるガソリン、軽油といった化石燃料の、内陸部への陸上輸送を担っているのは、皮肉なことに鉄道だ。国道20号線を行き交う車の群れを横目に、東線のタンカー列車が信州長野から帰って来た。南アルプスの眺めが開けるようになると、列車は信濃から甲斐に入る。使命感を帯びたその姿は堂々たるものだ。国道を往く車の運転手のどれだけが、この地域のガソリンが鉄道輸送によって供給されていることを知っているのだろうか。
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- 2017/03/16(木) 00:30:00|
- 中央東線
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千曲川の朝霧が晴れて、きれいな青空が広がった
川面にその姿を映しながら、単行列車が河岸段丘を往く

2017年3月 飯山線
千曲川の段丘に沿って集落が点在し、街道が走っている。例によって鉄道は最上段に構えている。飯山線や只見線でよく見掛ける風景であり、日本の鉄道の原風景の一つではないだろうか。その集落の家並みを眺めていると、屋根に雪が残っている家屋がぽつぽつとある。数日間まとまった雪が降っていないので、大概の家では屋根の雪は落ち切っている。雪が残っているのは、どうやら空き家のようだ。写真中央の赤い屋根のお宅の一部にも雪が残っており、どうも人気はなさそうだ。
秋田出身の知り合いがいるが、彼は実家で一人暮らしの母親を、雪のシーズンだけ埼玉の自宅に住まわせるということを、もう何年も続けている。そのお袋さんも老いには勝てず、観念しているようだ。ただ、雪下ろしや雪かきが出来なくなった家の傷みは、相当に激しいとのことだ。雪国の家屋は、それなりに頑丈に建てられているが、それでも手入れを怠れば、雪の重さと湿気は容赦なく木造の家を蝕んでいく。一つまた一つと雪の消えない屋根が増えていくというのは、集落の危機を表す赤信号だ。
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- 2017/03/14(火) 00:30:00|
- 飯山線
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黄昏時、ゆっくりと列車が集落を抜けて往く
寒さが忍び寄り、車窓の灯りが暖かい

2017年2月 飯山線
薄明というのは日の出前、日の入り後の薄暗い状態を総称する言葉だが、日本語には情緒豊かな関連語が数多くある。日の出前であれば、曙、暁、黎明、東雲、払暁。日の入り後であれば、薄暮、黄昏、逢魔時などなど。英語では twilight 以外にも evenfall 、gloaming なんていうのもあるが、日本語表現の方が明らかに情緒的だ。繊細な日本人が如何にこの時間帯に多くのことを感じているかが窺える。この中には寝台特急の列車名になったものが幾つもあり、旅情を誘う言葉でもある。
さて、この日もそろそろ夕暮を迎えた。空模様を気にしながら、何時ものように朝から黄昏時は何処で撮ろうかなどとあれこれ考えていた。特に雪景色のこの時間帯は魅力的で、イメージが尽きない。列車本数の少ないローカル線では、なかなか条件が合わずに苦労するが、いくら失敗を重ねても止められないのは、日本人だからだろうか。「逢魔時」というのは、妖怪や幽霊やらに出会いそうな時間ということだが、写真屋にとっては、嵌ったら抜け出られない魔物が棲んでいるようだ。
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- 2017/03/12(日) 00:30:00|
- 飯山線
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