駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

夜明け前

東の空が薄らと白んできた
その踏切は間もなく一番列車を迎える

80007901.jpg
2016年11月 飯山線 「踏切のある風景」

今年も184本目の記事となり、無事に大晦日を迎えることができた。
思えば、今年の元旦の第1話は、飯山線の森宮野原の一番列車の待機シーンだった。
その時には、秋に飯山線に蒸気が走り、森宮野原の給水シーンを撮れるとは思わなかった。
今年の最後も、そんな飯山線の夜明け前のシーンで締めようと思う。

西洋には「The darkest hour is always just before the dawn.」という諺がある。
「夜明け前が一番暗い」と和訳されている。
辛いことを乗り越えた後には、必ずいいことがあるという格言だ。
もちちろん人生訓であるから、科学的な検証などと考えてはいけない。

数えきれない苦境を切り抜けてこられた諸先輩方には、こんな格言はもう不要かも知れない。
しかし、歳をとったらとったで、そこにもまた色々な苦境が待ち構えているものだ。
四十にして惑わず。五十にして天命を知る。とは孔子の人生観で、俗人には縁遠い迷走の日々だ。
ましてや、多感な若い方々は、ウェルテルの悩み多き毎日を過ごされていることだろう。

皆さんにとっても、小生にとっても、今年もやはり山あり谷ありの一年であったはずだ。
「朝が来ない夜は無い」。「明日があるさ」。「なるようになるさ」。
こっちの方が、しっくりくるかもしれない。居直ることだって大切な人生訓だ。
今日が皆様方の夜明け前となることを祈りつつ、2016年の「駅舎の灯」の終わりとしたい。

今年もありがとうございました。良い年をお迎えください。


70011764.jpg


スポンサーサイト

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/31(土) 00:00:00|
  2. 飯山線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

Sohya NORTH LINE

多くのファンが上り下りの最果て鈍行を待ち受ける
その最果ての地が今揺らいでいる

04403F16.jpg
1973年3月 宗谷本線 名寄

宗谷本線321列車稚内行きがC5530に引かれて、春浅き名寄駅のホームに滑り込んできた。反対側のホームには、同じく宗谷本線322列車旭川行きのC5547が既に待機している。13時、上り下りの「最果て鈍行」と呼ばれる宗谷本線を縦貫する普通列車がここ名寄駅で交換する。当時すでに殆どの旅客列車がDC化されていたが、荷物と郵便の輸送のために、全線を走破する各駅停車の客車列車が1往復だけ残されていた。それが「最果て鈍行」だった。

このC55同士の交換は、「最果て鈍行」同士ということもあって、当時多くの蒸気ファンに注目されていた。この日の午前中は、名寄本線一の橋で、天北峠を往くキューロクを撮るのに充てていたが、運悪く補機にDDが入っていたので、名寄本線を早々に切り上げ、ここ名寄にその交換を狙いにやって来た。2輌のC55をカメラに収めようと、あちこちにファンが固唾をのんで待ち構えていた。

さて、注目は2輌の機関車の間に見える雪山に並んで、こちらを窺う4名の方々だ。左端の方はビシッとトレンチコートを着込んでいる。当時は、こうしたダンディーな出で立ちのファンも結構おられた。もし、このブログをご覧になっている方が居られれば、是非ご一報をお願いしたい。写真を交換させて欲しい。反対側のシーンが何時までも気になっているし、そこにはみすぼらしい格好の若かりし頃のこあらまが写っているはずだ。


70002962.jpg
2013年11月 名寄

2013年に宗谷本線を普通列車で乗り鉄したことがある。始発で稚内を発ち、抜海でのたった1駅の途中下車だったが、名寄到着時には既に日が傾き出していた。ホームには、旭川と行き来する快速なよろ号が停車している。かつては旭川側の先で、西に名寄本線、東に深名線が分岐し、名寄機関区も設置された要衝の駅であったが、今は名寄をはじめ、宗谷本線から分岐する鉄道はその全てが廃線になり、宗谷本線がたった1本の北への鉄路となっている。一方、なよろ号の向こうに鉄道コンテナが見えるが、この駅には定期貨物列車はもう来ない。名寄はJR貨物の駅でもあるが、コンテナはトラックで北旭川へと運ばれる。「名寄オフレールステーション」なる奇妙な名称がつけられている。


70002963.jpg
キハ54の「宗谷北線運輸営業所」のシンボルマーク『Sohya NORTH LINE』

この宗谷北線シンボルマークに綴られた一つ一つの地名を思い起こしてほしい。決して剥がしてはならない鉄路であるという思いが込み上げてくるはずだ。それは鉄道ファンとしての単なる感傷から来るものではない。先人たちが遠く樺太を目指して北へ伸ばしていった道標であり、紛れもない第一級のレガシーだ。それと同時に、類い希な四季の景観をもつ観光路線としての大きな可能性も秘めている。北辺の最後の砦であり、何としても後世に譲り渡さなければならない大切な資産だ。

先日、宗谷北線が『自社単独では老朽土木構造物の更新を含め「安全な鉄道サービス」を持続的に維持するための費用を確保できない線区』という長ったらしい線区に指定され、沿線自治体との協議に入ることになっているが、地元が了承すれば廃止というのはあまりにも早計だ。国の財産という見地からは、国民目線の議論も必要だ。そもそも、赤字線を廃止するということであれば、黒字線のないJR北海道自体が廃止ということになる。赤字額から言えば函館本線の函館―長万部間が筆頭だ。路線を維持しつつ全体の赤字額の削減を模索するというのが真っ当な道だ。それでも残った赤字は、ユニセフの真似ではないが、国民一人一人が年間25円を出せば宗谷北線は維持できますが、どうしましょうかということになる。結果、国民のコンセンサスが得られなければ、その時は万事休すだ。ただ、それとは別に国鉄時代からの因習に終止符を打ち、営業権だけを民間に貸し出すという手もある。日本にも大実業家が現れだした。ビジネス感覚で社会貢献してもらうのも一興だ。


70002964.jpg
名寄駅 駅舎

よく見ると駅前にANAとJALの看板がある。これは宗谷本線にとって非常に有難いことなのだが、起点の旭川にも、終点の稚内にも空港がある。実は小生の2013年の乗り鉄の旅も、稚内空港に始まり函館空港で終わっている。北海道内の観光を考える時、最大の拠点は空港であり、新幹線などではない。稚内空港に降り立ち、利尻を遠望しつつ、風雪に耐える抜海の木造駅舎を愛で、果てしない豊富のサロベツに目を奪われる。幌延のトナカイ牧場とメグミルク工場の見学もいいかもしれない。大いなる流れの天塩川をさかなに中川温泉につかり、音威子府の黒いそばを賞味しつつ、美深の美幸線跡のトロッコ王国で遊ぶ。最後は旭山動物園と旭川ラーメンで締め括る。帰りはもちろん旭川空港だ。逆コースも作れば車輌の運行効率も上がる。美瑛のオプションもありかも知れない。ツアーにはJR東から「リゾートしらかみ」のお古でも貰い受ければいい。もちろん航空2社には冬の需要喚起のお礼に、路線の維持にも協力してもらおう。宗谷北線のシンボルマークだって、地元だけで使っていても役には立たない。東京や大阪、東南アジアの都市にばら撒かなくては意味がない。存続募金を兼ねたステッカーも売り出そう。勿論、これは絵に描いた餅かもしれない。ただ、何事も初めの小さな一歩からだ。

長々と書いてしまったが、宗谷本線の存続を切に願う者の戯言なのだろうか。鉄道ブームとやらが続いているが、多くは鉄道車輌ファンか葬式屋なのかもしれない。小生的にはちょっと寂しいところだ。宗谷北線が消えることにでもなれば、驚くほどの人々が我先に訪れることになるだろう。しかし、それまでは只の閑散路線だ。仮に、この線区を保存鉄道に出来るようになったとしよう。その時、どれだけの好き者が集まるのか。まあ、趣味の世界の話なので、他人がとやかく言うことではないが、とにかく「宗谷本線を守ろう」という世間の声が高まってほしいと願う年の瀬だ。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/29(木) 00:30:00|
  2. 宗谷本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

山線の秋 遥かなる鉄路再び

木々の夕日の陰が、徐々に二股の線路を覆ってゆく
すっかり残照が消えたころ、下り3番列車が小樽へと向かう

80007656.jpg
2016年10月 函館本線 二股

「山線の秋」の最終回も二股で締めたい。小生はこの眺めがとても好きだ。列車を長く愛でられるからだろう。本当は長い編成の列車の方が楽しめそうだが、今となっては単行でも仕方あるまい。この直線の向こうから列車が現れるのを待つのは楽しい時間だ。北の大地の広さを感じながら、日の傾きに連れて、木々の陰が伸びてゆくのを眺めるのは、気を揉む時間帯でもある。この先には103レの有名撮影ポイントの二股川の橋梁もあり、昔も今も沈みゆく夕日に一喜一憂する場所だ。春編の際には、まだまだ日は残っていたが、11月近くになれば、夕日は山入端に消え、夜の帳が降りてくる。下りの3番列車となってしまった夕暮れ時の単行が、一路小樽へと向けてひた走る。

先日、4か月振りに台風災害による不通が続いていた石勝線・根室本線ルートが復旧し、札幌と帯広・釧路を結ぶスーパーとかち・スーパーおおぞらが運行を再開したが、その傍らで留萌線の海岸部は終焉の日を迎えた。相変わらず路線の集約化が進む北の大地だが、返済不能の山の借金を抱えてしまった日本。国も道も市町村も金がないとなれば、どうしたもんだろう。昨日も東京五輪の開催経費の分担を巡って揉めていた。保存鉄道が生れるほど、役所が柔らか頭でもなし、本当に困ったものだ。

それでも、何時かまたこの場所に立てることを切に祈って、「山線の秋」を終わりたい。


80007640.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/27(火) 00:30:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

Tokyo Night Sight 秋葉原界隈

師走の夕暮時、東京下町に街の明りが灯りだした
トライアングルを行き交う列車が、そろそろラッシュ時間を迎える頃だ

EM02180.jpg
2016年12月 総武本線 浅草橋


内山田洋とクールファイブの1976年のヒット曲に「東京砂漠」というのがある。

♪空が哭いている 煤け汚されて
♪ひとはやさしさを どこに棄ててきたの

♪ビルの谷間の川は流れない
♪人の波だけが黒く流れて行く

さらに、1979年にはクリスタルキングの「大都会」というのもヒットした。

♪交わす言葉も寒いこの都会
♪これも運命と生きてゆくのか

♪裏切りの街でも俺の心に灯をともす
♪わずかな愛があればいい

東京というのは、血も涙もない裏切り者ばかりが巣くう、水も淀んだ汚い場所ということなのか。何か、東京とその住人に恨みでもあるのだろか。東京の片隅とは言え、都民の日には「カッパのバッジ」を付けて、上野動物園に遊びに行った者としては、まったく失敬な歌だ。隅田川にはカッパだって棲んでいたというのに、川は流れないとは何事か。まあ、人間性など関係なく、あまりの速さで進んだ東京への一極集中が、押し寄せる人々の心を蝕んでしまったということだろう。

そんな嘆きの歌謡曲がヒットした時代から40年、東京はどんな街になったのだろうか。空は青さを取り戻し、川はアユが遡上できるまでになった。そこに暮らす人々の心も、晴れやかになってくれていればいいのだが、やさしさや、おもいやりはまだまだのようで、相変わらず満たされない心は揺れ続けている。何時の世も人の悩みは尽きないものだ。

その東京にも今年もクリスマスがやってきた。街は40年前にはなかった洒落たクリスマスイルミネーションで飾られているが、柄ではないので、昨年と同様に東京の夜景をお送りしたい。今回は、鉄道集密地帯の下町秋葉原界隈の師走の夕暮れシーンだ。この界隈で毎晩繰り返される夜景は、生活感溢れる街の灯だ。やはり、おじさんたちの聖夜は、イルミネーションよりもビルの窓明かりの谷間に潜む赤提灯といったところだが、今年はちょうど日曜日だ。今日くらいは家庭サービスとういのも、穏やかな正月を迎えるためにはいいかもしれない。ささやかながらメリークリスマス。


EM02187.jpg


EM02194.jpg


EM02196.jpg


EM02199.jpg


EM02203.jpg


EM02207.jpg


EM02208.jpg


EM02211.jpg


EM02217.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/25(日) 00:30:00|
  2. 総武本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

山線の秋 ニセコ アンヌプリ

そろそろ紅葉も終わり、冬の気配が忍び寄ってきた
単行のキハが、静々とニセコ連山の裾野を巡って往く

80007616.jpg
2016年10月 函館本線 ニセコ

ニセコアンヌプリは、美しい響きの名を持つ標高1308mのニセコ連山の主峰だが、その名が登場するのは明治期のことのようだ。その語源にはいくつかの説があり、和製アイヌ語という説もある。近隣にはワイスホルンといった、アイヌ語とはまったく縁のない名の頂まであり、山々の語源については、謎多き山塊だ。標高がそれ程高くもなく、優美な独立峰もないため、連なる小峰の名前が正確に伝承されることはなかったのだろう。何はともあれ、ニセコアンヌプリは結果オーライの命名だろう。

一方、「ニセコ町」は、細川たかしの出身地である「真狩村」から独立した「狩太村」が改名したものだ。駅名も、北海道鉄道開通時には「真狩駅」であったものが、まず「狩太駅」に改正している。しかし、どうしても、もっと垢抜けた駅名が欲しい観光業者が中心となって、別のアイヌ語起源の地域名を用いた「ニセコ駅」への改称を国鉄に働きかけたが認められず、ついには改正の要件である町名改名にまで至ったという経緯がある。そんな訳で、観光地「ニセコ」の名は漢字表記されることもなく、世界的なスキーリゾート地として、海外にも広く知れ渡ることになった。地名に賭ける地元の執念の勝利だろう。



さて、いよいよ年も押し迫ってきたので、年を越してまで「山線の秋」ではないので、ここらでシリーズを端折ることにしたい。折角用意した写真なので、今回は準備していた二話分の写真のみを追加してみる。どんな記事を書こうとしていたかはご想像にお任せしたい。


[山線の秋 蘭越 跨線橋再び]


70011080.jpg


70011087.jpg



[山線の秋 ニセコひらふ リゾートの秋日]


80007601.jpg


80007606.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/23(金) 00:30:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

山線の秋 目名 峠路

細く頼りない鉄路が、目名峠へと続いている
2番列車が、もう日が傾きだした峠を越えて行く

80007634.jpg
2016年10月 函館本線 目名

国道5号線のライブカメラなどを見ると、20日夜の積雪量は目名峠56cm、倶知安峠72cm、稲穂峠40cmと、そこそこの積雪になっているが、路面はきれに除雪され、車は順調に流れている。噴火湾岸の長万部は薄らだが、目名峠から先の小樽、札幌方面は一面の銀世界だ。今頃は、山線のキハも、雪煙を上げ、雪まみれになって健気に走っていることだろう。いよいよ厳冬期に向けて、寒さが厳しくなっていくが、どうも今年は勝手が違うようだ。季節外れと付く寒さと暖かさが交互にやって来る。今週の週間天気予報には、札幌や釧路に雨印が付いている。さて、次にはどんな寒波がやって来るのだろうか。

今春のダイヤ改正で、長万部―蘭越間に7往復あった列車は、4.5往復に大幅削減され、通学特化の限界ダイヤとなってしまった。途中駅の2013年の一日乗降客数は、二股、蕨岱が0人、熱郛、目名が各4人、黒松内でも114人と、全部足してもニセコの256人の半数にも満たない。確かに存続が危ぶまれる厳しい状況だ。一方、道路の方に目を向けると、2009年に黒松内新道なる5.1kmの無料自動車専用道が、国道5号線の一部として、北海道縦貫自動車道から黒松内市街へ開通した。こちらの総費用は全額国費の225億円で、通行量は一日たったの367台(2010年)だが、評価書では対費用効果は問題なしになっている。まったくこの国の交通行政は、利権が蠢く伏魔殿だ。


80007623.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/21(水) 00:30:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

冬木立の高原

冬枯れの木立の中を、ゆっくりとキハが高度を上げてゆく
観光客が去ったこの時期こそ、青い空のお薦めのシーズンだ

70011841.jpg
2016年12月 小海線

早いもので、今年もあと10日あまりを残すのみとなった。八ヶ岳山麓も冬枯れとなり、観光客の姿もめっきり減って、静かな季節を迎えている。あちこちの家の煙突から、微かに薪の匂いがしてくるのも、冬を感じられていいものだ。葉を落とした林は明るいもので、木漏れ日の中を、乾燥した落ち葉をカサカサと踏み分けて、撮影場所を探すのも楽しいものだ。笹薮の中には、鹿や猪の獣道が縦横に伸びているので、昼間の道を利用させてもらっている。林の中からの小さな抜けを丹念に探すのもよし、俯瞰の大場所を見付けに大胆に尾根や斜面に取り着くのもよし、冬枯れの季節は、新しいアングル探しの大切な季節でもある。

土曜日の朝、小淵沢で新宿発のスーパーあずさ1号、土曜・休日運転の千葉発のあずさ3号が接続する225Dが、観光客を乗せて高原へと登って来た。冬にしてはまずまずのお客さんだ。この地は以前から夏場だけの避暑地と呼ばれてきた。あの手この手で、冬季の集客に努めてきたが、そう甘くはない。あの清里も、今でも夏場と冬場は別世界だ。そうそう、清里と言えば、萌木の村の「ロック」が今年8月8日に全焼してしまった。すぐに仮設キッチンで営業再開したが、12月18日からは清里ピクニックバスから借りた冬季休業中のバス2台が仮店舗になっている。ロック再建への応援に、冬の清里にロック名物のカレーとビールを堪能しに出掛けてみるのは如何だろうか。


70011863.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/19(月) 02:00:00|
  2. 小海線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

山線の秋 余市 琥珀の香り

かつてニシン漁で栄えた町は、ウイスキーの町へと変わった
フルーツランド二木町を過ぎれば下り列車は余市へと入る

70011122.jpg
2016年10月 函館本線 二木 余市川橋梁

日本のウイスキーの父と呼ばれるマッサンこと竹鶴政孝が、1934年に創業した「大日本果汁株式会社」が、このニッカウヰスキー北海道工場・余市蒸留所の出発点になる。気候が適していたとも、安価な土地と労働力のためとも言われている。社名は「日果」が「ニッカ」に転じたということだ。一方、この余市に北海道鉄道の鉄路が敷かれたのは1902年のことで、1905年には現在の函館本線に相当する函館-旭川間が開通している。さらに青函連絡船が就航したのが1908年なので、マッサンの時代には、既に東京、大阪から鉄道を辿って余市まで行くことが出来た。日本のスコッチウイスキーの蒸留の歴史は意外と浅く、日本初の蒸留所は、鳥居信治郎が竹鶴とともに1924年に完成させた大阪の山﨑蒸留所だ。

ニッカと言えば、あのブラックニッカのグラスをもって微笑む恰幅のいい髭のおじさんだが、いったい何者なのだろうか。どうやら、ニッカのデザインを一貫して手がけた大高重治の「キング・オブ・ブレンダ―ズ」という作のようだ。愛好家からは「ローリー卿」と呼ばれ、17世紀のイングランドの冒険家ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh)とされているが、以前公式サイトでは、ウイスキーのブレンドの重要性を説いた19世紀スコットランドのW・P.・ローリー(William Phaup Lowrie)という説をとっていたらしい。というのも、前者はスペイン入植地での略奪の罪で斬首刑になっているため、少々体裁が悪いのかもしれない。ところが、今はその記載は見当たらない。何れにしても分らないということだ。

それにしても、このところの日本ウイスキー人気は凄いことになっている。今や世界最高峰と言われるサントリーとニッカのウイスキーは海外で大人気だ。国内でのマッサン、ハイボール人気も加わり、とうとう品切れ品まで出る始末だ。蒸留所のキャパは限らており、正統なスコッチは蒸留から製品化まで最低でも数年は掛かる。直ぐには増産できず、じわじわと値段も上がっている。高値となった希少銘柄の多くは、隣の大国に流れているそうだ。竹鶴政孝という人は、根っからの生真面目職人で、一切の品質に関わる妥協を許さない堅物として伝えられている。そういう損得に惑わされない一途な人によって今の人気はつくられた。さて、マッサンはこの大人気をどうみるであろうか。小生の家の近くには、サントリーの白州蒸留所があるが、今年に入りウイスキーの工場見学が有料になってしまった。理由はツアーのリニューアルと言っているが、試飲もタダでは駄目ということだろうか。


70011127.jpg


70011131.jpg


70011132.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/17(土) 00:30:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

豪雪地帯を往く

間もなく豪雪地帯に白い冬が訪れる
飯山線は89年もの間、この集落を見守り続けてきた

70011705.jpg
2016年11月 飯山線

気象庁の統計に歴代全国ランキングというのがある。その最深積雪の1位は意外にも滋賀県伊吹山の1182cm、2位は青森県酸ヶ湯の566cm、そして3位は只見線は上条駅近くの新潟県守門の463cmとくる。さて、飯山線沿線を探してみると、4位の津南416cm、6位の十日町391cm、11位の野沢温泉353cmと20位以内に3ヶ所がランクインしている。北海道では17位の倶知安312cmが最深だ。如何に只見線、飯山線の沿線をはじめとする新潟県各地が、豪雪地帯であるかがわかる。同時に、道路事情が悪かった時代には、鉄道が冬の生命線であったことも窺い知れる。

写真のC11は、まさにその最深積雪第4位の町から第6位の町へ向けて進行中だ。線路の前には豪雪地帯特有の構造を持つ家屋が、寄り添うようにして立ち並んでいる。刈り取られた田圃や柿の実、色付いたイチョウの葉が、冬が近いことを告げている。雪に閉ざされる季節には、家々が助け合いながら遠い春を待ったに違いない。社会インフラが整った今でも、その思いは受け継がれていることだろう。鉄道への慈しみも一入のはずだ。そんな日本の美しい里には、やはり小さな汽車が良く似合う。都会のコンクリートの中で耐え凌げるのも、こんな故郷に出掛けることが出来るからだろう。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/15(木) 00:30:00|
  2. 飯山線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

山線の秋 倶知安峠 落葉舞う

ニセコ連山から続く尾根上にその峠はある
何時かこの峠に挑む第三のニセコを見たいものだ

80007591.jpg
2016年10月 函館本線 倶知安峠

山線に来ると、どうしてもこの場所に一度は足が向いてしまう。春編でもアップした倶知安峠のこの二つの見慣れた場所だ。何故か、羊蹄を背景に頂く峠の麓の踏切付近は、紅葉が終わり冬枯れの様相で、白樺の幹の白さが際立っていたが、峠の上では錦が盛りを迎えていた。何だかんだと、今年の紅葉もそれなりになった。列車が落葉を巻き上げて、ゆっくりと峠を越えて行く。何度見ても飽きの来ない光景だ。日本海からの冬の雲が、スポットライトの晴れ間とともに足早に流れていく。どんな写真になるかは、まさに風任せだ。

この北四線踏切は、C623ニセコの時代の最も有名な撮影地の一つだったが、C62重連時代の103レでは、夏の一時期を除き、日没後の暗闇で撮影どころではなかった。頑張っても上目名辺りまでで、倶知安では停車中のかま替えをバルブで撮るのがお決まりだった。二つの輝かしいニセコ時代をもつ山線のC62だが、その後C623は苗穂工場で眠りについたままだ。JR東日本に譲渡されていれば、今頃は上越線辺りを走っていたのだろうが、北のJRは手放さなかった。山線経由、上野発札幌行き、函館本線内C62牽引なんて列車を運行すれば、恐ろしいほどの人気になるだろう。二つのJRの間でのそんな第三のニセコのコラボは夢物語なのだろうか。

一方、山線のキハ40は何所に行ってしまったのだろうか。山線での冬季積雪期の単行運転が厳しいこの車種は、やはりこの路線ではお荷物だったはずだ。列車本数の削減に際して、他線へと去って行ったのかも知れない。1年半前の春編の時には結構姿を見せてくれたが、秋編ではこの画がキハ40登場の唯一のシーンとなった。偶然にも後追いを狙っていたのが幸いだった。多分、これが山線でのキハ40との別れになるだろう。車輌という観点からは、また新しい時代となるが、もうそんなことを言ってられない局面だ。


80007575.jpg


80007582.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/12/13(火) 00:30:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

最新記事

最新コメント

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

カテゴリ

小海線 (103)
飯山線 (20)
宗谷本線 (13)
天北線 (1)
興浜北線 (1)
深名線 (1)
石北本線 (7)
渚滑線 (2)
湧網線 (1)
相生線 (2)
釧網本線 (3)
根室本線 (2)
池北線 (1)
広尾線 (2)
留萌本線 (7)
札沼線 (1)
函館本線 (36)
室蘭本線 (7)
千歳線 (1)
日高本線 (3)
江差線 (11)
大湊線 (4)
津軽鉄道 (1)
五能線 (2)
八戸線 (3)
花輪線 (1)
三陸鉄道 (2)
釜石線 (8)
秋田内陸縦貫鉄道 (2)
由利高原鉄道 (1)
米坂線 (2)
磐越西線 (1)
日中線 (3)
只見線 (43)
真岡鐡道 (14)
東北本線 (1)
総武本線 (1)
中央東線 (3)
東海道本線 (2)
八高線 (8)
秩父鉄道 (7)
西武池袋線 (1)
西武山口線 (1)
江ノ島電鉄 (10)
箱根登山鉄道 (3)
御殿場線 (2)
岳南電車 (6)
中央西線 (1)
関西本線 (2)
宮津線 (1)
山陰本線 (22)
播但線 (1)
姫新線 (3)
津山線 (1)
芸備線 (6)
木次線 (1)
三江線 (3)
山口線 (5)
日豊本線 (14)
筑豊本線 (8)
日田彦山線 (2)
後藤寺線 (1)
田川線 (2)
唐津線 (3)
松浦線 (3)
佐世保線 (1)
大村線 (1)
長崎本線 (2)
久大本線 (4)
豊肥本線 (2)
高森線 (2)
肥薩線 (17)
くま川鉄道 (1)
日南線 (2)
指宿枕崎線 (2)
写真集・書籍 (4)
鉄道模型 (1)
ご挨拶 (0)
はじめまして (3)
未分類 (0)
宮之城線 (1)

写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

こあらまへのメール

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

ご来場者累計

RSSリンクの表示

QRコード

QR