駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

稲穂が香る小海線Ⅲ

この小海線からポニーが消えて何年経っただろうか
ひょっとすると、塚本氏がもう一度復活させてくれるかもしれない

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2016年9月 小海線

昨年は小海線全線開通80周年の年だった。記念事業の一環として、小海線とC56のエキスパートである塚本和也氏の写真展が、長野県南牧村の主催で「美しき郷土小海線よ永遠に」と題して開かれ、好評を博したことは記憶に新しい。その塚本氏が今度は、「南佐久小海線まつり」に合わせて、東京西荻窪の自宅の庭先で保存していた泰緬鉄道へ出征したC5626の動輪と関連機器を南牧村に寄贈し、その贈呈式があのDD16の旧型客車が運行された7月30日に野辺山駅前で行われた。また、それに合わせて氏の写真を用いた記念切手シートも発行されている。長野県南牧村にあるのは野辺山の1駅だが、小海線への入れ込みは、沿線随一かもしれない。

塚本氏は小海線のC56の写真家として余りにも有名な方だが、C56の研究家としても数々の業績を残されている。C56は1-90号機の90両が、タイ・ビルマ・マレーシアの南方戦線に送り込まれ、日本軍に従軍した。タイへ渡った罐は泰緬鉄道で運用されたが、その多くが戦争の犠牲になっている。その出征機関車の調査と帰還事業に尽力しているのが塚本氏だ。氏は昭和40年代に自ら現地調査を行い、多くのC56を発見している。靖国神社で静態保存されている31号機。大井川で動態保存されている44号機。部品だけでの帰還となった26号機。氏が見つけ出し帰還させたC56たちだ。その研究成果は「遥かなりC56」に編纂されている。

塚本氏の本業は、写真家でもC56研究家でも文筆業でもなかった。慶応義塾を卒業、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の大学院を修了され、日本の高度成長期を支えた鉄鋼建材メーカーの日本ビティ取締役、住友鋼材工業参与を歴任されたバリバリの鉄鋼屋だそうだ。鉄と鉄、何とも意味深い仲のようだ。この辺りに氏の出征機関車C56への強い思い入れの根源が隠されているのかもしれない。それにしても、写真集を出版し、数々の写真展を各地で開催し、小海線の無煙化後に時の国鉄総裁を動かし一時期とはいえ「高原のポニー号」を復活させ、タイからはC56を帰還させ、氏のC56への思いは並々ならぬものがある。大井川鉄道に続き、今度は本命の小海線でのポニーの完全復活を画策しているのかもしれない。何時までも、お元気で活躍され続けてほしいものだ。


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  1. 2016/09/30(金) 00:30:00|
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八高線から蒸気が消えた日 「46年前の“今日”へ」

尾花の咲く頃、一声の汽笛を響かせて、さよなら列車が去って行った
その日、小生の八高線の蒸気時代が終わった

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1970年9月27日 八高線 折原-竹沢

46年前の今日は月曜日だった。通学にせよ通勤にせよ、月曜日の朝はあまり気分のいいものではないが、その日は特別に憂鬱な月曜日だった。前日の日曜日に、八高線で高崎第一機関区のさよなら運転があったからだ。通い慣れた八高線の無煙化は結構堪えた。今でいえば八高線ロスといったところだろうか。普段から不真面目な生徒だったが、この日は尚更だった。もう、日曜日が来ても八高線がないかと思うと、授業など上の空だった。それまでも、小海線や米坂線、中央西線などへの夜行日帰りには出掛けていたが、それはあくまで特別な日であり、西武池袋線一本で日常的に行くことが出来た八高線は本当に有難い存在だった。

この翌週には八高線での八王子機関区のさよなら、翌々週には東京駅までやってきた高島線のさよならと続いたが、この一連のさよならで脳に異変を来したのか、フィールドを全国に広げ、我武者羅な体力任せの無宿撮影旅が始まった。周遊券代と僅かな食費があれば、時間に追われるように旅に出ては、腹を空かせた野良犬のように歩き回った。後から苦しめられることになったが、フィルムはコダックがいいことは分っていたが先立つものがなかった。フィルムの質より旅に出ることが優先された。今となっては、そんな蒸気の追っ掛けに、どれだけの意味があったかを、問うてみてもしょうがないが、少なくとも放浪めいた金欠旅の経験は、その後に大きな影響を与えたことは確かだ。それだけでも、十分に意味があったということにしておこう。

さて、写真の方はさよなら重連客レの高崎への帰りとなる。行きはD51、帰りはC58が先頭に立った。ヘッドマークを付け、熱狂する多くのファンを乗せた旧客を引いている。その日は高崎第一機関区が一般公開されていたので、撮影後、高崎第一まで行ってみた。記憶ではD51、C58、C12が展示され、その日の牽引機のD51631が転車台に乗っていた。高崎操車場で入換をしていたキューロクの姿は見当たらず、巨大な扇形庫の賑わいは既に過去のものとなっていた。現在は、高崎第二機関区がJR貨物の高崎機関区に、第一機関区がJR東日本の高崎車両センター高崎支所になっている。復活蒸気のC6120、D51498、C58363もここの所属だ。かつて八高線の蒸気が屯した機関区は、復活蒸気の基地として再利用されている。

翌週の八王子のさよならは、飾り付けや塗装がけばけばしく、天候にも恵まれず、あまりいいものではなかったので、この日が気持ち的には最後の日となった。小生が最後に撮ったのは、もちろん後追いだ。これだけ見ればイベント列車の騒々しさは無い。蒸気の向こうには茅葺の古民家も見える。尾花の咲く頃、一声の汽笛を響かせて、小生の八高線の蒸気時代が終わった。


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  1. 2016/09/28(水) 00:30:00|
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稲穂が香る小海線Ⅱ

新幹線が通じて、佐久から東京の通勤も可能になった
新興住宅街をバックに、稲穂を縫って小海線が往く

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2016年9月 小海線

小海線沿線の水田風景となると、佐久地域がメインだ。山梨側は小淵沢の大カーブ辺りだけで、その先は林間の高原地帯になるので田圃は殆ど望めない。ただ、佐久側も寒冷な中山間地の田が年々減っている。佐久広瀬では次々と高原野菜への転作が進み、馬流では田を潰して大規模なソーラー発電所を建設している。他の地域でも、ぽつぽつと休耕田が目立ち始めた。代替わりなどの際に、手間の掛かる稲作を止めてしまうケースが多いという。

佐久は新幹線の佐久平駅が出来たことで、新たな商業地が出現し、移住者も増えたことで有名な処で、新幹線効果が顕著な数少ないケースとなった。東京まで1時間20分のため、下手に東京の私鉄沿線などに住むより、安価で自然豊かな住環境と、快適な通勤が得られるという訳だ。ただ、勤務先が新幹線通勤費を支援してくれるかどうかが分かれ目になる。東京までの定期代の月額¥132,830 を自腹で負担できるのは、やはり退職が目前に迫った田舎好きなおじさん達だろう。

この画のバックの住宅群は、千曲川の河岸段丘の南斜面を切り開いて造られた新興住宅地だが、どんな方がお住まいかはよく分らない。ここから東京へは2時間少々掛かるので、佐久か小諸辺りへ通勤される方だと思うが、東京も無理とは言えない時間だ。鉄道ファンに人気の山梨側の小海線では、こんな風景は見られないし、こんな写真を撮ろうと思う人もいないだろう。しかしながら、小海線が存続していられるのも佐久があっての物種だ。新幹線の佐久平駅にも感謝しないと罰が当たる。とは言え、小諸の賑わいが佐久に移っただけという分析もあり、なかなか事情は複雑だ。


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  1. 2016/09/26(月) 00:30:00|
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帰り路のキューロク


夕日の向こうからキューロクの単機回送が下りてきた
今日の任務を終えて塒の西唐津に帰る穏やかな時間だ

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1971年7月 唐津線 中多久

先日のキューロクの日には、唐津線の石炭列車をアップしたが、その際に唐津線の画をもう一枚用意していた。同じ場所で、反対方向から来る単機回送を狙ったものだ。その時の記事にも書いたが、唐津線の多久越えでは一部列車に後補機が付いていた。そんな路線では単機回送がしばしば見られた。ただ、絶気で坂を下りてくるのが恒例であり、あまり画になる存在ではなかった。この日は、珍しく薄い煙を吐きながら坂を下りてきた。夕日の向こうに浮かんだキューロクの丸い姿は哀愁を帯びていた。多分、補機仕業を終えて西唐津の塒に帰る途中だろう。何とも穏やかな一日の終わりだった。右の方のネガの擦り傷が少々消し切れていないが、その辺はご勘弁を。


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  1. 2016/09/24(土) 00:30:00|
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稲穂が香る小海線Ⅰ

今年も田圃の稲穂が黄金色に色付いた
季節の変わりを告げるように、空には絹雲が漂いだした

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2016年9月 小海線

今年はとにかく天候が安定しない。ここに来て雨が多くなり、台風まで来るようになったので、稲刈りが遅れている地域が多い。自家用米のバインダー刈り天日干しの分はまだ作業が出来るが、出荷用のコンバイン刈りの分は何ともならない。コンバインの場合、稲穂がしっかり乾燥していることが条件だ。無理やり作業をすると「脱稃(だっぷ)」という籾殻の脱落を招き、肌ずれや胴割れを生じ、等級が下がるか最悪売り物にならなくなってしまう。

大まかに、稲はコンバインで刈取りと脱穀が同時になされ、籾の状態で収穫される。次に、これを十分に機械乾燥させた上で籾すりをして、玄米とし低温保存倉庫に寝かされる。最後に、消費者への出荷前に白米に精米されて家庭に届く。ということで、コンバインでの脱稃は避けなければならない。一方、よく田圃で籾殻を焼いている風景を見るが、あれは天日干しの籾すりをその場で行い、籾殻を焼いて肥料にしてしまおうという手筈だ。稲架(はざ)掛けの風景は、かなり少なくはなってきているが、決してなくなることはないだろう。何故なら、ひと手間掛かっても天日干しの方が格段に美味いからだ。ただし、そんな旨い米は一般には流通していない。農家が天日干しするのは、大概専用の田で作られる自家用だけだ。

何とか今年も黄金色の田圃を撮ろうと、雨の合間の晴れ間を見つけて、小海線の撮影に出てみた。黄金色の最盛期にはちょっと早かったが、少しは初秋の風景にはなったと思う。これから何回かに分けてアップしたい。その後も天候がすぐれず雨が続いている。一昨日は台風崩れの温帯性低気圧も通過している。10年程前だったと思うが、その年も秋の長雨が酷く稲刈りができず、結局台風で穂が落ちてしまうという最悪の事態になったことがある。佐久の田圃がどうなったのか気掛かりだ。


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  1. 2016/09/22(木) 00:30:00|
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DD51の時代

国鉄の動力近代化の波が、八高線にも押し寄せてきた
完全無煙化を前に、既にDD51の牙城と化していた

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1970年9月 八高線 毛呂

1960年に国鉄の動力近代化計画がスタートした。要は蒸気機関車を電車やディーゼル車に置き換える無煙化を意味した。幹線においては電化が進められ、東北本線、奥羽本線、羽越本線、常磐線、総武本線、信越本線、中央西線、篠ノ井線、北陸本線、山陽本線、呉線、鹿児島本線などが次々と全線電化され、大型蒸気が消えて行った。そして、電化計画の無い路線については、あらゆる路線に対応すべく、軸重の異なるDD51、DE10、DD16といった凸型ディーゼルが開発、投入された。厳しい峠を有する輸送量の大きい線区から始められ、じわじわと全国に広がって行った。ついに1975年の年の瀬、夕張線のD51を最後に本線上から煙が消え、そして翌1976年の春に追分の入換用のキューロクが火を落とし、国鉄の近代化計画が完了することとなった。

1962年から、大型蒸気の老舗でもあった日立製作所、川崎車両、三菱重工業で製造が開始されたDD51だが、いよいよ1970年に入り八高線にも投入が始まった。八高線は都心迂回の輸送ルートの役割に加え、高麗川のセメント会社の原料・製品輸送もあり、一日に20本程の貨物列車が組まれていた。輸送には、八王子、高崎第一の両機関区のD51、C58がその任に当たり、大宮のキューロクも川越線から乗り入れていた。東飯能-高麗川間の鹿山峠、金子坂などの勾配のため、八王子-高麗川間のセメント列車は、多くで重連での運行となっていた。DD51への置き換えは、1970年の春頃から始まり、その年の10月改正で完全無煙化となった。

この日は朝からD51を待ち続けたが、撮影対象の10本程の貨物列車のうち、蒸気で来たのは午前のたった2本だけだった。八王子寄りは既にDD51の牙城と化していたので、ちょっと足を延ばして、ここまでやって来たが、やはりDD51の勢力拡大は着実に進んでいた。諦めムードの中、こんな写真をとっている。画の手前は日立製の686号機で、1970年2月20日に高崎第一に送り込まれた最初の刺客だった。500番台と言われるSG付、全重連タイプの標準的な機体で、八高線では通年スノープラウを付けていた。この日のネガには、DD51重連やDD51とDE10の重連も写っている。DD51重連の機関士目線の画まである。今の凸型DDファンが見たら生唾ものだろうが、その時の蒸気ファンにとっては本当に悲しい一日だった。こうしてDD51の時代の幕開けとなったが、小生にとっては、この日が八高線最後の蒸気定期列車の撮影となってしまった。そして、悲運にも貨物列車の時代は足早に過ぎ去り、686号機は1987年に僅か17年の車齢で、一度も転属することなく高崎第一で廃車になっている。


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  1. 2016/09/20(火) 00:30:00|
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砂原線紀行 その6 尾白内・東森

噴火湾の向こうに夕日が沈もうとしている
残念ながら列車は暫くなく、駅舎を眺めてその日の終わりとした

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2016年7月 函館本線 尾白内

砂原線紀行も最終回となった。車両趣味の方々には、少々つまらない内容で申し訳なかったが、生きていられるかは定かではないが、何十年か経って見直したとき、結局目に留まるのはこういう駅風景だったり、人の営みだったりするものだ。勿論人夫々だが、小生的には過去から学んだ教訓の一つだ。今回は残念ながら夜間撮影は出来なかったが、過去に列車の車窓から暗闇に浮かぶ怪しげな駅舎を何回も目撃しているので、次回は何とかしたい。鬱蒼たる樹海も広葉樹が主体なので、冬場には抜け場所が必ず現れるはずだ。また、なかなか感覚的には納得できないのだが、この東森から砂原にかけての海岸では、夏場には噴火湾の向こうに沈む夕日が眺められる。地図で確認してみれば納得なのだが、ひょっとすると夕日が撮れる場所も潜んでいるのかもしれない。色々と思いを巡らせると、次への期待は尽きることはない。

ご覧の通り、北海道を代表する幹線の一つである函館本線ですら、函館から少し離れてしまえば、地域内輸送は先細り状態だ。既にバイパス線の藤城線と砂原線はJR貨物の専用線化が進んでいる。それでもバイパスの必要性があるらしく、途中駅の無い藤城線にもJR北海道は普通列車を運行させている。もし、北海道新幹線が札幌まで延伸されると、本当に新函館北斗-小樽間の函館本線自体が消えてしまうのだろうか。この普通列車の運行状況を見ていると、そのことが現実味を帯びてくるから恐ろしい。こうやって、敢えてローカル線の窮状をお伝えしているのも、今の日本の最大の懸案である少子化を止めるということと、地方の過疎化を止めるということとは、同義語のような気がしてならないからだ。新幹線の開通で地域が衰退するようなら、何かが間違っている。 一般の普通の道民は、北海道新幹線の開業をさほど喜んではいない。それよりも普通列車の削減に明らかに憤っている。それが新幹線のせいとなると尚更だ。以前、北海道には、立派な道が出来ると、そこの集落が消えるという言い伝えがあった。また、それの繰り返しのような気がするのは、小生だけではないはずだ。


[尾白内]

この駅もかつては相対式2面2線に、鹿部と同種の立派な木造駅舎があったが、JRへの継承に際して有蓋車改造の駅舎となった。貨車改造駅舎は北海道でよく目にする味気ないものだが、廃品利用の上、頑丈な鉄の箱だけあって、倒壊する心配もなく、手入れも殆ど要らない。JRにとっては願ってもない経済的な駅舎だ。道内に貨車駅舎が幾つあるか数えた方がいるが、2012年現在39駅あったそうだ。うち36駅は、初めからドアも窓もある車掌車をそのまま利用しているが、残り3駅は有蓋車に手をいれて駅舎化している。旧江差線・現函館いさりび鉄道の釜谷、函館本線の二股とこの尾白内ということだ。数少ないタイプのようなので、折角だから内部をお見せすることにしたが、ご想像の通り、四角四面の殺風景な箱だが、意外と簡素で清潔な感じだ。夜が近づき、明かりが灯ったが、一日乗降客数は0人。森に行くのであれば3.4kmしかないので、何時来るかわからない列車を待つくらいなら、自転車でとっとと走って行ってしまった方がよっぽど手っ取り早く、経済的、健康的でもある。


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[東森]

いよいよ今シリーズ最後の駅となった。ここまで来るともう森の街中といっていい。貨物取扱時代を偲ばせる長い駅ホームには、1962-10の竣工とあるから国鉄時代のものだ。ちょっと先で駒ヶ岳廻りと合流しており、特急が行き交っている。渡島海岸鉄道が出来た頃、森駅への乗り入れが許されず、ここが始発であったそうだ。今旅をしていて、駅が荒らされているのを見ることはまずない。どんな無人駅でも壊れてなどいないし、掃除がきちんとされており、トイレだってきれいなものだ。ところが、一昔前にひどく荒廃していた時期があった。それは駅に限ったことではなく、落書きや放火、設備や備品の破壊などがひっきりなしに起きていた時代で、時の若者の仕業とされていた。現在は改装されて何事もなかったようだが、この東森も酷い状態だったようだ。今は物わかりのいい若者ばかりになったのか、そんな惨状を見ることは無くなったが、それだけ世知辛い世の中になり、憂鬱が内面化したということだろう。逆に凶悪な事件は増え続けるばかりだ。公共財に八つ当たりしろとは決して言わないが、若者が存分にむしゃくしゃする気持ちを発散できる場が必要だ。森駅まで1.8km。いよいよ駅の利用価値は低くなってしまう。一日乗降客数は0人。


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これで、「砂原線紀行」を終わります。


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  1. 2016/09/18(日) 00:30:00|
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砂原線紀行 その5 掛澗

日暮れが近づく頃、今日3本目の下り列車が到着した
函館発の帰りの高校生列車は3両編成と長い

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2016年7月 函館本線 掛澗

当たり前のことと思っていたので説明が遅れてしまったが、現在の砂原線の9駅は全て無人駅だ。信号場だった渡島沼尻は別として、近年新設の初めから無人の流山温泉を除く7駅については、貨物、荷物を取り扱う有人駅だったが、1971年に池田園、銚子口、掛澗、尾白内、東森が、1984年に鹿部、渡島砂原が無人化されている。最後まで残った2駅に、往時の板張りの木造駅舎が残っているが、無人化からすでに30年以上が経っている。

変わって駒ヶ岳廻りだが、こちらには大沼公園、赤井川、駒ケ岳、東山、姫川の5駅がある。大沼公園駅は観光地大沼公園の玄関口のため有人駅であるが、業務が委託されており、JR以上に融通の利かない管理状態なので、撮影には要注意の駅だ。他の4駅は無人駅だが、ともに元信号場だった東山と姫川の2駅は来春の廃止が予定されている。実際に現場に立ってみると、廃止も止む無しの感が強い。国鉄の信号場をJRが駅に昇格させた意気込みは買うが、やはり無理があったということだろう。

この他にも、合わせて桂川、北豊津、蕨岱の3駅も廃止予定で、今春の鷲ノ巣の信号場化も合わせると、函館本線から6駅が消えることになる。ちなみに、函館本線の函館-長万部間の2014年の営業収益45億6,600万円、営業費用88億4,800万円、営業損益▲42億8,100万円、営業係数194という数字をJR北海道が公表している。他のJRはこういった数字を明らかにしておらず、東洋経済が試算を記事にしているが、JR北海道は厳しい台所事情をアピールするためなのか、路線や駅の廃止を正当化するためなのか、路線別の営業収支を公表している。


[掛澗]

掛澗は砂原の一集落だが、当て字的な地名と思われるが、その由来の調べがつかない。砂原の3漁港の一つの掛澗港があり、釣り人からはチカとイシモチの釣り場として知られている。この駅も長い交換設備があり、往年の活況の時代を思わせる。ここの駅舎も有人駅時代は、鹿部や砂原と同じ造りだったらしいが、今はサイディング張りの小さな建屋に建て替えられている。夏の日暮れが近くなって、今日3本目の下り列車が到着し、数人の高校生が降りて来たが、こちらは函館の高校からの帰りだ。例によって一般の利用客はいなかった。一日乗降客数は24人。


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  1. 2016/09/16(金) 00:30:00|
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砂原線紀行 その4 渡島砂原

駅だというのに線路の先には森が続く
海沿いに続く集落以外は駒ヶ岳の広大な樹海だ

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2016年7月 函館本線 渡島砂原

昭和初期、国有鉄道の森から砂原に至る渡島海岸鉄道が開通した。沿岸の漁港から当時重要なタンパク源だったイワシを積み出すのが大きな目的で、順調に輸送量を増やしていたが、1945年に函館本線の勾配緩和の迂回路として国有化された。もし、その国有化が無かったら、渡島海岸鉄道が現在まで生き延びてこられただろうか。結果はやはり否だろう。現在北海道の私鉄は、釧路の太平洋石炭販売輸送のみで、それも貨物専用だ。その他のJR線以外は、今年発足した唯一の第三セクターの函館いさりび鉄道、札幌の市電・地下鉄、函館の市電だけだ。数多くの炭鉱鉄道も、兵どもが夢の跡となった。今もこの砂原一帯の主産業は、掛澗、砂原、沼尻の3漁港を持つ沿岸魚業とブルーベリー栽培だが、魚種はイワシから、時代とともにホタテ、サケ、バカガイ、スケトウダラなどに変遷している。

この区間も、今年の北海道新幹線の開業に合わせて、普通列車の本数が減らされている。JR北海道の説明では、キハ40の老朽化対策が出来ないための措置だそうだが、沿線住民の顰蹙を買っていることは確かだ。渡島砂原駅の時刻表をみても、日中に7~8時間の空白の時間帯があり、完全に通学時間帯に特化したダイヤ編成になっている。下りは朝1本という貧弱ぶりで、道立森高等学校の始業時間に合わせたものだ。買物や病院通いは函館なので、これで十分と判断されたようだ。時期が時期だけに、新幹線の赤字の穴埋めと思われてもしょうがあるまい。


[渡島砂原]

千葉県の水郷の街として知られ、小江戸とも呼ばれる佐原(現香取市佐原)には、成田線(旧成田鉄道)に1898年開業の佐原駅が在る。音読みが「さわら」と同じこちらの砂原(現森町砂原)は、頭に国名を付けて渡島砂原となった。元は渡島海岸鉄道の砂原駅で、現在の国道が線路跡だが、函館本線に編入される際に線路が山側に付け替えられ、駅名も改称された。こちらは鹿部とは違い市街地からそれ程離れていないので自転車通学が多くなる。駅前に停めてある自転車の数で、通学生徒の数は概ね察しがつく。夕方、森の高校から生徒たちが帰ってきたが、全国どこへ行っても同じような風体の生徒たちが降りてくる。良きにつけ悪しきにつけ、日本が平準化したということだろう。何回か長万部から函館に向かう砂原廻りの普通列車で、この生徒たちに遭遇したことがあるが、一般客がほとんどいない車内は、さながら彼らの遊び場と化していた。スクールバスならぬスクール電車といった様相だった。もちろん、静かに読書や勉強をする生徒もいるにはいたのだが、概してはしゃいでいるのは男子生徒ばかりだ。一日乗降客数は1992年には228人あったが、20年程で4分の1の52人になっている。人口が拮抗する鹿部の半数だ。駅の花いっぱい運動も寂しげだ。


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  1. 2016/09/14(水) 00:30:00|
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砂原線紀行 その3 渡島沼尻

開拓農家が点在する傍らに、隠れるようにしてその駅はあった
旅人が誰も来ない駅は、地元民のみが知る駅だ

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2016年7月 函館本線 渡島沼尻

先日の台風10号や大雨の被害で、JR北海道の根室、石北、釧網、日高、宗谷の各線の一部不通が続いている。宗谷線の復旧は今週半ばになりそうだが、他の4線は復旧の目処すら立っていない。というのも、道路網も寸断されており、近づけない場所が多数残されているため、未だに被害の全容が判明していないとのことだ。根室、石北は是が非でも復旧されるだろうが、このまま運休が長引けば、運転再開したとしても乗客は完全には戻ってこないだろう。既に、道内の都市間輸送のバス便、航空便は乗客が急増し、増発もされている。今回の被害は、台所事情も人事事情も極めて厳しいJR北海道にとって、存亡の危機があるといっていい。当然、廃止候補にも上がっている釧網、日高の復旧は望み薄だろう。

一方、農業被害も桁違いの大きさになっている。農業に限らず、今回の北海道の被害では、どうしん以外には大きく報道するマスコミはいないが、帯広のジャガイモ、北見のタマネギなどが甚大な被害だ。帯広でのポテトチップスの生産が止まったというニュースがあったが、スナック菓子に留まる問題ではない。食料品価格全体の高騰を招きかねない状況だ。これだけ食の安全性が言われる時代になったが、意外と日本国内の産地には無頓着なところがある。気が付いてみれば、北海道かということがないようにしたいものだ。

ここ函館本線は台風10号の倒木などにより、新函館北斗-長万部間が4日間の運休を余儀なくされたが、現在は平常運転されている。この渡島沼尻の駅舎は、まさか台風で倒壊などしていないだろうか。下請けにせよ、こんなオンボロ小屋で保線を続けなければならない実情を目の当たりのすると、さらに北の鉄路の行く末が案じられる。


[渡島沼尻]

砂原線開通時に設けられた渡島沼尻信号場が前身で、仮乗降場として旅客も扱っていたが、JRへの継承に際して駅に昇格している。駅の周囲にはこれといった集落はなく、畑の中に開拓農家が点在しているだけで、駅への道路標識も小さく分かりずらく、仮乗降場だったことが頷ける。駅に着いてみると、やはり駅というよりは信号場の様相だ。信号場時代の年代物の建屋の一部が今も使われており、倒壊の恐れがあるのか、つっかえ棒がしてある。線路側の正面から中に入ると、様子がおかしい。事務机に石油ストーブ、灰皿がある畳敷きまであり、吸い殻もちらほら。壁には動力の配電盤もある。側線に留置されているマルチプルタイタンパーから考えても、どうも旅客の待合室ではなく、保線の詰所らしい。一旦外に出て建物を回ると、2畳程の取って付けたような待合室を見つけた。入り口に何の表示もないのは、事情を知らない旅人は来ないということだ。思わず入ってしまった詰所の内部の方が面白かったが、こちらをアップするわけにはいかない。場内の警報機が鳴りだし、DF貨物の通過を知らせる。長大編成の列車のための、とにかく長い交換設備を持つ構内に、隅田川行きのコンテナ列車が進入してきた。上り線の1両分のホームが何ともみすぼらしく見える。それでも、一日乗降客数は鹿部、渡島砂原、掛澗に次いで4番目の8人。


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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2016/09/12(月) 00:30:00|
  2. 函館本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

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写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

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