夜明の駅にも日が差し込みだし、活気に満ちた朝を迎えた
蒸気こそいないが、そこには昭和の匂いのする素朴な風景があった

1977年8月 久大本線 夜明
これまで、現役蒸気の時代とデジタルの現代画を中心にアップしてきたが、実は現役蒸気無き後の国鉄を1980年くらいまでは結構撮っていた。現役蒸気の撮影が終了したのが1975年であるから、その後5年間程だった。勿論その時代はフィルムが全盛で、コダクロームが席巻していた時代でもある。ビネガーシンドロームの追撃などもあり、とにかく現役蒸気のフィルムスキャンを優先させてきたため、なかなかその時代に到達できなかったが、やっと少しだけお見せできる状況になってきた。風太郎さんの「たまゆら」の写真展に触発されたこともあり、その時代のスキャンを急ごうとは考えているが、大した作はないので、あまり期待はしないでほしい。
現役蒸気時代にはニコンを中心にしたライカ版のみであったが、この時代には6×7のブローニー版も投入している。月並みではあるが、動きのあるもの、スナップショットなどはライカ版、風景的な静止画はブローニー版を使っていた。当然ながら、機材は大幅に増量、重量化することになったが、さすがに若さというのはありがたいもので、重いザックを担いで歩き回れたということだ。この画はその6×7版だが、ライカ版でしか撮ってこなかったせいもあり、構図の採り方が全くなっていないので、ライカスケールにトリーミングしている。このシーンのモノクロも多数撮っているので、どちらがいいか迷ったが、今回は懐かしいエクタクロームの風合いをお楽しみ頂ければと、こちらにしてみた。
画は朝8時前の通勤通学時間帯の様子だ。かつては豊後森のハチロクが引いていた朝の旧客列車は、既にDE10にバトンタッチされている。左手で排気を上げているのは日田彦山線のキハだ。現役蒸気終焉直後の全国のローカル線には、何か嵐が去った後の空虚感のようなものが漂っていた。カメラを携え撮影に訪れる若者の群れは潮が引くように去って、地元の人たちの日常を支える素朴な駅と列車に戻っていた。蒸気は消えてしまったが、それ以外の昭和の情景は、高度成長時代の波が本格的に押し寄せるまでの少しの間温存されていた。夜明の駅は、相変わらず、豊後杉の山々に囲まれた、風情のある古い木造駅舎が目を引く、とても美しい駅だった。
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- 2016/08/31(水) 00:30:00|
- 久大本線
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千曲川に沿う集落も秋の気配に包まれた
尾花が輝く路を飯山線のキハが往く

2015年10月 飯山線
二十四節季のひとつに「立秋」があるが、定気法では太陽黄経が135度のときを言い、日が決まっているわけではなく、2016年は8月7日だった。暑さが盛りの最中に、秋でもないだろうと思うが、暑さが頂点に達し、そこからは少しずつ涼しくなっていくということらしい。立秋後は「残暑」というわけだ。猛暑が続いてきた8月もまもなく終わるが、やっと秋の気配が感じられるようになってきた。栗の実も落ち始め、空には絹雲が流れ出した。白菜や大根などの秋野菜の種蒔きも終えた。秋から冬にかけては、旅をするには気持ちのいい季節だ。旅の作戦を練るのも楽しい時期になった。
今秋は飯山線をC11が走るが、どうもJR東日本の信濃川の不正取水問題が尾を引いているようだ。東京の中央線や山手線などは、信濃川発電所から供給される電力で運行されている。取水量を減らされれば、ラッシュ時の間引き運転を迫られるという。JR東日本にとって総電力の4分の1を賄う信濃川の水利権の確保は死活問題だ。それで関係自治体の矛先が少しでも収まるのであれば、飯山線に蒸気を走らせることなどお安いものだ。東日本大震災の際の福島発電所、少雨が続いた際の利根川水系のダム群、不正取水が発覚した際のJR信濃川発電所などなど。東京だけで生きていけると思ってはいけない。
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- 2016/08/29(月) 01:00:00|
- 飯山線
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矢岳越えに挑む機関助士が峠のオアシスで汗を拭っている
この後サミットの県境に向け、さらなる激闘が続く

1971年7月 肥薩線 大畑
その後の進捗状況は知らないが、2009年に熊本県人吉市と旧吉松町のある鹿児島県湧水町が、肥薩線山線に矢岳のD51170を復活させる計画を発表した時、今の時代に矢岳越えが出来る機関士/機関助士がいるのだろうかと思った。肥薩線山線の厳しさは、現在復活蒸気が走っている線区とは比べものにならない。鍛え抜かれたスペシャリストだけに挑むことが許された峻険な峠だ。本務機と後補機の4人の男たちの連携で、二つのスイッチバックとループ線を越え、幾つものトンネルを抜けていかなくてはならない。終戦直後に起きた
悲惨な事故については以前ご紹介した通りだ。そんな路線での運行はやはり難しいのか、復活計画が進んでいるという情報は目にしていない。
小生を含めた多くのファンを乗せて、人吉からの朝一番の混合列車が、朝霧に包まれた大畑に到着した。出区からたった一駅だが、本務機の機関士と機関助士は、すぐさまキャブから降りて汗を拭いだした。多分、後補機の二人組みも同じ状況だろう。機関助士氏のナッパ服は既に汗でびっしょりで、肌にへばりついている。こんな格好だが、二人の帽子の国鉄の章は誇らしげだ。先の事故の教訓として取り付けられた重油併燃装置を使った時の、ボイラーからキャブ内に発せられる熱は凄まじいという。大畑はスイッチバックの中にあるので通過することはできないが、別の意味でも停車が必要だった。乗務員は身を休め、乗客は煤けた顔を洗い、罐は給水してもらうなど、峠越えのオアシスが大畑だった。
停車時間が終わり、体を休めていた二人は再び戦時型D51のキャブに戻った。発車を知らせる汽笛がやり取りされ、ゆっくりとバック運転でスイッチバックの折り返し地点に向かう。再び発車の汽笛が響くと、今度は猛烈なダッシュが始まる。山にブラスト音が木霊し続け、遠ざかり、また近づいてくる。見上げるとループ線で高度を稼ぎ矢岳に向かう列車の気配を感じることが出来る。何時しかブラストが聞こえなくなり駅に静けさが戻りドラマが終わる。小生はループ線の撮影ポイントに向かうことになるが、霧が晴れると灼熱地獄に見舞われる。ループ線一帯には木立がなく、日向でじっと我慢することになる。夏の乗務員は重油併燃装置地獄、撮り鉄は日照りの灼熱地獄。どちらも決して楽ではなかったが、何度でも行きたい場所だった。

お知らせブログ「
風太郎のPな日々」でお馴染の風太郎さんの写真展が開かれています。いよいよ閉幕が近づき、来週29日月曜が最終日です。
ご興味のお在りの方はお急ぎください。また、週末には新宿のカメラ屋なんてお考えの方は、覗いてみるといいかもしれません。
ウェブ全盛の時代ですが、絵画にせよ、写真にせよ、本物だけがもつ真実は、何物にも代え難いものがあります。この写真展の作品は全てがモノクロです。色彩のない写真からは、見る人の中に何時しか忘れかけていた時代が蘇ります。そこに、失ってしまった大切なものや、過ぎ去った日の憧憬を見ているのかもしれません。そんな心の旅への誘いです。昭和末期の素朴な鉄道風景が、卓越したモノクロ表現で綴られた写真展です。
写真展 「 旅のたまゆら1981-1988 」 モノクロ 77点
◯ 開催期間 2016年8月16日(火)~8月29日(月) (21・22日は休館日)
◯ 開場時間 10時30分~18時30分 (最終日 15時まで)
◯ 場所 新宿ニコンサロン 新宿区西新宿1-6-1 新宿エルタワー28階 (新宿駅西口より徒歩5分)
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- 2016/08/27(土) 00:30:00|
- 肥薩線
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快速「はまゆり」がゆっくりと急勾配を降りて来た
線路際の小さなユリの花壇にはペットボトル風車が回っていた

2016年6月 釜石線 岩根橋
線路際に夏の花のユリが咲いていたが、目に留まったのはペットボトル風車の方だ。畑の周りで回っているのをよく見掛けるが、モグラや野ネズミ除けになるらしい。土に伝わる回転の振動が、敵の襲来と似ていて嫌いらしい。我が家の庭や畑でもモグラには手を焼いている。大好物はミミズで、土が良くなるとミミズが増え、それに連れモグラも増えるといった具合だ。捕獲して場外退場してもらうことも考えたが、モグラや野ネズミがいなくなってしまうのも何となく寂しい。ひょっとしたら何かの役に立っているかもしれない。何より彼らの生息は、環境が保たれているということの証だ。そんなことを考えながら、小さな住人との共存がずっと続いている。この線路端のペットボトル風車はなかなか綺麗にできている。花壇の花とも似合っている。列車の振動の方が遥かに大きいだろうから、この風車は庭のアクセサリーだろう。
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- 2016/08/26(金) 00:30:00|
- 釜石線
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既に夕刻になっているが、夏の日は長く、日暮れまでもう少し時間がある
朝夕の通勤通学時間帯には、客車を連ねた蒸気列車がやってくる

1973年7月 山陰本線 長門三隅
どうして貴重なD51客レを真面に撮らずに、悠長にDCで移動をしていたのだろうか。実はこのDCは二つ前の三見ではD51貨物とも交換している。時刻は夕方6時近くになっている。夏の日は長く、まだまだ撮影は続けられるが、次の普通列車までは2時間半程の間が空いている。どうしても明るいうちに長門市の機関区に行きたかったようだ。理由はともあれ、この車窓の眺めも悪くはない。風情のある木造駅舎に桜の大木とくれば、判で押したような日本の田舎駅の象徴だ。ホームには昭和を思わせる服装の二人のご婦人が列車をお待ちだ。もちろん、まだ無人駅などではなく、駅員氏だって二人も写っている。今となっては、下手な走行写真などよりこの方がずっと楽しめる。お手軽なスナップショットの方が良かったとは皮肉なものだ。
この春「青葉の山陰線を往く」というシリーズを長々とお送りしたが、その際には兵庫県の竹野から山口県の飯井までの行脚だった。この長門三隅は飯井の西隣の駅になる。この駅の近年の写真を見ると、大分容姿が変わってしまっているが駅舎は木造のままで、長いホームも桜の樹も健在のようだ。次回の山陰線は、この長門三隅から幡生までを予定している。それで山陰線非電化区間は完遂ということになる。
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- 2016/08/24(水) 00:30:00|
- 山陰本線
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その駅は、集落から砂利道を下った海辺にある
休日のその日は、部活帰りと思われる高校生の姿があった

2016年7月 室蘭本線 北舟岡
先日室蘭本線北舟岡駅のDF200の画をご紹介したが、この駅に寄った本当の目的は、DF貨物やスーパー北斗を撮るためではなかった。ただ、その日は、不運にも日曜日で、幸か不幸かカシオペアが運行される日だった。駅には、通過まで3時間以上もあるというのに、カシを狙う多くのファンが車で詰めかけていた。飛行機で着いたばかりという方もおられた。相変わらず凄い人気だ。彼らの被写体ではない普通列車の発着に際しては、何をしているのかホームのあちこちに出没する。駅前には車が並び、出入りも激しい。これでは到底こちらの撮影はやってられない。多勢に無勢では為す術はなく、こういう日に来たことを恨むほかない。色々な意味で人気列車をチェックしておく必要性を痛感させられた一日だった。想定していたよりかなり長いレンズで、破れかぶれで切り抜いてみた。夕日までの予定だったが、早々に海辺の駅を後にした。
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- 2016/08/22(月) 00:30:00|
- 室蘭本線
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幸福駅はあの日と同じように、ジャガイモ畑の落葉松防風林の脇にあった
静かに眠り続けるキハ22の車内には、僕らの幸せの時間も眠り続けている

早いもので広尾線の無煙化から41年、廃線からも29年が経った。あの幸福駅は一体どうなったのだろうか。幸福駅が脚光を浴びる切っ掛けになったのは、1973年3月に放送された「新日本紀行」の『幸福への旅~帯広~』とされている。愛国から幸福行きの切符は、随分な売れ行きだったようだが広尾線を救うまでにはいかなかった。廃線後も観光駅として整備されていることは知っていたが、わざわざ行くにはさすがに遠過ぎる。2016年7月、たまたま別用でこの辺りを通り掛かったので立ち寄ってみることにした。ミーハーな観光地と言ってしまえばそれまでだが、行けば行ったで懐かしさが込み上げてくる。ちょっとだけあの日が蘇るのではという思いからご紹介したい。


この鉄道公園には、線路、ホーム、駅舎、そして車番221と238の2両のキハ22と除雪用のモーターカーが保存されている。現役蒸気世代としては首都圏色が少々残念だが、嬉しいことに車内は見学自由で、あの寒冷地仕様の板張りの床とご対面することができる。駅舎は老朽化のため再建されており、少々風情の無いものになってしまっている。駅が現役だった頃は、名刺や学生証などもたくさん貼ってあったが、さすがに今は時代が時代だけに個人情報のある貼り物は見当たらない。



以前、幸福駅を往くキューロクの「
落葉松並木の道」という記事をアップしたが、その記事に頂いたくろくまさんのコメントを是非読んでもらいたい。現役蒸気を追った世代が共有する、朝の広尾線へのアプローチが生き生きと綴られている。そして、続く世代の多くの方もキハ22のお世話になっていることだろう。旧客列車は撮ることが多く、移動はもっぱらキハに頼っていたので、車内の懐かしさという点では、こちらの方が上だろう。この車内で、わくわく感一杯で目的の駅を目指し、疲れ切った体を癒し、暖を取った。今考えれば、この車内で過ごした年月は、本当に幸福な時間だった。


先日、英国の保存鉄道のことを書いたが、この広尾線の帯広-中札内間などは保存には恰好の路線だろう。十勝帯広空港までの枝線を増設し、愛国のキューロクでも復活させれば、一躍人気路線になっていたはずだ。レールが剥がされてしまった現状からの復帰は難しいだろうが、何時かまた幸福駅が本物の鉄道駅に戻れる日が来ることを期待したい。

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- 2016/08/20(土) 00:30:00|
- 広尾線
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内浦湾を望む温暖な地に、環境と福祉の伊達がある
市街地を抜けて海を横目にコンテナ列車が札幌貨物ターミナルを目指す

2016年7月 室蘭本線 北舟岡
起源は中国の長沙国湘南県にあるらしいが、日本での「湘南」の定義は極めて曖昧で、何処を指すのかは決まりが無いが、神奈川県の相模湾沿岸一帯と言っておけば文句が出ないだろう。明治期には相模川より西の地域が湘南とされ、藤沢や鎌倉は湘東とされていたが、海と太陽、若者とサザンなどの明るい観光イメージによって「湘南」という名が広く浸透するにつれ、湘南地域も拡大していった。鉄道界にも、「湘南列車」、「湘南電車」、「湘南色」、「湘南新宿ライン」など、湘南を冠する名称が多々あるが、東海道線の東京から小田原・熱海・沼津間の列車が湘南名を頂く対象となってきた。
さて、画の後ろに見えるのは、環境と福祉に取り組む北海道の伊達市の市街だ。同名市の福島県の伊達市が、伊達氏の発祥の地であるが、こちらは、その分家が治めた土地になる。駅名は、旧国鉄が重複を嫌ったため、分家は「伊達紋別」となった。紋別(紋鼈)というのは、この地が伊達になる前の地名ということだ。この北海道の伊達市は、誰が言い出したのかは知らないが「北の湘南」を標榜している。本家筋から来た者としては、どの辺が湘南ですかと言いたくなってしまうが、それは意地悪というもんだ。海辺の温暖な土地のイメージが欲しかったわけで、それだけ湘南が卓越したイメージになったということだろう。
「北の湘南」の目論見は、道内では雪が少なく温暖な土地柄を生かして、札幌などの積雪地帯からリタイア組の移住を受け入れ、その資金力によって地域経済の衰退を防ぐことにある。道産子は北海道への愛着がとても強く、道外には出たがらないので、伊達は老後を過ごすには調度良い場所として脚光を浴びた。当初は人口も増え、地域経済も持ち直すかのように見えたが、移住者が何時までも元気なはずがない。彼らに介護が必要になった時、 色々な問題に突き当たった。やはり、持続可能な社会の理想は、均整のとれた安定した年齢構成だろう。それには、若者にとって魅力のある産業が創出できるかに掛かっている。国は都市部の高齢者の地方移住を促進しているが、伊達の例からもそう上手くいくものではない。現代版楢山節考にならないことを祈りたい。
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- 2016/08/18(木) 00:30:00|
- 室蘭本線
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何時ものように大築堤に夕暮れが訪れた
繰り返される日常こそに、この場所の素晴らしさがあるのだが

2016年8月 小海線
昨年7月は「天空の時間 空に一番近い列車」を撮るために、足繁く小淵沢に通ったが、今年は新しいアイデアもなく、気が向いたら行ってみようぐらいに考えていたら、天候が安定せず、本当に撮れず仕舞いだった。撮影には不利なダイヤ改正もあり、チャンスはより少なくなった。8月に入って、夕焼けが見られるようになってきたので、何回か行ってみた際の一枚だ。日没時刻と列車の通過時刻の兼ね合いで、夏の部はお盆前には終わりになった。次は一本前の列車がターゲットになるが、一時間半程の時差があるため、秋も大分深まってからとなるので、秋空の絹雲でも狙ってみたい。
ちなみに、先日のDD16の旧客では、大カーブ内の農道に車が溢れ、警察が出動する騒ぎになったとのことだ。翌朝の返却でも、パトカーこそ来なかったものの同様の状況だったそうだ。やはり、小海線でのC56の復活は、地元住民、特に農業従事者が許さないだろう。一人一人に悪意はなくても、怒涛の集団に押し寄せられて迷惑しない人はいないだろう。そのうちブームも去るのかもしれないが、地元の方が安心できる、上手い解決策はないものだろうか。
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- 2016/08/16(火) 00:30:00|
- 小海線
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雨に煙る江の川の岸辺を縫うように、一両のキハが河口の街江津を目指す
かつてC56貨物が通ったこの鉄路も、まもなく露と消えるだろう

2016年4月 三江線 江津本町
三江線の廃止、正確にはバス輸送への転換がJR西日本から提起されてから、ウェブ上でも色々な意見が飛び交っている。まずは「地方切り捨て」という、お決まりの古典的な論評が登場するが、その一方で「とっとと廃線にすべきだ」、「反対するのは地方の我儘だ」、「廃止に反対する人が経営すればいい」などと、これまではあまり表面化しなかったような主張が散見される。三江線については、初めから地域間、地域内の旅客輸送の役目を果たせなかった鉄道だ。赤字の垂れ流しは、結局は誰かの財布に響いてくる。費用対効果が儘ならない路線の存続は、社会的にも批判される時代になった。
さて、そうなるとローカル線が生き延びるには、観光路線化ということになる。ムーミン、トーマス、くまもん、ガリガリ君、なんちゃって新幹線などなど、各地で色々なチャレンジがなされているが、一にも二にも話題作りということになる。従来以上に、ビジネス感覚と情報発信力が求められる。こうなってくると、旅客輸送を主とするユニバーサルサービスのJRの範疇ではなく、やはり第三セクターということになるだろう。いすみ鉄道の鳥塚氏のような優秀な経営者を発掘し、勝負に出るといった気概と算段がなければ、やはり代替えバスを受け入れるしか道はないだろう。
小生が残念に思うのは、日本に「保存鉄道」という概念がないことだ。撮影対象になるかどうかはさておいて、鉄道を残す手法としては最終手段といえるだろう。元祖のイギリスでは、100を超す路線の総延長700km程の鉄道がまるごと動態保存され、500両を越える動態保存車両が活躍している。観光客向けの蒸気列車がメインだが、路線によってはディーゼルで旅客輸送まで行っているというから勇ましい。さらに廃線の復活計画もあり羨ましい次第だ。保線から運行までの全ての作業が、主にボランティアの手に委ねられている。自己責任の精神が貫かれており、免許などは必要ないため、点検や運転までもをボランティアが担い、蒸気機関車の体験運転だってある。税制上も優遇されていることは言うまでもない。日本人なら安全性を気にするところだが、事故は極めて少なく、全く問題にならないという。それはそうだろう。鉄道を心から愛する人たちによって運行されているのだから、手抜きなどないのだろう。免許はあっても魂のないJR北海道とは訳が違う。あの「機関車トーマス」の著者ウィルバート・オードリー牧師も、元祖保存鉄道のタリスリン鉄道に深く関わっている。ここのナローの蒸気もいい感じだ。興味のある方は
この鉄道のホームページ を是非覗いてみてほしい。鉄道会社顔負けの内容だ。運転本数やイベント数の多さにも驚かされる。英国人が心底鉄道好きなのが伝わって来る。日本ではイベント列車の撮影が過熱気味だが、「今週末は息子と一緒に留萌保存鉄道で機関士なんだ。」なんていう会話が聞かれるようになってほしいものだ。
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- 2016/08/14(日) 00:30:00|
- 三江線
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