定刻遅れで通過の「富士」のタブレットが交換された
少しでも遅れを取り戻そうと、駅員が懸命に走る
1973年8月 日豊本線 日向沓掛
九州熊本・大分の震災から二週間が経った。余震が続き、眠れぬ夜が続いている。ゴールデンウィークに入り、多くのボランティアが被災地に向かっているという。高度に分業化、IT化された社会は、人との関わりは希薄だ。その隙間を埋めるためなのか、被災者相手のボランティア活動が盛んだ。ただ、豊かさと便利さの上に築かれた被災社会を復興させるのは、やはり資金と物量だ。篤志家ボランティアの労務提供だけでは到底成し得ない。そこにまた新たな軋轢が生じる。豊かさというのは何処までも酷なもので、人の心を冷たくさせるものなのかもしれない。
すでに日が傾きだした日豊本線日向沓掛駅を、DF50牽引の下りの特急富士が都城方面に通過した。EF65に牽かれて東京を出発したのは前日の夕刻だ。日本最長運転の定期旅客列車は、何百という駅をやり過ごし、やっとここまでたどり着いた。20系客車の編成の一部は切り離され、こんな後ろ姿になっている。「FUJI」というアルファベットは、この地の純日本風の風景には到底似合わない。この先、西鹿児島で、1574.2kmの長旅が終るまで、もう少し南国九州の旅が続く。
この日の富士は生憎遅れを生じていた。交換のキハ10系の上り普通列車は少々待ちくたびれた感だ。富士から受け取ったタブレットを、左肩にしっかりと抱えた駅員が、閉塞解除のため駅舎へと急ぐ。遅れを1秒でも取り戻そうと、思いっきり本気走りだ。この時代、働く人の多くは、社会貢献なんて気の利いたことは考えていなかった。細やかな生活を維持するために、誰もが懸命だった。与えられた任務を愚直なまでに遂行することだけを考えていた。決して豊かとは言えないが、逆に人の支え合いが実感できる温かみのある世の中だった。
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2016/04/30(土) 03:08:24 |
日豊本線
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構内にタンポポが咲き、北の大沼にも遅い春がやって来た
厳しい冬を耐えてきただけに、ほっとするような眺めだ
2015年5月 函館本線 大沼公園
お知らせ 春の山陰、中国地方を旅してきました。メインは山陰線ですが、若狭湾の丹鉄、中国山地を往く山口線、芸備線、姫新線なども巡ってきました。戻ったばかりなので、画はまだコンパクトフラッシュの中です。近々に、その模様を少しずつお伝えできるかと思います。先ずは帰還をご報告します。
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2016/04/28(木) 01:15:00 |
函館本線
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この駅が最終駅になってから随分と時間が流れた
既成事実を積み重ねるがごとくに不通が続く
2015年10月 只見線
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2016/04/26(火) 01:00:00 |
只見線・会津口
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嬉しいことに、この春は久しぶりに新緑の只見線をC11が走る
秋色に続く「春色只見線」もいいものだ
2015年10月 只見線 会津坂下
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2016/04/24(日) 01:00:00 |
只見線・会津口
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山里にも花の香りのする遅い春がやってきた
梅の咲く民家の庭先を掠めるように、列車が里に降りてくる
2014年4月 小海線
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2016/04/22(金) 01:00:00 |
小海線
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鉄橋脇のお宅の庭先が賑やかになってきた
新緑が眩しい秩父路の春の一日だった
2015年4月 秩父鉄道
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2016/04/20(水) 01:00:00 |
秩父鉄道
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西日が車内に差し込み、2016年の年初めの一日が、静かに暮れようとしていた
峠のトンネルに向けて、キハのディーゼルエンジンが高鳴った
2016年1月 小海線
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2016/04/18(月) 01:00:00 |
小海線
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列車が進む先には、穏やかな日向の田園が広がっていた
それにしても、夕日に輝く九州のライトパシフィックは美しい
1973年8月 日豊本線 清武―日向沓掛
これまで何度も後追い好きだと書いてきたが、今回もこんな画なのでちょっと一言。後追いの場合、列車が向かっていく先の風景を撮ることになる。鉄道好きなら、列車の先頭の被り付きで、進行方向を眺めているのは飽きないものだろう。動画サイトには前面映像がいくらでもある。そんな、乗り鉄的な要素を持つアングルが後追いではないだろうか。線路の先がどうなっているかは興味が尽きないものだし、それが旅の動機でもある。勿論、見送るという情緒的な要素が一番大事なのだが・・・。
この画を撮ったのは、もうかれこれ43年も前のことだ。情けないことに記憶というものは、どんどん風化していくものだ。30代くらいまでは、当時のことを結構細かく覚えていたような気がするが、40代、50代と徐々に朧げになってきた。嫌なことは忘れてしまうに越したことはないが、覚えておきたいことだって例外ではない。そんな訳で、近頃はそこそこの記録を残すように心掛けている。デジタル化でExifでメタデータが残るのにも、なかなか重宝している。
43年前、日豊本線の線路端で、C57を見送ったあの夏の日のことも、細かくは思い出せない。とにかく暑い日だった事だけは覚えているが、一日の行程も簡単な撮影記録だけが頼みの綱だ。暑さに負けてバスを利用したとあるが、全く記憶に残っていない。ただ、この画を撮ったのは紛れもなく自分だ。今となっては、写真も大切な記憶の一部だろう。この日この場所で、日向の美しい夕日を眺めていたという、遠き夏の日の確かな記憶の断片だ。
お知らせ 暫く出掛けますが、休刊は忍びないので、自動更新で画だけをお送りします。
コメントの返信などは、戻ってからということでお願い致します。
この画の九州が、今大変なことになっています。自然の猛威の前には、人の営みなど、いかに脆いかを見せつけるような惨状です。公安や自衛隊の懸命の救命活動が続いています。こんな状況でもやはり日本です。暴動が起きるでもなく、被災者が助け合う様子が伝えられているのが、せめてもの救いです。これ以上犠牲者がでないことを祈るばかりです。
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2016/04/16(土) 02:11:54 |
日豊本線
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礼文華にも、水彩画のような新緑の季節がやって来た
優等列車の合間を縫って、単行キハが大カーブを渡って往く
2015年5月 室蘭本線 礼文
春の新緑の、それも始めの頃、その緑がとても淡く見える一時期がある。まるで、水彩画を見るような風景に出会うことがある。寒いような、暖かいような、北の大地で戸惑いながら進む春先の空気感がそうさせるのか。ちょっと湿り気を帯びた曇天の気怠さがそうさせるのか。それとも、北海道色のボディーカラーが醸し出した幻なのか。ファインダーの中には春の虚ろな世界があった。
ここ礼文の大カーブを訪れる方のお目当ては、大概は長い特急や貨物の編成美を、見通しよく捉えることだ。札幌と行き来する列車は、急ぎ足で脇目も振らずに通り過ぎて往く。一方、ここを通る普通列車は極めて少ない。礼文華の峠は渡島と胆振の総合振興局の境でもあり、室蘭本線の一番の秘境地帯だ。文化圏も分かれているのか、この峠を越えて行き来する地元住民は多くはない。やって来るのは岩礁海岸で大物を狙う太公望くらいのものだ。
貴重な普通列車の通過を知らせる踏切警報機が鳴りだしたが、一向に列車が現れない。何分経っただろうか。手持ちの長玉の重さがずしりと堪えてきた頃、やっとエンジン音とジョイント音が聞こえてきた。キハ40の単行は、この大カーブには如何にも小さい存在だ。車体を傾けてゆっくりと大カーブを曲がり長万部へと去って行った。まるでレイアウトを走る鉄道模型を見ているかのようだった。
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2016/04/14(木) 01:09:15 |
室蘭本線
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今年も山梨に桃の咲く季節が廻って来た
長野からの帰り路の空荷のタンカーが、足取り軽く桃源郷を往く
2016年4月 中央東線 新府
現在、桜前線が日本列島を北上中だ。各地からの桜に纏わる話題は尽きることがない。花見といえば桜だが、それも染井吉野の隆盛が続いてきたが、そろそろ樹齢的に代替わりの節目に来たという。古来より、梅や桃も愛でられてきたが、脇役的な存在に甘んじて来た。そんな中、フルーツ王国の山梨では、一面に広がる桃農園に咲き誇る圧倒的なピンクの眺めが、何よりも春を告げる風物詩となっている。県東部の勝沼や一宮辺りが見所だが、鉄道写真屋にとっては、西部の韮崎から新府、穴山にかけても目が離せない場所だ。
ここ新府も例年より早く花見の時期を迎えたが、桃はあくまで農産木のため、摘花という作業があるので、頃合いが難しい。一枚目の画の農園の方は、摘花と受粉の作業の真っ最中だ。花が少ない木があるが、摘花の済んだものは、かなり寂しい花数になってしまう。近くには、武田勝頼が真田安房守昌幸の普請で築城した、桜の名所の新府城跡もあり、一度に桜と桃源郷を楽しめる場所として人気上昇中だ。この日は、半分は撮り鉄、半分は花見と洒落込んで、貨物の時間に合わせて山を下りてきた。一時間も列車待ちをしていれば、十分花見をした気分になれるのが嬉しい。贅沢にも、桃も桜も列車も楽しめる一石三鳥だ。
さて、八ヶ岳をバックに緑のタンカーが登場した。牽引するのは「ECO POWER Blue Thunder」と呼ばれるEH200だ。日本石油輸送色の根岸のタキ1000を連ねた石油専用列車だ。タキの車台枠のない構造は、走行安定性に少々難があるということだが、荷重は45tで換算両数は積車で6.0、軸重は15tと巨大なタンカーだ。過去、山線の中央本線ではEF64の重連で運行されてきたが、その置き換えのため、この稲妻が登場した。JR東日本管轄の東線からはEF64は去ったが、JR東海の西線では何故か生き残っている。上りは長野からの帰りで空荷のため余裕綽々だが、牽引する13両のタキは、大型トレーラータイプのタンクローリー約30台分にも相当する。あの忌まわしい3.11の発生直後から、自らも大きな被害を受けたJR貨物が、被災地への磐越西線を経由した石油製品の輸送作戦を繰り広げたことは記憶に新しい。誰もが、老体に鞭打って奮闘するDD51重連には感動したものだ。鉄道網という輸送手段を確保しておくことが、防災上も重要であることが立証された一幕だった。そして、困難な輸送を成し遂げたのは、弛まない鉄道マンの心意気だった。
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2016/04/12(火) 01:27:25 |
中央東線
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