駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

江差線の春 その3 記念写真

津軽海峡を越えて、北海道にもやっと遅い春がやって来た
この年も芝桜が咲き揃ったが、江差線としての最後の花の春になってしまった

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2015年5月 江差線 札苅-木古内

木古内には薬師山という芝桜の名所があるが、この画の芝桜は個人の庭に咲いたものだ。退職されたご主人が道楽で芝桜やチューリップを植えている。国道と江差線に挟まれた狭い場所だが、国道を通りかかった人が、花を見つけて次々と見物に車を停める。名所とされる薬師山よりずっと盛況だ。庭の主のおやじさんは、年金を全部つぎ込んでいるから大変だとぼやいてみせるが、何処かご満悦なご様子だ。

我が家も山梨でのオープンガーデンを目指しているが、なかなかその日がやってこない。芝桜は好みではないが、こうして多くのお客さんを迎えられるだけでも尊敬に値する。そういえば、廣田尚敬さんと言えば、我らの不動の大先輩であるが、園芸家・エッセイストの奥さまの靚子さんは、世界的に知られたハーブ研究家だ。かの英国王立園芸協会の日本支部の理事も務められている。家の書架には「イギリス 花の庭」という奥さまの著作本があるが、写真を撮られたのは勿論夫の尚敬氏だ。

列車通過の時刻が近づきカメラを構えていると、ファインダーの中で若夫婦が子供と記念写真を撮りだした。同業者であればご遠慮いただくところだが、それ以外は有り難く頂戴することにしている。おとうさんに抱っこされた男の子は、おかあさんが頻りに気を引こうとしているが、小さなカメラより大きいカメラの方に興味があるようで、じっとこちらを見ている。そうこうしているうちに、芝桜を横目に、見納めになるやもしれない、この地のJR北海道色のキハがゆっくりと通り過ぎて行った。


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トラピスト修道院内にあるカトリック当別教会(聖リタ教会)の聖母子像

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聖リタ教会のステンドグラス


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  1. 2016/03/31(木) 01:20:53|
  2. 江差線
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江差線の春 その2 トラピストの丘

岬と入り江を繰り返し、キハ40が小さな漁村を巡って往く
静かな入り江が見える丘の上に、その修道院はひっそりと佇んでいた

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2015年5月 江差線 渡島当別

厳律シトー修道会の当別トラピスト修道院が創立されたのは1891年のことで、最寄り駅となる江差線の前身である上磯線渡島当別駅の1930年の開業よりも40年も前だ。近くの久葛登志灯台に因み「灯台の聖母修道院」と命名されている。日本には、トラピストに属する男子修道院が二つ、女子修道院は五つある。当別は男子で、函館市内の空港近くには、女子の「天使の聖母トラピスチヌ修道院」が置かれている。どちらも観光名所になっており、修道士・修道女により製造されるクッキーやバターは北海道土産としてよく知られている。とは言え、厳格な修道院であることには変わりはなく、内部は観光で入れるようなところではない。

ここ江差線は電化路線だが、JR北海道が両運転台の単行運転が可能な電車を持たないため、普通列車は函館運輸所のキハ40で運行されてきた。入り江と岬を繰り返しながら、小さな漁村を繋いでいく。渡島当別駅はトラピスト修道院の下車駅だけあって、駅舎は郵便局との合築で、修道院を模った大きなものだ。駅舎内には陶器製の聖像も安置されている。海峡線の開業に際して、待避線を長大貨物に対応させるなど、駅設備は増強され、駅舎も現在の姿に改装されたが、逆に駅員は去り、無人化された。

さてさて、江差線が「道南いさりび鉄道」に生まれ変わって、この駅はどうなっただろうか。観光地らしく、少しは賑わいを取り戻せただろうか。キハ40は国鉄からJRへ、そしていさりび鉄道へと二度目の継承となった。写す側としては、古い車両が使われ続けるのは有難いが、何時までも退役できないのも困りものだ。当別の浜には、小さな漁師小屋が並び、磯船が陸揚げされていた。どうやらこの小舟の家族には機関車好きの子供がいるらしい。船頭はトーマスのようだ。


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桜と新緑のトラピスト修道院

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トラピスト修道院の農場 土色のグラデーションが面白い


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  1. 2016/03/29(火) 01:44:31|
  2. 江差線
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江差線の春 その1 白鳥の二度目の消滅

トンネルばかりの新幹線では、函館湾に浮かぶ函館山を堪能する余裕はない
陽光が眩しい波静かな函館湾に沿って、特急「スパー白鳥」が内地へと向かう

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2015年5月 江差線 茂辺地-渡島当別 「スーパー白鳥」8連

昨日2016年3月26日、北海道新幹線が開業した。思えば52年前の1964年10月1日、初めての新幹線である東海道新幹線が開業した。「夢の超特急」と称され、大々的に報道された。その年の10月10日に開幕した東京オリンピックに間に合わせた営業開始だった。やっと我が家にやって来た白黒テレビは、団子鼻の0系新幹線を繰り返し映し出していた。昭和39年、小生が小学生の時だった。

1954年の洞爺丸事故から、本州と北海道を鉄路で結ぶことが国鉄の悲願となった。整備新幹線の策定から43年、1988年の青函トンネルの開通からも28年の時を経て、やっと開業に辿り着いた。昨日の開業の報道は、北陸新幹線の金沢開業に比べて、かなり控え目なものだった。辛口の論客もちらほら耳にする。航空各社は、函館便に値下げも減便も行わないという。特定地方交通線並になってしまった海峡線が新幹線になっても敵ではないとの認識だ。JR北海道で輸送密度を上げているのは千歳空港からの千歳線しかない。今や海峡線の主たる役割は貨物輸送だった。半世紀の時の流れは、世の中を大きく変えてしまった。新幹線で大騒ぎする時代はとうに昔話になってしまった。

北海道新幹線の開業で、海峡線の一部を成していた江差線は、函館市に本社を置く第三セクターの「道南いさりび鉄道」に衣替えした。また一つ旧国鉄の路線名が消えてしまった。電化路線の撮影は気が進まないが、昨年、春たけなわのJR江差線を少々撮影していたので、この機会にその模様をお伝えしたい。海峡線の特急は「白鳥」だったが、そもそも「白鳥」は、大阪-青森間のキハ82が元祖だ。青函連絡船を挟んで、これまたキハ82の「おおぞら」に接続する、所謂「1便接続」の看板列車だった。今回は特急「白鳥」の二度目の消滅となる。


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「スーパー白鳥」 JR北海道 789系

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「白鳥」 JR東日本 485系


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  1. 2016/03/27(日) 02:22:12|
  2. 江差線
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荷物列車の時代

夏の草いきれの中、D51牽引の荷物列車が到着し、何時ものように小荷物の積み降ろしが始まった
こんな人里から離れた山間の小駅でも、鉄道小荷物が送り出され、届けられていた

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1973年7月 関西本線 加太

今の世の中、宅配便は無くてはならない存在だ。クロネコ、飛脚、ペリカン、カンガルー、こぐま・・・などなど、選択肢も色々ある。通販が急速に広がるに連れて、宅配便もますます盛んだ。冷凍や冷蔵の取扱も一般的になった。今や、通販サイトでクリックすれば、翌日に品物を手にすることも出来る便利な時代になったが、1976年にクロネコが参入するまでは、荷物を送る手段は、郵便小包と鉄道小荷物の二つしかなかった。

現役蒸気が活躍していた時代、鄙びたローカル線であっても、多くの駅には、発券の窓口と小荷物の窓口が、隣り合って設けられていた。小荷物の窓口の向こうには、昔風呂屋にあったような秤が鎮座していた。駅舎の軒下には、小荷物を運ぶためのリヤカーが必ず置いてあった。鉄道が全盛の時代、荷物や貨物の輸送でも、大きな役割を果たしていた。

そんな鉄道小荷物の取扱が盛んだった頃、本線筋には荷物専用の列車が走っていた。夏の草いきれの中、亀山方面からの荷物列車が待避線に到着し、荷物の積み降ろしが始まった。その傍らで、編上げ靴にヘルメット姿の保線の3人組が点検作業を始めた。草むしりをしているのは、どう見てもナッパ服の上着を脱いだ機関士のようだ。夏にはこういう姿をよく見かけた。何となく懐かしさが込み上げてくるような国鉄時代の駅の眺めだ。その後、クロネコ勢力に屈した鉄道小荷物は、1986年に廃止された。加太も待避線が撤去され、駅も無人化されてしまった。

この関西本線の荷物列車41レの加太越えの姿がこちらでご覧になれます。


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  1. 2016/03/25(金) 00:36:13|
  2. 関西本線
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とびっきりの青空Ⅳ 下校の時間

その駅からは故郷の山の浅間嶺と、遠くに八ヶ岳も眺めることができる
生徒たちの下校の時間となり、とびっきりの青空も終わろうとしていた

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2016年2月 小海線

地方では、大人の移動の多くが自家用車に依っている。各家庭には、大人の人数+1台の自動車があるのが一般的だ。プラス1台は軽トラとなる。農家では軽トラは必需品だが、何かと重宝するので、農家でなくても結構お持ちだ。お父さんの車は、家族でのお出掛けも想定した普通車。残りは軽というケースが多い。街を走っているのは、多くが足代わりの軽だ。都会のレジャー用の普通車1台というのとは、大分事情が異なる。軽の自動車税が安過ぎると、昨年4月の新規登録分から増税されたが、それでも1万円ちょっとだ。地方の事情を考慮した税額だろうが、都会からは恨み節が聞こえてきそうだ。

そうなると、ローカル線の重要な乗客は、車を運転できない通学の高校生ということになる。そのため、朝夕の列車が通学時間帯に設定されている場合が多くなる。通勤の場合は、高校生のように規則的に帰宅できるとは限らないので、列車本数が少ないと、すぐに敬遠されてしまい、乗客の減少と列車本数の削減の負の連鎖で、廃線へと追い込まれていく。並行して走る立派な国道には、はるかに多くの本数の路線バスが走っていたりする。

さて、ここ佐久地方を走る小海線は、比較的恵まれたローカル線だ。小諸方面への通勤客が多く、中込-小諸間は、20往復を越える本数が設定されていて、朝晩には混雑する列車もある。この駅の傍には、県立の養護学校があり、多くの生徒はスクールバスでの送迎となるが、列車通学が出来る生徒は小海線を利用している。下校時間になったようで、生徒がポツポツとやって来た。とびっきりの青空に輝く浅間嶺をバックに上り列車が到着した。生徒たちの若々しさの余韻を残して、列車は去って行った。


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  1. 2016/03/23(水) 01:16:31|
  2. 小海線
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春の淡雪Ⅱ 雪木立

朝の一降りで、小淵沢に続く線路端の木立が雪化粧した
雪煙を上げて雪木立の中を、朝のキハが下って往った

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2016年3月 小海線

そろそろ今年の雪景色も終わろうとしている。当初は暖冬で始まったが、年明けの頃には、各地で大雪も記録した。このところの暖かさで、梅や桜の開花も例年より早い。そして、今や国民病のようになってしまった花粉症のシーズンに突入した。小生は、花粉症ではないが、どうもここ数年、春先になると瞼が重かったり、眼がショボかったり、花がムズムズすることが多くなった。生活柄、花粉塗れになるようなことがあるが、いよいよ許容限度に達しようとしているのか。

春の淡雪の二作目は木立の雪化粧だが、雪の積もり方も様々で、夫々に表情が異なる。この日は、冷たい無風の空気の中、結晶の大きい軽い雪が短時間だったために、着雪の具合が本当に淡い。それでも、春の淡雪だけに、その雪景色は儚いものだ。午後には何事もなかったかのように、昨日の冬枯れに戻った。そんな朝の幻のような光景を、ハイキーな調子に仕上げてみた。

間もなく、恒例の春のダイヤ改正がやってくる。現役蒸気を追いかけていた者にとって、「ダイヤ改正」という言葉にはとても嫌な響きがある。当時、ダイヤが改正されるというのは、すなわち蒸気がいなくなることを意味していた。ダイヤ改正が繰り返される度に、蒸気の生息域が狭まって行った。この春のJRの改正は3月26日だが、目玉は北海道新幹線の開業だろう。やはり、今になっても「ダイヤ改正」は好きになれない。


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  1. 2016/03/21(月) 03:37:55|
  2. 小海線
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日南の門デフ

南国日向灘に沿う日南線に、門デフのC11が走る
背後には、江戸時代からの特産の飫肥杉の造林が広がっている

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1973年8月 日南線 大堂津―油津

現在、大井川鐵道のC11190がイカロス出版とのタイアップで、門デフに付け替えられている。ファンからの要望もあり、現役蒸気終焉並びに大井川鐵道でのC11227の復活運転開始の40周年の企画ということだ。現役時代を九州地方で活躍してきたこの罐が門デフ化されたが、実際には190号機が現役時代に門デフを装備していたことはない。

この門デフは3月末までだが、撮らずに終わってしまいそうだ。門デフというのは好みが分かれるところで、現役時代の九州では、多くの形式で門デフ仕様があったが、細身のパシフィックのC55やC57は人気が高かったようだが、さてC11は。早岐や行橋、宮崎などで見かけた気がするが、印象が薄い。そこで、春めいてきたこともあり、九州の記録を調べていくと、門デフを鑑賞しやすい日南線の画を見つけることが出来た。白線も入って、見栄えはそう悪くない。これなら、復元も在りかと再認識した次第である。

ここ大堂津-油津の橋梁は、山側からのシルエット狙いが定番だが、へそ曲がりにも、朝の2本の貨物を海側から撮っている。もう1本の列車は、橋梁向うの砂浜から岬方向に歩いて、定番の真逆から撮っている。ところが、こちらの画の立ち位置にどうやって辿り着けたかが分からない。この画には後追いがあるので反対側も見られるのだが、どちらの先も波が叩きつける海中に没している。波返しの形状の護岸を降りられるはずがない。この真横にでも降り口でもあったのだろうか。


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  1. 2016/03/19(土) 01:09:24|
  2. 日南線
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とびっきりの青空Ⅲ 浅間嶺

浅間山の頂には噴火活動の白煙が上がっている
とびっきりの青空のもと、故郷の山をバックに小海線のキハが往く

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2016年2月 小海線

昨年、浅間山の噴火活動が活発化し、6月11日に噴火警戒レベルが「2」に引き上げられ、現在も継続中だ。この日も山頂からは白い噴煙が上がっているのを、はっきりと確認することが出来た。浅間山は世界でも有数の活火山として知られている。噴火の歴史にも暇がない。最も新しい大噴火は、1783年の天明噴火で、1624人の犠牲者をだしている。

先日も鹿児島の桜島の赤く染まった噴火の様子が報道されたが、報道する側は大事かと緊張感をもっていたが、当の地元の皆さんは、至って冷静に、何時ものことだと受け流していた。それほど、桜島は日常的に噴火を繰り返しているということだろう。このところ、各地で火山噴火が続いており、何となく不気味だ。つい先日、東日本大震災の発生から5回目の3.11を迎えたが、自然の猛威の前には、人の力はあまりにも無力だ。今、富士山が噴火したり、東海・東南海・南海地震が発生したらと考えると、恐ろしいものがある。

さてさて、本題の小海線の浅間山だが、佐久地方の八千穂辺りから終点の小諸まで、車窓を楽しませてくれる名峰だ。佐久盆地の何処からでも眺められる、まさに「故郷の山」となっている。春先の新雪で縞模様となった眺めが、一番それらしいように思える。ちなみに、「あさま」の列車名は、代々信越線の優等列車に引き継がれ、現在は北陸新幹線の長野止まりの列車に残されている。小生の記憶の中の「あさま」は、こだま型181系だ。


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  1. 2016/03/17(木) 03:10:21|
  2. 小海線
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春の淡雪 天空集落の朝

朝の一降りで、天空の集落は雪化粧した
夏場は賑わう小海線も、冬季は単車の通う路となる

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2016年3月 小海線

暖地からは桜の開花の報が伝わってくる頃になったが、やっと梅が咲き始めたこの地では、まだまだ冬からは抜け出せていない。寒い日の朝に一降りすると、ご覧のような風景に早変わりする。日が昇って来たが、気温が低いと木立の雪化粧は長持ちする。集落の杉の木がクリスマスツリーだ。ひっそりとした雪の集落に、キハの単調なジョイント音が静かに響いた。

小海線を撮っていると、色々な要素を持ち合わせているので、他線への遠征が鈍るものだ。雪もその一つだ。冬になれば雪景色を撮りたくなるのは、ごく自然な成り行きだ。一応、こんな雪景色も偶にやって来るので、まあいいかという気分になってしまう。冬の北海道とは、何もかもが違うということは十二分に解っているが、ついつい楽な方に流れてしまう。ただ、「海」という字を持ちながら、幸か不幸か小海線には海がない。今、海線への遠征を企んでいるところだ。

どうやら、この80周年のタラコは、急行色共々、次回の塗装まではこのままのようだ。この塗装の好き嫌いは別として、こういう画の時は決して悪くはない。この朝の列車は、夏季であれば2両編成だが、冬季は単車だ。小海線では、多くの列車が2両編成で、キハ111/112の固定編成も幅をきかせている。一部に1両や3両が存在し、両運転台のキハ110が欠かせない。ローカル線の風景には短い編成の方がいい。タラコの単車も遠目には可愛いものだ。


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  1. 2016/03/15(火) 01:03:14|
  2. 小海線
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珠文岳夕景

日が傾き、浜頓別から眺める珠文岳の頂が朱を帯びてきた
その山懐を目指して、チップを満載したキューロク貨物が登って往く

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1975年3月 天北線 浜頓別

日本は山国のため、多くの地域に「故郷の山」と言えるような頂きがある。ここ浜頓別の故郷の山は珠文岳だろう。写真奥の右の頂だ。浜頓別の町中からは、何所からでも眺められる標高761mの山だが、さすがは宗谷の山だけあって、頂上付近にはハイマツ帯があり、ピークには遮るものは何もないとのことだ。ただ、過熱気味の昨今の登山ブームも、ここまではその熱は伝わってこないようで、山には登山道はなく、原始のままだという。

浜頓別は、宗谷地方枝幸郡にある漁業、酪農の町だ。町名の由来は、アイヌ語の「トー・ウン・ペッ」(湖から出る川)だが、その言葉のとおり、クッチャロ湖と湖からオホーツクに注ぐ川に挟まれた湿地帯に町がある。稚内への宗谷本線は、当初この浜頓別経由で建設されたが、後に距離が短い幌延経由の天塩線が延伸され宗谷本線となった。浜頓別経由は北見線という呼称を経て天北線と呼ばれるようになった。浜頓別廻りが先に造られたのは、オホーツク側の政治力の方が強かったためと言われている。

大分日が傾いてきた午後4時前、札幌からのキハ56の急行「天北」が浜頓別に到着し、鬼志別へと去って行った。入れ替わりにキューロクの貨物列車が音威子府を目指し、夕日に輝く珠文岳の麓の中頓別へと登って往く。当時の人口は6,800と現在の4,000より多かったが、小さい町には変わりはない。駅を出発した列車は直ぐに原野へと分け入ってゆくことになる。こうした原野を延々148.9kmも走る天北線は、国鉄最長の特定地方交通線だった。続く長距離路線の名寄本線、池北線とともに存続が検討されたが、1989年5月1日、敢え無く廃線となった。


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  1. 2016/03/13(日) 01:46:45|
  2. 天北線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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