常紋越えの激務からD51が帰還した
発電機から漏れる蒸気が、まるでオーロラのように夜空に広がった

1975年3月 石北本線 遠軽
3月になったとはいえ、遠軽の夜は冷え込む。常紋から戻ったD51が罐替え中だ。ボイラーから毀れる炎が冬の花火のようだ。夜行列車を定宿にしていた北海道では、こんな機関区の夜景をよく撮った。機関区は、罐の火を夜通し守ることもあり、24時間営業で、詰所の灯りや構内灯が消えることはなかった。夜間の立ち入りも、そこそこ許されていた。夜のしじまに佇む蒸気には、昼間とは違った魅力があった。
今も「灯」をやっているが、夜間撮影が好きなのは昔からのことだ。フィルム時代は、今のように結果がすぐに見られないので、特にバルブ撮影は経験と勘が頼りで、失敗も数限りなくあった。また、フィルムは長尺を自分でパトローネに巻いていたので、現像して、何かしら画が写っていることが分った時の安堵感は忘れられない。そんなヒヤヒヤの思いは、デジタル時代になり、過去のものになってしまった。
昼間は沿線を歩き回り、夜は夜でバルブ撮影を繰り返す毎日だったが、よく体力が続いたものだ。そんな中、最大の敵はやはり睡眠不足だった。何時も夜行で長時間の惰眠を貪れる訳ではなかった。冬は夜が長いが、睡眠が十分にとれるかは別問題だった。かくして、遠軽の長い夜は更けていった。
お知らせ大木茂さんの
「モノクロームの残照」 が更新されています。
寫眞帳に「羽越本線・笹川流れ」が追加されました。皆さんご覧になりましたか。溜息がでます。
前々回のお知らせで、新津のC571、C57180、D51498のことを書きましたが、なんと大木さんが応えてくれました。
C57180とD51498が追加されました。これで、復活3兄弟の現役時代が揃いました。
直ぐに特定の罐の立派な写真が飛び出してくるのですから驚きです。とんでもない宝箱をお持ちのようです。
復活蒸気を追い求めている方々も、是非、彼ら、いや彼女らの現役時代に思いを馳せてみてはいかがですか。
大木さん、追加編をプレゼントしていただき、感謝感激です。ありがとうございます。
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- 2015/08/31(月) 00:15:01|
- 石北本線
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天空の村の夏は、高原野菜に明け暮れる
トラクターが行き交うレタス畑の中を、小海線のキハが駆け抜ける

2015年8月 小海線
レタスの栽培には、白マルチが使われる。一番の目的は、泥はねを防ぐことだ。収穫されたレタス球は畑でそのまま箱詰めされ、トラクターで集荷場に集められる。何時からそうなったのかは知らないが、主に生食用となるレタスは、泥がついていると商品価値がない。かくして、レタス畑は一面の白マルチで覆われることになった。
春先に張られるこの白マルチには、予め2耕作分の穴が開けられている。レタスの栽培では、苗を植え付けることになるが、春の最初の時には一個飛ばしで植え付け、残りが夏植えになる2回目用だ。2耕作が終わる頃には秋風が吹いている。マルチを剥がして堆肥を入れ、トラクターをかければ、早くも霜が降りる頃となり、畑での一連の農作業は終わりとなる。このサイクルが毎年淡々と繰り返される。
小海線は、こんな高原野菜の白い畑の中を駆け抜けていく。観光地ではない、生活の中にある美しい日本の風景を楽しみたい旅人には、お勧めの場所だ。高原を下れば、日本の原風景のような稲作地帯となり、秋には金色の稲原が車窓に広がる。一つの路線で色々景色が変わるのが、標高差のある小海線の楽しさだ。
お知らせ大木茂さんの
「モノクロームの残照」 が更新されました。
寫眞帳に「羽越本線・笹川流れ」が追加されました。何時もながら、見応えのある構成になっています。
サイトの表紙の画も替わっています。どういうわけか、蒸気ではなく雪の夜の函館市電です。
毎年函館市電を撮っている小生としては、感動的な作品です。まるで、タイムスリップしたかのようです。
きっと蒸気撮影中の函館での待ち時間に、湯の川か谷地頭の温泉にでも、行かれたのではないでしょうか。
勝手な想像が浮かんでくる函館市電です。
函館市電は、一昨年の2013年に、路面電車として開業100周年を迎えています。
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- 2015/08/29(土) 00:30:04|
- 小海線
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レタス畑が広がる川上村の夏
白い夏雲と畑のマルチが、青空に映える

2013年7月 小海線
ここ川上村のレタス農家で生まれた国際宇宙ステーションの油井亀美也さんが、24日に日本の無人補給機「こうのとり」のキャプチャーに成功した。暗いニュースが多い中、久々の晴れやかなニュースだった。こんな空の広い空気のきれいな場所で育った油井少年には、星空はさぞかし身近で美しいものであったに違いない。
このニュースでは、地上でこうのとりをコントロールしていた、宇宙航空研究開発機構の松浦真弓さんの笑顔も印象的だった。また、嬉しさ一杯で満面の笑顔でニュースで解説していた毛利さんが、妙に記憶に残った。夢を諦めない、子供以上に子供っぽい大の大人達が、子供達の一番の憧れであることを、改めて思い知らされた。俗世間にまみれ、純心さを失ってしまった我が身が、恥ずかしいくらいだ。
その昔、この場所でC56の野菜列車が仕立てられ、東京や名古屋方面に出荷されていた。野辺山への33‰の登りには後補機が必要だった。今も線路際には集荷場は存在するが、小海線の野菜列車はもう来ない。
お知らせ大木茂さんの
「モノクロームの残照」 が更新されました。
寫眞帳に「羽越本線・笹川流れ」が追加されました。何時もながら、見応えのある構成になっています。
特に、今回は小生好みの写真が満載で、何度拝見しても飽きることがありません。
羽越本線のC57は、何がそうさせているのかがよく分りませんが、ここの罐とすぐ分かります。
現役時代の羽越線や磐越西線をご存じない方も必見です。
ばんえつ物語のC57180はこんな場所で働いていたのです。一生を新潟で過ごした罐です。
そうそう、肝心の役者を忘れていました。遠くの山口線で活躍するC571号機。それとD51498も。
ある時期、この3両は新津の同僚機でした。C571は笹川流れにばっちり登場しています。
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- 2015/08/27(木) 00:40:02|
- 小海線
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先日、「隊長だより」の
「もうすぐ夏休み(西武山口線)」という記事を拝見し、思わずコメントを差し上げた。西武線沿線に生まれ育った小生は、当然この線にも足を運んでいる。この路線は「西武山口線」というれっきとした地方鉄道の認可を得ていたが、やはり小生の記憶の中では、ユネスコ村を走る遊具の「おとぎ電車」だ。
駅に「おとぎ電車」の看板があった筈だとお伝えすると、早速その画をアップしていただけた。インターネット時代ならではの感動ものの出来事だ。何とも凄い時代になったものだ。この記事の「もうすぐ夏休み」というタイトルも何となく惹かれる思いだった。
著者のぎんちゃんさん(ちょっと変だ。ぎんちゃんでいいのかな?)、その節は大変ありがとうございました。

1972年10月 西武山口線こと「おとぎ電車」 ユネスコ村
ユネスコ村駅でお客さんを待つKOPPEL社製の頸城鉄道2号機と井笠鉄道の木造客車だ。後方には立派過ぎる程の給水塔があり、コッペルの運行に懸ける西武鉄道の意気込みが感じられる。
車体の銘版には「ORENSTEIN & KOPPEL ARTHUR KOPPEL AG」のほか、「JAPAN」や「TOKYO」の文字が見て取れる。このコッペルの特徴的な、アラン式バルブギアをとくとご覧あれ。
この西武山口線のコッペルは、多くの方々のブログで散見しているが、蒸気ファンの遠出できない時の憂さ晴らし的な場所だったのかもしれない。しかしながら、このコッペルが現役だったころの画を、大御所の方々のコレクションで拝見することがあるが、それは、それは、生唾ものの光景だ。
この路線は、今は新交通システムに置き換えられ、残念ながら、おもちゃ的な軽便鉄道は消えてしまった。それどころか、危なく本体の西武鉄道も消えるところだった。
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- 2015/08/25(火) 00:18:54|
- 西武鉄道
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この沿線も新しい住宅ばかりになってしまった
冬の日、刈田と欅の風景の中に、白煙が棚引いた

2015年1月 真岡鐵道 久下田-寺内
どちらかといえば寒冷地仕様で、夏があまり得意でない小生は、涼しくなるのを心待ちにする毎日だ。とはいえ、冷房に頼らない神奈川の我が家では、エアコンを殆ど使っていない。年に数回しか使わないから長持ちするのか、同じものを無故障で30年以上も使い続けている。時代遅れのエアコンは、熱交換効率が悪いのは解っているが、こんな使い方では、買い替える方がもっと金銭効率が悪い。残暑といっても、昨今の夏は確実に9月までは続くことになる。まだまだ、団扇を片手に汗を拭いながら、夜な夜な記事を書く、暑い日々が続きそうだ。
さて、今日は冬の真岡鐵道。刈田と欅は、関東平野の冬の田園風景の象徴だ。残念ながら真岡鐵道沿線でも、鄙びた風景はなかなか望めなくなってしまった。昔ながらの田園の香りがほんの少しだけ残る風景の中を、C11が通り過ぎていく。こんな白煙の季節が待ち遠しい今日この頃だ。
毎日蒸し暑いですね。残暑お見舞い申し上げます。
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- 2015/08/23(日) 00:15:37|
- 真岡鐡道
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時は流れて時代が変り そろそろこの機関車も引退の時だ
快晴の相模湾をバックに堂々編成のゼロロクが往く

2015年2月 東海道本線 根府川-早川
今日はちょっと毛色を変えて東海道線です。小生は貨物列車が好きなのですが、現在 貨物輸送が残っているのは、限られた本線筋の長距離輸送だけ。その最たる路線が東海道本線です。普段のローカル線では味わえない、迫力ある貨物の走りを楽しむことができます。
この辺りは柑橘類の産地で、冬から春にかけてミカン山が色付きます。また、小田原や真鶴は干物が特産物でもあります。たまに、地元産物の買い出しにやってきますが、そんな時に、ここに立ち寄るのが恒例です。マジ撮りとはいえませんので、ダイヤも調べず、ボケッと待っている始末です。近くに同業者がおられれば情報を得るという横着ぶり。それでも、じきにやって来る貨物をファインダー越しに捕えてしまうと、やはり本気になってしまいます。山側には新幹線の開口部もあり、ひっきりなしに「のぞみ」、「ひかり」、「こだま」が高速で通過していきます。
この時は、幸運にもゼロロクがやってきました。小生が現役蒸気撮影に燃えていた頃にデビューしたEF66の0番台も、もはや風前の灯。現役は一桁ということです。遥々吹田からやって来る、国鉄時代の原色に近い新更新色を見ていると、この機関車がブルートレインの先頭に立っていた頃が思い出されます。
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- 2015/08/21(金) 00:46:25|
- 東海道本線
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夏空の下、熊笹の路をかき分けて、最北のキューロクがやってきた
蒸気終焉が近づく中、宗谷地方の短い夏が終わろうとしていた

1974年8月 宗谷本線 兜沼
この頃、蒸気の撮影にはあまり熱心でなかった。この夏の北海道旅行のネガに写っているのは、蒸気画ではなく、風景画の方が多い。蒸気が少なくなるのに反比例してファンは増え続け、名所はどこも人だかり。撮り鉄同士のいざこざも多発していた。昔はマナーが良かったなんて、とんでもない話だ。
そんな中、小生は有名な場所は敬遠して、風景写真になりそうな駅を選んで、ついでに蒸気も撮影していた。この宗谷本線兜沼も同様だった。地平線に頭を出す利尻と、近在の畜産農家の画を撮ることが、主な目的だった。キューロクの時間に合わせて駅には戻ったが、駅傍の線路端からの月並みな撮影で済ませている。この場所で出会った人は、幸運にも酪農家の小学生兄弟の二人だけだった。
ただ、この画は今ではお気に入りの1枚になっている。熊笹とエゾ松がどこまでも広がる宗谷の風景と夏空が、あの時を端的に思い出させる。下手な小細工を考えなかったのが良かったのかもしれない。鉄道写真の王道、定番ともいえる構図も、捨てたものではない。
結果的に、この時が夏の北海道での蒸気撮影の最後となってしまった。
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- 2015/08/19(水) 01:30:21|
- 宗谷本線
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在りし日の機関庫前に顔を揃えた吉松に憩う大型蒸気たち
この町を支えた蒸気にも、無煙化の波が忍び寄ろうとしていた

1971年7月 肥薩線 吉松
吉松も「鉄道の町」と呼ばれた中の一つだ。国分から延びた鹿児島線の終着駅として開業し、人吉からの山線の開通を待った。また、宮崎から延伸された日豊本線の終着駅であった時期もある。熊本、宮崎、鹿児島からの路線が集まる南九州の鉄道の要衝で、人口の3割が国鉄職員とその家族と言われ、正に「鉄道の町」吉松であった。
その後、鹿児島本線は海沿いの川内経由となり、人吉経由の内陸線は肥薩線と改称された。日豊本線も霧島神宮経由の霧島越えが開通し、吉松-都城間は吉都線と名を変えた。吉松町も鉄道の消長に伴い人口が変化したが、1950年辺りをピークに減少の一途だ。一般貨物の廃止に伴い、長年町を支えた機関区は実質閉鎖された。吉松町の名も、2005年に粟野町との合併で湧水町に変わり、すでに市町村名から消えている。
この3両並びの画を何処かで見たことがあり、何時か吉松機関区に行ってみたいと思っていたが、山線が無煙化される前に、何とか訪れることができた。この時はまだ機関区にはDLの姿はなく、蒸気天国だった。重装備の山線のデゴイチと、標準形に近い吉都線のデゴイチを両脇に、C57が出区しようとしている。このC57151号機は以前ご紹介した「
とびっきりの1台」だ。左端の貨車はC56が入換中。クラの中にも蒸気の影が。吐き出す煙と石炭の匂いが機関区中に漂っていた。C55が仕業中で留守だったのが残念だ。この機関庫の向こうに、気動車のヤードがあり、国鉄色のキハが多数屯っていた。
構図的に気に食わないところが随所にあるが、ご容赦あれ。
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- 2015/08/17(月) 00:39:12|
- 肥薩線
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小海線で最もポピュラーな撮影地である小淵沢の大カーブは、朝の順光の雄大な甲斐駒ヶ岳をバックに築堤を登るC56、キハが、あまりにもお馴染の画になっています。春の田植え、緑深まる夏、秋の金色の稲穂、そして雪の荘厳な南アの冬。四季折々の美しさを感じられるこの場所は、相も変らぬ撮影名所で在り続けています。
ただ、この築堤は地元の写真愛好家の方々には、夕日のスポットとしても人気の場所です。日の長い天気のいい夕刻には、職場から直行する地元カメラマンの方々が次々と現れ、三々五々お気に入りの場所に陣取ります。ただ、小海線もそう列車は多くありません。通過時刻と日没時刻を考えて、撮影する列車と季節を選択することになります。何時でも夕陽が撮れるというわけではありあせん。「天空の時間 空に一番近い列車」では、この地元で人気の夕刻の空模様を題材に、本年7月撮影の写真からお送りしました。列車の通過時刻を睨みながら、刻々と変化していく空模様の中から、切り取る場所を探すことになります。通常の撮影では、構図が決まってしまえば、後は待つだけですが、空と雲を狙う場合はそうはいきません。天候は思い通りにはなりませんから、その時々での臨機応変な対応が必要で、そこが面白いところでもあります。
一方、このような撮影が可能になったのは、カメラの進化によるところが大きいです。露出の難しい夕刻の空と雲。試し撮りなしでは、小生の腕では成功率はグッと落ちるでしょう。感度も物を言います。フィルム時代では考えられなかったような暗い条件下での撮影が可能になりました。最後のNo.10の画は感度6400、レンズ開放で、撤収には懐中電灯が必要でした。さらに、レンズのコーティングの進化の恩恵もあります。前玉に直射が入る逆光でもゴーストやフレアはかなり抑えられています。この手の撮影には、さすがにコーティングが古いマニュアルのAi-Nikkorは向きません。勿論保護用のフィルターも取り外します。
こういった機材によって、新たなイメージに踏み出せるのが、小生が鉄道写真を再開した理由の一つなのかもしれません。
何時もご覧になっている大カーブとはちょっと違うイメージを抱いていただけたなら、小生としては本望です。番外編として、画を準備したものの、使用しなかった4枚を一度にアップして、このシリーズを終わりとします。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
それと、大カーブで撮影しようという方への伝言です。大カーブの内外は地元農家の大切な農地です。オーナーさんは小さなことで文句を言うような方ではありませんから、なるべく撮影者の方から小さいことでも避けるようにしましょう。



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- 2015/08/15(土) 00:44:20|
- 小海線
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ご案内「天空の時間 空に一番近い列車」と題して、10枚の写真をご用意しました。今回は写真だけをご覧いただこうと思いますので、個々の写真には題名も文書も付けません。ごゆっくりお楽しみいただければ幸いです。路線は小海線、撮影は2015年7月です。
これで、このシリーズの10枚の画は終わりですが、突然始めて、何の話も説明もなく終わるのも何ですから、月並みに次回「あとがき」と番外編の画をお送りします。
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- 2015/08/13(木) 00:26:27|
- 小海線
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