南国宮崎に移籍した東北育ちのハドソンたち。
だが、ここでも刻々と電化の日が近づいてきた。

1973年8月 C6119号機 日豊本線 高鍋
今回は19号機です。本来ならアップしにくい画ですが、現在のC61人気に押されていってしまいます。電化工事中のこんなところで撮影したくはありませんが、C61の最後の姿を見届けようと、半日だけ高鍋で撮影しました。
C61、カッコいいですね。ただ、「ハドソン」の証の2軸の従輪については、賛否両論です。日本のハドソンは重量級パシフィックの軸重軽減対策ですから、本来の設計ではありません。C60、C61、C62、D60、D61の2軸従輪台車は共通仕様に近い格好で、それも無理やりキャブ下に押し込んだ感じです。C59とC60のどちらがお好き?と聞かれたら、小生の場合は迷わず前者です。シルエットにすると本来の1軸の方が優美です。
やはりこの罐には客ㇾがお似合いです。シールドビームの補助灯の台座が残っていますが、どうせなら台座ごと外してもらうとすっきりだったのですが。ちょっとぶれていますが、ご勘弁を。
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- 2015/05/31(日) 00:05:29|
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南国宮崎に移籍した東北育ちのハドソンたち。
運転席の旋回窓が厳しい雪国での仕業を偲ばせる。


1973年8月 C6118号機 日豊本線 宮崎機関区
季節がどんどん移っていきますので、釜石線に続けて、大湊線、北海道と足早にいきたいところですが、キハばかりでは煙分不足になりそうですので、ここらで蒸気といきましょう。
今一番ホットなC61です。磐越西線は凄いことになっているそうです。鉄ブログには、あちこちに「ハドソン」という文字が躍っています。人出に怖気づいて参戦できなかったので、現役画で応援させていただきます。
奥羽本線電化の際に、最後のC61となった青森の6両全てが、宮崎に移籍しました。機番は2、18、19、20、24、28です。2号機は早々に動態保存のため梅小路に旅立ちました。続いて検査切れとなった24、28が廃車となり、最後に18、19、20の連番3兄弟が残されました。今回は最後のハドソンとなった3兄弟を順番にアップします。まずは18号機です。
朝の宮崎機関区です。この機関区は駅ホームから眺められたので、当時を知る方にとっては大変馴染みの深い機関区です。何方の画を何時拝見しても、同じように懐かしいのは、この機関区を知る方々の共通の思いでしょう。
C57が朝の始業点検を終えて出区していきます。都城方面に向かうようです。C6118も出番を待っています。転車台はこんな所にあったんですね。18号機には旋回窓が残されています。故郷は遠きにありて思ふもの。って感じです。
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- 2015/05/29(金) 00:35:52|
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列車は、小さな集落の菜の花畑を抜けて、遠野盆地に入った。
傾きかけた日に照らされて、一路民話の里へと向かう。

2015年4月 釜石線 晴山‐岩根橋

2015年4月 釜石線 鱒沢‐荒谷前
ローカル線を旅する楽しみは、美しき日本の四季の風景と、その土地の人々の暮らしのなかに身を置くことにあります。観光とは縁のない集落を巡るのは、素顔の日本に触れることです。このような旅を、ただ漠然と続けることは難しいでしょう。鉄道という一つのテーマがあってこそです。
釜石線の訪問では、蒸気好きとしては、「SL銀河」に少々がっかりしましたが、そんなことは問題ではありません。釜石線は南部地方特有の風景の中を走る美しいローカル線でした。三陸の復興を支えるためにも、いつまでも走り続けてほしいものです。そのための「SL銀河」です。
これで、釜石線を終わります。
今回は、花巻-遠野間を巡りましたが、遠野-釜石間も下調べをしてきました。紅葉の時期がよさそうです。新仙人トンネルの開通で、あの秘境駅の上有住にも簡単に行けます。機会があれば、是非トライしたい山線です。
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- 2015/05/27(水) 00:39:16|
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「SL銀河」が25‰の登り勾配に差し掛かった。
力走を始めたのは、シゴハチではなく、4両のDC客車のエンジンだった。


2015年4月 釜石線 宮守‐岩根橋
直線の途中にある屈曲部分からこちらは25‰の登りだ。その先にはトンネルも控えている。常識的にはここで一気に力走し、惰性でトンネルを突破する。そんな現役時代からのセオリーはここでは通用しなかった。登ってきた「SL銀河」は、DC客車がエンジン音を響かせて、シゴハチを押し上げてきた。まるで、現役蒸気の末期、無煙化が近づき、補機がDL化された八高線や常紋で聞いた音だ。あの日の嫌な記憶が蘇ってきた。
釜石線は、25‰が点在し、難所の仙人峠を有する厳しい路線だ。D51498の際は、2両のDE10で増強して仙人峠を越えていた。今回の「SL銀河」の秘策は客車にDCを用いることだが、このDCは意外と強力で、C58は付随車のようだった。復活に現役時代を期待してはいけないことは重々承知しているが、あまりの無気力25‰に、こちらも無気力気味になってしまった。
多くの地元ファンの方々の見解では、勾配と煙とには関係がないとのこと。DC客車の異常に煤けた屋根は、蒸気の煙ではなく、自らの排気のせいだと気が付くのに、時間は掛からなかった。
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- 2015/05/25(月) 01:33:31|
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今回は少しライカ判の撮影機材についてお話したい。小生は最初に買ったニコンでずっと通している。たまにキャノンの白い望遠を使ってみたい誘惑はあるものの、別にニコンで困るでもなし、特段のマウント乗換の必要性も感じず、今に至ってしまった。
とは言いつつ、レンズ資産の縛りは大きい。特に昔ながらのFマウントのマニュアルフォーカス単焦点レンズを、デジタル化してからも多用している身としては、そう簡単にマウント乗換など出来る筈がない。
今や多くの方が大砲ズームレンズを振り回している時代に、何故に旧型のマニュアルレンズかと言えば、個性派が多く、軽くて小さいことだ。おまけに壊れ難い。
それでは、今回のお題の「50mm F2」だが、言わずと知れたニコンの礎を築いたNikkorの名玉の一つだ。無理のないガウス型のレンズ構成は、収差の小さい、精緻な画を生み出す。作例の比較は、大三元の一つ「24-70」だ。ズームレンズとしては最高レベルの画質と称されている。
同じ列車を角度を変えて撮っている。ともに何の補正もしていない原画だ。比較は皆様にお任せしたい。方や半世紀前のチビレンズ、方や現在の大口径の大三元。何故、こういうレンズを使い続けているか、お解り頂けたでしょうか。このチビレンズ、時代を超えた、なかなかの優れものだと思いませんか。
上段: Nikon D800E / Nikkor-H Auto 50mm F2
下段: Nikon D700 / AF-S Nikkor 24-70mm f/2.8G ED


2015年4月 釜石線 晴山‐土沢

Nikkor-H Auto 50mm F2 レンズ
後からAi改造をしているので、絞りリングだけが妙にきれい
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- 2015/05/23(土) 02:25:56|
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東北岩手にも遅い新緑の季節がやってきた。
このレールは北上山地を越えて、震災の地へと繋がっている。

2015年4月 釜石線 岩根橋-晴山
花巻を出発した釜石線の列車は、猿ヶ石川と釜石街道に沿って遠野を目指す。渓谷に点在する小さな集落を巡りながら、短いトンネルとアップダウンを繰り返し、徐々に標高を上げて行く。それ程山深くないこの辺りの新緑は里山の風情だ。

2015年4月 釜石線 宮守‐岩根橋
日当たりが悪く、他より芽吹きが遅れている。ちょうど桜が満開だ。芽吹いたばかりの薄い新緑と合わせて、まるで点描の絵のようだ。快速「はまゆり」がトンネルに吸い込まれてゆく。
震災前「はまゆり」の1往復は山田線経由で宮古まで通っていた。毎年新緑の季節が巡ってくるが、山田線の宮古-釜石間の沿岸部は今だ時を止めたままだ。
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- 2015/05/21(木) 00:50:42|
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「ブリーラ リヴェーロ」は、この釜石線土沢駅のエスペラント語名ということだ。三陸鉄道北リアス線には、「カンパネルラ田野畑」や「カルボナーラ島越」といったエスペラント語の愛称の付いた駅名があるが、同じ趣向のようだ。
この土沢駅の歴史は古く、1913年に岩手軽便鉄道の終着駅として開業している。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の始発駅のモデルとされている。そんな駅だが、現在は業務委託駅で、JR職員の配置はない。
構内には、「SL銀河」に関するアイテムを幾つか見ることができたので、前記事の補足としてご紹介します。



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- 2015/05/20(水) 01:17:41|
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気持ちのいい朝がやってきた。春先の柔らかい朝日が心地いい。
花巻行きの普通列車は、通勤客を乗せて坂を上がって行く。


2015年4月 釜石線 土沢
ゴールデンウィークは山籠もりして、小海線でも撮っているのが小生の恒例だが、今年は諸事情により、かみさんの故郷の北海道に帰省した。何時もなら格安航空券での往復だが、GWともなるとやはり高いので車にした。勿論下心があっての話だ。おかげで釜石線、大湊線と寄道し、道内でもそこそこ楽しむことができた。暫し無煙が続きますが、お付き合いの程を。
まずは釜石線。SL銀河を見ようと寄ったが、どうしてもキハの撮影がメインになる。キハを待っていると、不審がった地元の方が親切にも汽車の時間を教えてくれる。どうもキハの撮り鉄は希のようだ。
初っ端に東和町の土沢駅に寄ってみると、駅の向こうに続く上り坂と、坂の上の洒落た住宅群が面白い。花巻方面への通勤客がキハに揺られてこの坂を上って行く。
この駅はSL銀河の停車駅だ。構内にはSLの匂いがする。
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- 2015/05/19(火) 01:46:04|
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かつての特急牽引機が、貨物の入換に勤しんでいる。
まさか、38年後に車籍を取り戻すとは、この時は知る由もなかった。

1973年8月 日豊本線 高鍋
今回は、今大活躍中のC6120の現役時代最後の姿をお送りしたい。
このC6120はずっと東北で運用されてきた罐だ。甲組の「はつかり」、「ゆうづる」などの優等列車仕業で活躍した仙台時代は、東北本線の完全電化で幕を閉じた。奥羽本線に移ってからは普通客レの牽引となったが、こちらも1971年10月の完全電化で後を追われた。そして青森の仲間たちとやって来た最後の地の宮崎も、日豊本線の電化工事中だった。
この画は高鍋で貨物列車の入換作業中の姿だ。宮崎では、旅客は長年の信頼のあるC57が、新入りのC61は貨物を担当することが多かった。東北のスターも、ここではただの新米でしかなかった。
この画を撮影した数日後に、この罐は宮崎で現役時代の火を落とした。機番とスリーダイヤと宮崎の3つの砲金製のプレートが、現役機の煤けた艶のないボディーに一際輝いていた。
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- 2015/05/16(土) 22:03:48|
- 日豊本線
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木々の芽吹きが始まった。山桜もまもなく満開になる。
小海線80周年記念車両が、80年前最後に開通した山間部を行く。

2015年4月 小海線
千曲川橋梁を行く国鉄急行色のキハ110系です。
この橋梁のキハE200系を先日アップしました。2枚の画を比較すると、どちらも甲乙つけがたい車体色です。この国鉄急行色も遠目には、違和感はありません。よく再現されています。
この天候のこの場所では、キハE200は周りの景色によく溶け込んでおり、風景画に近いものがあります。一方、国鉄色は車両の主張が強く、いかにも鉄画といった感じです。これはもう趣味とTPOの問題でしょうか。
列車のボディーカラーの違いで、これだけ趣の違う画になってしまいます。よく考えて撮る必要がありそうです。そこが難しいところであり、楽しいところでしょう。
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- 2015/05/14(木) 19:08:36|
- 小海線
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