駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

私的「40年前の“出会い”」 渚滑線

40年前、オホーツク海岸の渚滑から、内陸の小さな町滝ノ上にキューロクが通っていた。
渚滑線はこの3年後に貨物が廃止され、10年後には路線そのものが消えてしまった。

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1975年3月 渚滑線 下渚滑-中渚滑

今年は、ぜっきあいずさん(?)から始まった『私的「40年前の"今日“へ」』のコラボ。くろくまさん版を拝見していて、その旅程に小生のものと重複部分があることに気が付きました。この記事です。

その日の小生の記録は、次のとおりです。
3/14 大雪5号→ 遠軽 622D→ 渚滑 723D→ 下渚滑 726D→ 紋別→ 湧網線

40年前の3月14日の朝、大雪5号で遠軽に到着した小生は、名寄線622Dにくろくまさんと同乗して、渚滑線の撮影に行っていたことが判りました。残念ながら、渚滑から渚滑線に入った列車がずれていたため、会話をすることは無かったと思います。もし同じ列車であれば、閑散としたキハ22の単行ですから、40年来の旧友となっていたことでしょう。

小生のこの画と、くろくまさんのこちらの画は、共に3月14日の1791レです。2人は、およそ2kmの距離をおいて、キューロクを挟み撃ちにして撮っています。小生の画の列車の進行方向左奥の丘の上に、くろくまさんがいるはずです。まもなく、このキューロクがくろくまさんの射程に入ります。「40年前・・・」を通して判ったことです。

当時 大勢の同業者が道内を巡回しており、有名なところは何処も人だかりでした。そんな中、渚滑線はマイナーな路線で撮影者も少なかったと思います。きっと、「くろくまさん」も「こあらま」も、誰も来ないような静かな場所で、残り少なくなったキューロクとの時間を過ごしたかったんでしょう。


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1975年3月 渚滑線 下渚滑  乗って来た723Dキハ22が遠ざかって行きます 

くろくまさん、
お待たせしました。あの日の渚滑線1791レのこあらまの画です。列車編成、平行して走る国道、点在する民家と屋敷林、国道向こうの山肌等々、どこをどうみても、下渚滑-中渚滑間の直線を走る同じ列車です。きっと何処で、お互い見かけていたはずです。
この後、また行かれたんですね。今回、初めてきっちり手を入れ、隅々までじっくり眺めましたが、なかなか類を見ないロケーション。再訪が解ります。

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  1. 2015/03/30(月) 01:27:13|
  2. 渚滑線
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D51北海道形

勇払原野を、とぼとぼとD51が単機で流れてきた。
気力なく撮ったのは形式写真風。となれば北海道形をチェックしてみよう。

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1972年3月 千歳線 植苗-沼ノ端

D51北海道形と言われるデゴイチはどういうものなのだろうか。小生は形態学には弱いので、今一度、画の追分のD51539でチェックしてみよう。確かに北海道内のどの機関区のD51もこんな姿をしていた。ということは、単なる路線や機関区の変異個体ではなく、国鉄北海道総局が仕様を決めた北海道内専用の亜属ということなのだろうか。D51だけでなく、例えばキハ22やキハ56のように、各種の車両で北海道専用の形式が存在するわけだから、亜属があるのは当たり前の話なのかもしれない。

ところが、このD51北海道形の仕様の詳細の調べがつかない。国鉄北海道OBの叔父さんが二人もいたが、ともに他界してしまい、聞くことができないのが残念だ。そこで、形態学といえば模型屋さんだ。調度よいことに昨年、KATOこと株式会社関水金属が、「D51北海道形」、「同ギースルエジェクター」を発売している。その商品説明にある、モデル化のポイントとは、

・密閉式キャブ  ・切詰めデフ  ・運転席旋回窓  ・助手席Hゴム支持窓  ・前面デッキ手すり  ・テンダーライト位置  ・前部標識灯位置・ ボイラー上部手すり  ・密閉式キャブ対応のテンダー前妻形状  ・スノープロウ

結構ある。この公式側の画で、助手席Hゴム支持窓、テンダーライト位置以外は全て確認出来る。この罐バリバリの北海道形だ。おまけに、ギースルだ。これだけ見ているのに、気づかなかったことがいくつかある。前面デッキの手すりはただの棒ではなかった。前部標識灯はランタン状だ。テンダーは後退角がついていて、小樽築港のC62同様に温水パイプが伸びている。知らなかった。ただ、北海道の他の形式の罐とも共通する内容が多いようだ。

やはり、これだけの装備を施さなければ、北海道では用を為さないということだ。北の大地の冬の厳しさを改めて考えさせるD51北海道形でした。

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  1. 2015/03/27(金) 17:00:11|
  2. 千歳線
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中村寺カーブ

市塙発車の汽笛とそれに続くドラフト音が聞こえてから、暫くしてやっと姿を現した。
冷え込んだ日の、白煙とドレインが奇麗だ。

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2015年1月 真岡鐡道 市塙-笹原田

下りの市塙の発車シーンを、直線最初の踏切周りで、望遠で撮られる方は大勢おられ、いつも混みあっている。そういうところは近づき難いので、誰もいない、直線を抜けた、この真宗・大谷派の中村寺のカーブで狙ってみた。先の踏切で散々サービスしただろうに、ここでもドレインのおまけだ。さすがは、ファンサービスを怠らない。
この場所、カーブの具合や木立の雰囲気は大変いいのだが、如何せん民家が建て込んでいる。風情のある建物ならいいのだが、ご覧の通りだ。皆さんが近づかないのも頷ける。
ご諸兄の間では寺社仏閣流行りのようですが、どこまでも追及されるようですね。いつぞやは、この中村寺の境内から、マイオさんが撮られていました。その時は、このカーブに5~6人と三脚があったというから、わからないものです。

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  1. 2015/03/26(木) 01:56:18|
  2. 真岡鐡道
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原野への船出

原野に伸びる4条の鉄路。北海道の物流の大動脈だ。
遮る物もなく、横風で煙を棚引かせた蒸気を、ずっと眺めていた。

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1973年3月 室蘭本線 沼ノ端-遠浅

東京から札幌へ向かう航空機は、離陸後1時間程で、千歳のビーコンに引かれて、苫小牧沖で着陸態勢に入る。まもなく眼下には勇払原野が広がってくる。運が良ければ、赤熊に牽引された長大なコンテナ貨物を眺めることも出来る。所々に池塘があるが、ひときわ大きいのが、ラムサール条約登録湿地のウトナイ湖だ。

当時ここへは、上野から急行列車と連絡船を乗り継いで、20時間余りを掛けてやって来ていた。ここを、渡道後初めの撮影場所にしていたことが多かった。まずは、たっぷりの煙を味わうためだ。室蘭線と千歳線には、ひっきりなしにD51の長大貨物とC57の客レがやって来る。特にセキを50両ばかり連ねた2400tの石炭列車は見応えがあった。冷蔵車の「レ」ばかりを連ねた特急貨物もあった。時折通るキハ82系の長大編成も好きだった。

沼ノ端の陸橋から植苗・遠浅方面を眺めると、4本の軌条が美しいカーブを描きながら勇払原野へと伸びている。室蘭線の普通貨物が、Giesel Ejector を装備した追分の罐に引きだされて、ゆっくりと原野に向け動き出した。まるで、大海原に漕ぎだす船のようだ。この地に降り立ったときの、身が引き締まるような冷たい空気と、この船出の情景は、北海道に来たという確かな証しだった。

その後、勇払原野には大手メジャー企業の巨大プラントがいくつか建設させた。製紙の街、苫小牧市は更なる発展を遂げ、北海道の街としては珍しく、世帯数も人口も増加し続けてきたが、ここにきて停滞気味だ。鄙びた沼ノ端駅周辺は新興住宅街へと変貌を遂げている。

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  1. 2015/03/24(火) 00:17:11|
  2. 室蘭本線
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北への旅立ち

上野駅を出発した1M「はつかり」が徐々に速度を上げて行く。
日暮里の街を後にして、北国青森へと旅立って行く。行程は735.6km、8時間半程だ。

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1974年9月 東北本線 上野-尾久 西日暮里駅から

先日 北斗星の定期運行が終わった。狭軌が残っている間は、臨時列車として運行するというから、カシオペアと共に、もう少し姿をみられそうだ。北斗星は次世代にお任せして、小生はセミオールドファンのために、この機会に、懐かしの「はつかり」をお届けしたい。ちなみに、トワイライトであればキハ82の「白鳥」といきたいところだ。

この「はつかり」は日本最長路線(東京-青森間739.2km)の東北本線をほぼ縦貫する電車特急だ。東北初の特急として、1958年に常磐線経由で上野-青森間の運行を始めた。当初の牽引機はC62/C61で所要は12時間だった。その後、キハ81を経て、東北本線全線電化の1968年に、この583系での営業となった。東北新幹線の開業に伴い、北に移って行ったが、2002年に、「はつかり」の44年の歴史に幕を下ろしている。「初雁」を意味するこの愛称は、日本人の旅情に響くものがあるのか、高い人気を保っている。いつか、東北を代表する列車名として、復活することになるだろう。

小生は残念ながら「はつかり」に乗車したことはない。無宿旅行者にとっては無縁の乗物だ。もっぱら、周遊券で乗れる急行の自由席だった。当時は、夜行急行として、常磐線経由の「十和田」、東北線経由の「八甲田」、奥羽線経由の「津軽」などが走っていた。新幹線開業後も、飛行機化するまで、帰省には「みちのく51号」のような臨時急行を利用していた。
一度、青森から奥羽線、仙山線、東北線経由の、583系座席夜行急行の上り「津軽」に乗ったことがあるが、その座席の座り心地の悪さを、思い知らされることになった。

横を走るのは山手線内回りの103系だ。屋根にはベンチレーターだけで、空調ユニットは見当たらない。急行にも冷房が行き渡らなかった時代だ。夏場、この通勤車両の中がどうなっていたか、今考えると恐ろしい。左手の日暮里の町には木造家屋が散見される。昭和の東京・下町の風情だ。


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1970年1月 上野 583系「はつかり」運転台

上野駅で乗ることのできない「はつかり」を熱心に見ていると、運転士さんが、「運転台から前を見てみるか」と言ってくれた。喜び勇んで、運転台を覗いてパチリ。興奮のあまりこんなピンボケ画に。国鉄時代は今よりずっとおおらかだった。まあ、今でも新幹線の運転士さんが子供との記念撮影に応じてくれていたりする。子供への対応には、あまり煩いことを言わない方がいい。
お陰様で、いまだに乗り鉄を続けているし、小海線の応援だってしている。

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  1. 2015/03/22(日) 00:00:00|
  2. 東北本線
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お見送り

白煙が夕日に輝いた。見送る親子も楽しそうだ。
こうやって、地元の声援があってこその「SLもうか」だ。

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2015年1月 真岡鐡道 寺内-久下田

真岡鐡道が「SLもうか」の運行を始めたのは、1994年3月27日のことだ。まもなく満21年になろうとしている。現役蒸気の終焉時代、保存の声が全国から上がった。各地で展示用に静態保存された蒸気の少なからぬ機体が、悲惨な結末を迎えることとなった。動態保存の道を選んだこの地の行政は、20年以上たった今も元気だ。更なる拡充によって、地域鉄道の維持と、観光資源化への道を歩んでいる。

これだけの年数を運行し続けると、イベント列車には違いないが、地元にとけ込んで、生活や風景の一部となって来る。汽車が通る時間となると、お年寄りが孫の手を引いて、駅や線路端にやってくるのをよく目にする。とても微笑ましい光景だ。やはり、地域の方々に愛されているということが、運行が続く一番の原動力だろう。

この時は、逆光の夕日に輝くであろう白煙を望遠で狙っていたが、踏切に若夫婦が幼い子を抱っこして蒸気を眺めているのに気が付いた。思わずピントを踏切に合わせることになった。女の子のピンクの上着が可愛らしい。

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  1. 2015/03/19(木) 23:52:39|
  2. 真岡鐡道
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厳冬八ヶ岳

やっと冬型の気圧配置が弱まり、八ヶ岳の山々が姿を現した。
観光客が去ったこの時期にも、小海線は休むことなく走り続ける。

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2013年1月 小海線 清里-野辺山

先週 小海線高原域橋梁シリーズをお送りいたしましたが、まこべえさん にコラボしていただけましたので、急遽もう1枚小海線をアップいたします。

まこべえさんの読者の方にも楽しんでいただけるよう、小海線の最も代表的な風景をお届けします。
八ケ岳をバックに、野辺山高原を走る小海線です。中央の山が八ヶ岳の主峰赤岳、その右が横岳になります。画の左端にゲレンデの一部見えますが、サンメドウズ清里スキー場です。この場所の反対側には、国立天文台野辺山の45m電波望遠鏡、シャトレーゼスキーリゾート八ヶ岳(旧ザイラーバレー)などが望めます。

野辺山高原は標高が1300m程あります。厳冬期には、最低気温が-20℃を下回ることもあり、北海道並みの寒さとなります。しかしながら、八ヶ岳の山稜が最も美しい季節でもあります。このような季節には、なかなかお越しいただけないと思いますので、写真でこの季節の美しさを感じていただければ幸いです。あと2箇月程すると、この高原にも眩しいくらいの春がやってきます。

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  1. 2015/03/18(水) 00:55:57|
  2. 小海線
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給水塔の現役時代

この給水塔は、蒸気の復活運転で残されたのかもしれない。
93歳のレンガ塔は、現役だった頃と同じように、今も蒸気送り迎えしている。

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1972年7月 山口線 篠目

今では、この給水塔が山口線篠目駅のものだと、誰もが直に判る。SL「やまぐち」号の運行で、一躍有名な鉄道遺構となった。多くの方々が、長閑な土地柄に立つレンガ造りの給水塔を絡めて、C571号機を撮影されている。竣工は1922年で、山口線が開通した1923年(大正12年)の前年だ。現93歳ということになる。仁保-篠目間の仁保地峠を越えてきた罐のために、この給水設備は設けられた。レンガ作りの美しい姿のためか、やまぐち号を引き立てるオブジェとしてなのか、取り壊されることなく遺産化した。

さて、停車しているのは、C571号機でも、C56160号機でもない。山口線管理所津和野運転支所の長野工場式デフのD51405だ。このレンガ塔から給水を受けている。給水塔にとっても現役時代だ。山口線管理所津和野運転支所は、通称で津和野機関区と呼ばれ、区名札は「山」だった。転車台、扇形機関庫、給炭・給水設備等の蒸気運行設備一式を有し、一見すればコンパクトな機関区といったところだ。小郡機関区とこの設備が、SL「やまぐち」号が、この路線で運行されるようになった理由のひとつだ。過去配属された戦後の主力蒸気は、勾配区間が多いためD60とD51で、C57の投入実績はない。トンネルも多数存在していたる為、集煙装置が装備されていた。そういった点では、この線区にC57を走らせるには無理があるのかもしれない。

当時山口線は、蒸気本数も少なく、D51のみであったため、そう人気の高い路線ではなかった。風景重視なら山陰線、本数や煙ならば美祢線あたりが良かった。小生は、この日の午前中は秋芳洞を見物していた。中国ワイド周遊券には国鉄バス路線の秋芳洞が入っており、追加料金なしで行けた。連日の炎天下の撮影に疲れたのか、半日鍾乳洞の中で涼んでいた。午後は山口線篠目での撮影に充てたが、山陰線のネガの中に紛れ込んで、つい最近まで撮影したことを失念していた。気がついたのは、やはりこの給水塔からだ。

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  1. 2015/03/16(月) 02:37:25|
  2. 山口線
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吐竜の滝

甲斐大泉から清里に向かう下り列車は、川俣川の大渓谷をΩカーブでやり過ごす。
その渓谷の最奥に二つの川俣川橋梁と吐竜の滝がある。

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2014年3月 小海線

どう言う訳か、勢いで小海線高原域橋梁シリーズになってしまいましたので、今週は小海線通しということで、もう一つだけいきます。まこべえさんからもその名をいただきました、川俣川東沢に架かる川俣川第二橋梁です。トンネルを挟んだ西沢に架かる第一橋梁は、長さは40mと短く、作例を全く見たことのない難関で、只今鋭意開発中です。ちなみに、川俣川東沢は、権現岳直下の八ヶ岳きっての悪沢、上の権現沢へと続きます。

この川俣川第二橋梁は甲斐大泉と清里の中間位にありますが、橋梁のすぐ上流に「吐竜の滝」という観光地があり、一帯に遊歩道が整備されているため、アクセスは極めて良好です。駐車場がありますので、下車後、鼻歌交じりで5分と言ったところです。
沢筋には植林はなく、昔から広葉雑木の森でしたから、あまり変わっていません。川面から木立の間にちらっと列車が見えます。ここの現役C56の作品を数枚見付けましたが、情報が少ない当時、かなり冒険的な場所に、それも徒歩でこられた方々の挑戦意欲には、敬意を表したいと思います。

小海線80周年の国鉄色の話題から、今週は小海線でも人気のある高原域を取り上げてみました。ローカル線ファンの皆様、何かしらご参考になりましたでしょうか。こんな場所を国鉄色のキハが走ることになります。記念色を捉えましたら、また、ご報告したいと思います。

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  1. 2015/03/13(金) 17:00:04|
  2. 小海線
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野菜列車を押し上げた路

今日最後の夕日が、根石岳を照らしている。
40年前は一面の草地だった、この橋梁周りも、すっかり樹木に覆われた。

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2015年2月 小海線

この冬はどっさり雪がくるかと思っていましたが、さにあらず。後半は暖冬気味で、降雪も少なくなっています。昨年の大雪の教訓から除雪道具などを強化していますが、今期の出番はまだありません。このまま春を迎えられれば、暖冬ということになるでしょうが、ここに来て、また北海道は台風並みの低気圧で猛烈なことになっています。トワイライトは今日11日は運休になりました。やはり、気候が激しくなっているようです。

暖冬気味とは言え、小海線の高原域は、低温地帯ですから一度雪が積もってしまうと、そう簡単には解けません。この冬はずっと雪景色が続いています。この高原地帯の桜の開花は、5月の連休明けあたりで、北海道の函館と同じ頃です。あと2ケ月間は冬枯れの風景が続き、一気に春を迎えます。

再開発アングルをもう一つ。ここも縦抜きです。この橋梁も以前は有名なお立ち台でした。この坂では、C56が野菜列車をプッシュプルで押し上げていました。押し上げ区間の橋梁はここ1箇所だけです。塚本和也氏の作品などでもご存知の、見通しがよく利く草地の堰堤の先の、あの西川橋梁です。線路は画の奥に向かって33‰の上り坂になっています。ここは、綺麗な直線ですね。ただ、当時の面影が全く感じられないくらいに、すっかり落葉松と胡桃に覆われてしまいました。

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  1. 2015/03/11(水) 23:37:53|
  2. 小海線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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