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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

境川橋梁の南アルプス

小諸からの上り列車がJR最高地点を越えて、小淵沢までの長い下り坂に入った。
4月に入り日差しにも暖かみを帯びてきた。鉄橋を渡れば甲斐の国だ。

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2013年4月 小海線

前回 境川橋梁のお立ち台が消滅したとお伝えしました。
しかしながら、横が駄目なら、縦を抜く。バックは八ヶ岳から南アルプスに代わりますが。

八ヶ岳にばかり拘っていれば、もう終った場所ですが、どっこい縦だと南アルプスが飛び込んできます。今ではこの橋は、北岳と鳳凰三山を望む南アの撮影場所ってことです。まずまずのアングルとは思いますが、付け替えられた国道がやっぱり邪魔です。これより山梨県の標識が見えます。お立ち台からは直線としか見えませんでしたが、実はカーブしています。

このお立ち台だった境川橋梁を、大門川橋梁と混同されている方や記事が散見されます。本流筋の大門川は、清里側にさらに数百m下ったところにあります。境川は大門川の小支流ですから、大門川橋梁の方がずっと立派ですが、深いブッシュのなかにあり、一般的ではありません。現在 狙えるアングルを開発中ですが難しいです。大門川は、大門沢となって八ヶ岳主峰の赤岳直下に続いています。ちなみに、若かりし頃、不覚にも大門沢奥壁で宙吊りになってしまったことがありました。

こうやって、失われてしまったかつてのお立ち台を、別アングルで再開発している こあらま であります。


前回の記事の補足です
いすみ鉄道の鳥塚さんのブログに タラコへの塗り替えの記事を見付けました。いすみ鉄道のキハ52をツートンからタラコにした訳が書いてあります。
鳥塚さんの分析では、50歳を境に、50歳以上はツートン派、50歳以下はタラコ派が主流ということです。次世代のファンのために、敢えてタラコにしたとあります。経営者ですから、経費のことも気になりますしね。つまり、現役蒸気の世代は間違えなくツートン派。ということで小生は、こてこてのオヤジ派ということです。そもそも、国鉄の経費削減のために生まれたタラコですが、次の世代の方々には標準色なんですね。若い人達のために我慢しましょう。
JR内でも、きっと、どっちだ議論があったんでしょうね。

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  1. 2015/03/10(火) 22:28:31|
  2. 小海線
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小海線にあのキハが蘇る?

当時 超一級のお立ち台だった小海線境川橋梁に、懐かしの国鉄色が映える。
決して地味ではないが、派手さも感じない不思議な色だ。今年、この色が蘇るという。

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1970年8月 小海線 清里-野辺山  ネガカラーなのでこれが精一杯です。

この境川はその名の通り、甲斐山梨県と信濃長野県の国境界であり県境です。この八ヶ岳南麓の市町村は、水利権の関係で、八ヶ岳の稜線に向かって長細くなっています。この県境も県界尾根上を主峰赤岳の山頂まで続いています。
現在 このお立ち台は消滅しています。線路のすぐ向うに国道141号線が付け替えられています。旧道となった今も道路は整備されていますが、この立ち位置からは、木立の成長で冬期でも殆ど視界はありません。


重要なお知らせ

先般の記事にも書きましたが、今年は小海線全通80周年記念の年です。
JR東日本長野支社は、 面白い企画を用意しました。キハ110系のタラコ色とキハ58風国鉄色を登場させます。タラコ色はキハ110の単車、キハ58色は2両固定編成のキハ111/112と思われます。できれば、画のキハ10/20系のオリジナルの配色にしてほしかったです。やはり、これがローカル線の基本ですよね。
いすみ鉄道の鳥塚さんの影響でしょうか? JRなんですから、モドキじゃなくて、本物のDMH17と言ってほしいところですが、キハ52はみんな東南アジアに売り飛ばされ、動態保存もありませんから、鳥塚さんにお借りするしかありませんね。

ゴールデンウィークからの「八ヶ岳高原列車」にでも使用されれば、撮り放題です。大カーブ辺りは賑わうかもしれませんね。沿線の田畑への無謀な立ち入りが心配です。ただでも、鹿と猪に散々悩まされていますから、「撮り鉄」まで入ってきたら、お百姓さんは切れまっせ。地元からクレームがつけば、C56の復活話の時と同様に、この企画もウヤになるやもしれません。

現物を見てみないと何とも言えませんが、国鉄色ですから楽しみです。ゲットし次第ご報告致します。
80周年の記念日が11月29日ですから、最短でもこの日までは走るものと思われます。まだまだ、イベントやグッツが登場してくると思われますので、要注意です。昨年の八高線をパワーアップして、DD16の旧客列車でも走らせてくれれば嬉しいですね。C56なんて我儘は言いませんから。
ガイドのご用命は、「こあらま」まで。(笑)

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  1. 2015/03/09(月) 02:15:46|
  2. 小海線
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抜海巡礼 第4話 モノクロームの回想

この時代、夏の北海道は、若者達の放浪の地だった。
暇はあるが金がないカニ族たちも、同じような貧乏旅行をしていた。

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1974年8月 抜海-勇知 最果て鈍行322レ C5787

夏の抜海をご紹介しよう。夏は夏で一面の野原だ。原野と牧草地が延々と続いている。原野には良く見ると色々な花が咲いている。後ろの丘陵の斜面には、クトネベツの酪農農家が見える。
この頃になると、C55は検査切れの罐から順に廃車になっていった。代わって検査期限が残っているC57が無煙化路線から召集された。この87号機は遥々福知山からやって来た。何となく、抜海にC57は違和感がある。画にも落胆のためか勢いがない。

本当はここにはキューロクの画を入れたかったが、残念ながら抜海のキューロクの在庫がない。数少ないキューロクの貨物は抜海で交換する。そのため、交換を狙って一発勝負するか、別の場所で2回戦とするか。小生はずっと後者を選んでしまっていた。敢えてリンクは付けないが、諸氏の名作を拝見するにつけ、後悔が募るばかりだ。
兜沼、徳満、豊富、下沼辺りの画で話を続けることも考えたが、やはり風景が抜海とは違う。宗谷本線のキューロクは別の機会ということで、勘弁して頂きたい。


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1974年8月 バッカイの丘で

40年前にも利尻山バックのバッカイ集落を、海岸沿いの丘陵に登って撮っている。現在よりかなり集落の家の数が多いように感じる。オロロンラインの道幅が狭く、その先の海岸線までは、乳牛の放牧地になっていたようだ。何頭かの乳牛を見ることが出来る。ただ、原野の広がりは今も昔も変わらない。第3話の画を撮った時にはこの画のことは失念していた。ポイントを探して歩き回ると、同じところに行き着くようだ。


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1973年3月 南稚内-抜海

このシリーズ第一弾の最後の画は、抜海に到着する322レの後追いとしたい。結構好きな画だ。ハエタタキが壊れているのが侘びしい。
空と雪のコントラスト。凛とした朝の空気の中で見た、眩しいような雪原の輝き。その中を静かに去って行ったC55の最果ての鈍行列車。北辺の地を旅した僕らの心の中に深く刻み込まれた心象風景だ。


これで「抜海巡礼」は一旦おわりです。
お付き合いいただき、ありがとうございました。

スキャンが順調に進めば、来年の今頃、70年代後半の
「第5話 キハ22がいた頃」以降をお送りする予定です。


宗谷本線の蒸気を追いかけていたあの頃から、すでに40年余りの歳月が過ぎました。こんな最北の地に、それも冬期にも足を運び、貴重な旅の経験ができたのは、まさに蒸気のお陰です。そして現在、経験を共有する諸兄や、次の世代の同好の士に、その姿をご紹介できるのは、大変喜ばしいことです。

ご同輩には、今また人生の節目を迎えられようとしている方々もおられると思いますが、小生は、少しずつ、気ままな旅を再開しようと思っています。あの頃、蒸気も旅も好きでした。やっと少しばかり金回りも良くなり、時間の制約だって今後は少なくしていこうと思います。昔巡った場所をトレースするもよし。新天地を求めるもよし。人生楽しまない手はないと思っています。新たな巡礼の旅の始まりです。

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  1. 2015/03/06(金) 17:01:12|
  2. 宗谷本線
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抜海巡礼 第3話 抜海村字バッカイ

この冬初めての本格的な積雪となった翌朝、きれいな青空が広がった。
一夜にして北辺の地は冬の世界へと衣替えした。利尻山が洋上に凛としてそびえ立つ。

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2013年11月 バッカイ集落と利尻山 (以下同年同月)

抜海駅前の道を海に向かって進むと、次第に利尻山が視界に入って来る。1km程で海岸沿いの道道106号のオロロンラインにぶつかる。さらに南に1km程で抜海村のバッカイの街に着く。ここの正確な地番は「北海道稚内市大字抜海村字バッカイ」だ。26世帯64人の小さな集落だ。ここでいう「抜海村」は行政区分上の市町村の「村」ではない。「大字抜海村」といういわゆる市内町名だ。稚内村、宗谷村、声問村、抜海村が稚内市に統合された際に、夫々の村名を残しかったようだ。このような例は北海道に多い。
ちなみに、駅の反対側の内陸に酪農地域の「クトネベツ」があるが、抜海駅はこの「クトネベツ」に属している。抜海駅の南隣りは、抜海村字上ユーチにある勇知駅だが、この辺りが勇知地区と呼ばれる酪農の中心地帯で、今では抜海村唯一の学校となった上勇知小中学校がある。


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抜海港

抜海港は沿岸漁業の小さな港だ。定置網によるサケ漁、ミズダコ漁、刺し網によるニシン漁、ナマコ、ウニ、ヒラメなどの栽培漁業が行われている。だが、漁業と集落の衰退は否めない。2007年に閉校した抜海小中学校は、今も時間が止まったかのように、日本海を望むオロロンライン沿いに残されている。


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抜海港 ゴマフアザラシ休息地

抜海港防波堤の波消しブロックが、10月末頃から翌4月中旬頃まで、ゴマフアザラシの休息場所になっている。期間中「アザラシ観測所」が設営され、暖を取りながら観察ができようになっており、冬の稚内観光の一つになっている。
しかし、定置網の食害と港内の水質悪化が年々深刻化し、昨年末に稚内市は猟銃による駆除を始めることを決めた。山村の鹿・猪と同じようなことになっているようだ。


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稚内方面俯瞰

この画はバッカイから稚内方向を俯瞰したものだ。画のやや左奥が稚内となる。実は、この画の中を宗谷本線が走っている。ここでスーパー宗谷キハ261系と普通キハ56系を撮る予定だったが、稚内始発の普通列車が車両故障でウヤとなった関係で、泣く泣く諦めざるを得なかった。又とない絶好の条件の日に何ということだ。JRの手配した代行タクシーでここまでは辿りつけたが、列車は通過した後だ。またの来訪を誓って現場を離れるしかなかった。また一つ、撃沈の歴史を積み重ねることになった。
とうとう線路だけの車両なしの記事となってしまった。ご勘弁を。

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  1. 2015/03/04(水) 22:06:50|
  2. 宗谷本線
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抜海巡礼 第2話 抜海駅

この駅にも、かつては駅員が配置され、待合室にはストーブの火が絶えなかった。
自然の過酷なこの地で、人の温もりのない建物が、何時までも耐えられるものではない。

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2013年11月 宗谷本線 抜海 ((以下同じ)

この抜海駅はJR北海道宗谷本線の終点稚内の二つ手前の駅だ。現役蒸気の時代には、抜海-南稚内間の中間辺りにある利尻富士の見える場所でC55を狙うため、多くのファンがやって来ていた。キューロクの貨物列車の交換風景も見られた。その後も、DD51化された「最果て鈍行」を求めてファンが引続き来ていたようだ。鉄道ファンにとっては説明の要らない駅だ。

ただ、この駅の人気は鉄道ファンだけでない。人生に疲れ、悩む方々が、人工物を排除した広漠な風景に身を癒し、物思いに更けるためにやってくるそうだ。彼らにとって、抜海の「何もない」というイメージが重要なのだろう。確かに駅前には数軒の民家があるだけだ。ただ、何もない所に駅が出来る筈がない。少々集落から離れているだけだ。朝には何処からともなく人影が現れる。


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これはローカル線全般に言えることだが、貨物と手荷物の取り扱いが終ってから、駅の無人化と施設の縮小が進んだ。宗谷本線でも、多くの駅で交換設備が剥がされ棒線化し、駅舎は廃車となった貨車を利用した味気ないものに変貌した。そんな中で、抜海駅は昔の面影を色濃く残す珍しい駅となっている。ダイヤを組む上で、どうしてもこの駅での交換が必要らしい。駅舎正面は修理で大分姿を変えたが、1924年の開業時の下見板張りの木造駅舎が残されている。これは、変に人気のあるこの駅へのJR北の配慮なのだろうか。駅の佇まいそのものが集客力をもっているのだから、そう易々とは貨車化できないのかもしれない。気象条件の大変厳しい場所だけに、91歳の駅舎が大きく壊れないことを願うばかりだ。駅舎修復のための募金箱でも置いたらどうだろか。


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4330D 名寄行 キハ56


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  1. 2015/03/02(月) 23:47:12|
  2. 宗谷本線
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抜海巡礼 第1話 最果ての鈍行列車

最果て鈍行322レの姿が徐々に大きくなる。先頭に立つのは流改のC5530だ。
北辺の丘陵地帯は、見渡す限り人工物は鉄道施設だけだ。

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1973年3月 宗谷本線 南稚内-抜海

その昔、何時からそう呼ばれていたかは定かでないが、宗谷本線に「最果て鈍行」という、宗谷本線259.4kmを8時間程で縦断する普通客車列車があった。下り旭川発11:00の321レと、上り稚内発7:56の322レだ。1972年までは、下りは仁木発、上りは札幌行きだった。両列車は名寄で交換するが、その光景は別の機会にご紹介したい。標準の編成は旭川側から郵便車(スユニ61)+荷物車(マニ60)+客車(スハフ32)2両の4両編成だ。牽引は1974年までC55で、その後はDD51となり、1980年にその役目を終えている。編成にある郵便車と荷物車は、当時の国鉄が一手に担っていた、郵便輸送と手荷物輸送のためのもので、青函連絡船に揺られ、遠くは東京の隅田川貨物駅まで通っていた。

札幌発の稚内行き夜行急行「利尻」を南稚内で降り、交換のキハ22で一駅戻ると抜海だ。約2時間後、上りの「最果て鈍行」322レが抜海にやって来る。サロベツ原野から続く緩やかな丘陵地帯を背景に、流線形改造のC5530牽引の322レが姿を現した。利尻山以外に、これといって目立つものは何もない広漠とした世界こそが抜海だ。冬に日本海から吹きつけるブリザードのため、容易に樹木は生長できない。これほど単純構図と無煙が似合う場所はない。

ちなみに、この30号機は、流線型改造機として保存される筈だったが、誤って解体されるという悲運を辿る。国鉄は、代わりに50号機に30号機のプレートを付けて小樽市に引き渡し、展示されたが、当然、誤魔化しきれるものではなかった。


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1973年3月 宗谷本線 321レ 音威子府

こちらは、下り321レC5550。音威子府で一旦切り離され、給水、給炭、火床整理がなされ、再び客車に連結された。上りは編成の関係で、このような画は撮れない。吹雪に遭うと、密封性の悪いこのスハフ32のデッキがどうなるかは、ご想像の通りだ。使い込まれた木の床に風雪の歳月を感じる。
冬期は、幌延辺りで日が暮れてしまう。小生も実体感することになるが、幌延から先は、殆ど明りも地形上の目印もない漆黒の原野を、機関士の経験と勘を頼りに、手探りで稚内まで進んで行くことになる。

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  1. 2015/03/01(日) 01:10:40|
  2. 宗谷本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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