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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

昭和の東京都電車物語 コインランドリー

都電の線路沿いにアパートが立ち並ぶ
こんな場所からコインランドリーが生まれた

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1976年6月 都電荒川線 滝野川一丁目

路面電車のはずの都電でありながら、荒川線の立派な専用軌道だ。御多分に漏れず、踏切中央の看板には「歩かないせんろは電車が通る道」と子供でも分かるような注意書きがある。傍らには、こちらは大人用であろうか、「軌道敷地内通行禁止」の警告も見える。しかし、踏切横の軌道内には、ごみの集積場らしき処もあり、エプロン姿のおばさんが何やらしている。電車が通過してもなんのそのだ。そう言うこあらまも、どう考えても軌道内で撮っている。当時、都電も国鉄ローカル線と同様に、建前上は軌道内は立ち入り禁止だったが、実際は沿線住民の生活に活用されていた。しかし、この時既に、東京の国鉄や大手私鉄の軌道内からは、概ね人は排除されており、現在の法的処罰対象の絶対禁止の時代へと繋がっていく。

この都電沿線には多くのアパートが立て込んでいた。窓には所狭しと世相を映す洗濯物や布団が干されていた。ベランダなんて気の利いたものは少なく、普通の大きめの窓が物干し台の役割も果たしていた。とうに洗濯機が三種の神器の時代は過ぎていたが、洗濯機の置けないアパートも多かったのか、こういう場所からコインランドリーが出現した。狭い部屋では洗濯物を干すのも難儀なのか、乾燥機も登場している。写真の看板には「全自動洗濯機 乾燥機コーナー 100円」とある。現在のコインランドリーは、家庭では洗えない布団などの大型のものや、大量の洗濯物を一度に処理するのに使われているようだ。料金は乾燥までして、一回千円弱というのが相場だ。コインランドリーも時代とともに役割を変えてきたようだ。


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  1. 2019/12/27(金) 00:00:00|
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昭和の東京都電車物語 大塚

大塚を往く都電7000形と国鉄103系
ともに昭和の東京を支えた花形電車だ

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1976年6月 都電荒川線 大塚駅前

都電荒川線の大塚駅前停留場は、山手線大塚駅の駅前、いや駅ホーム下にある。地方の鉄道が衰退していく中、東京都心の鉄道はまだまだ元気だ。大塚を走る山手線も都電も、今も変わらず多くの乗客で賑わっている。この大塚駅前停留場の屋根は、今では不細工な丸いカバーが掛けれれているが、当時はレールの骨組みが見て取れる三角屋根だった。今も昔も、都電ホームが大塚駅の南口と北口を繋ぐ連絡通路の役割も果たしている。昔は、人が線路を気にせずに歩き回れたが、その後は専用軌道化が進み、人や車と通行が分けられた。手前に広がっていた石畳は無くなって、路面電車の風情は薄れてしまった。この系統が残れたのは、専用軌道の多さの故なのだが・・・。

一方、ガード上の山手線ホームには、長らく国鉄通勤形電車の花形だった103系が停まっている。74年から製造された高運転台構造の車だ。冷房化が本格化したのは73年頃からで、この車にも集中式冷房ユニットが載り、窓も閉じられている。そうして、何時しか窓が開かないのが当たり前の世の中へと移り変わって行く。この頃こあらまは大学生で、毎朝晩、通学の山手線からこの界隈の雑踏も眺めていた。ふらっと途中下車して都電を撮ったりもしていた。台風で山手線が停まって、大塚から動けなくなったことがある。駅前のパチンコ屋で時間を潰したが、飛込の店では勝手が掴めず、大負けしたことを覚えている。こあらまにとっては、そんな思い出の地でもある。


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  1. 2019/05/13(月) 00:00:00|
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昭和の東京都電車物語 路地の佇まい

昭和の路地は子供たちの遊び場だった
路面電車が幾つもの路地を抜けてゆく

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1976年6月 都電荒川線

昔は東京都心にも、こんな路地が至る所にあった。公園などという気の利いたものが少なかった時代、路地は子供たちの遊び場だった。学校の放課後には、薄暗くなるまで子供たちの歓声が響いていた。そんな路地には必ずと言っていいほど駄菓子屋があり、餓鬼の溜まり場になっていた。右角の店はそんな匂いのする店だ。店先のコカ・コーラはまだ瓶の時代で、栓抜きが付いている。

その店には、カンガルーマークのエーキドーパンの看板が掛かっている。近頃あまり聞かなくなった名だが、ネットで調べると、現在もしっかり営業を続けている。その会社の名は株式会社栄喜堂というが、どうやら今は、企業向けのパン、ケーキの冷凍中間製品に徹しているようだ。その世界に、そんな裏技があるとは知らなかった。イチゴをのせればショートケーキの出来上がりなんてことも。

そして、何といっても中華料理の大衆食堂だ。決してレストランなどと呼んではいけない。中華街のような立派なメニューを期待してもいけない。あるのは大概、ラーメンとチャーハン、かに玉くらいで、何故かカレーライスもあった。そして、麒麟だの、星だののビール会社のマークの入ったコップで水が出てくる。こんなラーメンマーク?の縁取りのある暖簾が揺れているのを見ると、何とも郷愁を誘う。


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  1. 2018/06/18(月) 00:00:00|
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昭和の東京都電車物語 王子駅前

夕方になり、国電からの乗換客が増えてきた
家路に向かう乗客で、小さなホームが賑わう

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1976年6月 都電荒川線 王子駅前

1960年代に、エノケンの「うちーのテレビにゃ色がない 隣のテレビにゃ色がある♪」というCMソングが流行った。三洋カラーテレビの宣伝だ。世間は高度成長期。東京オリンピックをカラーテレビで観戦しようと、お茶の間のテレビがカラー化されていった。ゴールデンタイムには、クレイジーキャッツやドリフターズのドタバタ喜劇や、スポ根アニメの「巨人の星」が流れていた。写真の頃には、そんなお茶の間テレビ時代も終わろうとしていたが、まだナショナルのカラーテレビの広告塔が立っていた。それから半世紀、テレビは受難の時代を迎えた。インターネットの登場で、情報はパーソナル化し、流れてくるものから、取りに行くもの、発信するものとなった。テレビ界では、受像機の分解能だけが独り歩きし、肝心のソフトは置いてきぼりだ。

夕方になり、京浜東北線との乗換駅である都電王子駅前停留所は、ご覧の通りの混雑ぶりだ。この人では乗り切れないかもしれない。まだ高層の建物は見られないが、これから先、地方の人口を日々吸い寄せて、膨張していくことになる。これだけの利用客があったにも関わらず、国や都が廃止しようとしていたとは、とんでもない話だ。廃止されていった他の系統にしても、そこそこの乗客があったはずだ。今の時代、これだけの乗客がいるローカル線を廃止することは難しいだろう。都電は、先見性の無い国が進めるモータリゼーションの犠牲になってしまったということだ。面白いことに、テレビは相変わらずの凋落ぶりだが、路面電車は様々な理由から見直され始めた。こちらには、人にやさしい交通機関としての普遍性があるのだろう。


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  1. 2018/05/13(日) 00:00:00|
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昭和の東京都電車物語 滝野川一丁目

西日が差し込む街角に簡素な停留所があった
走り抜ける丸味を帯びた都電がとても懐かしい

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1976年6月 都電荒川線 滝野川一丁目

まだこの頃は、製造時のボディのままの7000形が走っていた。停留所はごく簡単な造りの低いホームだけで、雨宿りする屋根もなく、停留所名の標が電柱などに掛けられていた。当時の路面電車やバスの停留所は、概ねそんなものだった。何より、路面電車やバスには車掌が乗務していた時代だ。大きなガマ口のような黒カバンを首から下げた車掌氏が乗車賃を集めていた。この後、7000形はワンマン化のために、新造車体に更新されていった。オールドファンの記憶に残る丸味のある前面二枚窓の哀愁を帯びた車体は、一枚窓の直線的なものになり、荒川線の新しい時代へ引き継がれていった。好き嫌いはさておいて、停留所の女の子のファッショには70年代を感じる。こういう出立を好む一団がいたように思う。食べることだけに追われた時代が終わり、若者が色々な個性の自己表現を始めた頃だ。世の中にカラーテレビが普及し、ビジュアル社会へと突き進んでいった。


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  1. 2018/03/16(金) 00:00:00|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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