列車を待ちながら微睡んだあの日
ラッチの向こうで季節が移ろいで行く

2017年4月 平成筑豊鉄道 油須原
ラッチの向こうに広がる風景には、待合で微睡んだ周遊券の旅の時代の匂いがする。
★只今、自動更新で「さくらの日に」をお送りしています。
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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真
- 2020/04/12(日) 00:00:00|
- 田川線
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変則三重連が登った築堤は、春の新緑に包まれていた
そこには、炭鉱時代から抜け出た、新たな風景があった

1973年8月 田川線 油須原

2017年4月 平成筑豊鉄道 赤
油須原駅をアップしておいて、あの赤峠の築堤を登場させないわけにはいくまい。当時、撮影スポットへは油須原からとぼとぼと歩いて行ったものだが、現在は油須原と勾金の間に、赤、内田、柿下温泉口の3駅ができている。赤を降りれば、そこはもう築堤の端だ。その赤の駅前には国鉄油須原線の未成線跡を利用した道路が走っているが、路上にはナローのレールが敷かれ、赤村トロッコ油須原線が月に1回程度運行されている。早いもので、このトロッコも生誕14年となったそうだ。
44年前にキューロクの変則三重連を撮りに行った時は、背景に聳える筈の香春岳は、生憎の視界不良だったが、今回はすっきりと晴れ渡り、その全貌を眺められた。石灰石の採掘が続く香春岳は日々姿を変えているので、新旧が比較できず残念だ。一の岳は既に掘り尽くされ上部が無くなってしまった。次は二の岳に取り掛かるようだ。田川、香春岳とくれば、五木寛之の『青春の門』だが、23年間の連載中断から目覚めて、今年1月に「第九部 漂流編」と銘打って連載が再開されている。
44年前は、周囲には木々はなく、如何にも炭田地帯を往く石炭列車という感じだった。それが、今ではご覧通りだ。何処にも炭鉱として栄えていた頃の雰囲気を伝えるものはなく、どう見ても、新緑の木々が綺麗な山間に、単行のキハが似合う場所だ。現在の写真だけをアップしていたら、あの油須原の築堤だとは気付かれない方も多いのではないだろうか。かつての撮影スポットを訪れると、障害物が増えてどうにもならないというのが通例だが、この場所に関してはなかなかの眺めだった。
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- 2017/06/26(月) 00:30:00|
- 田川線
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この鉄路と駅舎は九州にいち早く造られたものだ
広い構内からは石炭時代の栄華が伝わってくる

1973年8月 田川線 油須原
この駅名の「油須原」は、「ゆすばる」と読む。国鉄田川線の現役蒸気機関車の時代には、崎山、油須原、勾金といえば、知らないファンはいないほど有名な撮影地だった。勾配区間であったため、2両、3両のキューロクで石炭列車を押し上げていた。さて、九州の鉄道の歴史は、私設の九州鉄道による1889年の博多-千歳川間の開業に始まる。その頃、筑豊田川の石炭の運び出しのために、民間の豊州鉄道が設立され、行橋-伊田間が開通したのは1895年のことだ。つまり、この油須原駅が開業したのは、122年も前ということになる。
ウェブで「九州最古の駅舎」を検索してみると、嘉例川と大隅横川の駅名がドサッと出てくる。中には門司港の名も散見されるが、こちらは言語道断だろう。この肥薩線の両駅が開業したのは、114年前の1903年で、逓信省鉄道作業局の手によるものだ。この2駅は、一貫して国の管理下にあったため、その由緒はかなり克明に記録保管されている。現存する木造駅舎が、初代のものであることもはっきりしている。そのため、国の登録有形文化財の指定を受け、地元ボランティアと行政によって、町のお宝として大切に扱われるに至っている。
一方、油須原だが、残念ながら駅舎の由緒が定かでない。豊州鉄道、九州鉄道、官営鉄道、国鉄、JR九州、平成筑豊鉄道と、駅舎の大家は既に6代目だ。122年前に民間が設置した駅舎の記録など残っている筈もない。ただ、誰がどうやって調べたのか、建替えの記録もないという。限りなく九州最古の駅舎である可能性が高いが、ただの古い木造駅舎の地位に甘んじている。近くに住んでいれば、初代駅舎であることの証明に乗り出したいところだ。肥薩線には十分に遺産があるのだから、一つくらいへいちくに譲ってやって欲しいものだ。
【追記】
まこべえさん が、国鉄時代である1974年当時の油須原駅舎の写真をアップしてくれました。
どうやら、この駅舎は、近年改装・改築が為されてしまったようです。目的は種々推察されますが、何れにしても、旧駅舎のオリジナリティが、大きく破壊されてしまったことは事実です。本来であれば、文化財としての取り扱いが求められるところですが、残念ながら、安直な改装がなされてしまい、その歴史的・文化的価値が失われてしまいました。構造材は残されているようなので、復元という手もありますが、それでも、覆水盆に返らずです。日本はスクラップ&ビルドのお国柄ですから、古いものへの関心にやや欠けるところがあります。一方で、現在人気のある観光地の多くは、地域の努力によって古いものが大切に守られてきた場所です。古い建造物はそれだけで公共財ですから、これからは、地域で監視し合い、守っていくという気概も必要かと思います。「九州で最も古い骨格をもつかもしれない なんちゃって駅舎」では、何とも哀れです。

2017年4月 平成筑豊鉄道 油須原




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- 2017/06/24(土) 00:30:00|
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