この小さな谷間には多くの陶工が犇めいている
列車は僅かな余地を求めて、神社を掠めて行く

2017年4月 佐世保線 上有田
肥前有田は、600余りの陶工が軒を連ねる磁器の町だ。所謂「やきもの」は、陶器と磁器に大別される。簡単に言えば、粘土を低温で焼いたのが陶器で、長石を含む磁土を高温で焼いたものが磁器だ。この磁器の歴史は比較的浅く、11世紀頃の中国・景徳鎮に始まるとされ、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、肥前領主の鍋島直茂が呼び寄せた朝鮮人陶工・李参平らによって日本に伝えられた。磁土が発見されたのが有田東部の泉山であったため、それまで陶器の唐津焼の産地であった有田が、一躍磁器の産地へと変貌を遂げたというわけだ。有田の磁器は東インド会社により世界に広められことは、あまりにも有名な史実であるが、その積出港が伊万里であったため、「有田焼」とも「伊万里焼」とも言われている。その後、愛知県の瀬戸で磁器が大量生産されるようになり、別名「瀬戸物」とも呼ばれるようになった。
当時の中国、日本の白磁は、欧州列強国では大変貴重な高価なものとして扱われた。現在も「古伊万里」は博物館くらいでしかお目に掛かれないお宝となっている。欧州では、自国生産のための技術開発が競われたが、磁土自体が産出されないため難航を極めた。18世紀になって、ようやくイギリスで「BONE CHINA」と呼ばれる技法が開発された。読んで字のごとく「骨から作った中国白磁」とでも言おうか。骨灰のリン酸カルシウムを陶土に練り込んで、白色陶土の代用とする技法だ。そして、「ウェッジウッド」や「ミントン」、「ロイヤルドルトン」などでボーン・チャイナが生産されるようになった。日本では、「ナルミ」や「ノリタケ」が有名だ。この技法も、「やきもの」の一つのジャンルとして発展を遂げながら現在に至っている。
当ブログの管理人は、焼物にも興味があるので、ついつい長くなってしまった。ということで、九州に来て有田、伊万里を素通りするわけにはいかない。有田の町を散策しに来たわけだが、際どいところを佐世保線が走っているので撮影と相成った。この神社は「陶山神社」で、正式には「すえやまじんじゃ」と読むが、「とうざんじんじゃ」でも通じる。八幡神とともに、最初に登場した鍋島直茂公と李参平公を祀っており、「有田焼陶祖の神」とされている。この有田では、「柿右衛門」、「今右衛門」、「源右衛門」の三つの窯元が「三右衛門」と称され、有田の代表格とされているが、唯一の庶民派の「源」でも、湯飲みや茶碗の一つが一福沢諭吉程だ。もちろん、「柿」や「今」は桁が違う。どちらかというと、志野や織部で一杯やるのが好みなので、今はまだ無名陶工のお手頃品を幾つか仕入れて有田を後にした。



この谷間に「有田千軒」と呼ばれる町並みが形成され、繁栄を極めた。現在は、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。


1894年創業の「深川製磁」。香蘭社深川栄左ヱ門の次男深川忠次が設立。
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- 2017/06/06(火) 00:30:00|
- 佐世保線
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