車窓には穏やかな大村湾が大きく広がる
湾岸を往く俊足国鉄型の引退が始まった

2017年4月 大村線 松原
地図で大村湾を俯瞰すると、殆ど外洋に接していない閉鎖的な海域であることが分る。細い針尾瀬戸と早岐瀬戸の二つで佐世保湾に繋がっているだけだ。そのため、湾奥では湖のような波の静かなエメラルドグリーンの海面が広がっている。湾岸を往く大村線の護岸も、それ程堅固なものではなく、海との穏やかな関係が見て取れる。日本海の風雪の荒海を往く五能線などとは対照的な風景だ。
大村線を往くキハ66も、そろそろ引退の時期を迎えた。つい最近まで、製造された30両全てが健在だったが、今年の春の改正では20両での運用となった。製造時には、ターボ付き水平対向12気筒という、斬新な強力パワーユニットを搭載していたが、折からの国鉄凋落の煽りで、このタイプの気動車は増備されることなく終わった。キハ40を遥かに凌ぐ俊足の国鉄型が見られるのもあと僅かだ。
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- 2020/07/29(水) 00:00:00|
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大村線に往年の急行色気動車が往く
C57の客レが来ればもっといいのだが

2017年4月 大村線 千綿
さすがはお堅い国の機関だけあって、かつての国鉄には何事にも厳格な基準が必要だったようだ。車両の塗装にも、当然のことながら「車両塗色及び表記基準規定」という約束事があった。気動車については、一般形が朱色4号とクリーム4号、急行形は赤11号とクリーム4号、特急形は赤2号にクリーム4号のツートンと決められていた。確かに、キハ20、キハ58、キハ82を一瞥しただけで、普通なのか、急行なのか、特急なのかが直感的に分かった。しかし、乗り間違え防止のための顧客目線の措置とは思えず、階級社会の国鉄組織の仕組みが、車両の格付けにも繋がったのではないだろうか。例えば、車掌にしても、普通、急行、特急と乗車列車の格付けが、車掌の職位にも直結し、特急専務車掌が憧れのポストとなった。
さて、写真のキハ66系は、山陽新幹線の博多開業に合わせて1974年に製造が開始され、筑豊線を中心に運用された。キハ58系の血を引く顔面は、さらに運転席を高くした構造になり、後のキハ40などに引き継がれていく。機関は高出力の水平対向12気筒のターボチャージャー付のDML30HSHが採用され、転換クロスシーや冷房装置も装備し、急行形を凌ぐスペックとなっている。しかしながら、位置付けはあくまで「快速」に充当する一般形だったため、塗装色は朱色4号を使わざるを得なかった。苦肉の策で、急行形の塗分けがなされた。何度か、筑豊本線で見掛けたことがあるが、モノクロ画しか見当たらず、その姿をお目にかけられないのが残念だ。その後、1978年に規定が改訂され、晴れて本物の急行色となった。
現在のキハ66系の働き場所は大村線だ。2編成がかつての急行色に戻されている。国鉄色は絶大な人気があり、各地でリバイバルするケースが多いが、国鉄時代にその塗装が実在した車輛形式での復活は数少ない。タラコのヨンマルもその一例だが、急行色となると、大村線のキハ66は貴重な存在だ。こあらまが現役蒸気を追っていたころの大村線はC57が目当てで、急行色といえば「平戸」くらいだった。博多から長崎や佐世保に向かう優等列車は大概大村線は通らない。キハ58の急行「平戸」は、へそ曲がりにも、筑肥線、松浦線、大村線、長崎線経由で博多と長崎を結んでいた。よき鉄道時代には巡回迷走列車が各地に走っていた。近頃、大村線にも新型車の導入が囁かれ、ノスタルジックな急行色もあと僅かかもしれない。
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- 2019/05/15(水) 00:00:00|
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国鉄急行色を待つも、なかなか現れない
穏やかな大村湾を青いシーサイドライナーが往く

2017年4月 大村線 千綿
九州名物の、如何にも頑丈そうな国鉄生まれのキハ66も、いよいよ更新の時を迎えた。
★只今、予約更新で「春・花の季節」をお送りしています。
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- 2018/04/09(月) 00:00:00|
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どんよりとした空模様の一日が終ろうとしていた
海辺の駅舎にも優しい明りが灯った

2017年4月 大村線 千綿
大村線に早岐の美しいシゴナナの牽く客レが走っていた頃の、1928年に建てられた初代駅舎をご存知の方には、ちょっと不思議な風景に映るかもしれない。実は、1993年に旧駅舎をイメージして、再び木造で建て替えられている。その際に、駅舎のダウンサイジングと地盤のかさ上げがなされている。旧駅舎よりこぢんまりとした、今では調度いい大きさかもしれない。「青春18きっぷ」のポスターにも登場し、今や押しも押されもしない人気の海の見える駅の筆頭格だ。
無人駅化してから、この駅舎の所有者は地元自治体の東彼杵町だ。
町のHP にもちゃんと駅の紹介が載っている。千綿という駅名は合併前の千綿村からきている。活気をなくしていく駅の再生策の公募で選ばれたのがデザイン事務所「UMIHICO ウミヒコ」だったわけだ。デザイン事務所に再建やその運営を任せるのも善し悪しだが、千綿はまずは成功といったところだろう。一昨年カフェも併設され、翌日の仕込みをされていたのか、カレーの良い香りが漂っていた。
訪れたのは、調度そのマシマ・レイルウェイ・ピクチャーズのポスターが撮られた時間帯だ。綺麗な夕日に染まる海と空をお見せしたいところだが、そうは問屋が卸さない。狙い目の快速長崎行きの国鉄急行色のキハ66が定刻に通過していくが、相変わらず生憎の空模様だ。晴れの日もあれば、雨降りの日だってあるさ。与えられた条件下で、その風情を何とか引き出したいのが、写真屋の願いだ。どんよりとした空の下、ゆっくりと静かに光を失ってゆく或る日の千綿駅をお楽しみいただければ幸いだ。



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- 2017/05/13(土) 00:30:00|
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