寂れた駅に再び人の賑わいが戻ってきた
雲海と桜の天空の城は今も人気上昇中だ

2017年4月 播但線 竹田
兵庫県朝来市和田山町竹田にある播但線の竹田駅は、山陽鉄道の新井-和田山間の開業に伴って1906年に誕生した。駅舎は開業時のままで、間もなく満113歳となる。大きく歪んだ瓦屋根が、過ぎ去った年月の重さを感じさせる。かつては、駅舎前の単式ホームと跨線橋で繋がれた島式ホームの2面3線の構造だったが、今では中の1線が撤去されて2面2線になっている。駅舎寄りの上り線に、ヨンマル単行の寺前行きの普通列車が到着した。桜に誘われたのか、リュックを背負った若者たちの一群が、春うららの竹田駅のホームに降り立った。
この駅はつい最近まで何処にでもあるような、寂れるばかりのローカル駅だった。ところが、2006年に日本100名城に選定された竹田城跡の人気上昇に連れて、少しずつ駅に賑わいが戻ってきた。2016年には、特急「はまかぜ」が通年停車するようになり、今も雲海と桜の天空の城を求めて、観光客は絶えないという。駅周辺はかつての城下町で、随所にその名残が感じられる。町の規模に不釣り合いと思われるような大きな寺社が残されているのもその表れだ。リュックの若者たちは、桜が満開の城址へと続く登山道を、楽しそうに登っていった。

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- 2019/03/28(木) 00:00:00|
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城下町の小駅に単行ヨンマルが行き交う
立ち並ぶ町屋の瓦の照り返しが眩しい

2018年4月 播但線 竹田
竹田城の築城は、1431年に但馬守護山名持豊によるもので、初代城主は大田垣光景と伝承されているが、築城を記述した直接的な史料は見つかっていない。最後の城主の赤松広秀は1600年に自刃、竹田城は徳川家康によって廃城となった。それから400年、標高353.7mの古城山の山頂に佇む虎臥城の石垣群は、地元の手により長年守られてきた。近年、雲海に浮かぶ礎が、天空の城とも日本のマチュピチュとも呼ばれ、人気を博すことになった。
現在残る城下町は赤松氏の時代の場所にあり、太田氏の時代には城山の反対側に在ったそうだ。ただし、現在の町屋は江戸時代以降もので、竹田城が実在していた時代のものではない。竹田は山陽鉄道の駅として1906年に開業したが、僅か8カ月後には国有化されている。播但線は、城下町の町屋と寺院の間を抜けている。蒸気時代は、平野部がC11、生野越えの列車がC57だったが、1972年の無煙化で、こあらまは無念にも一歩及ばなかった。
城下町を見下ろすように城跡が聳えているので、当然のことながら鉄撮りが出来ることになる。作例も多いが、一応駅周辺から石垣が見えるかは、前回の訪問で確認済みだった。天気も上々だったので、迷わず機材を担いでの登城となった。運よく城跡の桜が満開になっていた。朝方には僅かな雲海も見られたが、こちらは残念ながら鉄撮りには活かせなかった。古い町並み、古城の城跡、ヨンマルの単行と好物が同時に三つも楽しめた一日だった。





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- 2018/04/29(日) 00:00:00|
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夕日に照らされて朱色のキハが水面に映える
この先には難所の生野越えが待ち受ける

2016年4月 播但線 寺前
播但線もここ寺前から非電化となり、ヨンマルが往復する。先に構える生野越えは、かつてのC57の難所で、非力なキハにも厳しい峠だ。
★只今、予約更新で写真を主とした短文記事でお送りしています。
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- 2017/04/17(月) 00:30:00|
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