駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

或る夏の日の田野

南国宮崎の強い日差しが照り付ける
夏の黒煙があの日の田野へと誘う

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1973年8月 日豊本線 田野

何ということのない駅撮り写真だが、結構お気に入りの一枚だ。当時は、機材を担いで眺めの良い所、煙の出そうな場所へと、線路伝いに苦労して散々歩き回ったものだが、今、何をアップしようかとインデックスを捲っていくと、つい気になるのが、駅でのこんなお手軽ショットだ。あの頃の人の営みを感じられるものに、どうしても目が留まってしまうが、その絶好の場所が駅だということだ。こんなことなら、駅撮り重視で行けば良かったのだが、そこは凡人の先見の明のなさだ。連写の走行写真の合間にある駅のナップが、今となっては当時の生活を窺い知れる貴重なコマだ。

さて、写真の罐は、以前ご紹介したことのあるK-5門デフと高めに付けられたナンバープレートが特徴の宮崎の65号機だ。当時の日豊線には、かつての九州の名機が集結しており、シゴナナ好きには天国のような場所だった。田野の駅はそこそこの大きさで立派なホームだが、どうやら豆炭も使っていたようで、ホームにはその片割が転がっている。貨物牽引の傍ら暫しの休息をとっていたが、こちらに気が付いたのか、リンゲルマンチャートを無視するかのようにな黒煙を上げてくれた。如何にも、南国宮崎の夏を思わせる、眩しいような日差しと、立ち上る黒い煙だった。


★長らく予約更新でお送りしましたが、今回から平常運行に戻ります。九州・山口地方を旅してまいりましたので、写真の整理がつき次第、昔懐かしい現役蒸気の名所群なども含めてお送りする予定です。


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  1. 2017/04/27(木) 00:30:00|
  2. 日豊本線
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最後のC55

C57との共通運用のため、C55が現れるかは運次第だった
旧客の先頭に立つC55に出会った時の喜びは一入だった

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1973年8月 日豊本線 清武―日向沓掛

C55の最後の活躍の場は日豊本線・吉都線で、52号機と57号機の2両が無煙化まで残った。廃車日は52号機が1975年2月17日、57号機が同3月31日と、僅かに57号機の方が後で、最後のC55となった。この57号機は、C55の中で最も原形を留めた美しい罐と言われている。模型化されているC55の殆どがこの機番ということでも、その人気ぶりが窺える。日豊本線無煙化SLさよなら列車を、C57175と重連で牽引したのを最後に廃車となり、出水駅側線に九州の名機として静態保存候補のC57117、C6118とともに保管されていたが、紆余曲折の末に結局3両とも解体されている。復活蒸気が華やかなりし今考えると、全くもったいない話だ。52号機が吉松駅前の鉄道公園に屋根付きで保存され、今も良好な状態が保たれているのとは対照的に、悲運の末路を辿った美しい罐だった。


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  1. 2016/11/03(木) 00:30:00|
  2. 日豊本線
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遅れを取り戻せ

定刻遅れで通過の「富士」のタブレットが交換された
少しでも遅れを取り戻そうと、駅員が懸命に走る

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1973年8月 日豊本線 日向沓掛

九州熊本・大分の震災から二週間が経った。余震が続き、眠れぬ夜が続いている。ゴールデンウィークに入り、多くのボランティアが被災地に向かっているという。高度に分業化、IT化された社会は、人との関わりは希薄だ。その隙間を埋めるためなのか、被災者相手のボランティア活動が盛んだ。ただ、豊かさと便利さの上に築かれた被災社会を復興させるのは、やはり資金と物量だ。篤志家ボランティアの労務提供だけでは到底成し得ない。そこにまた新たな軋轢が生じる。豊かさというのは何処までも酷なもので、人の心を冷たくさせるものなのかもしれない。

すでに日が傾きだした日豊本線日向沓掛駅を、DF50牽引の下りの特急富士が都城方面に通過した。EF65に牽かれて東京を出発したのは前日の夕刻だ。日本最長運転の定期旅客列車は、何百という駅をやり過ごし、やっとここまでたどり着いた。20系客車の編成の一部は切り離され、こんな後ろ姿になっている。「FUJI」というアルファベットは、この地の純日本風の風景には到底似合わない。この先、西鹿児島で、1574.2kmの長旅が終るまで、もう少し南国九州の旅が続く。

この日の富士は生憎遅れを生じていた。交換のキハ10系の上り普通列車は少々待ちくたびれた感だ。富士から受け取ったタブレットを、左肩にしっかりと抱えた駅員が、閉塞解除のため駅舎へと急ぐ。遅れを1秒でも取り戻そうと、思いっきり本気走りだ。この時代、働く人の多くは、社会貢献なんて気の利いたことは考えていなかった。細やかな生活を維持するために、誰もが懸命だった。与えられた任務を愚直なまでに遂行することだけを考えていた。決して豊かとは言えないが、逆に人の支え合いが実感できる温かみのある世の中だった。


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  1. 2016/04/30(土) 03:08:24|
  2. 日豊本線
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遠き夏の日

列車が進む先には、穏やかな日向の田園が広がっていた
それにしても、夕日に輝く九州のライトパシフィックは美しい

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1973年8月 日豊本線 清武―日向沓掛

これまで何度も後追い好きだと書いてきたが、今回もこんな画なのでちょっと一言。後追いの場合、列車が向かっていく先の風景を撮ることになる。鉄道好きなら、列車の先頭の被り付きで、進行方向を眺めているのは飽きないものだろう。動画サイトには前面映像がいくらでもある。そんな、乗り鉄的な要素を持つアングルが後追いではないだろうか。線路の先がどうなっているかは興味が尽きないものだし、それが旅の動機でもある。勿論、見送るという情緒的な要素が一番大事なのだが・・・。

この画を撮ったのは、もうかれこれ43年も前のことだ。情けないことに記憶というものは、どんどん風化していくものだ。30代くらいまでは、当時のことを結構細かく覚えていたような気がするが、40代、50代と徐々に朧げになってきた。嫌なことは忘れてしまうに越したことはないが、覚えておきたいことだって例外ではない。そんな訳で、近頃はそこそこの記録を残すように心掛けている。デジタル化でExifでメタデータが残るのにも、なかなか重宝している。

43年前、日豊本線の線路端で、C57を見送ったあの夏の日のことも、細かくは思い出せない。とにかく暑い日だった事だけは覚えているが、一日の行程も簡単な撮影記録だけが頼みの綱だ。暑さに負けてバスを利用したとあるが、全く記憶に残っていない。ただ、この画を撮ったのは紛れもなく自分だ。今となっては、写真も大切な記憶の一部だろう。この日この場所で、日向の美しい夕日を眺めていたという、遠き夏の日の確かな記憶の断片だ。


お知らせ
暫く出掛けますが、休刊は忍びないので、自動更新で画だけをお送りします。
コメントの返信などは、戻ってからということでお願い致します。

この画の九州が、今大変なことになっています。自然の猛威の前には、人の営みなど、いかに脆いかを見せつけるような惨状です。公安や自衛隊の懸命の救命活動が続いています。こんな状況でもやはり日本です。暴動が起きるでもなく、被災者が助け合う様子が伝えられているのが、せめてもの救いです。これ以上犠牲者がでないことを祈るばかりです。


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  1. 2016/04/16(土) 02:11:54|
  2. 日豊本線
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4次形C57199の肖像 霧島神宮 20時30分

夏の一日も暮れ、駅は漆黒の闇に包まれた
ホームの灯りに照らされたC57の息遣いと虫の音だけが辺りに響いていた

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1973年8月 日豊本線 霧島神宮

この日の夜は、ここ霧島神宮で撮影を行っている。当時のSLダイヤ情報には午前6時から午後6時までの12時間分のダイヤグラムしか掲載されていなかった。撮影時刻は20時30分。旅客列車ならともかく、どうやって調べたのか、記録では、都城からまっすぐここに来て、撮影後、まっすぐ塒の都城に帰っている。

この晩は都城、昨晩は宮崎、一昨晩は南宮崎、その前の晩は都城と日豊線での駅泊を続けている。南国宮崎の夏だから、何処にでも寝られたのであろう。浮浪者同然の流れ者だ。厳冬の北海道ならともかく、夜行を塒にするのも決して楽ではない。夏の九州で行きついた旅のスタイルがこの駅泊だ。さらに、数日そんな放浪を続け、8月30日に熊本から1102ㇾ急行「桜島」に乗っている。熊本発18:40、東京着翌16:06とある。帰宅翌日には新学期が始まる。この夏もアルバイトと撮影旅行に全てが費やされた。蒸気撮影に一番熱中していたころの話だ。

この列車はC57重連の牽く貨物だ。鹿島神宮の駅はカーブしており、外周からの撮影では、どうにも重連を上手く収めることはできない。先頭の4次形を後ろから狙ってみた。この角度から見ると、精悍そのものの4次形は、どう見てもC59の趣だ。
国分方面に向かう下り列車は、すでに霧島越えのサミットの北永野田は越えており、後は南霧島信号所を経て国分に駆け下るだけだ。先ほどまでデッキでは火床の手入れがなされていたが、今は人影も動かなくなった。そして、夜空に二声の汽笛を響かせ、盛大なドレインを切ってC57重連は闇へと消えて行った。


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1枚目のトリミング画

1枚目の画を眺めていて、ブログ用に8ビットのJPEGに圧縮すると、夜空に舞う蒸気が少々雰囲気のないもになってしまった。が、どうにもならない。そこで、光輝くナンバープレートとメーカー銘板を中心にトリミングでくり抜いてみた。4次形がなかなかカッコいいではないか。どちらをアップするか悩んだが、まとめていってしまうことにした。


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  1. 2015/10/06(火) 00:30:15|
  2. 日豊本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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