どうしてこんな処に駅があるのやら
不思議の国の待合所がまた一つ消えた

2017年10月 札沼線 豊ヶ岡
不思議の国の豊ヶ岡も、とうとう列車の来ない空間になってしまった。似たような雰囲気を持つ駅は、探せば幾つか在るものだが、この豊ヶ岡に関しては、同じイメージを抱かせる駅を知らない。こあらま的には、唯一無二の駅ということになる。そんな妖精の棲む駅の秋を回想してみよう。

この駅は前にご紹介したように、国鉄時代の1960年に、地元住民の要望により設置された請願駅になる。そのため、待合所は地元の作になり、晩年は月形町が管理していた。そんな待合所には誰が作ったのかも分からない木彫りの駅名標が勝手に掛けられ、何時しか待合所の一部となっていた。そんな大らかさがこの駅の独特の雰囲気を醸し出していたのかもしれない。

跨線橋の金網が穴だらけになったり、列車を1時間半も止める強者が現れたり、待合所に寝泊まりする輩が居たりもしたが、待合には写真が飾られ、据付のノートには多くの思いが寄せられたりもした。様々な鉄道ファンや旅人が訪れることになり、そうして駅の知名度が全国区になったのは、地元にとっては少しこそばゆいことだっだに違いない。色々とあったこの駅も路線の区間廃止に伴い、2020年5月に惜しまれつつ通らずとなった。待合所に勝手に自作の駅名標をぶら下げた犯人、いや篤志家も名乗り出て、その木彫りの駅名標は月形町に大切に保存されることになった。なかなか粋な話となって目出度しだ。

ちょっと無粋な話になるが、この駅の所在地は開業前から「豊ヶ丘」で、命名以来ずっと変わっていない。国鉄が開業の際に間違ってしまったとしか考えられない。これまで旭川の読みの「がわ」や日ノ影の「ノ」は、国鉄が間違えたのではという疑問を投げかけてきた。旭川はJR北海道が「かわ」に修正し、日ノ影は高千穂鉄道が「之」に直した。この豊ヶ岡はとうとう本来の地名が綴られないまま終わってしまった。間違いに気付いても、おいそれとは直せないのが、国鉄が国鉄である所以で、それは内部の駅名改称の手続きの厳格さと対応の煩雑さから来るものだ。簡単には間違いましたとは切り出せなかったのだろう。

訪れたことのある駅が無くなるのは、やはり寂しいことだ。札沼線は二度目の路線短縮となったが、最早こあらまが知っている札沼線ではなくなってしまった。学園都市線とか北海道医療大学前とか言われても、何のこっちゃだか。函館本線の桑園と留萌本線の石狩沼田を結び、苗穂のC11の貨物が浦臼まで日に1往復するローカル線の記憶は完全に過去のものとなってしまった。これから先、近郊電車の走る札沼線を訪れることはもうないだろう。
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- 2020/09/19(土) 00:00:00|
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日に一本の列車は片道きっぷで戻れない
不思議の終着駅に不思議な時間が流れる

2016年10月 札沼線 新十津川
奈良県吉野郡の母村の大水害から130年が経った
移住者はトック原野での米作りで代を重ねてきた
その村名を頂いた不思議の駅もいよいよ見納めだ
子供たちの笑顔を乗せてたった一本の列車が出発する
誰しもがこうして人の背中の温もりで大きくなった
一人で大人になったような顔をしていると罰が当たるぞ
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- 2019/07/26(金) 00:00:00|
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貨車駅舎が妙に玩具じみて見える
同じ頃、大都市ではラッシュが始まる

2018年10月 札沼線 本中小屋
不夜城の新宿や渋谷が、夕方のラッシュアワーを迎えようとするころ
同じ日本の北の大地の小さな駅では、静寂の夕暮れ時を迎えていた
街の雑踏の駅も、村の鎮守の駅も、夫々の役目を負ってそこに在る
日本中の何処にも、要らない町も、要らない駅も、あろうはずがない
ただ、役割が本当に終わってしまったとき、消えるしかないのだろうか
今年も、鉄道風景を通して、日本に散りばめられた町々を巡って来た
四季折々に見せる美しい列島の表情は、日本の掛け替えのない宝だ
見知らぬ土地で触れる、地元の人々の優しさは、日本の良き遺伝子だ
そんな温かい町へと誘うのは、か細く伸びるローカル線の鉄路だった
何時しか、ローカル鉄道も廃れて、街も村も日本中が殺伐としてきた
人が生きていくためには 人の幸せとは そんな大それたことではない
何かが、少しずつ少しずつ狂い始め 大きな過ちを犯しているような
消えゆく駅舎の灯は、忘れかけた良き日本からの伝言なのかもしれない
何をどう選ぶかは自由だ ただ走り始めた世の中は直ぐには止まれない
迷ったときは、立ち止まって、駅舎から漏れる灯を思い出してほしい
今年もお付き合いいただきありがとうございました
寒い年越しになりそうですが、良いお年をお迎えください
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- 2018/12/31(月) 00:00:00|
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林の中の小さな駅舎に明りが灯った
夕暮時の不思議な時間が流れだす

2016年10月 札沼線 豊ヶ岡
石狩の田園地帯を国道275号線と並走しながら北上する札沼線の非電化区間だが、ここ豊ヶ岡だけは国道から離れて、月形町の豊ヶ丘地区を往く。この地は入植時から「豊ヶ丘」という地名だったようだが、何故か駅名は「豊ヶ岡」となっている。地域住民の申し出によって、58年前に設けられた請願駅だが、今は地域の利用者は殆どいない。乗り降りするのは、多くが全国からやって来る乗り鉄諸氏か駅巡りの愛好家だ。
路線は決して人里離れた場所を走っているわけではないが、ここに限っては鬱蒼とした鉄道林の中にあり秘境駅の風情がある。駅には見付け難い細い砂利道がつながっているだけだ。浦臼側にある車道の跨線橋が無かったら、見通しが効かず、この駅がここまで有名にはならなかったはずだ。小さな下見板張りの木造駅舎があるが、何と言ってもその佇まいが素晴らしく、明かりが灯るのが待ち遠しくなるような建屋だ。
どうしても駅舎の裸電球に明りが灯るのを見たくて、朝方の撮影の後、夕暮時に再びこの駅に戻って来た。薄暗くなった林の中の駅舎の灯は、想像を裏切るものではなかった。手彫りの駅名標がなんともいい雰囲気だ。ここ3年ほど毎年この駅を訪れているが、ホームが徐々に谷側に落ちてきているように感じる。残念なことに、もう修繕する必要もなくなったようだ。この不思議な時間が流れる妖精の駅も風前の灯となった。




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- 2018/11/09(金) 00:00:00|
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今年も豊ヶ岡の木々が色付いた
超過疎ダイヤの人気列車が往く

2017年10月 札沼線 豊ヶ岡
下りの新十津川行きがやって来た。浦臼から先に足を延ばすのは、日にたった一本のこの列車だけだ。限界ダイヤは3往復だと勝手に決めつけていたが、昨春のダイヤ改正で、ここ札沼線に1往復という珍妙な区間が現れた。車内は大いに込み合っているが、乗客のほぼ全てが限定1往復に魅せられた乗り鉄氏の集団だ。終点の新十津川では、滝川に歩いて移動する方も居られるが、多くは折り返しの上りの石狩当別行で、そのまま引き返してくる。そんな事情からか、この列車には運転士以外にも御目付役の車掌氏が乗務している。札沼線の名物列車と云ったところだ。
札沼線にはもう一つ人気スポットがある。それがここ豊ヶ岡だ。札沼線の非電化区間の多くでは、田園地帯を国道と並走しながら北上していくことになるが、この駅だけは国道から離れた開拓地の林の中にある。月形町の豊ケ岡にあり、地区の請願によって設けられた駅だけあって、大変分かりづらい場所にあり、駅周辺に標識もない。このオーバークロスがなければ、容易には見つけ出せないだろう。人気スポットのお決まりの写真になってしまうが、それでも行ってみたくなる魅力のある場所だ。今年の紅葉は少々精彩を欠いてはいたが、それでも秋らしい眺めだった。
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- 2017/11/27(月) 00:00:00|
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