オホーツクの小集落を縫って短い貨物が往く
沿線風景の美しさはローカル線随一だった

1975年3月 湧網線 計呂地
素晴しい。勿論写真の出来ではない。湧網線が走っていた沿線風景のことだ。この計呂地の浜床丹側にあったカーブは、湧網線きってのお立ち台だった。「湧網線 計呂地 キューロク」をヤフーで検索すると、現役蒸気ブログをリードしてきた、まこべえさん、アンギュロンさん、くろくまさんの写真がどっと出てくる。たった日に1往復の路線だったが、北辺のキューロク好きには絶対に外せないところだった。それほど、唯一無二のオホーツクの美しい沿線風景だった。
このブログでは、一応季節に合わせた写真を上梓するように心掛けてる。今回は、私的な曖昧な記憶の検証のために、例外的に季節外れの一枚をアップすることにした。情けないことに、43年前のこの日の出来事の記憶がはっきりしない。このシーンを一緒に撮った方がおられたかを確かめるためだ。当時の北海道では多くの方々と知り合った。一緒に塩狩ユース泊まることになった方もいたのだが、名前すら思い出せない。もしこのブログを見ていたら教えてほしい。
さてさて、どうしてこんな安っぽい構図の写真を撮ったのだろうか。先の諸先輩方の写真は、どれもすっきりしている。多分、計呂地の集落や周辺風景を出来るだけ広く写したかったのだろう。このお立ち台の抜けは、いったいどうなっていたのだろうか。キハでリベンジと行きたいところだが、それも叶わない。
この罐は「69620」、牽いているのは、ボギー台車の有蓋緩急車の「ワムフ100形」の1両のみだ。
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- 2018/06/12(火) 00:00:00|
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その昔、能取湖とサロマ湖を巡るローカル線があった
結氷した湖と流氷のオホーツク海、何とも贅沢な車窓であった

1975年3月 湧網線 計呂地-浜床丹
先日北海道から帰ってきたが、今年の北の大地は冬の到来が早く、既に各地で積雪を記録している。紅葉と新雪が同居する、秋から冬への季節の変化を楽しめる時期でもあるが、思わぬトラブルもあるので要注意だ。車で渡道したため、早々に引き上げることになったが、本当はこれから始まるであろう風雪の季節に、後ろ髪を引かれる思いだった。何度か吹雪にも見舞われ、期せずして冬の訪れを味わうことができたが、余計に銀世界への思いを掻き立てられる結果になった。準備をし直して、とびっきりの厳冬期にでも、また渡道してやろうと企んでいる次第だ。
ということで、今回は冬の到来に誘われて白い北海道でいってみたい。このサロマ湖の見える丘は、当時キューロクを求めて北海道を徘徊していた方々には、忘れ得ぬ懐かしい場所だろう。「計呂地」とは勿論アイヌ語が起源の当て字だが、記憶に残る面白い地名だ。計呂地の駅と中心部は、さらに右手になるが、結氷したサロマ湖岸に計呂地の漁業集落が見えている。後ろの円錐状の山が丸山で、その周辺部では、原生林が開かれ牧場となっている。当のこの立ち位置も牧場の丘の上からだ。遥か彼方には、湖と海とを隔てる砂嘴と湖口を確認することができる。
現在、計呂地駅は旧駅舎を保存した鉄道公園になっており、何故かキューロクではなく、晩年を道東で過ごし北見で廃車となったC58139が、旧客とともに保存されている。客車と元保線区詰所が、ライダーに人気の宿泊施設ということだ。能取湖、サロマ湖、オホーツク海と、四季を通して屈指の沿線風景が眺められた湧網線は、もう一度撮ってみたい路線の筆頭格だ。今や観光路線化がローカル線の生きる道となった。そういう意味では、唯一無二な路線であったことは確かで、本当に悔やまれる。この全長89.8kmの風光明媚な名路線は、惜しくも1987年3月20に営業を終えている。
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- 2016/11/07(月) 00:30:00|
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