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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

ハチロクの日 2019

あの日の筑豊線も相当に暑かった
明け放たれた旧客の窓に暑さを思う

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1971年7月 筑豊本線 中間

今日8月6日は広島の「原爆の日」だ。原爆投下から74年の歳月が流れた。こあらまが若かりし頃、時の大学生を中心に、反戦運動、反核運動、或いは日米安保条約を詰る運動などが盛んだった。反戦を歌うフォークソングなども流行っていた。当時、東西冷戦のベトナム戦争の悲惨な様子がテレビで連日放映されていた。世界的な反戦運動が巻き起こったが、1975年4月30日のサイゴン陥落まで戦いは続いた。それからというもの日本は平和ボケしてしまったかのようだ。空気と水と平和はタダとでも思っているのだろうか。

その後も、開戦の切っ掛けは様々だが、世界各地で戦争は繰り返されている。核兵器を無くすためには、戦争や武力による威圧が無くならなければならない。核兵器廃絶を求めても、化学兵器や生物学的兵器だってある。要は元から絶たなければ兵器廃絶など望めない。そのためには、まず1941年12月8日の真珠湾攻撃に立ち返る必要があるようだ。本来であれば、8月6日は、「何故日本が戦争を起こしてしまったのかを考える日」にしなくてはならない。その切っ掛けとして「原爆の日」があるのであれば大いに結構なことだ。

米国にしても、日本にしても、戦地を彷徨った兵士は、大きく精神を病むことになった。米国では未だにベトナム戦争で病んだ従軍者のケアが続いている。戦地に向かう者には、勝ち負けなどなく、残るのは死か深い悲しみだけだ。近頃の中東の代理戦争でも、犠牲者は何の罪もない子供たちだ。決して、時の為政者の暴走を許してはいけない。先の参院選での投票率の低さは、日本の議会制民主主義の崩壊だ。国民の政治意識レベルの低さは極めて憂うべきことだ。そんな国にこそ、戦争の足音が忍び寄って来ると云うものだ。

最後にハチロクの日について。大正期に誕生したハチロクも戦火を潜り抜けた機関車だ。樺太庁鉄道や台湾総督府鉄道にも供給された罐だ。700両近くが製造されたが、早くに小世帯形式になっていたため、あまり馴染みのない方が多いのでは。写真は香月線のハチロクで、中間のオーバークロスを往く下り列車だと思う。助士も余裕の着座での前方確認だ。全然盛り上がらない「ハチロクの日」だが、「キューロクの日」の前振りということで。こういう趣味を続けられるのも平和であってこそだ。今日は平和についても考えよう。


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  1. 2019/08/06(火) 00:00:00|
  2. 筑豊本線
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ハチロクの日 2017

朝の筑豊線にハチロクの客レがやって来る
大動輪のかつての本線機の穏やかな余生だ

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1971年7月 筑豊本線 中間

暑さにやられて、危なく「ハチロクの日」を忘れてしまうところだった。「キューロクの日」の予告編みたいなものだから、蒸気愛好家の諸先輩方におかれましては、くれぐれもご記憶の程を。今年は筑豊本線を訪れ、連載記事もお送りしたことだし、香月線の客レの筑豊線走行シーンを選んでみた。前方左手に吉田町営住宅が見えるので、現在の東水巻駅の辺りだ。当時、香月線の列車は、朝の通勤通学時間帯だけ客レで運行され、筑豊線にも乗り入れていた。牽引は室木線とともに若松区のハチロクが担当していたが、短距離での行ったり来たりで転車はできず、下りは逆向きで牽いていた。一方、線路端には撮り鉄が。蒸気が左右から引っ切り無しに現れる筑豊線では、来た列車を手持ちで撮るというスタイルだった。

この香月線は、筑豊の典型的な炭鉱盲腸路線だったが、1960年代後半には沿線の炭鉱が全て閉山し、この路線も85年に廃止となっている。廃止といえば、沿線住民が涙ながらに最終列車を見送るというシーンを想像しがちだが、それは鉄道好きの単なる思い込みにしか過ぎない。この路線は、沿線自治体と市民の廃止運動によって葬られている。モータリゼーションが進展し始めた時代、地域開発と発展のためには、香月線のようなオンボロ鉄道は邪魔な存在と見なされた。東京の都電とトロリーバスが大幅縮小されたのも、前回の東京オリンピックを契機とした、同じような理由からだった。そして今度は、夕張発の廃止ビジネスが始まろうとしている。ローカル線も、廃止の代償の金銭的価値が値踏みされる時代となった。


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  1. 2017/08/06(日) 21:00:00|
  2. 筑豊本線
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筑豊本線を歩く 冷水の峠道

冷水は優等列車も越えた本線筋の難所だった
今では鄙びた旧街道の峠の細道だ

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1971年7月 筑豊本線 冷水峠

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2017年4月 筑豊本線 筑前内野

筑豊本線の難所である冷水峠は、飯塚市にある筑前内野駅と、筑紫野市の筑前山家(やまえ)駅の間にある。分水嶺の3,286mの冷水トンネルまでは、両側とも25‰の連続急勾配が続き、多くの貨物列車が補機を従えていた。江戸時代には、ここを長崎街道が通っており、内野宿と山家宿はその宿場だった。現在の長崎街道は国道200号線だが、峠を冷水トンネルで貫くバイパスの冷水道路が完成してからは、九州の物流動脈の一つになっている。2007年の冷水道路の無料化で、さらに交通量は大きく増したようだ。その一方で、冷水峠を越える筑豊本線の桂川-原田間は、「原田線」と呼ばれ、電化幹線の「福北ゆたか線」のローカル支線のような存在になっており、非電化のまま細々と運行が続けられている。

そんな原田線においても、博多を経由せずに、折尾-原田間を走り抜ける優等列車が存在した時代があった。写真の1971年当時は、急行「天草」と特急「かもめ」が走っていた。「天草」は京都-熊本間の夜行客車列車で、本務機はDD51であったがD60の補機が付いていた。一方、「かもめ」は京都発着のキハ82で、小倉分割併合で、佐世保編成が筑豊本線経由、長崎編成が博多経由で、原田-肥前山口間は2本の「かもめ」が10分程の時間差で運行されていた。石炭で賑わう直方、飯塚にもそれなりの配慮がなされていた。当時の黒一色だった筑豊本線には、鮮やかな特急色の気動車は眩しい存在だった。現在のように、博多に一極集中した運行形態からは、考えられないような時代が在ったということだ。

折尾から冷水峠までの筑豊本線を見てきたが、石炭列車が走っていた頃とは、全く趣の異なる路線になっていた。列車の運行形態は、「若松線」、「福北ゆたか線」、「原田線」の3線に分割され、筑豊本線一体としての使命は既に終わっていた。それは、炭鉱地帯だった筑豊という地域が、様変わりしたからに他ならない。かつての炭都が、石炭に頼らない道を歩んできた結果だ。たまたま、筑豊本線沿いの町々は、博多・福岡、北九州のベットタウンとしての地の利があったために荒廃が避けられた。筑豊炭田は規模は大きかったが、良質炭の枯渇が早かったために、500程あった炭鉱の全てが1975年までにその姿を消している。当時は、日本の高度成長期の末期で、色々な意味で、日本全体も節目を迎えていた。


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冷水峠を登る単行のヨンマル

原田線の途中駅である、上穂波、筑前内野、筑前山家の3駅は、何れも棒線化され、列車交換は出来なくなっている。かつて、ここでC55の客レやD60重連の貨物、キハ82の「かもめ」などが交換していた。原田線とは呼ばれるようになったが、本線の一部であることに変わりはない。災害時などの緊急使用に備えて、交換設備くらいは残しておいた方がいいように思うが、それも叶わないのが、今の鉄道の苦しいところだ。内野、山家の2番線には、原田線が本線筋だった頃の賑わいが偲ばれる。


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筑前内野

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筑前山家

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桜の内野宿 正面奥が内野駅


これで「筑豊本線を歩く」を終わります。


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  1. 2017/06/30(金) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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筑豊本線を歩く 筑豊の要 直方

筑豊が炭鉱で栄えていた頃、直方は蒸気の煙で煤けていた
よくある近郊線の駅となった今では、石炭の匂いは何処にもない

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1971年7月 筑豊本線 直方

かつて筑豊が石炭で繁栄していた頃、直方は筑豊本線の要だった。筑豊三都と呼ばれる飯塚、田川、直方の石炭は、まず石炭列車により直方に集められていた。筑豊最大の炭都であった田川からの輸送を担う伊田線も全線複線で、ピストン輸送がなされていた。直方で列車編成が組み直され、若松や北九州の各地へと供給されていった。そのため直方には広いヤードと機関区が設置され、昼夜を問わず列車の往来と入換作業が繰り返されていた。直方機関区には、常に多くの蒸気機関車が屯して出番を待っていた。その煤煙で直方の町は煤けているような印象すらあった。

一枚目の写真は、直方が蒸気機関車による石炭輸送を行っていた時代のものだ。蒸気列車の多さに、こんな余裕の写真も撮っている。これが蒸気機関車ブームの頃の撮影風景だ。飯塚方面から直方に進入してきたC57の客レだが、この170号機は東北一筋の罐だった。当時は車検切れの車から廃車という時代になり、地域性などお構いなしに車検が残っているものを全国的に使いまわしていた。九州らしくない罐もこうして筑豊を走っていた。背景には、右手に機関区の扇形機関庫と寺、左手にアーチ状の道路橋が見える。左の塔は、終日続く入換作業のための照明装置だ。

さて、直方の現在はと言えば、「福北ゆたか線」を運行する筑豊篠栗鉄道事業部とその運輸センターが置かれている。列車表示の電光掲示板からは、頻繁に列車が発着していることが分かる。車両数から見て、博多方面の方が乗客が多いようだ。直方機関区は直方運輸センターとなり、福北ゆたか線の電車と原田線の気動車が所属する。隅っこの平成筑豊鉄道の直方駅の後ろには、あの黒田藩士一族の菩提寺である雲心寺が変わらずあり、アーチ道路橋も残っているが、何所から見ても、直方には炭鉱時代の面影はない。町というものは、時代に翻弄される生き物ということだ。

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直方駅前には、直方出身力士の魁皇、現浅香山親方の像が出現

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列車の電光掲示板には「福北ゆたか線」の表示のみで、「筑豊本線」の名は何所にも見当たらない

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直方運輸センター 今では職員はマイカー通勤だ かつてはこの辺りに扇形機関庫があった

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福北ゆたか線の電車と原田線の気動車 もう煤煙に煤けていた時代は感じられない

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平成筑豊鉄道のホーム 雲心寺とアーチ型の道路橋は昔のままだ


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  1. 2017/06/12(月) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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筑豊本線を歩く 筑前垣生今昔

かつての石炭列車の道を、蓄電駆動電車が往く
閉山から半世紀、街は新たな歩みの最中だ

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1971年7月 筑豊本線 筑前垣生

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2017年4月 同所

今回は完全な今昔物だ。1971年夏の九州行きで、九州を去る日、品川行き桜島51号の時間まで筑豊本線で過ごした。さすがに最終日となるともう体力は限界に来ている。東京を出た時から既に10kg近く体重が減っている。顔も日焼けで真っ黒で、白目が妙に目立つ。前夜は「かいもん」だったが、風呂に入りそびれたので、少々他人迷惑な状態にもなっている。もう灼熱の筑豊本線を歩く気力は残っておらず、筑前垣生の駅傍で、引っ切り無しにやって来る蒸気列車を、定点観測のように撮っていた。ここからの望遠画 を以前アップしたが、今回は標準レンズ仕様だ。

そんな訳で、今回筑前垣生を訪れた際に、その定点観測場所を探してみると、何とか立ち入りが許されそうな場所だったので、全く同じアングルで撮ってみた。やって来たのは非電化の若松線対応の「DENCHA」の愛称をもつ近郊形交流用蓄電池駆動電車のBEC819系だ。床下の青い箱がマンガン酸リチウムイオン電池になっている。今昔が意外と似たような背景になったのには驚きだ。ただ、駅舎が建て替えられているのは一目瞭然で、跨線橋も新たに設けられている。蒸気の時代にも度々登場する線路沿いの垣生公園の桜がちょうど満開で花見客で賑わっていた。


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筑前垣生の新しい駅舎も木造だ

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この古いベンチは旧駅舎のものだろうか

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桜が満開の垣生公園

さて、処変わって次は中間駅だ。駅舎はかなり改築されているが、ベースは初代駅舎のようだ。中間市の玄関駅だけあって、1日乗車人員は2,000人近い。マルス設置駅でみどりの窓口もあり、跨線橋にはエレベーターも設置されている。駅から延びる旧香月線跡地を利用した「もやい通り」には、世界各地の石造のレプリカが並ぶ、屋根のない博物館なるものがあるが、当のハチロクが行き来した香月線の痕跡はほぼ無くなってしまっていた。


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2017年4月 筑豊本線 中間

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中間駅構内 エレベータ付の跨線橋の向こうが西口

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旧香月線起点地の碑


最後に昔ながらの筑前植木の駅舎も載せておこう。ここも宅地化されているため、1,000人を越える乗降がある。


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2017年4月 同筑豊本線 筑前植木


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  1. 2017/05/31(水) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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