駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

D60客レ驀進

筑豊炭田の繁栄を象徴するかのような非電化の複々線
古武士の形相のD60が力強く日本を支えていた時代だ

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1971年7月 筑豊本線 折尾-中間

筑豊本線は、言わずと知れた筑豊炭田の石炭を、積出港の若松や北九州の工業地域へ輸送するための路線だった。筑豊地方の飯塚市、直方市、田川市を筑豊三都と呼ぶが、明治期に炭鉱が開かれるまでは、閑散とした農村が続くだけの地域だったそうだ。「筑豊」という名も、「筑前」と「豊前」から来ているというから、近世の新興地域ということが分る。ちなみに、石炭で財を成した筑豊御三家なるものもあるが、麻生、貝島、安川と聞けば頷けるところだ。筑豊のその後は、飯塚、直方は北九州のベットタウン化したらしいが、地の利の悪い田川は、過疎地域に指定されてしまったようだ。

当時の折尾-中間間は、複線の本線に、鹿児島本線への複線の短絡線が並ぶ非電化の複々線を、蒸気列車が頻繁に走り抜ける蒸気天国だった。数時間もいれば、贅沢にも腹が膨れ、貴重なフィルムが勿体ないとシャッターを切るのも控えたものだ。沿線には大小の炭鉱があり、貨物線が毛細血管のように張り巡らされ、動脈である筑豊本線に石炭が掻き集められた。中間にも炭鉱があり、駅からは香月線とは別に貨物線が2線伸びていた。これらの貨物線はヤマの閉鎖とともに全て廃線になった。いつか、この地が繁栄した証のボタ山と廃線跡を巡る旅をしたいと思っている。

やって来たのはD60牽引の客レだが、平坦線にしては随分とハッスルしている。この頃のこの区間では、直前に最後のD50が休車にはなっていたが、それでも8620、9600、C55、C57、D60、D51と多彩な顔ぶれが楽しめた。冷水峠を除けば平坦線のためか、その運用は大雑把だったようで、C55の石炭列車が来たかと思えば、D60の旅客列車が現れるといった具合だった。それにしても、この画の立ち位置は、今では絶対御法度の禁断のアングルだ。おまけに機関士氏のドレインサービスまで付いている。今のような豊かさは無かったが、近くに国鉄関係者がいたとはいえ、こんなことが許された、人が本音で生きやすい世の中だった。


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  1. 2016/04/08(金) 00:55:55|
  2. 筑豊本線
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オートフォーカス考

空車のセキの長大編成を引いて、筑豊の古武士が姿を現した。
こうしてアップで眺めてみると、このD60も、なかなかの男前だ。

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1971年7月 筑豊本線 筑前垣生

この画を撮った頃はオートフォーカスなど無く、ピント合わせは全て手動だった。望遠200mmの前面大写しのジャスピン写真は、それなりに腕が必要だった。予め撮る位置を決めておき、現物で微調整をする「置きピン」なのだが、成否は現像してみてのお楽しみだった。この画は一応成功例の部類だが、その裏で、甘々の画をかなりの数、撮り溜めている。

この画のような構図であれば、今のカメラではAF機構が間違えなく獲物を捉えて、常にジャスピンの状態にしてくれるはずだ。いい時代になったものだ。ただ風景的な画の場合はそうはいかない。空、ガス、煙、大きさ、モノトーン等の障害が待ち受ける。迷ってしまうと適当に合わせるということもしない。こうなると、三脚固定時はなかなか厳しい。本番時に迂闊にAF-ONボタンを押せない。相変わらず置きピン、マニュアル微調整が主流だ。

ところが、AFのレンズのマニュアル操作はとてもし辛い。一眼の場合は位相差検出方式をとっているので、無限遠のピント合わせが必要となる。おまけに、バッテリーを長持ちされるために、ピントリングが思いっきり軽くできているし、ストロークも短い。ちょっと触れるとすぐ大きく動いてしまう。夜間撮影でのピント合わせは、特段に難しくなる。更なる試練は、ボディーファインダーのスクリーンがマニュアル用には出来ていないことだ。ピント合わせのインジケーターもあるが風景的な画では役に立たない。目が良くない小生には大変困ってしまう。

一方、手持ち撮影の際は、俄然AFとVRが力を発揮する。人や鳥獣を撮るときには、まったく便利なアイテムだ。被写体の表情や動きに集中できるのは、大変ありがたい。

便利なんだが、不便なんだか。役に立っているのか、邪魔されているのか。小生の場合は微妙だが、まあ使いようということだろう。どうしても付いてきてしまう機能なので、何とか活用する術を身に着ける他ない。完全に機械がピント合わせを代行してくれないとことが、面白いところなのかもしれない。

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  1. 2015/02/26(木) 22:42:49|
  2. 筑豊本線
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筑豊 二題 ①夏の全開

ひっきりなしに蒸気が行き交う筑豊の大動脈。
その線路際の小さな路地にも、ささやかだが穏やかな庶民生活の一コマがあった。

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1971年7月  筑豊本線  折尾-中間

エアコンのない時代、夏に涼を求めて窓や戸を明け放つのは当たり前だった。まるで約束事でもあるかのように綺麗に全戸のドアが開いている。この頃は全国に木造長屋が多く残っていたが、さすがは早くから開けた地域だけあって、当時としては洒落た集合住宅だ。
この中には留守のお宅もあっただろう。今では不用心というほかないが、盗る人も無く、盗られるほどのモノも無かったのだろう。夕立でも来たら、そこのおじさんが全部閉めてくれるはずだ。夕餉の時間ともなれば賑やかな団欒が戸口から聞こえてきそうだ。ゴミバケツや木の庭柵が妙に懐かしい。
今日のように、モノが豊かになるのは決して悪いことではない。とても有り難いことだ。ただ、所詮モノはモノでしかない。
何故か、こんなアングルには古老のハチロクが良く似合う。

  1. 2014/12/14(日) 23:56:53|
  2. 筑豊本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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