駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

筑豊本線を歩く 筑豊の要 直方

筑豊が炭鉱で栄えていた頃、直方は蒸気の煙で煤けていた
よくある近郊線の駅となった今では、石炭の匂いは何処にもない

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1971年7月 筑豊本線 直方

かつて筑豊が石炭で繁栄していた頃、直方は筑豊本線の要だった。筑豊三都と呼ばれる飯塚、田川、直方の石炭は、まず石炭列車により直方に集められていた。筑豊最大の炭都であった田川からの輸送を担う伊田線も全線複線で、ピストン輸送がなされていた。直方で列車編成が組み直され、若松や北九州の各地へと供給されていった。そのため直方には広いヤードと機関区が設置され、昼夜を問わず列車の往来と入換作業が繰り返されていた。直方機関区には、常に多くの蒸気機関車が屯して出番を待っていた。その煤煙で直方の町は煤けているような印象すらあった。

一枚目の写真は、直方が蒸気機関車による石炭輸送を行っていた時代のものだ。蒸気列車の多さに、こんな余裕の写真も撮っている。これが蒸気機関車ブームの頃の撮影風景だ。飯塚方面から直方に進入してきたC57の客レだが、この170号機は東北一筋の罐だった。当時は車検切れの車から廃車という時代になり、地域性などお構いなしに車検が残っているものを全国的に使いまわしていた。九州らしくない罐もこうして筑豊を走っていた。背景には、右手に機関区の扇形機関庫と寺、左手にアーチ状の道路橋が見える。左の塔は、終日続く入換作業のための照明装置だ。

さて、直方の現在はと言えば、「福北ゆたか線」を運行する筑豊篠栗鉄道事業部とその運輸センターが置かれている。列車表示の電光掲示板からは、頻繁に列車が発着していることが分かる。車両数から見て、博多方面の方が乗客が多いようだ。直方機関区は直方運輸センターとなり、福北ゆたか線の電車と原田線の気動車が所属する。隅っこの平成筑豊鉄道の直方駅の後ろには、あの黒田藩士一族の菩提寺である雲心寺が変わらずあり、アーチ道路橋も残っているが、何所から見ても、直方には炭鉱時代の面影はない。町というものは、時代に翻弄される生き物ということだ。

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直方駅前には、直方出身力士の魁皇、現浅香山親方の像が出現

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列車の電光掲示板には「福北ゆたか線」の表示のみで、「筑豊本線」の名は何所にも見当たらない

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直方運輸センター 今では職員はマイカー通勤だ かつてはこの辺りに扇形機関庫があった

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福北ゆたか線の電車と原田線の気動車 もう煤煙に煤けていた時代は感じられない

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平成筑豊鉄道のホーム 雲心寺とアーチ型の道路橋は昔のままだ


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  1. 2017/06/12(月) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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筑豊本線を歩く 筑前垣生今昔

かつての石炭列車の道を、蓄電駆動電車が往く
閉山から半世紀、街は新たな歩みの最中だ

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1971年7月 筑豊本線 筑前垣生

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2017年4月 同所

今回は完全な今昔物だ。1971年夏の九州行きで、九州を去る日、品川行き桜島51号の時間まで筑豊本線で過ごした。さすがに最終日となるともう体力は限界に来ている。東京を出た時から既に10kg近く体重が減っている。顔も日焼けで真っ黒で、白目が妙に目立つ。前夜は「かいもん」だったが、風呂に入りそびれたので、少々他人迷惑な状態にもなっている。もう灼熱の筑豊本線を歩く気力は残っておらず、筑前垣生の駅傍で、引っ切り無しにやって来る蒸気列車を、定点観測のように撮っていた。ここからの望遠画 を以前アップしたが、今回は標準レンズ仕様だ。

そんな訳で、今回筑前垣生を訪れた際に、その定点観測場所を探してみると、何とか立ち入りが許されそうな場所だったので、全く同じアングルで撮ってみた。やって来たのは非電化の若松線対応の「DENCHA」の愛称をもつ近郊形交流用蓄電池駆動電車のBEC819系だ。床下の青い箱がマンガン酸リチウムイオン電池になっている。今昔が意外と似たような背景になったのには驚きだ。ただ、駅舎が建て替えられているのは一目瞭然で、跨線橋も新たに設けられている。蒸気の時代にも度々登場する線路沿いの垣生公園の桜がちょうど満開で花見客で賑わっていた。


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筑前垣生の新しい駅舎も木造だ

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この古いベンチは旧駅舎のものだろうか

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桜が満開の垣生公園

さて、処変わって次は中間駅だ。駅舎はかなり改築されているが、ベースは初代駅舎のようだ。中間市の玄関駅だけあって、1日乗車人員は2,000人近い。マルス設置駅でみどりの窓口もあり、跨線橋にはエレベーターも設置されている。駅から延びる旧香月線跡地を利用した「もやい通り」には、世界各地の石造のレプリカが並ぶ、屋根のない博物館なるものがあるが、当のハチロクが行き来した香月線の痕跡はほぼ無くなってしまっていた。


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2017年4月 筑豊本線 中間

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中間駅構内 エレベータ付の跨線橋の向こうが西口

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旧香月線起点地の碑


最後に昔ながらの筑前植木の駅舎も載せておこう。ここも宅地化されているため、1,000人を越える乗降がある。


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2017年4月 同筑豊本線 筑前植木


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  1. 2017/05/31(水) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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筑豊本線を歩く 複々線の面影

蒸気牽引の石炭列車が行き交った複々線は無くなっていた
炭鉱の気配は消え、今や通勤列車が行き交う博多の近郊線だ

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1971年7月 筑豊本線 折尾-中間

「上も行く行く 下も行く 一度おいでよ 折尾駅」
「なんぼ 別れがつらいとて 別れにゃならない 上と下」
これは1971年に折尾駅で押したDISCOVER JAPANのスタンプにあった都々逸風の忘れられない名文句だ。
今回は、蒸気が嫌というほど行き交っていた、その折尾-中間間の線路配置の現状を中心にお送りしたい。


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筑豊本線沿線の直方、飯塚などは、今では博多・福岡、北九州への通勤者のベットタウンとなっている。そのため、筑豊本線もその流れに準じた運行形態になっている。鹿児島本線の黒崎から筑豊本線、篠栗線を経由して博多に至る「福北ゆたか線」が今の運転系統だ。福岡、北九州、筑豊の一文字ずつを繋ぎ合わせた愛称名が使われている。他区間の折尾-若松間は若松線、桂川-原田間は原田線の愛称が付けられている。福北ゆたか線は電化されたが、若松線と原田線は非電化のままだ。つまり、筑豊本線というのは正式な路線名であることには変わりないが、もはや前面には出てこない隠れた名称となっている。

以前の折尾-中間間は、筑豊本線の複線と、鹿児島本線門司方面との短絡線の複線の計4線が並行する複々線区間だった。折尾から筑豊本線の上下線の南側に短絡線の上下線が並行し、両駅間の中程で、平面交差を避けるために、筑豊本線の下り線と短絡線の上り線が立体交差して、中間以西の複線区間へと接続されていた。このことをよく覚えておかないと、撮影どころか危ない目にも遭うことになった。このシリーズの前回記事 のキューロクの石炭列車は、中間から上りの短絡線に入り北九州方面に向かっている。その向こうに見えるのが筑豊本線の上り線となり、若松に続いている。今回の写真はその列車の立体交差後の後追いで、正面が折尾方向で、右が短絡線の下り線となる。撮影の立ち位置が本線の下り線の築堤となる。以前、D60の驀進シーン をアップしたが、これは現東水巻駅辺りの中間寄りの上り短絡線を北九州方面に向かっている。立体交差に備えて、左右2線ずつが距離を置き始めている。

現在は、その短絡線の2線が残され、旧本線筋の2線のレールは剥がされて空地になっている。若松線は折尾駅付近ですまなそうに平面交差の単線で分岐し、折尾駅からは再び複線に戻っている。若松側にも博多方面からの単線の短絡線があったが、こちらは僅かな痕跡を残すのみとなっている。ということで、今は完全に「福北ゆたか線」仕様の線路配置になり、電車が頻繁に行き来している。若松線に向かう列車には架線式蓄電池電車が導入され、こちらも気動車は消えている。石炭輸送の大動脈だった筑豊本線の複々線は消えていたが、沿線の街は衰退どころか、都市化が進んでいる。立体交差部の線路に挟まれた畑で農作業をされていた年配の方にお話を伺ったが、昔は家の少ない寂しい場所だったが、随分と賑やかになったとのことだ。やはり、この地域は九州の産業の中軸地帯に隣接していたことが幸いしたようだ。


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折尾の分岐 右が短絡線というより「福北ゆたか線」の本線 左の単線が本来の本線で若松方面

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折尾駅近くには西鉄北九州線の「ねじりまんぽ」の煉瓦造りのアーチ橋が残っている

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折尾近くを走る「福北ゆたか線」の下り列車 線路左手の空地が筑豊本線の旧本線跡

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かつての立体交差地点 奥が中間方面 右の築堤が旧本線の下り線

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立体交差部分 橋桁は取り払われている

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立体交差部分を往く上り若松行きBEC819系 

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立体交差部周辺の線路の間には畑がある すべてが鉄道用地ではないようだ

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最も北側にあった旧本線上り線の跡地 正面が折尾方向

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この立体交差付近には、4本の線路を横切る細い道があり、立派な煉瓦積みのトンネルも残る

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東水巻駅から折尾方面 右が下り線、左が上り線、真ん中は旧本線下り線の築堤跡


話はガラッと変わるが、折尾駅近くの堀川運河沿いの飲み屋街は昔のままだ。小さな木造酒場が軒を連ねる眺めは、洒落た新駅舎とは全くもってミスマッチだ。その昔、近くの八幡工業地帯の三交代制の工員さんたちが、朝昼晩とよく来たところのようだ。看板には「角うちできます」や「立ち飲み」と書かれた店も並び、超一流の庶民酒場だ。近くには角打で有名な宮原酒店もあったりする。所謂「せんべろ」の典型のような飲み屋街だ。ちなみに中間出身の高倉健はこの飲み屋街の道を、東筑高等学校へ通う通学路にしていたそうだ。筑豊線の線路配置などより、こちらをピックアップした方がよほど面白いと思うが、場違いなのでやめておこう。気になった方は是非実際に訪ねられてみるといい。この飲み屋街も再開発計画地区の中にあるのでお早めに。


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  1. 2017/05/21(日) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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筑豊本線を歩く 吉田住宅は今

炭住のスラム化対策だった町営住宅
半世紀の時が過ぎ、その役目を終えようとしている

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1971年7月 筑豊本線 折尾-中間

現役蒸気機関車を撮っていた頃、九州旅行の行き帰りに訪れたのが、九州の玄関口にある筑豊本線だった。まずは飽きる程の蒸気を眺めてから九州内へと向かい、最後の煙分補給をして九州を後にしたものだ。特に鹿児島本線からの短絡線のある折尾-中間間は、変化のある複々線が人気で、多くの方々が訪れた筈だ。両駅間の中程に線路が立体交差する場所があり、撮影の核心部だった。そして、その線路脇に当時としては洒落た白いコンクリート造りの集合住宅が並んでいたことを記憶されていることだろう。今回のお題はこの集合住宅だ。このブログを始めた頃、こんな眺め をお伝えしたこともある。

この住宅のことを水巻町誌などで調べて行くと、筑豊特有の意外な成り立ちが浮かび上がってくる。水巻町には、日本炭鉱第一礦の閉山直前の1966年には、所謂炭鉱住宅区が12箇所あったそうだ。当時折尾から水巻と芦屋の炭鉱に伸びる日本炭礦専用鉄道が走っていたことをご記憶の方もおられよう。日炭第一礦の閉山によるスラム化対策のため、その炭住のあった吉田地区に、国の支援による「住宅改良事業」を適用して、1969年にこの「吉田町営住宅」が建て始められた。つまり、この写真を撮った2年前までは、ここには木造長屋の鄙びた炭住があったということだ。

吉田地区には1988年に東水巻駅が設置され、現在では公共施設も整った交通の便のよい場所になっている。駅周辺には博多や北九州への通勤者と思われる方々の一戸建てがびっしり並び、新興住宅街の側面もある。吉田住宅は今もその姿を残しているが、老朽化が酷いため建替計画があり、殆どの住民は既に退去している。ほぼ廃墟化した団地は、治安も悪くなっているという。ただ、栄えていた時代の炭鉱社会の心地よさが忘れられなかったのか、ここに長年住み続けられた方が多かったという。この住宅が建て替えられた時、筑豊からまた一つ炭鉱の残渣が消えることになるだろう。


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東水巻駅 上下線の線路幅だけでこれだけある

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駅周辺には一戸建てがびっしりだ

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折尾に向かう上り列車と線路脇の吉田住宅

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以前の記事のハチロクを撮ったのはこの場所か?

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住宅は2階建てのメゾネットタイプで、1階に台所、トイレ、風呂がある 広さはおよそ40平米だ

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殆どが空き家で、ドアのベニヤの破れが、何とも侘しい

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桜が咲いたが、もう愛でる人は殆どいない


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  1. 2017/05/17(水) 00:30:00|
  2. 筑豊本線
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D60客レ驀進

筑豊炭田の繁栄を象徴するかのような非電化の複々線
古武士の形相のD60が力強く日本を支えていた時代だ

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1971年7月 筑豊本線 折尾-中間

筑豊本線は、言わずと知れた筑豊炭田の石炭を、積出港の若松や北九州の工業地域へ輸送するための路線だった。筑豊地方の飯塚市、直方市、田川市を筑豊三都と呼ぶが、明治期に炭鉱が開かれるまでは、閑散とした農村が続くだけの地域だったそうだ。「筑豊」という名も、「筑前」と「豊前」から来ているというから、近世の新興地域ということが分る。ちなみに、石炭で財を成した筑豊御三家なるものもあるが、麻生、貝島、安川と聞けば頷けるところだ。筑豊のその後は、飯塚、直方は北九州のベットタウン化したらしいが、地の利の悪い田川は、過疎地域に指定されてしまったようだ。

当時の折尾-中間間は、複線の本線に、鹿児島本線への複線の短絡線が並ぶ非電化の複々線を、蒸気列車が頻繁に走り抜ける蒸気天国だった。数時間もいれば、贅沢にも腹が膨れ、貴重なフィルムが勿体ないとシャッターを切るのも控えたものだ。沿線には大小の炭鉱があり、貨物線が毛細血管のように張り巡らされ、動脈である筑豊本線に石炭が掻き集められた。中間にも炭鉱があり、駅からは香月線とは別に貨物線が2線伸びていた。これらの貨物線はヤマの閉鎖とともに全て廃線になった。いつか、この地が繁栄した証のボタ山と廃線跡を巡る旅をしたいと思っている。

やって来たのはD60牽引の客レだが、平坦線にしては随分とハッスルしている。この頃のこの区間では、直前に最後のD50が休車にはなっていたが、それでも8620、9600、C55、C57、D60、D51と多彩な顔ぶれが楽しめた。冷水峠を除けば平坦線のためか、その運用は大雑把だったようで、C55の石炭列車が来たかと思えば、D60の旅客列車が現れるといった具合だった。それにしても、この画の立ち位置は、今では絶対御法度の禁断のアングルだ。おまけに機関士氏のドレインサービスまで付いている。今のような豊かさは無かったが、近くに国鉄関係者がいたとはいえ、こんなことが許された、人が本音で生きやすい世の中だった。


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  1. 2016/04/08(金) 00:55:55|
  2. 筑豊本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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