モノクロがよく似合うクラの佇まいだ
蒸気の寝息が今にも聞こえてきそうだ

1973年3月 日高本線 静内
やはり、蒸気機関車はいいもんだ。鉄道車両として唯一無二の特別な存在だ。薄暗いクラの中で静かに寝息をたてる罐の生命感がたまらない。独特のタンク機の後姿にも惚れ直してしまう。もう一度、あの日の感動を味わってみたいが、そうはいかないのが世の常だ。短い期間ではあったが、現役蒸気に燃えた時代があったことに感謝するばかりだ。
生まれ育った東京練馬には、今も昔も国鉄/JRは走っておらず、西武と東武の大手私鉄の牙城だ。小学4年生くらいの時、どうしても国鉄を見たくて、自転車で環七を辿って中央線を見に行っていた。当時、中央線の高架化が始まっており、地上駅の中野の西側にある跨線橋をやっと見つけて、そこが指定席だった。何より、エンジン音を響かせて高架に駆け上がっていくキハ58の急行アルプスが好きだった。
中央線の新鮮味が落ちてきた頃、環七を逆に進めば赤羽に行けることが分かった。何時間も掛かって着いた東北線は国鉄パラダイスだった。こだま型はビュンビュン通るは、電機の客車列車もバンバン来るは、82形気動車の「つばさ」には大感激だった。しかし、自転車では余りに遠く、そう簡単には行くことは出来なかった。その後は、僅かな小遣いをコツコツと貯めて、電車で上野や東京に行ったりもした。
そうこうしているうちに、八高線に蒸気が走っていると友達が言い出した。早速、親を口説いて行ってみると、もう一目惚れだ。一気に気動車や電車のことは吹っ飛んだ。すぐさま八高線通いが始まったが、それも束の間。あっという間に八高線はDD51に蝕まれていった。中学生になったばかりの夜行日帰りの小海線を口火に、そこから先は全国行脚に明け暮れたが、ファンの多さに何度か怯んだこともあった。
そして、蒸気無きあと、また気動車に戻ったような気がする。小学生の頃、冬の赤羽で見た、床下にぎっしりと雪を纏って北国から上野を目指す長距離列車に、まだ見ぬ遠い地を思い描き、何時しかそんな列車に乗って旅をすることを夢見たあの日が、今の鉄道写真の原風景なのかもしれない。
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- 2021/02/12(金) 00:00:00|
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遅れの貨物が急遽通過となった
さあ来い!と駅員氏が踏ん張る

1973年3月 日高本線 富川
この時、こあらまは日高本線の撮影を終え、その夜の塒となる417レ「狩勝4号」に乗るため、静内発16:28の842Dで苫小牧に向かっていた。842Dは途中、C11牽引の貨1894レを厚賀で追い抜き、富川では貨889レと交換する。当然、この二駅での眺めをカメラに収めるべく準備をしていた。無事に厚賀での追い抜きを撮り、さあ次は富川だ。ダイヤ上では、貨889レが先に到着し、こあらまの乗る842Dを待ち受けることになっていた。しかし、この日の貨889レには遅れが出ていた。逆に旅客の842Dを待たせることになってしまっていた。暫しの時間が流れ、遅延の889レが富川に進入してきた。通常は富川を通過する列車はないが、どうやら遅れのため通過させるようだ。
通過列車のないこの駅には通票受器は設置されていない。どうするのかと注目していると、案の定、駅員氏が人間通票受器の構えとなった。両足を踏ん張り仁王立ちになり、真っ直ぐ左手の拳を突き出した。今ならこんな危険な作業は労務管理上絶対に許されないが、この時代は当たり前のように行われていた。機関車側では、機関助士が通票授受を行うが、タブレットを取り損ねて機関士に大目玉を食らったなどという話をよく耳にした。危険極まりない作業ではあるが、この駅員氏のポーズには、間違いなく、鉄道員としての誇りや責任感のようなものを感じる。時代と共に作業の形態は変わっていくが、安全、正確に列車を運行させるという目的意識は、不変のものであるはずだ。
さて、駅員氏から機関車の方に話しを移そう。蒸気ファンなら誰もが知っているC11207だ。この罐には3つの時代がある。現役の時代、JR北海道の復活蒸気の時代、そして現在の東武鉄道のSL大樹の時代だ。2度廃車になっているが、その都度生き返っている強運の持ち主だ。こあらまは、あまり復活蒸気には縁がないので、この機関車と二つ目一族はやっぱり日高線は静内の罐と云う思いだ。このC11207も新製配置時からずっと静内・苫小牧の配属で日高線を走って来た。日高線無煙化後は長万部に移り瀬棚線を担当したが、こちらも1年程で終焉となり、1974年に最初の廃車となった。2000年以降の復活時代しか知らないファンの方々に、この罐の北の故郷をお見せしておこう。
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- 2020/02/20(木) 00:00:00|
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SL大樹の生まれ故郷はここ静内だ
後にドナー役となった僚機の現役時代だ

1973年3月 日高本線 静内
今回はモデラ―に喜んでもらえそうな、機関区ストラクチャー豊富な写真でお送りします。日高本線は静内に在った、苫小牧機関区静内支区です。ここに配置されていたC11の特徴は、何といっても二つ目の前照灯にありました。こあらまが確認している二つ目は、206、207、209、210の4輌です。206~210の連番5輌は、新製時に静内に配属されています。早くに釧路区に転出した208が二つ目であったかは定かでありませんが、少なくとも釧路区では一つ目でした。静内には他にも何両ものC11が所属していましたが、何れもが二つ目ではありませんでした。これらのことから、初期に配属されたこの連番5輌のみが二つ目に改造されましたが、その後は何らかの理由で二つ目化は見送られたと考えられます。二つ目の理由は胆振線のキューロクと同じとされています。その辺も含めて、事情をご存知の方が居られましたらお教えください。
現在は東武鉄道で活躍しているSL大樹のC11207の故郷もここ静内です。日高線の無煙化後は、長万部に移って瀬棚線を走っていましたが、廃車になると故郷の静内に戻って静態保存されていました。そして、JR北海道での復活、東武鉄道への貸し出しと繋がって行きます。その間、ずっと二つ目で通しています。写真は僚機の209です。こちらは、釧路に移り標津線を走り終え、中標津町で静態保存されていますが、JR北の復活蒸気のための部品供給源となってしまいました。もしかすると、栃木を走る207の車体には、209の魂が宿っているかもしれません。ついでにもう一つ。大井川鉄道の「きかんしゃトーマス」のC11227も静内が故郷です。日高線無煙化に合わせて、大井川鉄道に売却されました。お値段は100万円+国鉄線輸送費30万円だったそうです。次回の日高線はこちらの罐にしましょう。写真の機関庫の中で227は休憩中でした。
お知らせ諸事情により暫く日々の更新ができませんので、次回からは例によって写真メインの「東北の秋 2017」を予約更新でお送りします。少々長くなりますが、定期更新は休まず続きます。
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- 2018/09/30(日) 00:00:00|
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通らずの橋梁となって早2年が過ぎた
牧場と海岸を巡る名路線の復旧は遂に断念された

1973年3月 日高本線 静内
この静内川橋梁を列車が渡らなくなって早2年が過ぎた。厚賀-大狩部間の土砂流失は収まるどころか拡大を続け、沿線自治体との協議でも復旧の活路は見いだせず、昨年末にJR北海道が復旧断念を発表した。日高線が全線開業したのは1937年8月10日のことで、1943年の富内線の開業に合わせて、日高本線と改められた。この写真の時代には、急行「えりも」が3往復し、輸送人員は現在の10倍もあった。80年代には凋落が始まり、貨物は廃止され、「えりも」も消えた。富内線は廃止となり、日高本線は支線のない本線となってしまった。今後、どの区間が残されるかはまだ分からないが、少なくとも日高門別-様似間は廃止ということのようだ。残念ながら、また一つ北海道に思い出路線が増えることになってしまった。
JR北海道は廃止理由に、沿線人口の減少とモータリゼーションの進展の二つを挙げている。日高本線沿いには日高自動車道という高規格幹線道路が浦河まで建設予定で、現在 日高門別まで開通している。この道路は、ご存じのように、採算の取れない高速道路を、無料の高規格国道の名目で国費で建設するものだ。設計速度は100km/hで、どう見ても高速道路だ。こちらには幾らでも税金を注ぎ込めるようだ。国鉄分割民営化後も新幹線は相変わらず国主導で建設が続いている。高速道路公団も分割民営化されたが、こちらでは無料の高速モドキが蔓延るばかりだ。現在文科省の天下りが露呈しているが、規制が厳しくなるや否や新たな内部システムが構築されたというから呆れてしまう。時の首相の矢は3本しかないが、もっと沢山の矢が要るのではと思うのだが・・・。
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- 2017/02/10(金) 00:30:00|
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手付かずだった原野にも、彼方に高圧線鉄塔の並びが見える
見渡す限りの自然の宝庫を背景に、白い駿馬が日高線を往く

2016年7月 日高本線 勇払
この日高本線は、2015年1月に発生した厚賀-大狩部間の高波による道床の土砂流出で、鵡川-様似間の不通が続いている。当然のことのように、JR北海道は自社による単独復旧を断念し、鵡川以遠は手付かずの放置状態になってしまった。只見線と同様に、放置を続けることによって廃線を既成事実化するのが、昨今のJRの作戦らしい。日高本線は、物議を醸し出しているJR北の廃線予告路線にも名を連ねているので、復旧することはまずないだろう。冬の荒波を縫うように走るあの絶景は、二度と目にすることはできないだろう。
今回の台風10号の大雨による東北、北海道地方の被害が甚大だ。二月前に訪れた場所の地名が次々とニュースに登場する。とても悲しいことだ。統計上も大雨の少なかった場所だけに、想定外の災害の続出となってしまったようだ。梅雨もなく、台風の直撃を受けたこともない北海道にとって、今年は不運な夏になってしまった。ただし、これは序章なのかもしれない。温暖化による気象の激化は留まることを知らない。すっきり爽やかな夏の北海道のイメージが幻想になってしまうかもしれない。その大雨で勇払原野の河川も大きく水位を上げて、残された区間の日高本線も現在不通になっている。
さて、画の方だが、勇払原野を往く日高線運輸営業所のキハ40だ。現在、苫小牧-鵡川間の折返し運転になっている。ここ勇払では、北海道開発庁の国家プロジェクトとして、苫小牧東部の大規模開発が進められたが、オイルショックとバブル崩壊で挫折した感もあるが、計画は見直されたものの更なる開発計画が掲げられている。一帯の土地は、国が50%、道が32%の株式を保有する株式会社苫東が所有している。原野内にはラムサール条約のウトナイ湖や、それに次ぐ弁天沼、遠浅湖、安藤沼などが点在する。国の事業は一旦始められると、時代が変わっても見直されることは少ない。貴重な自然が犠牲にならないよう、国民が監視しなくてはならない。
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- 2016/09/02(金) 00:30:00|
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