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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

夜の帳

北の大地が闇に閉ざされていく
残された光に白波が浮かび上がる

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2018年10月 根室本線 音別

なかなか荒涼とした眺めだ。生活の灯りのない暗い海岸線が続いている。音別の街は、ちょうど列車の向こう辺りにあるはずだが、山入端に隠されて全く見えない。3つ写った赤色灯のうち、少なくとも左の2つは根室本線の上り列車用の信号機になる。右の1つは、正体がよく判らない。国道の信号でないことは確かだが、鉄道信号とも限らない。山の上に何やら建造物があるので、標識灯の類かもしれない。写真の下り釧路行の列車はこれから一旦海岸線を離れ、内陸部を通って白糠へと向かう。

列車はこの先、馬主来沼の湿地を横断することになるが、鉄道省時代には、浸水の危険があることから、安全対策として波若信号場が設けられていた。国鉄時代には、馬主来峠の西側に古瀬信号場が設置され、仮乗降場にもなっていた。例によって、JR北海道が古瀬駅に昇格させているが、2020年3月に廃止となっている。ちなみに、音別-厚内間にあった尺別と直別の2つの駅は、2019年3月に信号場になっている。ということで、現在の駅順は厚内、音別、白糠となる。何とも寂しい次第だ。


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  1. 2020/09/15(火) 00:00:00|
  2. 根室本線
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過ぎし日の赤平を思う

秋色の街に炭鉱の面影は少ない
薄野となったヤードに過ぎし日を思う

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2018年10月 根室本線 赤平

街路樹の鮮やかな紅葉が美しい。パッと見には欧米の郊外にでもあるようなガーデニングタウンの趣だ。かつて、ここが日本を代表する炭鉱都市であったことは、なかなか想像できない。しかし、草木に飲み込まれつつある駅の構内からは、過ぎ去りし日々の物語が聞こえてきそうだ。

この町に炭鉱が生まれたのは、1895年に歌志内の空知炭礦の疏水抗が開設されたのが始まりとされる。1913年には国有鉄道の下富良野線が開通し、後に赤平駅に改称される上赤平駅が営業を始めると、東隣の芦別などと共に沿線の炭鉱開発が急速に進んだ。赤平には大小10余りの炭鉱が開かれたとされるが、埋蔵量の多さから、後に三菱系となる茂尻炭礦、後に昭和電工となる豊里炭鉱、住友の赤平炭鉱、北炭の赤間炭鉱と大手4炭鉱の揃踏みとなった。赤平の街は、所謂「赤平三山」と呼ばれる、豊里炭鉱、住友炭鉱、赤間炭鉱の3エリアから成る一大炭鉱都市となった。


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その中でも出炭量が群を抜いていたのが住友赤平炭鉱になる。住友地区の炭住は、近代的な多層階の鉄筋コンクリート造りの集合住宅で、生活全般に渡り住友の福利厚生があり、地区には住友が経営する高校まであった。危険な作業を強いる職場だけに、北海道の炭鉱では、家族の生活環境は決して悪いものではなかった。一足早くヤマが開かれた筑豊の、土門拳の描いたものとは異なる世界がそこには在った。


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ここの炭鉱の特徴は立坑で、地中深くまで掘り進むことにある。そのため、採炭現場は鉱員以外の目に触れることはない。人知れず、巨大な地下世界が築かれていった。深度が増すことによる作業効率の低下を補うために、1963年に東洋一と謳われたこの「第1立坑櫓」が建造された。この巨大なヘッドシープで、地下650mへと人を送り込み、石炭を引き上げた。秒速12mというから、地下世界まで1分と掛からない。この設備投資により、赤平最後の炭鉱として1994年まで採炭が続けられた。


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これは北炭赤間炭鉱原炭ポケットになる。選炭工場の一部で、採掘された原炭を一時的にストックしておく設備だ。背景にあるのはズリ山で、九州ではボタ山と呼ばれる。山の頂上まで階段が整備されており、赤平市街や十勝岳、暑寒別岳が展望できる観光スポットになっている。駅の直ぐ裏にある。


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赤平駅の構内には、往時の活況を偲ばせる「赤平駅信号扱所」が残されている。その向こうには、昼夜問わずの24時間入換のための構内灯も見える。以前ご紹介した隣町の芦別駅とよく似ている。1950年代後半の最盛期には、日に200両近い石炭を満載したセキが専用線からこの赤平駅に集められた。1960年度には、1回限りだが貨物取扱量が日本一にもなっている。赤平最後の炭鉱となった住友赤平炭鉱の専用線が廃止されたのが1989年で、現役蒸気機関車末期まで、根室本線を滝川へと向かう石炭列車をデゴイチやキューロクが牽いていた。そして、1994年にはその住友鉱山も閉山し、炭鉱町赤平の歴史に幕が下りた。

閉山後の町の行く末は、やはり夕張市に象徴される。2006年の夕張の財政破綻は、空知地方の旧産炭地6市町にも大きな衝撃を与えた。その破綻を契機に制定された「地方自治体の財政の健全化に関する法律」に基づき、総務省が地方自治体の財政状況を公表した。赤平市の2007年度決算は、財政再生基準を越えていた。つまり、その時点で既に実質的には破綻状態で、「第二の夕張」とも揶揄された。そして、遅ればせながら、国の管理下の「財政再建団体」入りを逃れるための緊縮財政が始まった。それから、十数年、何とか危機を乗り越えられたようだ。炭鉱産業遺産を観光資源に、新たな歩みも始まっている。

しかし、炭鉱が唯一の産業だった地域の衰退と人口減少は止まらない。1960年の最盛期には59,430人だった人口も、2020年8月31日現在9,741人と6分の1になった。65歳以上の高齢化率は、2015年時点で44.7%と全国でも有数の超高齢化社会となった。簡単に地方創生などといっても、産業の無くなった地域の存続は一筋縄ではいかない。


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  1. 2020/09/13(日) 00:00:00|
  2. 根室本線
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“RED BEAR” 浦幌を往く

小さな峠を越えて列車は十勝に入った
夏の夕日がコンテナ貨物を赤く染める

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2017年7月 根室本線 浦幌

気が付いてみれば、北海道の非電化貨物の先頭に立つのは、この”ECO-POWER RED BEAR”だけになっていた。この根室本線の釧路貨物駅の運用に投入されて、”赤ブタ”ことDD51の道内での貨物輸送は終焉となった。2013年のことだった。そして、JR北海道の青い「北斗星色」のDD51も、札幌行きの寝台特急の廃止と共に消えた。2016年のことだった。かくして、蒸気機関車駆逐の刺客として送り込まれたDD51は北海道から消えた。1966年、狩勝峠に道内初のDD51が配置されてから、ちょうど半世紀後のことだった。

こうしてDF200を眺めていると、勝手なもので、DD51の時代が懐かしく思えてくる。急行「ニセコ」がDD51重連の14系編成となった。宗谷本線の夜行急行の「利尻」や「最果て鈍行」もDD51になった。成り立ての頃は、失望以外の何物でもなかったが、そんな鉄旅を楽しむ列車自体が次々と消えていった。あの甲高いホイッスルは最後まで好きにはなれなかったが、決して華やかさはなかったが、「国鉄時代」の一コマで在ったことは確かだ。”RED BEAR”が、新しい伝説を生み出せるかは分からないが、着かず離れずで見守ろう。


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  1. 2020/06/21(日) 00:00:00|
  2. 根室本線
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野花南という名の駅

野花南とは何とも柔らかい響きの地名だ
その名に相応しい穏やかな秋の日だった

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2018年10月 根室本線 野花南

これまで、名前に引かれて訪ねた駅を幾つかご紹介してきたが、今回は「野花南」という名の駅だ。本題に入る前に、つい先日、野花南で発生した架道橋の破損事故についてお伝えしておこう。2019年11月21日午前5時ころに、国道を走るトレーラーの積荷の油圧ショベルが、交差する根室本線の架道橋に接触して、架道橋が損傷した。そのため、一時、芦別-東鹿越間が不通になり、バスによる代行運転が行われていた。これは新たな不通区間ということで、不通区間は芦別-新得間に広がったということだ。その後のJRの調査で、補修には3か月を要するとのことだ。富良野線経由で車両が送り込まれて、富良野-東鹿越間は列車運行を再開したが、芦別-富良野間は暫くはバス代行運転が続くようだ。補償の得られない自然災害でなかったのが不幸中の幸いだ。

さて、本題に行くが、野花南は芦別市野花南町にある根室本線の駅だ。例によってアイヌ語由来で、北海道環境生活部の資料によれば、「ノッカアン」(機弓の糸を置く所)、あるいは「ノカンナイ」(小さい・川)となっているが、確定レベルは何れも「C」で、説の一つと考えた方がいいだろう。野花南川や野花南岳も存在しているが、何れにせよ意味が忘れ去られた地名の一つだ。「糠南」と表記された時代もあったようだ。ちなみに糠南は宗谷本線の駅名にある。根室本線も芦別までは炭鉱の町が連なるが、ここからはガラッと様相が変わる。野花南は山間部の入口で、一時は林業で栄えたようだが、今は僅かな面影が残るのみだ。東隣の駅は富良野で駅間は19.4kmもある。以前は滝里、島の下の2駅が在ったが、滝里はダム建設に伴い廃止、島ノ下は信号場に降格している。


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駅舎と駅前になるが、国鉄末期の1982年に無人化されている。JR北の統計では乗車人員は2.4人/日で、微妙な数字だ。数字の割に駅舎が大きいのは、過疎化が著しかったということだろうか。


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駅舎前にはこんな碑が。開通が大正2年11月(1913年)とあるが、野花南町開基百年事業修復というのは何なんだろうか。現在の駅舎は、この事業で平成8年(1996年)に建て替えられたということか。


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駅前に林業に関係する建屋を見つける。屋根には垂直偏波の地デジアンテナ、電灯線も電話線も繋がっている。なかなか微妙な建物だ。2階の看板は「国有林入林心得」、1階のは「野花南町防犯委員会」と「町内会」。どう見ても民家ではない。林業関係者の詰所のようなものだったと想像できる。冒頭の写真の左側にあるのはチップ工場のチップ積み込み用のホッパーになる。貨車用ならいいのだが、残念ながらトラック用だ。この工場はどうやら操業中のようだ。どちらも、この町が林業の町であったことの証だ。


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名前に引かれて訪れた野花南だが、その名からイメージしていたものの一端は見たような気もする。野花南の明るく穏やかな秋の日だった。これから始まる険しい山岳ルートを前にした一服の野の花を連想することのできる土地柄だった。この土地が、野の花だけの場所になってしまわないことを祈りたい。


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  1. 2019/12/13(金) 00:00:00|
  2. 根室本線
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湿原の朝

晩秋の湿原が朝日に目覚めた
大型機を拒むか細い鉄路が伸びる

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2018年10月 根室本線 厚岸

道東を往く根室本線、石北本線そして釧網本線では、こんな湿原の軟弱路盤を行くことになる。どうして春先に線路が沈まないのか不思議なくらいだが、それなりの土木技術を駆使した結果ではある。現代の車輛は軽さが売りのため、軸重云々が問題になることは殆どない。しかし、蒸気機関車の時代はそうはいかなかった。巨大な鉄の塊に水と石炭を満載して走るわけで、重量は気動車や電車の比ではなかった。それぞれの路線で耐えられる機関車の軸重が厳しく定められ、それに見合った車両形式が充当されていた。

湿原を行くこれらの路線では、力のあるD51の入線は叶わず、少々パワーは劣るが旅客も貨物も無難に熟せる中型万能機のC58の独壇場だった。そのD51とC58の縄張りの境目にある拠点機関区の釧路と北見は、数多くのC58で溢れていた。夜行寝台の「狩勝」や「大雪」の客車や荷物・郵便車は、最後はC58に牽かれて終着の根室や網走を目指した。今や普段は単行しか見掛けないこの線区にも、かつてはC58が客レと貨物を牽いていた。平坦区間で煙は期待できなかったが、湿原の湿気のせいか何時も白煙を棚引かせていた。


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  1. 2019/11/29(金) 00:00:00|
  2. 根室本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

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