利別川の川霧が霧氷を作った
極寒の路線にもうすぐ春が来る

1975年3月 池北線 本別
ここ数年の暖冬に慣れ切ってしまった心身に活を入れるような厳しい風雪が日本列島を襲っている。全国的に寒風が吹き荒れる低温状態で、北陸の大雪は記録的なものになりつつある。こあらまの認識では、豪雪のローカル線は飯山、只見、米坂、寒さが厳しいのは池北、雪も寒さも凄いのは深名といったところだ。残念ながら北海道の2線は不帰となった。今回はその今亡き寒さ厳しき池北線からだ。
池北線沿線は道内でも一際寒さの厳しい地域だ。中でも北見寄りの陸別町は、内陸部にあり、周りを山に囲まれた盆地状の地形から、夏と冬の寒暖差が非常に激しいところで、帯広に輪をかけたような場所柄だ。1月の気温は、気象観測を行っている地点では富士山頂に次いで低く、「日本一寒い町」を観光の売りにしている。その1月平均気温は-11.4℃で、オーロラの見える極寒の町を演出している。
普通は山でしか見られない霧氷も、北海道では平地でも見られる。池北線は利別川に沿って池田から北見へと向かっていた。冷え込んだ朝、利別川からの川霧が霧氷を作り出した。辺り一面の木々の枝に霧氷が着いた。道床が白くなっていないことからも雪ではないことが分かる。雪とはまた違う白い世界の中を、黒いキューロクがゆっくりと近づいてきた。日が高くなると直ぐに霧氷は消えていった。
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- 2021/01/09(土) 00:00:00|
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雪解けの始まった一本の道が、落葉松林を通って街中へと続いている
十勝地方に注ぐ陽光にも温かみが感じられるようになってきた

1975年3月 池北線 本別
国鉄時代には「仮乗降場」なるものが数多く存在していた。読んで字のごとく、各鉄道管理局が独自に設置した「仮の駅」だ。その多くは北海道に集中していた。小生が知る限り、多くが小さな集落の数人の学童・生徒の通学の便宜を図るためのものだった。何といっても「営業キロ」の設定も無い隠れた駅なので、全国版の時刻表には載っていないし、駅名標には隣駅として表示されていない。勿論当の仮の駅にはまともな駅名標などない。
そんな仮乗降場に誤って下車してしまうところだったのが、この池北線だ。駅名標もなく、設備も簡素過ぎるのに気付き、運転手氏に直ちに確認したので、置いてきぼりにはならなかったが、危ないところだった。通学のための朝夕各1本だけしか停車しない。列車が去ってしまえば、最寄りの駅まで延々歩くしかなかった。
丘の上から本別の街に通じる一本道にも春の気配が感じられるようになったが、この朝、利別川の川辺は樹氷に覆われた。春浅き本別をあとに、キューロクがセキを引いて池田へと向かっていった。このアングルは四季を通して楽しめそうだ。春夏秋冬のそれぞれの景色が浮かんでくる。改めてキハでも撮りたい場所だが、それも叶わないことになってしまった。
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- 2015/12/22(火) 02:09:37|
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