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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

芦別 06時22分 炭鉱町の駅は今

朝靄をついて始発列車が現れた
観光都市を目指す芦別の朝が明ける

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2018年10月 根室本線 芦別

06時22分、朝靄の中からヨンマルの二つのヘッドライトが見えてきた。芦別の駅が眠りから覚める時刻だ。始発列車の2421D滝川発東鹿越行の2両編成が、定刻に芦別駅1番線に滑り込んだ。一通り降車が済むと一旦ドアが閉められ、車両の分割が行われる。先頭車輌が数メートル先の「分停」の位置まで進んで作業が終わる。先頭車は、そのまま2421Dとして災害代替バスが待つ東鹿越へ向かう。後ろの車輌は、上り始発列車の2420Dとなって滝川へと戻ることになる。


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分割作業中のホームに向かうと、乗車待ちの通勤らしき方が目に入った。滝川方面へ向かう通勤途上の読書かと思いきや、今の時代そんなことは希だ。手にしていたのは、もちろんスマホだ。通勤・通学のスマホ風景はあっという間に日本中に広まった。日本中何処にいても、同じように情報が得られることは素晴らしいことだが、日本中同じ風景と云うのも、何となくおかしい気もする。


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06時32分、まず2420D滝川行が発車する。滝川着は07時04分となる。左に見える建屋は、炭鉱駅時代に活躍していた信号取扱所だ。空港の管制塔と同じように、ここから列車の位置を現認しつつ、入換作業の指示を出していた。芦別炭鉱が稼働していた頃、この信号所の灯りは24時間消えることはなかった。


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残された東鹿越行には、次々と高校生が乗車していく。富良野、あるいは南富良野の高校に通うためだ。次の列車は1時間半後の富良野行になるので、富良野と南富良野のどちらの高校に通うにもこの列車が基本となる。勿論、芦別にも道立の芦別高校があるが、根室本線のお蔭で、自宅通学可能な高校の選択肢は滝川方面を含めて結構広範囲になっている。


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06時40分、2421Dの18分間の停車時間が終わり、出発信号が青に変わり、出発反応標識も点灯した。列車は上芦別、野花南と停まって、富良野到着は07時16分、終着の東鹿越は08時04分、代替バスに乗り継いで幾寅が08時17分となる。芦別駅は、2016年にみどりの窓口が閉じられ、現在は芦別市が業務を行う簡易委託駅になっている。業務の開始時間は、もう少し後の午前7時になる。


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芦別は三井芦別炭鉱の城下町だった。かつて、この島式ホームの3番線からは三井芦別鉄道が発着していた。最盛期7万人を超えた地域の人口も、今は1万4千人を切っている。ちょうど、三井芦別鉱業が開坑した1943年頃の人口に戻ったことになる。昼夜を問わず行われたピストン輸送のための広い貨物ヤードは、再利用されることもなく草木に覆われている。構内灯や信号取扱所は、取り壊されることもなく当時のままだ。滝川機関区のD51や9600が通った活気ある構内は、只々静まり返っていた。

芦別市に隣接する赤平市、歌志内市、美唄市、三笠市、夕張市、上砂川町は、皆炭鉱の町が出発点だ。ヤマが閉じてからと云うもの、何所も厳しい自治体運営が続いている。ここ芦別も、閉山による斜陽化対策として、「赤毛のアン」のテーマパークである「カナディアンワールド」を開園したが、残ったのは負債だけだった。通産省産業基盤整備基金を活用した第三セクターが設立されたが、夕張とよく似た話だ。結局のところ、国は斜陽化を食い止められないばかりか、更なる試練を与えることとなった。藁にも縋りたい弱小自治体が、補助金行政の餌食になってしまったとも言える。夕張については破綻も認めず、無慈悲な態度をとり続けている。これらの事例から分かるように、「自治」というからには、自らの資源と英知と責任をもって臨むという気構えが必要だ。国の言うことなどを聞けば、国の財政よろしく、返済不能の借金漬けに陥ることは間違えない。「星の降る町・芦別」を自らの力だけで愚直にアピールしていくだけだろう。


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  1. 2018/12/19(水) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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斜里岳燃ゆ

目論見通りに、日没間近の夕日に斜里岳が燃えた
おまけに雲にも恵まれ、意気揚々と現場を後にした

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2018年10月 釧網本線 南斜里

偶には願ってもない幸運に恵まれることもある。日没直前の賭けに出たところまではいつものことだ。列車は定刻に、目論見通り、夕日に燃える斜里岳バックのこの場所に現れた。もっと他に撮りたい場所があり、下見までしていたが、日没時刻を考えて、斜里岳狙いの定番の一つであるこの場所に落ち着いた。問題は雲だ。ほぼ快晴の青空だったが、斜里岳には雲が纏わり付いて離れなかった。山の上半分が雲の中という時間帯もあった。山岳写真では、雲もガスもない晴れた日中は、最低の気象条件の一つとされる。雲があること自体は結構なことだが、斜里岳の山頂と左肩の尖塔が隠れてしまっては元も子もない。山だけを撮るのであれば、じっと雲の流れを追っていれば、チャンスが訪れるかもしれない。しかし、鉄道写真はそうはいかない。列車が通過するほんの何秒かの勝負だ。それも、ローカル線ともなればリ、リベンジは次回ということになってしまう。そんなわけで、多くは後ろ髪を引かれつつの敗退ということになる。やられっ放しでは、さすがに萎えてしまうが、根気強くやっていれば、そのうち天使が舞い降りるかもしれない。そうとも限らないが、そういうことにしておこう。


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  1. 2018/12/17(月) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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湿原 悠久なれ

晩秋の湿原の日差しが傾いてきた
枯野を駆け抜ける列車が夕日に輝く

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2018年10月 釧網本線 塘路

このブログの管理人は、鉄道写真以外に、高山・湿性植物の撮影にも、これまで多くの時間と労力を費やしてきた。そのため、湿原を目の前にすると血が騒ぐ。ついつい、この湿原の植生を観察したくもなってくる。尾瀬のように湿原全体が特別天然記念物に指定されていると、木道以外への立ち入りは厳しく禁止され、近頃流行りのドローンも勝手に飛ばせず、木道から撮るのが唯一の撮影手段となる。さて、この釧路湿原ではどうかというと、三つの規制の異なる地区に分かれる。釧路川右岸の西側に広がる湿原の核心部は、「特別保護地区」に指定され、間接的にではあるが、尾瀬と同様に立ち入りが禁止され、公的な学術調査などでもない限り許可も出ない。その周辺部の「特別地区」は、第一種から第三種に細分されるが、一気に緩和されて、自由に立ち入ることが出来る。もちろん規制事項を遵守することが前提だ。さらに、その周りの「普通地区」は、自然を傷つけない程度のお達しとなる。

写真はシラルトロ湿原だが、中程を釧路川が横切っている。川の手前は「特別保護地区」、向こうは「特別地区」となる。つまり、釧網線の線路は「特別地区」を走っているので、その気になればシラルトロ湿原内からの撮影も可能だ。シラルトロ沼や釧路川には、動力のない小舟やカヌーで漕ぎだすことも出来る。実際に、釧路川には多くの太公望が、幻のイトウを求めて入川している。しかし、それは「規制上は出来る」というだけの話で、舟遊びくらいは自然とのふれあい方として許されるかもしれないが、湿原への立ち入りや釣りは、やはり、もっと慎重な議論が必要だろう。本邦では、観光開発と自然保護の線引きが不明瞭で、どちらかといえば観光に軸足がある。何とか遺産は金儲けの道具でもある。尾瀬のアヤメ平は、踏み込みで傷ついた湿原の復元が、半世紀以上も経った現在も続けられている。激動の時代、実効性のある規制なくして、当たり前のように、そこに湿原が在り続けられるはずもない。


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  1. 2018/12/13(木) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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塘路 好日

秋晴れに恵まれ、爽やかな湿原が広がる
木立によって視界が狭まり、ちょっと不満だ

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2018年10月 釧網本線 塘路

その昔、現役蒸気機関車の時代、釧網本線といえば、オホーツク海の流氷を絡めて撮るのが、一つの流行のようなものだった。オホーツク海が望める網走から斜里辺りまでの区間を訪れるのが、第一歩とされていた。流氷接岸の情報が流れると、道内に散らばっていた同胞が、北浜、浜小清水、止別へと集まってきたものだ。もちろん、斜里岳の斜里、硫黄山の川湯(当時は川湯温泉ではなかった)、釧路湿原の茅沼、塘路、細岡なども、次のステップとして控えていた。由緒ある五十石という駅もあったが、咋春に廃止されてしまった。弟子屈は何時しか摩周温泉へと駅名を変えている。

現在の撮影名所は、「SL冬の湿原号」の運転区間にも由るのだろうが、どちらかといえば湿原エリアに移ってきているようだ。今では、塘路のサルボ、サルルンの両観光展望台は不動の撮影ポイントにもなっている。現役蒸気の時代、これらの展望台の名があったかは記憶にないが、そこそこの撮影ポイントになっていたことは確かだ。湿原の中を、遠方から白煙を引いてやっ来るC58の混合列車は、なかなかの風情だった。塘路の駅も、列車が着く度に、10人くらいは乗り降りしていたように記憶している。駅名は、塘路湖畔にあった有名なアイヌ集落の「トウロコタン」からきている。

しかし、今回これらの展望台を訪れてみて、木々の成長で、随分と視界が悪くなっていることに気付かされた。写真はサルルン展望台だが、以前は後追いも撮れた筈だが、どうにも抜けが見付からない。展望台付近の塘路湖側の斜面は伐採されているので、駅方向の視界はあるが、伐採がなければ林の中に没していたはずだ。サルボの視界も同様で、展望台の名も憚れるような状況だ。開業以来、塘路駅の貨物取扱量の大半は、木炭、薪、木材、丸太だったという。手付かずの自然というのは浅墓な思い込みで、この地も燃料と木材の供出のため、森は一度は皆伐されてしまったのかもしれない。


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塘路駅は、分割民営化の前年の1986年に、駅員の配置がなくなり簡易委託駅となった。1992年には無人化されて、今日に至っている。それでも、観光地だけあって、1998年には駅舎はリニューアルされている。駅舎にはカメラマン氏がオーナーの「ノロッコ&8001」という喫茶店が同居しているが、こちらはそっとしておこう。


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  1. 2018/12/09(日) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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シラルトロ沼遠望

シラルトロ湿原をキハが横切って行く
この鉄路こそが湿原の観光ロードだ

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2018年10月 釧網本線 塘路

釧網本線にシゴハチの牽く混合列車が走っていた頃、この地域は国立公園でも、ラムサール条約登録湿地でもなかった。当時の湿原は、開拓の行く手を阻む厄介ものでしかなかった。釧網線が囚人労働で建設されたことは、あまりにも有名な史実だが、裏を返せば、人跡未踏の辺境地での難工事だったということだ。明治時代に絶滅したとされていたタンチョウが、1924年に釧路で再発見された。1935年には、タンチョウとその繁殖地が国の天然記念物に指定された。それが、この地の観光の始まりかもしれない。タンチョウしか注目されなかった釧路湿原も、世の中の価値観の変化に伴い、手付かずの湿原の自然そのものが、観光の対象となって行った。

1987年に、釧路湿原が28番目の国立公園に指定された。釧路湿原の東部に隣接する塘路湖、シラルトロ沼、達古武湖も国立公園に取り込まれた。この三つの湖沼は、海岸の後退による海跡湖とされる。太古にはこの一帯は海だったということだ。観光名所であり、釧網線の撮影スポットでもあるサルボ、サルルン、コッタロの展望台が、古には海を臨む岬だったといわれれば、感覚的に何となく頷ける。素晴しい水辺の景観だが、鉄路を伸ばしていくのは苦難の連続だったことだろう。湿原は観光地として脚光を浴びるようになったが、鉄路の方は厳しいままだ。思いっきり、自然保護の観点から、公園内への車の乗り入れを禁止するというのはどうだろうか。


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シラルトロ沼


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  1. 2018/11/29(木) 00:00:00|
  2. 釧網本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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