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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

ビート畑の秋

こうやって北の大地が日本の食を支えている
農産物の輸送こそ鉄道が相応しいと思うのだが

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2018年10月 石北本線 西女満別

ここはちょうど大空町と美幌町の町境辺りで、女満別空港の直ぐ傍になる。大空町は2006年に女満別町と東藻琴村が合併してできた町だ。網走湖に注ぐ網走川の扇状地にはビート畑が広がる。日本では甜菜とか砂糖大根と呼ばれているが、ビートとはヒユ科植物の英語名で、その砂糖用品種群のひとつがテンサイになる。国内では主に北海道で栽培されているが、何処でもいいという訳ではなく、近くに製糖工場があることが条件となる。北海道には計8つの製糖工場があるが、オホーツクにはホクレン中斜里、日甜美幌、北糖北見の3か所がある。この地域の納入先は自ずと日甜美幌ということになる。

ここも見渡す限りの甜菜畑が広がっているが、例によって、鉄道は畑にならない傾斜地に沿って、防風林に守られて忍者のように木立に隠れて走っている。航空写真では、ビート畑の中を一条の林が伸びていることが見て取れる。石北本線は山間過疎地域の上川-遠軽間が超閑散区間になっているが、旭川近郊と北見・網走近郊はそこそこ列車が走っている。ここの前に西女満別の駅撮りをしたが、近在農家の高校生だろうか、5人程が乗車する姿が見られた。季節は秋で、ビート畑では収穫作業が大忙しで、待ち時間にはその作業を眺めて楽しんでいた。ただし、畑に足を踏み入れることは防疫上ご法度だ。


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これが甜菜収穫用の装備になる。トラクタの前照灯の前にはバラストを積んでいる。前輪が浮き上がらないように、連結装備に合わせてバラストを調整するが、この装備では最重量となる。線路は林の中だが、すぐ隣にはこんな風景が広がっている。


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理科系の性で、このマシーンがどんな構造になっているのかが気になる。まず動力だが、トラクタとの連結器の上に黄色のプロペラシャフトがあり、主な力技の動作を賄っている。さらにトラクタから電力も供給され、細かな動作は電気仕掛けとなっている。畑から鋤上げた甜菜は、後部の円形の回転装置で泥を落としながら持ち上げられ、最上部からコンベアで収穫籠の中に落とされる。籠が一杯になると、トラックが横付けして、籠の網が横に倒れ、甜菜がトラックの荷台に雪崩落ちるという寸法だ。トラックは近くの農家の集積場まで運搬する。この家では、トラクタの運転は父ちゃん、トラックの運転は母ちゃんの担当だった。

農業を唯一の生業にしていくには、付加価値の高い少量の高級品を作るか、こうした機械化された大規模営農をするかのどちらかだろう。ただ、日本の農政は小規模な家族制、世襲制に軸足があり、極めて農業が閉鎖的なものになっている。出来ることなら、広い畑でトラクタを走らせてみたいと夢見るサラリーマン家庭の子弟も、それなりにいるのではないだろうか。そんな農業志向の若者たちに、早く農地と農業を開放してやらないと、何かあったら、日本中が飢えることになるやもしれない。


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  1. 2020/10/05(月) 00:00:00|
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遠いあの日 「45年前の"今日"へ」 緋牛内

45年前の今日の石北本線575レ 緋牛内にて 1975年3月17日

その1 端野側から緋牛内に進入してくるシーン

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その2 緋牛内を出発するシーン 交換の列車は556D  2019/12/11掲載 「あの日の緋牛内は今」から

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その3 美幌との間にある小峠に向け力走するシーン   2015/12/06掲載 「貨物列車の時代」から

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ちょうど45年前の今日の1975年3月17日。こあらまは、前日の興浜北線、天北線の撮影を終えて、深夜01時02分に旭川を出る517レ「大雪5号」に乗車した。大雪5号は北見からC58牽引の「大雪崩れ」こと1527レとなって網走を目指すが、この日の最初の撮影地は、06時42分着の緋牛内と決めていた。

下車前に、絞りもシャッター速度も予めセットした愛機 Nikon F を首から下げ、列車が停車するや否やホームへと降り立つ。ザックと三脚をホームに放り投げて、列車先頭部へと急ぐ。普通自由席は後ろの方で、急がなくてはならない。短い停車時間の後、C58は直ぐに急行寝台編成の引き出しに取り掛かる。暖房の蒸気が列車のあちこちから漏れている。荷物車、寝台車、グリーン車がゆっくりと加速していく。列車がホームを離れると、今度は駅南側に広がる雪田を、中程にある農道に向かって突っ走る。道沿いの農作業小屋に辿り着く時には、黒煙を残して去っていく「大雪崩れ」がちょうどいい距離感で視界にあった。これらのシーンは既にアップ済みだ。ご記憶の片隅にでも残っていたら光栄だ。

休む間もなく、ホームに放置した荷物を回収して、1527レと美幌で交換となる522レを迎え撃つ準備を始めるが、持ち時間はおよそ30分しかなく、駅から遠くには行けない。取り敢えず、集落外れの冬木立と民家を絡めてサイドから狙う。ネガには線路端で構える同業者も写っていた。この522レは、当時のダイヤ情報のダイヤグラムにはDLとなっていたが、実はC58だった。これで、朝の2本の客レをやっつけて、まずは一安心と云ったところだが、この時の本命は522レの1時間半後の貨575レだ。予定通りに、以前のロケで目星をつけていた雪田の向こうにある丘に登ることにする。天気は上々で風もない。朝の冷え込みも申し分ない。

春先の雪は、新雪でなければ表面が凍っているので、冷え込んだ朝であれば雪上を難なく移動できる。ワカンを付ける必要もなく、すたすたと丘を歩き回ることが出来た。この丘からのこの日の575レは、これまで2回に渡ってアップしたが、もう一つ好きなアングルがあった。緋牛内進入シーンだ。時間軸を逆にしての上梓となってしまったが、今回は改めて経時的に3つのシーンを並べてみた。最初からそうしろよという声が聞こえてきそうだが、現役蒸気画は傷や現像むらなどのレタッチに思いの外時間と手間が掛かる。状態のいいコマからアップしていったらそうなってしまった。

最初に来るべき最後の作は、575レが端野側から緋牛内に進入してくる場面になる。若干の登り勾配にはなっているが、緋牛内直前であり、絶気で来るかと思いきや、綺麗な白煙を伴って姿を現した。如何にも道東らしい緩やかな起伏の畑作地帯が広がってる。背景の山並みの向こうには、サロマ湖、そしてオホーツク海も遠くはないはずだ。罐の白煙がこの朝の空気感を語っている。

この丘からの眺めは本当に秀逸だった。緋牛内進入、緋牛内発車、峠に向けてのスパートと、それそれに趣向の異なる場面が楽しめた。蒸気機関車ならではの素晴しい眺めが堪能できる場所だった。実は、2日前の同年3月15日に、同じようにこの丘に登って、575レを狙った方がおられる。「銀『塩』鐵道の夜」のぜっきあいずさんだ。その作はこちらになる。驚いたことに、こあらまと殆ど同じ立ち位置だ。ということは、ぜっきあいずさんの踏み跡を、こあらまは辿ったのだろうか。哀しいことに、45年と云う年月は、記憶を大胆に風化させてしまう。細かいことは全く覚えていない。ただ、丘の上でスッキリした抜けを探して歩き回ったことだけは覚えている。結局、ぜっきあいずさんもこあらまも、探索の結果、この立ち位置に落ち着いたのだろう。

45年という長きを隔てて、また一つニアミスが明らかになった。45年後にも、変わることなく蒸気機関車に愛着を持ち続け、発信を続ける同胞たちに乾杯だ。

この後、こあらまは、好天に誘われて、緋牛内10時31分発の558Dで常紋信号場へ向かい、予てより気になっていた三角山の登頂を果たしている。それにしても、何というハードな毎日だ。若さと云うのは恐ろしいものだ。


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  1. 2020/03/17(火) 00:00:00|
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オホーツクの雪晴れの朝

大駅の随分と素朴な給炭台だ
雪晴れの朝のキューロクが憩う

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1973年3月 石北本線 網走

ここ網走は、湿地帯の脆弱な道床の関係でC58の天下で、石北本線の北見機関区、根室本線の釧路機関区の罐が行き交っていた。石北本線と釧網本線の接点である網走にも機関区があってもよさそうなものだが、網走に機関区が設置されたことはない。1913年に野付牛機関庫網走分庫が設けられたが、すぐに廃止になっている。さすがに、客貨車の扱いのために、1950年に北見客貨車区網走支区が設置され、現在の北見運転所網走詰所へと繋がっていくが、この地域の中心地は、あくまで北見ということだ。

そんなC58の独壇場の網走にも、キューロクの姿が見られた。網走に接続するもう一つの路線である湧網線を経由して、この地にやって来ていた。写真の69644は遠軽区の罐で、石北本線の常紋の補機仕業が無くなってからは、名寄本線、湧網線などを活躍の場とし、遠軽区最後の罐の1両になっている。網走には、ターミナル駅とは思えない、素朴な給炭台と給水設備が構内の隅に設けられていて、キューロクの休憩場所になっていた。このキューロクは間もなく湧網線の貨物を牽いて上湧別方面へと帰っていく。

この朝は前夜の雪が上がり綺麗な快晴となった。冷え込みもあり、空中の塵と水分が全て取り除かれたような透明感のある視界となり、お陰でなかなかのクリアーな画像が得られた。オホーツクの眩しい雪晴れの朝の寒さと気持ち良さが今も記憶に残っている。大雪くずれの到着や朝の通勤通学列車の動きもあって、構内をC58が慌ただしく行ったり来たりしていた。その傍らでは、キューロクが出発準備をしている。暫し、罐を愛でさせてもらって、湧網線貨物の発車を狙うために、北見寄りの構内はずれへと向かった。


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機関車の前方の眺めから、概ねこの給炭台がどこら辺にあったのかが分かる。正面方向が北見方面になる。線路が大分整理されて寂しくはなっているが、前方中央の細長い車庫は今も健在だ。その右側に大きな駅舎があるはずだ。構内灯があることからも、夜間にも頻繁に入換が行われたことが伺える。構内の左手には細い道しかなかったように思うが、現在は山下通りという2車線の立派な道路が走っている。それにしても、キューロクのボイラーは迫力がある。その軸重からは考えられないような力強さだ。

あれから半世紀、屈指の風光明媚さを誇った湧網線は消え、石北本線も釧網本線もじり貧の状態だ。再び若者たちが自分探しの旅にでも出てくれないと、道東の鉄路は錆び付いてしまう。あの時代は「DISCOVER JAPAN」や「いい日旅立ち」の国鉄のキャンペーンにも触発されて、当て所の無い旅にでることが若者の特権だった。その後、若者が内向きになったと言われて久しい。もう、そういう時代ではないのだろうか。若かりし頃の郷愁なのか、おじさんたちの「青春18きっぷ」の旅はまたまだ続いてはいるのだが。


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  1. 2020/01/19(日) 00:00:00|
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あの日の緋牛内は今

如何にも北海道的な眺めだ
気になる駅のその後を追った

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1975年3月 石北本線 緋牛内

現役蒸気時代、渡道すると必ず訪れる駅が在った。緋牛内もその一つで、幾度となくそのホームに降り立った。理由は幾つもあるが、その一つがこの眺めだった。起伏のある丘陵に広がる畑作地帯は、如何にも北海道らしい風景だった。この列車は以前アップしたことがあるが、今回はその前コマとなる。この丘からは風情の異なる幾つかのアングルが狙えた。今回は緋牛内の駅と集落を背景にしたものだ。向かって左が北見方面、右が美幌方面になる。貨575レは緋牛内を出発して小さな峠に向かうところだ。左端に交換の556D北見行きが停車している。

現在、緋牛内は北見市端野町緋牛内に所在する駅だ。開業は1912年で、その歴史は既に100年を超えている。1983年に無人化、1988年に駅舎が改築されている。写真は初代木造駅舎の有人駅だった時代のものだ。当時の端野町は北見市とは合併しておらず独立した自治体だった。優等列車の通過駅ではあったが、日に10回以上の列車交換があり、それなりに重要な機能を果たしていた。この写真には気になる建物が2組ある。一つは駅の真っ直ぐ前の小高い丘にある、横長の校舎が立派な小学校。そして、二つ目は駅脇に並んだ2棟の石造りの農業倉庫だ。

昨年、半世紀振りに緋牛内を訪ねてみた。再び丘に登って駅を俯瞰できたらと、甘い期待感を持っていたが、それは叶わぬ夢だった。


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2018年10月 石北本線 緋牛内

こちらが現在の駅舎と駅前。随分と小ぢんまりとした駅舎になってしまった。救いは、綺麗に管理されていることで、荒廃した感じは全くなく、ローカル線の小奇麗な駅と云った感じだ。ただ、駐輪場には平日の日中にも拘らず、通学用の自転車が1台しかなかった。


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さて、問題の冒頭の写真を撮った場所だが、ご覧の通り、丘が完全に木々に覆われていた。おまけに、線路に沿って並木のように木が生えていた。これでは抜けはまずない。残念ながら、撮影を諦めるほかなかった。各地で木立が増えているのは、ひょっとして薪の需要が減ったためだろうか。そうでなければ、身近な雑木に手が入らないはずがない。


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こちらは農業倉庫だが、2棟とも残っていた。鉄道貨物輸送が盛んだった頃には、多くの駅には傍に農業倉庫があった。そこから農作物が貨車に積み込まれて消費地へと送られていた。この倉庫には「端野村農業倉庫」と書かれている。端野村は現北見市の野付牛町から、1921年に分村している。町制がしかれたのが1961年で、倉庫はその40年間のどこかで建てられたということになる。その後、端野町は2003年に北見市と合併し、先祖返りしている。端野村の標記を残しているのは、文化財的な扱いではないか。

一方、小学校の方だが、1917年創立の緋牛内尋常小学校が始まりだ。校舎の大きさから、この場所にもかなりの賑わいが在ったことが窺える。2005年に閉校になり、その後は、社会福祉法人が「レストラン自然」を経営していたが、こちらも営業終えているようだ。建物は、1964年に建てられた木造校舎が現存しており、1975年の写真の校舎がそのままということになる。諸事情で旧校舎の現状は撮影できなかった。

つまり、この2組の建物が緋牛内の歴史的建造物と云えそうだ。


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最後に駅構内の様子で、前方が美幌方面になる。本線用の長い交換設備が今も残る。冒頭のC58は左の線を前方に向かって進んでいる。交換のキハ20は右の線に停車している。長いホームも残るが、冒頭の写真の時代でも、大雪崩れくらいしか用はなかったはずだ。下り線のホームが最初から短かかったかは記憶が定かではない。

1975年の写真の右側の集落は、現在は消滅している。左のメインの集落も随分とすっきりしている。集落のすぐ後ろには、車がぽつぽつとしか走ってこない、片側2車線化した北見国道の39号線が貫いている。例によって、地域の衰退をよそ目に、道路だけが立派になった。その道路は、何時しか石北本線をも駆逐してしまうのだろうか。


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  1. 2019/12/11(水) 00:00:00|
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常紋への道 金華は今

常紋峠に続く峠道が秋に色付いた
そこには信号場となった金華があった

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2018年10月 石北本線 金華信号場

特急「大雪」が常紋峠を越えて、北見国の留辺蘂町にある金華信号場に進入してきた。構内が終わるとすぐに登り坂が始まる常紋への道は、多くの蒸気ファンを魅了した北の峠道だ。ここ、北の石北本線常紋越えは、南の肥薩線矢岳越えと並び称された蒸気愛好家の聖地で絶大な人気を誇り、蒸気ファンなら一度は訪れてみたい場所だった。


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それから半世紀、金華は廃屋ばかりが目立つ集落の中に静かに佇んでいた。有人駅だったはずだが、1983年に無人化、そして2016年には利用者減少のため信号場化されている。先の国勢調査では金華の人口は5世帯8人と記録されている。現役蒸気の頃には、駅前に数十軒の民家が立ち並んでいたことなど嘘のようにひっそりとしていた。


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轍がはっきりとした国道から金華に通じる道は、秋の日差しに溢れていた。しかし、ちょっと足を踏み入れると、朽ち往く民家が多いことに、長い年月が過ぎ去ったことに気付く。数軒には人の生活が感じられ、人の気配が伝わってくるが、一体この場所で何を生活の糧にしているのだろか。駅前だったはずだが、その駅はもうない。この地に余程の思い入れが無い限り、ここに留まることは出来ないだろう。限界集落という言葉が頭を掠める。


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特急「大雪」が、朽ち往く旧駅舎を横目に、無人の信号場をゆっくりと通過して行く。旧駅舎には常紋トンネル工事殉職者追悼碑の案内看板が残っていた。追悼碑は1980年に留辺蘂町立金華小学校の跡地に建立されている。つまり、ここにも小学校が在ったということだ。時代の流れは無情なもので、この集落から人の集いが、ひとつまたひとつと失われていった。


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先日ご紹介した宗谷本線雄信内駅前と同様に、ここでも放棄された住居や車が立ち枯れる。積雪地帯だけに、雪に押し潰されれば早々に消え去る運命なのだろう。シャッターの上に掲げられた「地鶏たまご」の文字が、妙に心に染みてくる。在りし日の生活臭が、看板の文字とともに掠れて行く。


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特急「大雪」は、間もなく信号場を抜け、2000年に開業した棒線駅の西留辺蘂へと向かう。かつて、石北本線にももっと多くの列車が行き交っていた。常紋越えの生田原、常紋、金華の各駅には交換設備等が設けられ列車を捌いていた。峠の常紋信号場が廃止され金華を棒線化すれば、生田原-留辺蘂間での交換が不能となり、列車運行の大きな支障となる。そのため、金華は信号場として生き長らえている。こちらも雄信内と同じ理由のようだ。蒸気時代には、キューロクの補機を従えたD51の牽く貨物列車が行き交い、国鉄の官舎もあった峠の要衝だったが、今や往時が偲ばれるのは長い交換設備だけとなった。


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  1. 2019/09/26(木) 01:00:00|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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