駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

輝きの朝

オホーツク沿岸の網走は温暖で明るい場所だ
そこには眩しいくらいの輝きの朝があった

0392016.jpg
1973年3月 石北本線 網走

網走という街は、意外にも温暖で明るいところだ。海洋沿岸性の気候のため、夏は涼しく、冬は暖かい。冬に北西の季節風の吹き荒れる日本海沿岸からは遠く離れ、夏に東風が運ぶ山背が発生する太平洋とも隔絶されているため、積雪は少なく、一年を通して晴天率が高い。冬のオホーツクの流氷や、かつての網走監獄の過酷な囚人労働の歴史からか、冷たく凍り付いた不毛の土地のようなイメージを抱かれがちだが、実は道内では過ごし易い地域となっている。それが関係しているかは判らないが、道内の都市としては比較的安定した人口を維持している。

網走駅に、1527レ「大雪崩れ」が到着し、俄に構内が活気を帯びてきた。釧網本線、湧網線の列車の出入りも加わり、慌ただしく入換作業が続く。操車掛氏は職種柄こんな軽装で寒そうだが、きびきびと作業が進められていく。ちなみに、北海道形の特徴の一つである前面デッキ手すりは、このように使用されていた。ここ網走には機関区はないが、一通りの設備はあった。屯するのは北見、遠軽、釧路などの罐だ。晴天の朝だけあって放射冷却でしばれてはいるが、春が近づき、日の強さはもう冬のものではない。そこには、オホーツクの眩いくらいの輝きの朝があった。


スポンサーサイト

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/03/08(水) 00:30:00|
  2. 石北本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

春を待つ

遠く離れた道東にも春の気配が伝わってきた
雪解けが始まった端正な冬木立の向うに煙が流れる

1063116.jpg
1973年3月 石北本線 緋牛内

ここ緋牛内に駅が出来たのは1912年のことだ。当時の札幌から北見、網走へのルートは、旭川から現富良野線、根室本線、池田から網走本線(旧池北線と現石北本線)を経由するものだった。次に開通したのが、名寄、興部、遠軽を経由する湧別線のルートだった。そして、1932年に北見峠を石北トンネル(4329m) で越える最短の石北ルートが最後に開通し、現在の石北本線が形作られた。遠軽の駅がスイッチバックになっているのは湧別線ルートが先だったからに他ならない。SLファンであれば常紋が最大の難所と思われがちだが、その生い立ちからは、いかに北見峠が難攻不落の峠であったが窺い知れる。石北本線の中でも最も人口が希薄な地帯であり、現在は普通列車が1往復のみという閑散とした場所だ。この三ルートのうち、旧網走本線ルート、旧湧別線ルートは早々と廃止となった。残る石北ルートも風前の灯となった。釧網本線とともに消えてしまえば、北見と網走は100年前の鉄道の通わない町に戻ることになる。

その北見峠には、常紋トンネルと同じように血塗られた歴史がある。この峠に中央道路と呼ばれた開拓道路が開削されたのは1891年のことだ。そのために、時の明治政府は空知集治監と釧路集治監の別館として網走監獄を設置した。過酷な労働により、囚人のおよそ五分の一の200人以上の犠牲者をだしている。このことを題材にした小説が、阿部譲二の「囚人道路」だ。こうして、屯田兵による北見開拓が進められることになり、「たまねぎ列車」へと繋がっていくことになる。現在この北見峠には、旭川紋別自動車道という例の高速モドキの高規格国道が通り、何と遠軽まで4車線で完成している。さすがにその先は2車線に計画変更のようだが、「たまねぎ列車」を差し置いて、造ることには変わりはない。お役人が、人の命も血税も、何とも思わないのは昔も今も変わらない。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/02/24(金) 00:30:00|
  2. 石北本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

雪解けの道 緋牛内

雪解けの季節が始まり、道東の雪原の一本道にも土が見えだした
視界の先に真っ直ぐに伸びる道は、遠い記憶へと続いているのかもしれない 

1062816A.jpg
1975年3月 石北本線 緋牛内

何故か、予期せぬ「或る日の石北本線」の展開たが、成り行き任せでもう少しお付き合いを。時間を遡って、或る日の緋牛内に戻った。この朝、緋牛内には1527レ「大雪くずれ」でやって来た。

この大雪くずれは、日が短い厳冬期は、6時台の緋牛内ではまだ日が明けやらぬ時間になってしまうが、大分春が近くなったこの時期になると、走行写真にも充分な明るさになってくる。乗って来た列車を撮るのだから、発車シーンと後追いしか手はないが、好き者にとっては手は抜けない。

駅のすぐ横を真っ直ぐに伸びる一本の未舗装の農道と、作業小屋らしきものが目に入った。発車シーンを後追いで狙った後に大急ぎで駆けつけるが、中型蒸気のC58にはさすがにスハ級10両は重い。黒煙を吐いて懸命に加速しようとするが、なかなか速度は上がらない。調度よい距離感で、大雪くずれの寝台急行編成と、最後のC58の奮闘ぶりが、無事にフィルムに焼き付けられた。

まだ、積雪はかなりの深さだが、道の地面が現れだした。見慣れてしまった春浅き道東の風景だが、この年の春本番となる頃、この地のC58は消えていった。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2015/12/18(金) 00:44:14|
  2. 石北本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

常紋への道 白煙高く

幾多の伝説とドラマを生んだ常紋の完全無煙化までとうとう秒読みとなった
この年、北海道の路線も殆どが無煙化され、実質的に蒸気の現役時代は終焉を迎えた

1073816.jpg
1975年3月 石北本線 金華―常紋

三角山からまた線路端に戻ってきた。この列車の荷は重く必ず後補機が付くが、残念ながら既にDL化されていた。三角山から狙わなかったのはそのためだ。ただ、フルノッチのDL補機が付くといってもここは常紋だ。本務機も決して遊んではいられない。精一杯溜め込んだ蒸気で常紋への道に挑む。

この場所は金華側のよく見るカーブだと記憶しているが、今一つ自信が持てず、リンク先を探し回っていると、まこべえさん の「追憶の鉄路」に同じ場所を見つけ出せた。まこべえ先達は5年も前にここに立たれている。奇遇にも右の白樺の樹形が同一だが、背景の山の天然林は伐採されてしまっていた。

俯瞰が続いたので、今回はビタミン補給の本務機の引付画とした。当時調子が良かったお馴染みの北見のゾロ目の444号機だ。DL投入前の迫力には到底敵わないが蒸気に包まれた姿は勇ましい。3つ目の前照灯が峠の厳しさを物語る。無煙化がすぐそこまで近づいた最後の雄姿だ。小生にとっても、この列車が常紋の力走シーンの見納めとなった。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2015/12/14(月) 01:14:47|
  2. 石北本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

常紋への道 縞模様

D51の吐き出す黒煙が、無風の空に軌跡を描く
辿り着いた山頂には、現役蒸気時代の屈指の絶景が広がっていた

1023616R.jpg
1975年3月 石北本線 金華―常紋

朝の緋牛内のお手軽俯瞰の後、無事に常紋の三角山の頂上に到着した。天候は予想通り上々で視界もいい。数本のキハが通り過ぎた後、本命のD51貨物が金華から登ってきた。たった5両の2軸貨車だが、歩みは遅く結構な煙を出している。列車が視界から消える頃には、構えていた3台のカメラのフィルムは殆んど残っていなかった。

現役蒸気時代には、この通称「三角山」は誰もが知っている名撮影地だった。こんな場所だから、天候に阻まれて泣く泣く断念された方も多いはずだ。冬場の天候を見誤ると、遭難の危険もあった。それだけに、絶景ともいえる眺めはファンを魅了し続けた。

そんな三角山も、どう言う訳か、無煙化とともに忘れ去られていった。その後のDD51の石北貨物に登場することはない。どうも煙の無い列車には、危険を冒してまで登るほどの場所ではないということだろう。

今回は、定番の絶景ではない、直下を狙ったものとした。天然か人工かは分からないが、等高線に沿った縞模様の植生が面白い。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2015/12/10(木) 01:59:08|
  2. 石北本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4
次のページ

プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

最新記事

最新コメント

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

カテゴリ

小海線 (108)
飯山線 (20)
宗谷本線 (13)
天北線 (1)
興浜北線 (1)
深名線 (1)
石北本線 (7)
渚滑線 (2)
湧網線 (1)
相生線 (3)
釧網本線 (3)
根室本線 (2)
池北線 (1)
広尾線 (2)
留萌本線 (7)
札沼線 (1)
函館本線 (38)
室蘭本線 (8)
千歳線 (1)
日高本線 (3)
江差線 (11)
大湊線 (5)
津軽鉄道 (1)
五能線 (3)
八戸線 (3)
花輪線 (1)
三陸鉄道 (2)
釜石線 (8)
秋田内陸縦貫鉄道 (3)
由利高原鉄道 (1)
米坂線 (2)
磐越西線 (1)
日中線 (3)
只見線 (46)
真岡鐡道 (14)
東北本線 (1)
総武本線 (1)
中央東線 (3)
東海道本線 (2)
八高線 (10)
秩父鉄道 (7)
西武池袋線 (1)
西武山口線 (1)
江ノ島電鉄 (10)
箱根登山鉄道 (3)
御殿場線 (2)
岳南電車 (6)
中央西線 (1)
関西本線 (2)
宮津線 (1)
山陰本線 (29)
播但線 (1)
姫新線 (3)
津山線 (1)
芸備線 (6)
木次線 (1)
三江線 (3)
山口線 (5)
日豊本線 (14)
筑豊本線 (9)
日田彦山線 (2)
伊田線 (1)
後藤寺線 (1)
田川線 (2)
唐津線 (3)
松浦線 (3)
佐世保線 (1)
大村線 (1)
長崎本線 (2)
島原鉄道 (1)
久大本線 (4)
豊肥本線 (3)
高森線 (2)
肥薩線 (18)
くま川鉄道 (1)
日南線 (3)
宮之城線 (1)
指宿枕崎線 (2)
写真集・書籍 (4)
鉄道模型 (1)
ご挨拶 (0)
はじめまして (3)
未分類 (0)

写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

こあらまへのメール

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

ご来場者累計

RSSリンクの表示

QRコード

QR