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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

常紋を去った日

D51の客レが静かに折返線へと後退る
この信号場跡を再び訪れるのは何時の日か

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1975年3月 石北本線 常紋

16時55分、石北本線の1529レ網走行が静かに後退を始めた。まず渡り線で左横の2番線に移り、さらに折返線へと進み行き止まる。進行方向を変えて、左端に僅かに見える金華へと下る本線へと進入する。後は、ほぼ絶気で常紋峠を駆け下るだけだ。5分前までは、1532レ上川行が並んで停車していたが、残念ながらDD51に引かれていたため写真は残っていない。蒸気列車を楽しむために乗車した1529レは、北見で牽引機をD51からC58に換えて、終着の網走には19時37分の到着となる。この日の宿となる札幌行518レ「大雪4号」は、北見まではC58牽引の普通列車1528レだ。網走発は1529レの到着の56分後の20時33分となる。

この時が、こあらまの常紋の最後となっている。この年、常紋が無煙化されるのに合わせて旅客扱いが終了し、本来の信号場に戻った。無煙化後も常紋信号場を何度も通ってはいるが、降り立つことは叶わない。2001年には交換設備の使用が停止され、信号場としての機能も失った。その後も、常紋は石北貨物の撮影聖地であり続けているが、撮影場所はキロポストで呼ばれるようになった。かつて、常紋トンネルを恐る恐る抜けて行ったあのS字カーブは、「146キロポスト」というお立ち台だそうだ。生田原から林道が通じているので、無雪期であれば、お手軽な場所なっている。あの常紋トンネル越えの武勇伝は遠い昔話になった。

今回の北海道の旅では、金華と生田原には寄ったが、常紋信号場の跡地にも146キロポストへも行かなかった。人気スポットにはあまり近づきたくないということもあるが、どうも、昔を偲ぶような場所ではなくなっているような気がしてならない。人里離れた山中に佇む風情あるスイッチバック信号場の記憶は消えることはない。現在の常紋がどうなっているかは知らないが、スノーシェイドに覆われたままなら、複雑な線路配置の痕跡を愛でることも出来まい。ひょっとすると、立ち入ることさえ拒絶されているかもしれない。国道にある常紋入口の標識は眺めるだけだった。何時の日か、怖いもの見たさで、必ずもう一度行ってみようと思う。


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  1. 2018/11/25(日) 00:00:00|
  2. 石北本線
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蒸気暖房の時代

列車に暖房の蒸気が絡み付く
古き良き時代の冬の鉄道風景だ

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1975年3月 石北本線 緋牛内

札幌発北見行の夜行急行517レ「大雪5号」は、北見からは牽引機をC58に換えて、普通列車1527レとなって終着の網走を目指す。ファンの間からは「大雪くずれ」と呼ばれ、石北線網走口の人気列車だった。C58に続いてマニ、スユニと2両の荷物・郵便車両を挟んで、寝台車のオハネフ12、スハネ16、オロハネ10が、そしてグリーン車のスロ54が続く。さらに、普通車の3両のスハ45、そして最後部はスハフ44となる。北見で普通車2両が切り離されているが、堂々の寝台急行10両編成が、ゆっくりと緋牛内を06:37に出発する。次の停車駅の美幌までには小さな峠が待ち受ける。中型機のC58には厳しい道中だ。懸命に蒸気圧を上げて加速態勢に入るが、なかなか速度は上がらない。黒煙ばかりが空へと立ち昇った。

旧型客車が謳歌していた時代、客車から漏れ出す蒸気暖房の湯気は冬の鉄道の風物詩だった。旅の記憶というのは、そんな他愛もない当地のごく日常的な眺めの積み重ねにあるように思う。眠気眼で眺めた車窓の外に漂う蒸気は、紛れもない北辺の地での思い出だ。そして、電気暖房が主流になった今、蒸気暖房は観光用の復活蒸気の牽く旧型客車や専用車両だけになってしまった。かつて、暖給車やDL、ELに搭載されていたSGこと蒸気発生装置も忘れ去られようとしている。蒸気機関車在っての蒸気暖房だろうかから、運命を共にするのも道理だろう。暖かさが一番のおもてなしとされる冬の北海道だが、蒸気に包まれて、如何にも暖房が効いていそうな寝台車の眺めも、蒸気機関車と一緒にもう遠い過去となった。


長らく自動更新を続けてきましたが、今回から通常運行に戻ります。自動更新の期間中は、北海道に滞在して道内を巡っていました。何時消えてもおかしくない根室本線、石北本線、宗谷本線の小駅を訪ねる旅でした。現役蒸気時代以来となる駅も多くありましたが、その凋落ぶりには驚かされます。既に廃駅をなってしまった駅跡を探したりもしました。確実に過疎化が進む現実に直面するばかりでした。この緋牛内にも再訪しましたが、もう一度撮ってみたいと思っていたオハネフの後方の丘からの眺望は、残念ながら失われていました。とても全ての駅をご紹介することは出来ませんが、なるべく沢山の実態をお送りできればと考えています。画像はまだコンパクトフラッシュの中ですが、整理がつき次第お送りします。


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  1. 2018/11/07(水) 00:00:00|
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三角山遥か

金華を出た列車が、うねうねと常紋を目指す
そして、この頂も蒸気とともに消え去った

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1975年3月 石北本線 常紋

石北本線の通称「玉ねぎ列車」は、幸いにも今期も運行を続けている。牽引機がDD51からDF200に代ったものの、相変わらずの人気沸騰ぶりだ。多くのファンが常紋でその臨時貨物を待ち受けている。近頃では、常紋の撮影ポイントはキロポストで表されているようだが、この三角山は何キロポストに当るのだろうか。金華からゆっくりと登って来る蒸気を、長時間眺め続けることができたこの場所は、当時は第一級の俯瞰ポイントだった。理由は定かでないが、その後、蒸気とともに三角山の名も消えてしまった。凸型DDファンの俯瞰のエキスパートにお聞きしても、三角山を知る方はおられなかった。

さて、今この写真の撮影場所の駅区間をどう表記すればいいのだろうか、生田原-西留辺蘂間とでも書けばよいのだろうか。常紋信号場は、かつては旅客取り扱いを行う仮乗降場だった。押し寄せるSLファンを捌くためとも云われていた。蒸気全廃直後の1975年7月には、本来の信号場に戻ったが、その機能も2017年春に完全に停止し、蒸気ファンの一大聖地だった常紋信号場はついに廃止されてしまった。一方、常紋の北見寄りに在る金華は、2016年春に乗降客の減少から信号場に降格されている。つまり、この写真を撮った時代の常紋-金華間は、全くの過去物語となってしまったということだ。

現役蒸気時代の方なら誰もが憧れた常紋の三角山だが、取り巻く情勢は大きく変わってしまった。三角山の名は消え、常紋信号場もなくなってしまった。三角山には到達できなくても、常紋に降り立ったことのある方なら、その胸の高鳴りは覚えておいでだろう。恐怖の常紋トンネルを抜けることも厭わなかった当時のファン魂、そしてそれを許した国鉄も、もうとうの昔に古のものとなった。今では石北本線自体が危ない。現役蒸気ファンには、楽しかったあの時代のことを、正月の酒の肴にでもしてもらえば嬉しい。知らない世代の方々には、こんな撮影地が在ったことに、思いを馳せてもらえれば幸いだ。


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  1. 2018/01/03(水) 00:00:00|
  2. 石北本線
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輝きの朝

オホーツク沿岸の網走は温暖で明るい場所だ
そこには眩しいくらいの輝きの朝があった

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1973年3月 石北本線 網走

網走という街は、意外にも温暖で明るいところだ。海洋沿岸性の気候のため、夏は涼しく、冬は暖かい。冬に北西の季節風の吹き荒れる日本海沿岸からは遠く離れ、夏に東風が運ぶ山背が発生する太平洋とも隔絶されているため、積雪は少なく、一年を通して晴天率が高い。冬のオホーツクの流氷や、かつての網走監獄の過酷な囚人労働の歴史からか、冷たく凍り付いた不毛の土地のようなイメージを抱かれがちだが、実は道内では過ごし易い地域となっている。それが関係しているかは判らないが、道内の都市としては比較的安定した人口を維持している。

網走駅に、1527レ「大雪崩れ」が到着し、俄に構内が活気を帯びてきた。釧網本線、湧網線の列車の出入りも加わり、慌ただしく入換作業が続く。操車掛氏は職種柄こんな軽装で寒そうだが、きびきびと作業が進められていく。ちなみに、北海道形の特徴の一つである前面デッキ手すりは、このように使用されていた。ここ網走には機関区はないが、一通りの設備はあった。屯するのは北見、遠軽、釧路などの罐だ。晴天の朝だけあって放射冷却でしばれてはいるが、春が近づき、日の強さはもう冬のものではない。そこには、オホーツクの眩いくらいの輝きの朝があった。


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  1. 2017/03/08(水) 00:30:00|
  2. 石北本線
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春を待つ

遠く離れた道東にも春の気配が伝わってきた
雪解けが始まった端正な冬木立の向うに煙が流れる

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1973年3月 石北本線 緋牛内

ここ緋牛内に駅が出来たのは1912年のことだ。当時の札幌から北見、網走へのルートは、旭川から現富良野線、根室本線、池田から網走本線(旧池北線と現石北本線)を経由するものだった。次に開通したのが、名寄、興部、遠軽を経由する湧別線のルートだった。そして、1932年に北見峠を石北トンネル(4329m) で越える最短の石北ルートが最後に開通し、現在の石北本線が形作られた。遠軽の駅がスイッチバックになっているのは湧別線ルートが先だったからに他ならない。SLファンであれば常紋が最大の難所と思われがちだが、その生い立ちからは、いかに北見峠が難攻不落の峠であったが窺い知れる。石北本線の中でも最も人口が希薄な地帯であり、現在は普通列車が1往復のみという閑散とした場所だ。この三ルートのうち、旧網走本線ルート、旧湧別線ルートは早々と廃止となった。残る石北ルートも風前の灯となった。釧網本線とともに消えてしまえば、北見と網走は100年前の鉄道の通わない町に戻ることになる。

その北見峠には、常紋トンネルと同じように血塗られた歴史がある。この峠に中央道路と呼ばれた開拓道路が開削されたのは1891年のことだ。そのために、時の明治政府は空知集治監と釧路集治監の別館として網走監獄を設置した。過酷な労働により、囚人のおよそ五分の一の200人以上の犠牲者をだしている。このことを題材にした小説が、阿部譲二の「囚人道路」だ。こうして、屯田兵による北見開拓が進められることになり、「たまねぎ列車」へと繋がっていくことになる。現在この北見峠には、旭川紋別自動車道という例の高速モドキの高規格国道が通り、何と遠軽まで4車線で完成している。さすがにその先は2車線に計画変更のようだが、「たまねぎ列車」を差し置いて、造ることには変わりはない。お役人が、人の命も血税も、何とも思わないのは昔も今も変わらない。


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  1. 2017/02/24(金) 00:30:00|
  2. 石北本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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