津和野へと抜ける隧道入口にこの駅はある
春の昼下がりのどこまでも長閑な時間が流れる

2016年4月 山口線 船平山
山口県山口市阿東徳佐中字水戸に所在するJR山口線の船平山駅は、山口県の最北の駅になる。駅のすぐ北側に入口のある白井トンネルを抜ければ、島根県鹿足郡津和野町に入る。駅構内には場内信号機も出発信号機も見当たらず、この駅が徳佐-津和野間の閉鎖区間の中にある停留場であることが伺える。国有鉄道津和野線が徳佐から津和野に通じたのは1922年のことだ。開通から25年後の1947年に船平山は仮乗降場として誕生した。仮停車場、駅へと格上げされ現在に至っているが、一貫して無人駅のままで、駅員が配置されたことはない。駅舎もなく、在るのは単式1面1線のホームと待合室のみだ。
正午過ぎ、山口行きの2546Dが定刻に白井トンネルを抜けてきた。1日8往復の普通列車の上りの6本目で、この後の上りは2本しかない。逆に下りは午後に5本が走る。完全に山口方面への通勤通学のためのダイヤ編成だ。ここでも日中に大きな空白があり、その時間帯を利用して「SLやまぐち号」が走る。無名だった船平山も、やまぐち号のお蔭でファンの間では知られた存在になった。白井トンネルはちょっとした分水嶺になっており、特に津和野側には人気スポットが多い。予想通り2546Dの乗降は皆無だった。一時響いたキハ40のエンジン音も遠ざかり、辺り一帯はすぐに春の長閑な船平山へと戻った。


ローカル無人駅によくあることだが、駅へと繋がる道がよく分からないので線路端からホームに上がる。駅舎がないので駅前もあるのかないのか。よくよく探してみると、ホームと民家の間に踏み跡を見つけた。この踏み跡を辿ると確かに表通りへと繋がっていた。一日の乗車人員が一桁なので、この民家の迷惑にもならないのだろう。何とも長閑な駅だ。




さて、気になる待合室だが、佇むにはちょうどいい大きさで、中は至ってきれいだ。例によって重要指名手配などの張り紙があり、通信配線箱も同居している。椅子に腰掛けてみると、なかなかいい眺めだ。赤い石州瓦の民家とその裏山が見える。如何にも春という空気感が漂う。こういう風景をボーっと見ているのは至福の時間だ。人生には、ボーっと生きる瞬間も必要だ。

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- 2019/04/09(火) 00:00:00|
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給水塔で乾いた喉を潤すデゴイチ
今は側線も無くなり篠目の記念碑だ

1972年7月 山口線 篠目
山口線にデゴイチのさよなら列車が走ったのは、1973年の9月30日のことだった。6年後の1979年8月1日にはC571の「SLやまぐち号」が運行を開始している。これまでに、C571の他にC581とC56160が使用されたが、両機とも老朽化のため戦列を去っている。2017年にはD51200が投入され、山口線本来の使用形式に戻ったわけだが、特徴的な集煙装置は装備していない。D51200に合わせて、客車も旧客を再現したレトロ風の新造車が用いられるようになった。より現役時代の蒸気列車を体験できるように考えられた趣向だが、当然ながら、やはり現役蒸気と復活蒸気は別物だ。写真の現役時代の風情とは程遠い。ただ、見世物的な列車になっても、蒸気は蒸気だ。罐の息吹を感じられる路線があることは素晴しいことだ。
今や蒸気ファンの聖地ともなった山口線だが、現役時代は人気のある路線とは言えなかった。煙が期待できる勾配区間を有するものの、列車本数が少なく、走っているのもデゴイチと月並みだった。撮影地の情報にも乏しく、この時篠目を訪れたのは単純に停車時間がそこそこあったので、1本の列車を2度撮れるという情けない理由でしかなかった。まさか、この篠目が今のような有名撮影地になるとは、当時は努々思わなかった。写真のD51405は、現役末期の使い回し期の1966年に長野からやって来た。長工式集煙装置がそのまま使えるというのが理由なのだろうか。何故か、N-2型の長工式デフもそのままだ。このD51405が、山口線管理所に籍を置く最後の罐となった。今は、松戸市のユーカリ交通公園で余生を送っている。
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- 2019/04/01(月) 00:00:00|
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畔が緑に覆われる頃、田圃に水が張られる
この駅を見守る給水塔が、早春の柔らかい光に包まれる

2016年4月 山口線 篠目
かつては峠越えの蒸気のオアシスだった篠目だが、残されたのが給水塔だけというのも、何か物足りないような、寂しいような眺めだ。
★只今、予約更新で写真を主とした短文記事でお送りしています。
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- 2017/04/03(月) 00:30:00|
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ぽつりぽつりと雨が落ち出し、集落が霞の中に沈んでゆく
3年前に大暴れした阿武川は、普段は静かな川面の緩やかな流れだ

2016年4月 山口線 渡川
気が付けば復活蒸気がご無沙汰なので、ここらで一つアップしておこう。今年は本当に久し振りにSLやまぐち号に再会した。何といっても山口県というのは、我が家では北海道よりも遥かに遠いところで、なかなか出向く機会がない。やっと辿り着いたものの、天気は下り坂で視界があまり良くないが、ここでの後追いなら一人で楽しめるだろうと賭けをしてみた。煙が暴れれば全ては木阿弥なので、風向には注意していたつもりだったが、この半切り通し内の風が読めなかった。辛うじてC57は煙幕を脱したが、客車はご覧の通りだ。どうせ大した煙など出さないだろうと高をくくっていた天罰だった。
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- 2016/10/20(木) 00:30:00|
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蒸気の気配がする鄙びた駅に、朝の汽車を待つ人の姿があった
気動車は峠を目指してゆっくりと走り去り、また山間の小集落に静けさが戻った

写真 2016年4月 山口線 篠目
昔、伊勢正三の作ったフォークソングに「なごり雪」というのがあった。その歌詞は「♪汽車を待つ君の横で・・・」と始まる。やって来るのが、電車であっても、気動車であっても、どんな機関車であっても、この歌詞は「汽車」でなければならない。「汽車」という言葉は、物の実態ではなく、いつしか列車の総称となった。現役の蒸気の客レなどとうに消えてしまった。もう決して現れることはない。それでも、ローカル線の長閑なホームで待つのは、いつの日も「汽車」で在り続ける。
篠目は、現役蒸気の時代に峠越えの休息場所だったため、今でも蒸気の気配を感じられる駅だ。青春18きっぷのポスターにも登場している。色灯式の出発信号機の傍には腕木式の信号機も残されているが、面白いことにどちらも出発を指示している。ご多聞に漏れず、この地も過疎化が進み、乗車人員は一桁台まで減っている。やまぐち号が連れてくる蒸気ファンや観光客の方がはるかに多いだろう。
長閑な篠目のホームに、上りの山口方面行きの広島色のキハ47が静かに滑り込んだ。何人かの汽車待ちの方がホームにおられる。何時の日も、駅のホームには人の出会いや別れがある。時として、旅立つ方の人生の節目の一幕となったりもする。この方々のこの日がいい一日になることを、そしていい旅立ちになることを、レンズ越しに細やかながら祈ろう。

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- 2016/05/10(火) 01:35:24|
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