駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

駒ヶ岳の学び舎

駒ヶ岳を仰ぎ見る学び舎が夕日に染まった
現代の貨物列車が力強くサミットを越えて往く

70016034.jpg
2017年10月 函館本線 駒ヶ岳

ここ駒ヶ岳を訪れたのは、駅のすぐそばにある森町立駒ヶ岳小学校の学び舎を観賞するためだ。以前から、この駒ヶ岳を仰ぎ見る木造校舎の佇まいが気に入っている。1883年に宿野辺小学校として開校し、町史には新改築の記載はないが、さすがに築134年は如何なものだろうか。長らく駒ヶ岳中学校が同居していたが森中学校に統合され、今ここに通うのは小学生だけになっている。現在、森町の小学校は森、さわら、駒ヶ岳、石倉、鷲ノ木、尾白内、濁川の7校、中学校は森、佐原の2校、高校は道立森の1校となっている。学校のある場所と廃校になった処を調べることで、その自治体の人口分布と推移が概ね分かるというものだ。隣の赤井川の小中学校は既に廃校になっている。反対隣の姫川の小学校も消えてしまった。つまり、駒ヶ岳西麓の扇状地に残された学校は、この駒ヶ岳小学校ひとつだけということになる。

この駒ヶ岳駅が開業したのは1903年のことで、さすがは本線筋の駅だけあって既に114年の歴史を刻んできた。同時期に赤井川駅も設置されている。この辺りは駒ヶ岳の噴火による堆積物によって形づくられた丘陵地帯であるため、水稲の栽培には向かず、入植者は主に畑作や牧畜で生計を立ててきた。広大な畑の中に農家が点在するが、どうやら通学の児童たちの多くは、国道沿いに新たに開けた農家ではない集落の子供たちのようだ。古い木造校舎の眺めは郷愁を呼び起こすものだが、裏を返せば、先がないので手が入れられなかったとも考えられる。次回来た時には、この建物は学び舎ではなくなっているかもしれない。近隣には移住者を呼び込むための分譲地も開発され、温泉施設などもある土地柄なので、流行りものの工房などになっているかもしれない。何れにしても、壊すにはあまりにも惜しい木造校舎だ。

さて、現在、駒ヶ岳から森までの13.0kmには駅は存在しない。この春までは東山、姫川の2駅があったが、ともに廃止されている。この2駅の出発点はどちらも信号場で、姫川と森の間には、かつて森川信号場というのまで存在していた。現在も列車運行上、姫川は信号場として機能しており、駒ヶ岳、赤井川の交換設備も健在だ。勾配区間の最中にあった東山と森川の二つの信号場は、蒸気機関車のためのスイッチバックの加速線を有していた。今は棒線化されているが、その遺構を僅かながら偲ぶことができる。太平洋戦争末期の函館本線は、道内炭を内地に送りだす使命を負っていた。その石炭列車の大増発に対応すべく、時同じくして多くの信号場が増設されたが、終戦と佐原線の開通によって、それらの信号場の多くが役目を終えている。また何時か函館本線に信号場の増設が必要となる日が来ることを期待しよう。


70016022.jpg


70016025.jpg


スポンサーサイト

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/11/17(金) 00:00:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

大沼朝景

湖を隔てる築堤が真っすぐに伸びる
朝日を浴びて青い「FURICO 281」が往く

80011532.jpg
2017年10月 函館本線 大沼公園 

日中であればこの橋梁の下を観光船が引っ切り無しに行き交い、外国人観光客で賑わう大沼公園だが、早朝の大沼はまだ静けさの中だった。耳を澄ますと、佐原線経由の列車の走行音も聞こえてくる。函館市街から函館新道で30分程の大沼は、函館の奥座敷といったところだ。駒ヶ岳の火山活動によって造られた湖沼群だが、国道が水域を避けて外縁部を通っているのに対し、函館本線はその核心部を抜けている。景観保護などの認識がなかった時代の敷設だが、お陰でそこを往く列車は秀逸な車窓風景を手に入れることが出来た。湖畔には大沼公園駅が設けられ、有数の観光駅となった。

写真の辺りは、明治期に人力主体の工事手法で、一部大沼と小沼の狭戸を埋め立てて鉄路が開かれた。月見橋と呼ばれる橋梁部分は両沼の通水と観光船の通過のために、埋め立てられずに残された僅かな本来の水面だ。後日、並行して道道も付けられたが、ここの風景は不思議と本来の地形であったかのように違和感がない。絶景を往く列車は何故か観光資源となるという徳がある。道路ではそうはいかない、鉄道だけが持つ不思議な魅力だろう。この月見橋橋梁を中心に大沼が俯瞰できる日暮山(ひぐらしやま)では、列車の通過を待つ観光客も少なくない。こちらの眺めは後日ご紹介したい。

朝日を浴びて「FURICO 281」の1Dスーパー北斗1号が札幌に向けて旅立って行った。青函連絡船の時代、北海道の玄関口は函館であり、由緒ある1Dは「おおぞら」だった。長大編成の80系が遥か東の釧路へと向っていた。今では札幌中心のダイヤになり、原則全ての在来線特急は札幌が始発であり終着だ。函館、札幌間は「北斗」が往復しているが、近頃では新デザインの白いキハ261を見かけることが多くなった。この白には「誠実さ」、「清らかさ」をイメージしたJR北海道の「出直し」、「再生」、「信頼を取り戻す」といった期待も込められているようだが、意気込みの程は如何に。


80011538.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/11/07(火) 00:00:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

大沼湖畔の邂逅

夜が明けきらぬ大沼の朝 上下の普通列車がすれ違う
東の空にも大沼の湖畔にも、秋の紅が差していた

80007314.jpg
2016年10月 函館本線 大沼 6時23分 藤城線 5881D 森行き 既に対向列車が見えている


ここは函館本線の大沼の函館寄りのポイントだが、線路が2本走っている。上り線と下り線なら話は簡単だが、山側の1本は、七飯から渡島大野、仁山を経由して大沼に向かう本来の函館本線の筋。湖岸側のもう1本は、七飯から途中駅無しで大沼に向かう通称藤城線のルートだ。藤城線は、仁山越えの急勾配を緩和するために1966年に後付けで建設されたもので、主に下り線として使われていた。つまり、藤城線開通後は、原則、下りの旧大野町、現北斗市の玄関駅である渡島大野に用のない優等列車と貨物列車は藤城線を走り、各駅停車のみが仁山経由を走っていた。

ところが、北海道新幹線の在来線との接続が無人駅の渡島大野となり、駅名も新函館北斗に改称されたことは周知の通りである。となると、新幹線接続の優等列車は上下とも全て仁山経由となる。仁山越えの20‰の勾配など、現代のキハには大した支障ではない。かくして、この二つのルートの役割は大きく変わり、仁山経由は旅客、藤城線は貨物線と相成った。しかし、朝昼晩の下りの3本の普通列車が例外として藤城線に残った。新幹線駅を回避する世にも珍しい列車だ。業界筋では、ダイヤ編成上の措置とも、藤城線の免許を失いたくないJR北海道の思惑とも囁かれている。

何はともあれ、仁山経由の大沼発6:22の5880D函館行きと、藤城線の大沼着6:28の5881D森行きの2本の貴重な普通列車が、線路を違えて間髪入れずにこのポイントを通過する。本当に通過時刻が切迫しているので、どちらが先に来るかも判らない。おまけに、この函館側で2線が交差しているので、感覚的に湖岸寄りが仁山経由と勘違いしそうだ。湖岸の線を往く貴重な筋も失いたくない。もちろん前照灯がアクセントになる駒ヶ岳バックの上りも撮りたい。この日、カメラに記録された時刻差は1分だった。二兎を追う者は一兎をも得ずというが、さてこの出来は何兎だろうか。


80007320.jpg
同日同所 6時24分 仁山経由 5880D 函館行き


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/09/14(木) 00:00:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

キューロクの日 2017

蒸気はとても寒がりだ 体が冷えてしまうと直ぐには動けない
薄暗い機関庫でじっと体温を保ちながら、次の出番を待つ

04604F16.jpg
1973年3月 函館本線 倶知安機関区

ほの暗い機関庫の煤けた窓から、柔らかい雪明りが差し込んでいる
老体を横たえるように、二両の二つ目キューロクが静かな寝息を立てている
微かに立ち昇る煙と、時折漏れ出す白い蒸気が、この罐が生きている確かな証だ
晴天が何日か続き、排雪の呼び出しもなく、重装備の僚機の二両が並んで休む
それでも春浅き後志はまだ一面の銀世界に包まれ、暫くは雪への備えが続く
一旦仕業につけば乗務員とともに厳しい自然を耐え抜かなければならない
北の鉄路を守り続けた愛すべきキューロクの一時の安らぎの時間だ


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/09/06(水) 00:00:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:10

国縫駅3番線

かつて、この国縫駅から西に路線が伸びていた
その記憶を留めるのは、今やこの3番線だけだ

70009209.jpg
2016年7月 函館本線 国縫

かつてこの3番線には瀬棚線の列車が発着していた。この先で右に大きくカーブして今別を通り、日本海側の瀬棚へと路線が伸びていた。この国縫から2番目だったと思うが、「美利河」という駅と集落があった。「ぴりか」と読む。アイヌ語で「美しい」という意味らしい。例によって、駅名に惹かれて一度だけ行ってみたことがある。その名の通り、美しい川と背梁山脈を越える25‰の峠があったが、時間を掛けることなく直ぐに撤退している。当時、瀬棚線では長万部のC11が貨物を牽いていたが、撮影効率が悪く、何となくパッとしない、人気のない路線だったように記憶している。ここで時間を費やすより、大型機の走る本線の方が魅力的だったのだろう。

彼の急行ニセコが唯一の優等列車の停車だったが、1986年にニセコが廃止され、無人駅となった。国鉄最後の翌87年に瀬棚線が廃止され、JR北海道に引き継がれた。そんな国縫駅3番線は今も残っていた。レールの配置は変えられているが、錆びてはおらず、出発信号も点灯しているので、現在も上下線の待避線として使われているのだろう。この跨線橋は一見綺麗そうに見えるが、鉄骨木造構造の古いものだ。左手の木立に隠れているが、昔ながらの木造駅舎も残されている。駅だというのに一軒も家屋が見えないのは、集落が海辺の国道沿いにあるためだ。何となく寂しさが漂う広漠とした構内を、スーパー北斗が函館に向けて通過して行く。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/04/29(土) 00:30:00|
  2. 函館本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ

プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

最新記事

最新コメント

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

カテゴリ

小海線 (109)
飯山線 (21)
宗谷本線 (16)
天北線 (1)
興浜北線 (2)
深名線 (1)
石北本線 (7)
渚滑線 (2)
湧網線 (1)
相生線 (3)
釧網本線 (3)
根室本線 (2)
池北線 (1)
広尾線 (2)
留萌本線 (8)
札沼線 (1)
函館本線 (40)
室蘭本線 (8)
千歳線 (1)
日高本線 (3)
江差線 (11)
函館市電 (1)
大湊線 (6)
津軽鉄道 (2)
五能線 (5)
八戸線 (5)
花輪線 (2)
三陸鉄道 (2)
釜石線 (8)
秋田内陸縦貫鉄道 (5)
由利高原鉄道 (2)
陸羽西線 (1)
米坂線 (4)
羽越本線 (2)
磐越西線 (2)
日中線 (3)
只見線 (47)
真岡鐡道 (14)
東北本線 (1)
総武本線 (1)
中央東線 (3)
東海道本線 (2)
八高線 (11)
秩父鉄道 (7)
西武池袋線 (1)
西武山口線 (1)
江ノ島電鉄 (10)
箱根登山鉄道 (3)
御殿場線 (2)
岳南電車 (6)
中央西線 (1)
関西本線 (2)
宮津線 (1)
山陰本線 (31)
播但線 (1)
姫新線 (3)
津山線 (1)
芸備線 (6)
木次線 (1)
三江線 (3)
山口線 (5)
日豊本線 (14)
筑豊本線 (9)
日田彦山線 (2)
伊田線 (1)
後藤寺線 (1)
田川線 (2)
唐津線 (3)
松浦線 (3)
佐世保線 (1)
大村線 (1)
長崎本線 (2)
島原鉄道 (1)
久大本線 (4)
豊肥本線 (3)
高森線 (2)
肥薩線 (18)
くま川鉄道 (1)
日南線 (3)
宮之城線 (1)
指宿枕崎線 (2)
写真集・書籍 (4)
鉄道模型 (1)
ご挨拶 (0)
はじめまして (3)
未分類 (0)

写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

こあらまへのメール

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

ご来場者累計

RSSリンクの表示

QRコード

QR