駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

笑って手を振ろう

何時から如何して始まったのかは知らないが
幼児向けの絵は一体誰の趣味なのだろうか

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2016年5月 只見線 会津坂本

各地でラッピング車が闊歩しているが、出会った時のショックは大きい。このアングルでは、もう笑って手を振ってお見送りするしかない。

★只今、予約更新で写真を主とした短文記事でお送りしています。


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  1. 2017/04/25(火) 00:30:00|
  2. 只見線
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入広瀬 晩秋

日が西に傾き、集落に山影が伸びてきた
魚沼の田圃の中を、夕日を浴びてキハが往く

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2016年10月 只見線 入広瀬

何度となく行き来した場所は、何時しかそこに立つと帰って来たような気持になるものだ。そんな場所の一つが入広瀬だ。広域合併の魚沼市になるまでは、入広瀬村という単独の村だった。日本有数の豪雪地帯にあり、今頃は深い雪に埋もれていることだろう。そんな雪国の春は本当に素晴らしい。白一色だった景色がみるみる緑へと変わっていく。魚沼米の田圃は日に日に緑が深まり、蛍の舞う夏を迎える。赤とんぼが飛び出す頃、田圃は色付き、豊穣の秋を迎える。稲刈りが終われば、また白い季節への備えとなる。そんな四季の移ろいを延々と繰り返すことに由って、この風景が育まれてきた。

美しい北魚沼の山峡の田園風景は相変わらずだが、それでもやはり変化はある。この集落に通い出したころ、田圃の中には米どころ魚沼の原風景とも云える、はんの木のはざ木の並木がそこかしこに見られた。何かの目印なのか、所々に杉の大木も生えていた。そんな風景も農業振興法の圃場整備が入り、今のような整然とした姿に変わった。集落の昔ながらの木造家屋も、一軒また一軒と新建材の住宅に建て替えられ、只見線の初代の木造駅舎もコンクリート製の雪国観光会館に生れ変わった。一方で、役場と小中学校の裏山にあった中峯スキー場は、スキーブームが去るのとともに消えていった。

目まぐるしい時代の流れの中で、何も変わらないなどと云うことはない。街であっても、農村でも漁村であっても、同じ時間軸の上を走り続けている以上、同じ方向に収束していくことは避けられないことだ。ただ、長年積み重ねられてきた雪国の生活の一つ一つには、それぞれ意味があり、そこに暮らす人々の拠り所にもなっている。もっと云えば、それだからこそ存在する価値があるというものだ。「雪に閉ざされた」などという世界は、もう日本では特殊事情だ。それでも雪国は存在する。これからも、この集落に本数は少なくても列車が通い、この村がこの村らしく生き続けていくことを切に願いたい。


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  1. 2017/02/18(土) 00:30:00|
  2. 只見線
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雨降りの白煙

雨降りに賭けて、大志を眺めるこの場所に来た
しっとりと濡れた集落を、白煙を引いた汽車が往く

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2015年10月 只見線 会津川口

雨降りの中での撮影は気持ちのいいものではないが、雨の日の写真を眺めるのは一興である。全く勝手なものだ。一度雨の中に飛び出してしまえば、撮ることに集中してしまい、雨がどうのだの思わなくなるものだが、その第一歩には勢いが必要だ。結果的に雨だからやめたとはならないのだが、葛藤の時間がないわけではない。しかし、この時は勇んで雨の中で撮ることになった。この場所ではずっとスカに苦しめられていたため、この日の雨は恵みの雨だった。秋の雨降りなら白煙くらいは出るだろうと、この場所に来てみた。晴れていれば、川口発車の力走も、国道オーバークロス辺りで終わってしまうのが恒例だが、目算通り白煙だけは引いて来た。蒸気撮りで面白いのは煙の予測だ。勿論、辛酸を舐めることの方が多いのだが、キハにはない賭けの醍醐味だ。


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  1. 2016/11/05(土) 00:30:00|
  2. 只見線
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線路の向こうに 薮神

前線の通過で、来るべき冬を思わせる空模様になった
苅田へと向かう線路からは、云い得ぬ思いが込み上げてくる

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2015年10月 只見線 薮神

寒冷前線が通過して、俄に冬型の気圧配置となった。冬なら北からの季節風が雪雲を運び、雪が降り続くことになるが、そんな時期までにはもう少し間がある。雲の切れ間から日が差し込み、越後魚沼の晩秋の苅田を照らし出した。この線路は小出の街へと続いている。線路の向こうに、日に照らされた街並みが微かに見える。街の高校から帰る生徒を乗せた列車がやって来るのは、このホームと待合所に明かりが灯りだす2時間程先のことになる。

線路自体が好きな者としては、線路を撮って何とかものにしたいのだが、これがなかなか難しい。被写体が単純な静物だけに、アングルのバリエーションはそう多くない。そういう意味では、列車というのは本当に有難い存在だ。逆に、そのワンポイントがあるが為に、駄作の山を築いているとも云えなくもない。ただ、ここぞという情景や光線状態、気象に出会った時に、列車が来るとは限らない。いや、来ないのが常だ。そんな時こそ、真剣に線路と向き合うチャンスだろう。


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  1. 2016/10/10(月) 00:30:00|
  2. 只見線
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春色只見線 その17 最終回 只見線再び

夕刻、地域の高校生を乗せた列車が、田植えが終わった田圃の中を往く
何時までも、この光景が眺められることを祈って、只見線を後にした

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2016年5月 只見線

今回の只見線詣のラストショットは越後側の薮神となった。2426D小出発17時10分の只見行き最終列車は、この地域の帰りの通学列車だ。上越線沿線の小出、六日町、長岡などの高校に通う生徒が、この列車で帰って来る。小出を出たばかりの2両編成の新潟色のキハ40の車内はほぼ満席だ。賑やかな雰囲気でホッとするような光景だが、列車本数が極めて少ないので、越後側で最も多いこの二駅間の通過人員でも500人に満たない。そこそこ民家が連なる地域なので、経営努力が求められるところだが、やはりJRでは地域に根差したローカルなサービスは無理のようだ。首都圏の収益で地方路線を維持するという構図は、地方をお荷物にするシステムでしかないのかもしれない。

春色只見線の時に、以前入広瀬村横根と守門村二分の2集落の一年を追ったと書いたが、当時の横根の集落には六日町の高校へ通う女子生徒がいた。入広瀬駅まで片道徒歩1時間の毎日だ。まだ夜が明けきらない冬の朝、雪の壁に挟まれた径を駅へと向かう彼女を見送ったことがある。今の時代には、親の送り迎えがあるのが当たり前だが、車も除雪も行き届かなかった当時は、徒歩で駅に向かい列車に乗るのが唯一現実的な通学手段だった。ふと、そんな昔のことを思い出したが、車社会になり、道も除雪体制が整い、バスが通年定時運行できるようになってからは、生徒の多くが本数の多いバスへと移り、駅からは人が去って行った。通勤が一足早くマイカーに移行したことは言うまでもない。

只見線沿線自治体向けのJRの資料には、増収への取り組みという項があるが、その中にイベント列車というのがある。今となっては、蒸気列車の運行も被災区間の廃線に向けての足固めの一つなのだろう。先月JRが「上下分離方式」案を示したが、JRの財政出動は廃線に近い内容だ。どの程度の分担を考えているのかは知らないが、一部とはいえ復旧経費を沿線自治体が負担できるはずもなく、不通区間のJRの鉄道経営撤退も決定的なものとなった。先行きはより厳しくなったといえるが、今後の動向に注目したい。只見線の他にも日高本線や山田線で手付かずの災害不通が続いているが、こちらも前途は暗い。一方、政治パフォーマンスなのか、政府は南阿蘇鉄道を財政支援すると発表した。三陸鉄道には100億円もの復興税が当てられた。かつて災害で消えた第三セクターもある中、まさに災害からの復旧も運次第といったところだ。


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早いもので季節は夏へと移り、西からの猛暑のニュースが絶えない。
ただ、関東地方は、ちょっと例年と雲行きが違っているようだ。
只見線の高校生たちも夏休みに入ったことだろう。
草いきれの夏の青空の下、田圃も一面の緑になっているはずだ。
炎天下の線路には陽炎がたち、遠くの踏切や林が揺らいでいることだろう。
そんな思いが廻るのが、美しい日本をゆくローカル線の旅だ。

これで「春色只見線」を終わります。


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1972年7月 只見線

現役時代のC11牽引会津若松行き客レの車内風景。
おねえさんが気になったのか、ビビッて画が引けている。
旧客の車内アイテムがいちいち懐かしい。
遠く過ぎ去った夏の日の一コマだ。


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  1. 2016/07/27(水) 00:30:00|
  2. 只見線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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