駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

川線の印象 観光列車の行末

列車は球磨川の急流地帯に差し掛かった
風光明媚な川面の車窓が川線の生命線だ

70014028.jpg
2017年4月 肥薩線 川線

肥薩線は、国鉄再建法の特定地方交通線の選定の際に、「代替輸送道路が未整備」という理由で、廃止を免れている。この理由で除外されたのは、深名線、山田線、岩泉線、名松線、木次線、三江線、予土線、日南線、そして肥薩線の計9路線だった。錚々たる地方線の顔ぶれだが、超ローカル線の深名線、岩泉線は既に廃止。三江線は来春の廃止が決定し、山田線は沿岸区間を三陸鉄道に移管することが予定されている。残る路線は、夫々に観光列車を走らせ、観光客の集客を模索する状況だ。現在も、「えびの高原線」と呼ばれる肥薩線・吉都線は九州の収益ワースト路線だ。その中で、九州新幹線開業を契機に、積極的な観光路線化が試みられている。

かつては、「おおよど」、「えびの」、「九州横断特急」、「くまがわ」などの優等列車が通った路線だが、高速道路の開通で、都市間輸送の役割を失っていった。代わりに登場してきたのが観光列車だ。川線には、今では「かわせみ やませみ」、「いさぶろう・しんぺい」、「SL人吉の」の3種の観光列車が走り、隼人側では「はやとの風」がリレーしている。昼間の列車の半数は観光列車だ。沿線に豊富な観光資源を持ち、鉄道そのものも歴史的遺産。新幹線や空港とのアクセスも良好で、観光路線としての多くの要件を満たしている。これだけの好条件だ。必ず成功してもらわなくては困る。この路線の観光化の成否は、後続のローカル線の行末を占う大きな試金石だ。


80009385.jpg


これで、「川線の印象」を終わります。


スポンサーサイト

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/07/20(木) 00:30:00|
  2. 肥薩線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

川線の印象 鶴之湯旅館

その一軒宿は変わらず球磨川縁に建っていた
川線の列車が老舗旅館を掠めて通り過ぎる

80008948.jpg
2017年4月 肥薩線 葉木

鶴之湯旅館が開業したのは63年前の1954年のことだ。46年前に川線のシゴナナを撮りに訪れた際にも、確かにこの温泉旅館はあった。球磨川と肥薩線川線に挟まれて建つ、特徴ある木造三階建の一軒宿を見落とすはずがない。経営者が体調を崩されたために、10年ほど前から休業状態だったようだが、昨年11月1日に、4代目となるご子息が宿を再開させた。ただ、お一人での再スタートということで、一日一、二組の宿泊しか受けられないようだが、その分アットホームな時間を過ごせそうだ。

この旅館を見ると、増毛の「富田屋」を連想するが、こちらはさらに古く1933年の創業となる。増毛駅前であれば、その歴史から、木造三階建の老舗旅館があっても何ら不思議はない。しかし、この鶴之湯旅館については、なかなか合点がいかない。かつて、ここの球磨川には荒瀬ダムのダム湖があり、その観光客目当てということのようだが、そう言われてもピンとこない。球磨川温泉の温泉宿というが、どんな温泉が何所に湧いているかも分らない。まだまだ、知らないことが多い、謎めいた老舗温泉旅館だ。

一泊二食付きで5900円。連絡先は0965-45-8050。SL人吉撮影の宿にどうだろうか。


80008952.jpg


80008956.jpg


80008959.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/07/06(木) 00:30:00|
  2. 肥薩線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

山線の記憶 慰霊の地へ

そのトンネルは鹿児島へと鉄路が繋がった時の輝かしい歴史を持つ
同時に、戦争が引き起こした血塗られた歴史の生き証人でもある

70013688.jpg


70013689.jpg
2017年4月 肥薩線 列車退行事故現場

以前「矢岳越えの呪縛 」という記事で、肥薩線列車退行事故のことを話題にした。資料によって犠牲者は49人とも53人ともされているが、何れにしても、終戦後7日目の1945年8月22日に発生した、鉄道史に残る大事故であったことは間違いない。今回の山線の再訪に際しては、何としてもその事故現場に慰霊に行きたいと思っていた。物見遊山的な気持ちが無かったと言えば嘘になるが、その歴史的な背景を思えば、後世に語り継ぐべき悲劇でもある。鉄道好きということを越えて、その場に立たなければならない大きな理由があった。

現場は「山神第二トンネル」の真幸側の出口付近ということははっきりしている。そこに慰霊塔が建立されているはずなので、何とかアプローチできるはずだ。昔なら、真幸から線路を辿るという常套手段があった。途中に山神第一トンネルがあるが、抜けられない長さではない。しかしながら、今のご時世からして、それは避けなければならない。航空写真などを調べると、現場から400m程のところに家屋らしきものがあることが分ったが、線路までの最後の詰めがどうなのかが分らない。事故からすでに72年が経過し、慰霊者も殆どいないはずだが、現場周辺は人工林の杉林のようなので、到達は可能と踏んだ。

それなりの下調べの上で現場探しに臨んだが、意外にあっさりと現場に辿り着くことが出来た。小さいながら地元ライオンズクラブの手により、現場までの道標が整備されていた。細い山道を登って、車で入れたのは、やはり先の400m付近の民家までだった。そこには、田圃を潰しただけの駐車スペースが用意されていたが、殆ど使われている様子はない。そこから徒歩で杉林の中の獣道程度の草分け道を登っていくと現場に着いた。そこに建つのは、慰霊塔ではなく「記念碑」だった。その一帯に遺体が埋葬されたと聞くが、真偽のほどは定かでない。線路に出ると、618mの山神第二トンネルが口を開けているが、トンネルが大きくカーブしているために、内部は漆黒の暗闇だ。反対側の250m程先には山神第一トンネル見える。


70013686.jpg


70013687.jpg


夏も終わりに近いこの場所に、吉松を発った列車が、後補機と復員兵で溢れ返る車輌をトンネル内に残して、本務機がトンネルを抜けた位置で止まってしまった。乗客が乗る車輌は通常の客車の後ろに、さらに貨物用の無蓋車を連結していたようだが、確証ある資料は見つけられなかった。補機の発する熱気と煤煙はトンネルの中を真幸側に駆け上がったはずだ。乗客は何の情報も得られず、自ら脱出に動いたことは想像に難しくない。本務機の乗務員の焦りたるや想像を絶するものであったことだろう。何度か必死に発進を試みただろうが、空転するばかりだ。その末に、機関士が思いついた、乗客と補機の乗員を救う最後の手段が、後退することだった。そして悲劇は起きた。


70013690.jpg


粗悪な石炭、整備の行き届かない罐、定員や定数の無視、貨物用車両の旅客輸送への代用。どれをとっても太平洋戦争の影響が原因となった大事故だ。このような状況下で、運行を続けざるを得なかった乗員を決して責めるわけにはいかない。ましてや、自らの身を危険に曝しての決断だった。事故発生時、近在集落の住民が総出で、復員兵の救出、救護に当ったと、地元の郷土史には記録されている。


70013692.jpg


今ここを通る観光列車は、強力な機関に守られて、急勾配の最中であっても減速をして、この場所での出来事を後世に伝えている。しかし、山崩れ災害などもあり、事故に関わった周辺集落は殆どがその姿を消し、現場に最も近かった集落には何軒かの廃屋が残されているだけで、現場に繋がる道も野に帰ろうとしている。事故の記憶が徐々に風化していくのは避けられないことかもしれないが、復員兵が故郷を目前にしてこの地で散った無念と、自責の念に捕らわれた余生を送ったであろう乗務員のことは、語り継がなくてはなるまい。もう、戦争など起きる筈がないと誰しも高を括っているが、油断は禁物だ。魔の手は、気付かぬ間に忍び寄って来るものだ。先日、沖縄のあるお年寄りが、「今の世の中の空気は、戦争前とよく似ている。」と語っていた。激動の時代を生き抜いてこられた人の確かな警鐘だろう。この事故現場も、平和ボケした僕らに、平和の尊さを語り掛けているような気がしてならない。


02014R16.jpg
1971年7月 吉松機関区


これで「山線の記憶」を終わります。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/07/04(火) 00:30:00|
  2. 肥薩線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

山線の記憶 真幸の追憶

住民とともに時を紡いできた駅は、秘境駅になっていた
無人地帯となった駅に咲く桜は、どこか物哀しい

70013685.jpg
2017年4月 肥薩線 真幸

山線の駅巡りも大畑、矢岳とお送りして、最後の真幸となった。大畑と矢岳は熊本県、真幸の次の吉松は鹿児島県に在する。そして、今回の真幸はというと肥薩線唯一の宮崎県となる。この矢岳越えの山中にある真幸は、宮崎県に最初に出来た駅だ。鹿児島本線として山線が開通したのは1909年のことだ。開通に合わせて大畑、矢岳の両駅は開業しているが、真幸は2年遅れとなっている。現在の日豊線、吉都線を辿る宮崎回りの鹿児島ルートが開通するまでには、さらに10余年の歳月を要した。ということで、真幸の駅舎は宮崎県最古の駅舎でもある。


01816RF16.jpg
1971年7月

まず、1971年の真幸から見ていこう。真幸の駅はスイッチバックの中にあり、如何なる列車も通過することの出来ない構造になっている。駅の後方の盛土が本線で、右手が人吉方面になり、左手に折り返しの施設がある。駅の周りには民家が点在していた。駅舎横の便所脇にはステテコらしきものが干されている。なんとも長閑な眺めだ。翌年の土石流災害で住民の全てが移転してしまい、真幸の周辺は無人地帯と化してしまった。この時の写真は山線のデゴイチとともに、真幸集落の最後の記録となってしまった。

写真は2本の列車が交換のため同時に真幸に進入するシーンだ。手前の客レは吉松から人吉に向かう上り列車となる。客車はダブルルーフを含む3両で補機は付いていない。列車の停止位置はさらに右手で、ゆっくりと右に進行している。この列車の出発シーンを撮るためのこの場所に陣取っていた。当時の山線では普通列車は混合列車が主体だったが、その合間を埋めるように一部客レもあった。朝には1121レのような門司港発都城行の夜行普通客車列車も乗り入れていた。気動車といえば急行「えびの」と「やたけ」が結構頻繁に走っていた。

次に、客レの向こうの貨物列車だが、人吉から吉松に向っている。後ろの本線を一旦通過して、逆向で駅に進入し、同じく右方向に動いている。停止位置はまだまだ右の奥で、ホームの先の方まで下がると、やっと編成全体が所定の位置に収まる。写真右手にもう1両蒸気機関車があるが、鹿児島で廃車となったC6028で、解体待ちなのか、暫く留置線に放置されていた。こうしてみるとベースのC59はD51よりかなり大柄だ。


01912RF16.jpg
1971年7月

吉松行の混845の出発シーンだ。引き出しのためにちょっと力が入っているが、直ぐに絶気となって25‰を下って行った。右奥はキハ58/55混成の上りの802D 急行「やたけ」だが、運転停止ではなく、れっきとした停車駅だった。キハ82の特急「おおよど」が登場するのは74年のことだ。


70013675.jpg
2017年4月


70013683.jpg


70013682.jpg


さて、現在の真幸駅に移ろう。1972年の土石流災害では構内が土砂に埋もれてしまったが、不幸中の幸い、駅の施設は流失を免れた。駅舎は開業当時のものが、今もそのまま残っている。ただ、周囲に集落のあった1971年に比べて、あまりにも人気のない駅になってしまった。秘境駅などと呼ばれるようになってしまったが、かつての様子を知る者にとっては、その変貌ぶりには驚かされる。特急「しんぺい」の後方に見えるのは、災害後に設けられた土石流対策の堰堤だ。昔、駅を見渡せた山の中腹の撮影スポットは、樹木に覆われて場所すらわからなくなっていた。住民が居なくなってから植えられたものと思われる桜の木がこんなに大きくなっている。住民が去ってからというもの駅の乗降客は殆どいない。今は、観光列車「いさぶろう しんぺい」の観光スポットというのが大きな役目だ。満開の桜は人の来ない駅舎の脇で、そっと散ろうとしていた。


70013695.jpg


70013699.jpg


70013709.jpg


現在の定期列車は、普通列車が単車、観光列車の特急「いさぶろう しんぺい」が2両編成となっている。奥の深いスイッチバックを持て余し気味だ。「ななつ星」の停止位置の標識もあるが、7両編成であっても余裕で折り返せる。かつて、長編成の列車が身をくねらせるようにして越えていったスイッチバックのレールには薄らと赤錆が浮いていた。


01914RF16.jpg


長い混合列車の最後尾に付く、峠のシェルパの後ろ姿には、復活蒸気の観光列車では味わえない、輸送力の一翼を担っていた現役時代の風格と迫力が感じられる。過ぎ去った時代は、決して戻っては来ない。


80009065.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/18(日) 00:30:00|
  2. 肥薩線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

川線の印象 雨降りの駅

激しい雨の中、特急「かわせみ やませみ」が到着した
かつての賑わいが漂う坂本駅も、いまや無人駅だ

80008922.jpg
2017年4月 肥薩線 坂本

梅雨入りしたが、あまり雨が降らない。梅雨前線は南に遠く離れ、列島になかなか北上してこない。以前は梅雨時の雨はしとしと降るものだったが、温暖化の影響なのか、空梅雨のような顔をしていて、末期に集中豪雨というのが近頃の降り方だ。今年も、雨の季節だというのに、水不足で我が家の野菜の生育は遅れ気味だ。気象庁のホームページの季節現象の説明には、空梅雨は「梅雨期間に雨の日が非常に少なく、降水量も少ない場合をいう。」とあり、梅雨とは「晩春から夏にかけて雨や曇りの日が多く現れる現象、またはその期間。」とある。つまり、梅雨入り早々から空梅雨ということはおかしく、まだ梅雨ではないということだろうか。

一転、桜の時期の九州では、よく雨が降った。それも大降りだ。川線の旅の初日は、土砂降りの一日となり、球磨川沿いの集落は雨に煙っていた。八代から人吉へと向かったが、朝方は特に雨が酷く、八代から一つ目の段と二つ目の坂本では、我慢の駅撮りとなった。乗客の少ない肥薩線ではあるが、そこは九州、両駅の周りにはかなりの民家数の集落がある。特に坂本は西日本製紙坂本工場の通勤客と貨物輸送で栄えた駅だ。かつては写真の中に少なくとももう2線は存在していたはずだ。立派な駅舎は往時の賑わいを今に伝えている。雨の中「かわせみ やませみ」がホームに入ってきたが、特急列車の停車駅ですら無人駅という時代になってしまった。


80008916.jpg
2017年4月 肥薩線 段


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2017/06/14(水) 00:30:00|
  2. 肥薩線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ

プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

最新記事

最新コメント

リンク

月別アーカイブ

最新トラックバック

カテゴリ

小海線 (103)
飯山線 (20)
宗谷本線 (13)
天北線 (1)
興浜北線 (1)
深名線 (1)
石北本線 (7)
渚滑線 (2)
湧網線 (1)
相生線 (2)
釧網本線 (3)
根室本線 (2)
池北線 (1)
広尾線 (2)
留萌本線 (7)
札沼線 (1)
函館本線 (36)
室蘭本線 (7)
千歳線 (1)
日高本線 (3)
江差線 (11)
大湊線 (4)
津軽鉄道 (1)
五能線 (2)
八戸線 (3)
花輪線 (1)
三陸鉄道 (2)
釜石線 (8)
秋田内陸縦貫鉄道 (2)
由利高原鉄道 (1)
米坂線 (2)
磐越西線 (1)
日中線 (3)
只見線 (43)
真岡鐡道 (14)
東北本線 (1)
総武本線 (1)
中央東線 (3)
東海道本線 (2)
八高線 (8)
秩父鉄道 (7)
西武池袋線 (1)
西武山口線 (1)
江ノ島電鉄 (10)
箱根登山鉄道 (3)
御殿場線 (2)
岳南電車 (6)
中央西線 (1)
関西本線 (2)
宮津線 (1)
山陰本線 (22)
播但線 (1)
姫新線 (3)
津山線 (1)
芸備線 (6)
木次線 (1)
三江線 (3)
山口線 (5)
日豊本線 (14)
筑豊本線 (8)
日田彦山線 (2)
後藤寺線 (1)
田川線 (2)
唐津線 (3)
松浦線 (3)
佐世保線 (1)
大村線 (1)
長崎本線 (2)
久大本線 (4)
豊肥本線 (2)
高森線 (2)
肥薩線 (17)
くま川鉄道 (1)
日南線 (2)
指宿枕崎線 (2)
写真集・書籍 (4)
鉄道模型 (1)
ご挨拶 (0)
はじめまして (3)
未分類 (0)
宮之城線 (1)

写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

こあらまへのメール

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

ご来場者累計

RSSリンクの表示

QRコード

QR