駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

夕暮れの狼煙

最果ての地に夕闇が迫り、構内の明かりが灯りだした
一瞬風が止み、キューロクの煙が天高く立ち上った

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1975年3月 宗谷本線 幌延

現役蒸気が間もなく終焉を迎えようとしていたこの時期、宗谷本線の最果て鈍行は、既にC55からDD51にバトンタッチされており、宗谷北線では数少ない貨物列車を牽くキューロクのみが生き残っていた。この写真は稚内方向を撮ったものだが、向って左の島式ホームの外側の線が羽幌線のりばで稚内側で分岐していた。中央に給水塔が見えるが、最果て鈍行はじめ蒸気列車の殆どがこの幌延で給水給炭を行っていた。以前「北緯45度の青い空」という記事で、2013年の2面2線のこじんまりとした構内の幌延をお送りしたことがあるが、その旭川方向の写真の右側の空き地が、以前どんなだったかが今回の写真でお解りになる筈だ。

この日は、「利尻」で札幌から南稚内に到着後、下沼、徳満などで過ごして、17:10に幌延に辿り着いて、上りのキューロク貨物の発車を撮っている。18時近いので構内の明かりが灯りだしている。日の出前や日の入り後の僅かな時間風が止まることがある。この時も一瞬無風となり、キューロクの煙が狼煙のように真っ直ぐに立ち上った。その後、駅周辺を歩き回り食料を調達している。風呂に入りたいところだが、風呂屋があっても時間があまりないので、この日は早々にスキップと決め込む。そして19:19発の「礼文」で旭川着23:02、翌1:02発の「大雪5号」に乗り換えて遠軽へと向かっている。こんな無宿生活が周遊券の有効期間中ずっと続くのだった。


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  1. 2017/01/29(日) 00:30:00|
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Sohya NORTH LINE

多くのファンが上り下りの最果て鈍行を待ち受ける
その最果ての地が今揺らいでいる

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1973年3月 宗谷本線 名寄

宗谷本線321列車稚内行きがC5530に引かれて、春浅き名寄駅のホームに滑り込んできた。反対側のホームには、同じく宗谷本線322列車旭川行きのC5547が既に待機している。13時、上り下りの「最果て鈍行」と呼ばれる宗谷本線を縦貫する普通列車がここ名寄駅で交換する。当時すでに殆どの旅客列車がDC化されていたが、荷物と郵便の輸送のために、全線を走破する各駅停車の客車列車が1往復だけ残されていた。それが「最果て鈍行」だった。

このC55同士の交換は、「最果て鈍行」同士ということもあって、当時多くの蒸気ファンに注目されていた。この日の午前中は、名寄本線一の橋で、天北峠を往くキューロクを撮るのに充てていたが、運悪く補機にDDが入っていたので、名寄本線を早々に切り上げ、ここ名寄にその交換を狙いにやって来た。2輌のC55をカメラに収めようと、あちこちにファンが固唾をのんで待ち構えていた。

さて、注目は2輌の機関車の間に見える雪山に並んで、こちらを窺う4名の方々だ。左端の方はビシッとトレンチコートを着込んでいる。当時は、こうしたダンディーな出で立ちのファンも結構おられた。もし、このブログをご覧になっている方が居られれば、是非ご一報をお願いしたい。写真を交換させて欲しい。反対側のシーンが何時までも気になっているし、そこにはみすぼらしい格好の若かりし頃のこあらまが写っているはずだ。


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2013年11月 名寄

2013年に宗谷本線を普通列車で乗り鉄したことがある。始発で稚内を発ち、抜海でのたった1駅の途中下車だったが、名寄到着時には既に日が傾き出していた。ホームには、旭川と行き来する快速なよろ号が停車している。かつては旭川側の先で、西に名寄本線、東に深名線が分岐し、名寄機関区も設置された要衝の駅であったが、今は名寄をはじめ、宗谷本線から分岐する鉄道はその全てが廃線になり、宗谷本線がたった1本の北への鉄路となっている。一方、なよろ号の向こうに鉄道コンテナが見えるが、この駅には定期貨物列車はもう来ない。名寄はJR貨物の駅でもあるが、コンテナはトラックで北旭川へと運ばれる。「名寄オフレールステーション」なる奇妙な名称がつけられている。


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キハ54の「宗谷北線運輸営業所」のシンボルマーク『Sohya NORTH LINE』

この宗谷北線シンボルマークに綴られた一つ一つの地名を思い起こしてほしい。決して剥がしてはならない鉄路であるという思いが込み上げてくるはずだ。それは鉄道ファンとしての単なる感傷から来るものではない。先人たちが遠く樺太を目指して北へ伸ばしていった道標であり、紛れもない第一級のレガシーだ。それと同時に、類い希な四季の景観をもつ観光路線としての大きな可能性も秘めている。北辺の最後の砦であり、何としても後世に譲り渡さなければならない大切な資産だ。

先日、宗谷北線が『自社単独では老朽土木構造物の更新を含め「安全な鉄道サービス」を持続的に維持するための費用を確保できない線区』という長ったらしい線区に指定され、沿線自治体との協議に入ることになっているが、地元が了承すれば廃止というのはあまりにも早計だ。国の財産という見地からは、国民目線の議論も必要だ。そもそも、赤字線を廃止するということであれば、黒字線のないJR北海道自体が廃止ということになる。赤字額から言えば函館本線の函館―長万部間が筆頭だ。路線を維持しつつ全体の赤字額の削減を模索するというのが真っ当な道だ。それでも残った赤字は、ユニセフの真似ではないが、国民一人一人が年間25円を出せば宗谷北線は維持できますが、どうしましょうかということになる。結果、国民のコンセンサスが得られなければ、その時は万事休すだ。ただ、それとは別に国鉄時代からの因習に終止符を打ち、営業権だけを民間に貸し出すという手もある。日本にも大実業家が現れだした。ビジネス感覚で社会貢献してもらうのも一興だ。


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名寄駅 駅舎

よく見ると駅前にANAとJALの看板がある。これは宗谷本線にとって非常に有難いことなのだが、起点の旭川にも、終点の稚内にも空港がある。実は小生の2013年の乗り鉄の旅も、稚内空港に始まり函館空港で終わっている。北海道内の観光を考える時、最大の拠点は空港であり、新幹線などではない。稚内空港に降り立ち、利尻を遠望しつつ、風雪に耐える抜海の木造駅舎を愛で、果てしない豊富のサロベツに目を奪われる。幌延のトナカイ牧場とメグミルク工場の見学もいいかもしれない。大いなる流れの天塩川をさかなに中川温泉につかり、音威子府の黒いそばを賞味しつつ、美深の美幸線跡のトロッコ王国で遊ぶ。最後は旭山動物園と旭川ラーメンで締め括る。帰りはもちろん旭川空港だ。逆コースも作れば車輌の運行効率も上がる。美瑛のオプションもありかも知れない。ツアーにはJR東から「リゾートしらかみ」のお古でも貰い受ければいい。もちろん航空2社には冬の需要喚起のお礼に、路線の維持にも協力してもらおう。宗谷北線のシンボルマークだって、地元だけで使っていても役には立たない。東京や大阪、東南アジアの都市にばら撒かなくては意味がない。存続募金を兼ねたステッカーも売り出そう。勿論、これは絵に描いた餅かもしれない。ただ、何事も初めの小さな一歩からだ。

長々と書いてしまったが、宗谷本線の存続を切に願う者の戯言なのだろうか。鉄道ブームとやらが続いているが、多くは鉄道車輌ファンか葬式屋なのかもしれない。小生的にはちょっと寂しいところだ。宗谷北線が消えることにでもなれば、驚くほどの人々が我先に訪れることになるだろう。しかし、それまでは只の閑散路線だ。仮に、この線区を保存鉄道に出来るようになったとしよう。その時、どれだけの好き者が集まるのか。まあ、趣味の世界の話なので、他人がとやかく言うことではないが、とにかく「宗谷本線を守ろう」という世間の声が高まってほしいと願う年の瀬だ。


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  1. 2016/12/29(木) 00:30:00|
  2. 宗谷本線
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「徳満」という名の駅

かつて、この駅でもこんな光景が見られたが、今や思い出だけの世界になってしまった
生れてくるもの 去っていくもの 容赦なく過ぎ去る年月に、留まることなく時代が移ろいでいく

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1975年3月 宗谷本線 徳満

今年も明日の大晦日を残すだけとなり、早くも拙ブログの2015年の最後の記事となった。今年も色々なことがあったが、最後はどんな記事で締めようかと考えた末に、選んだのがこの3枚だ。

旅や鉄道を愛する者であれば、必ず心に残る駅がいくつかあるはずだ。宗谷本線の「徳満」は、小生のそんな駅だ。この時は、何を思ったのか、わき目も振らずに、東京から列車を乗り継ぎこの地に真っ先にやって来た。天塩線開業時に建てられた大正生まれの駅舎は、変わらずにサロベツ原野に立ち続けていた。

乗って来たキハがこの駅で交換となった。小雪が降る中、キハ22同士がひっそりと発車の時間を待っている。旅の移動の折々で目にしてきた眺めだ。エンジンのカラカラというアイドリング音が聞こえてきそうだ。車内の木張りの床のオイルの匂いが思い出される。

建てつけが悪くなった駅舎の戸は、上手く閉まらず、がたがただった。ここの待合で、ご馳走になったお茶をすすりながら、ストーブに暖をとりながら、何度窓越しに降りしきる雪を眺めたことだろうか。駅舎の反対側にはサロベツ原野が広がり、夕日がきれいだった。何があったわけでもないが、そんな静かな時間の流れが好きだった。

サロベツ原野に小さくなるキハを、タブレットを後手にした長靴姿の駅長は一人いつまでも見送っていた。
慌しさに任せて、毎日が近視眼的になりがちなのは、俗世間に暮らす人間が陥りやすい悪い癖だ。
一年の終わりくらいは、あの日の駅長のように、遥か彼方を見つめるように、今年を振り返り、来る年に思いを馳せてみよう。

今年もありがとうございました。良い年をお迎えください。


(追伸) 風太郎さん が、ほぼ同じアングルの、13年後の1988年の徳満駅の姿を掲載してくれました。大正生まれの駅舎は健在です。無人化され、構内も棒線化されていますが、まだ古き良き時代の面影があります。さらに12年後の、2000年にこの木造駅舎は解体され、味気ない現在の姿になってしまいました。地方には、こうやって衰退していく小駅が数多くあります。この春も、北海道の幾つかの駅が地図上から消えます。一抹の淋しさを覚えますが、これがローカル線が抱える偽らざる現実です。


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  1. 2015/12/30(水) 00:59:14|
  2. 宗谷本線
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駅撮りの訳 或る日の塩狩 397列車

針葉樹の防雪林を越えた峠の駅には、白樺の林が残っていた
悲運のDD53の力を借りて、D51の貨物が峠を越える

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1971年3月 宗谷本線 塩狩 397列車 D51574

最果て鈍行321レからさらに1時間、今度はD51の下り貨物が登って来た。貨物は、名寄までは主にD51の担当だった。稚内に近づくほど貨物の量は減って、列車は短くなる。宗谷地方で見るキューロクの貨物の何倍もの長さの貨物を、D51は引いてくる。397列車は名寄機関区の仕業で、この日は574号機が当番だった。


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後補機のDD531

後補機にDD53が付いてきた。DD53は、DD51をベースに上信越線用のロータリー式除雪機関車として製造されたが、結局出番が少なく、製造は3両で打ち止めとなった。この1号機も、宗谷本線の除雪という名目で新潟から転属してきたが、もっぱらここ塩狩での補機に明け暮れていた。2号機がC57の代役でばんものを牽引したことがあるが、結構な人出だったと聞いている。
ちょうどいい具合に、バックに駅舎が写っている。


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塩狩駅舎

駅舎の部分を拡大してみよう。縦書きの大きな駅名票が掛かっている。その横には、国鉄時代のものとは思われないような「いらっしゃいませ」と書かれた看板がある。当時、手書き、手作りの面白い看板が各所にあった。今なら、こんなことをする人もいないだろうし、許されもしないだろう。


この後、さらに2時間程すると上りの最果て鈍行322列車がC5530でやって来るが、駅撮りとは言えない場所まで出張ったので、今回のお題の対象外だ。さらに、夕暮れ時に旭川まで乗った普通列車が、途中でで331レと交換するのを車中から撮影。この日は、宗谷本線に集中し、C55の4本の列車全てを撮影した。

東京では桜が咲きだす頃だというのに、この峠はまだモノクロームの世界だ。これらの画を見る度に、塩狩に行きたいという思いに駆られた。その後、2013年の初冬の雪の日に、やっと訪れることが出来た。幸いにもこの駅の景観や佇まいは、それ程変わっていなかった。これからも、この神聖な駅に、何回か出向くことになりそうだ。


これで、「或る日の塩狩」は、終わりです。


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  1. 2015/10/22(木) 00:38:51|
  2. 宗谷本線
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駅撮りの訳 或る日の塩狩 321列車

まだ春浅き山峡の構内に汽笛が鳴り響いた
北辺のC55が白煙を上げて旅立ってゆく 目指す稚内は遥か彼方だ

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1971年3月 宗谷本線 塩狩 321列車 C5547

塩狩は、旅客扱いの駅だが、その主な役割は信号所だ。長い交換設備は、当時の列車の長さを物語っている。毎日10回ほどの交換がなされ、補機の切り離しなども見られた。
先の330列車から5時間程が過ぎた。日が昇って木々の雪は解けてしまった。途中3本の貨物がDDに推進されて峠を越え、キハ56などの急行「礼文」、「紋別」、「宗谷」、「なよろ」が通過していった。ただ、その姿を全く撮っていない。フィルムが貴重だったとはいえ、今なら考えられないことだ。

そして、正午前に最果て鈍行321列車がやって来た。朝の罐が最果て仕業で戻ってきた。客車の中は、何やら長距離列車の雰囲気が漂っている。スハフ32のサボの稚内という二文字が最果て鈍行の証だ。


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321列車も乗客の乗降はなかった。山峡に汽笛がこだまし、最果て鈍行を引くC55から白煙が上がった。ホームには直立で見送る二人の駅員の姿があった。
この列車の最果ての旅は始まったばかりだ。名寄、音威子府、幌延と給水給炭カマ替えを繰り返して、終着の稚内を目指す。稚内到着は18:57。この先7時間の長旅だ。この列車の郵便車と荷物車が、沿線地域の人々の生活を支えていた。そのために、DC化されずC55牽引の客車列車として走り続けることができた。

爆煙よりもこんな情景の方に心が動かされるのは、後追い好きも相まって、過去を振り返る年になったこともあるのだろう。


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当時のSLダイヤ情報のダイヤグラム C55のスジが赤く塗ってある


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  1. 2015/10/20(火) 00:21:16|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

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