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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

最果て鈍行 音威子府停車

下り最果て鈍行が音威子府に到着した
残りの道中に備えて罐が仕立てられる

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1973年3月 宗谷本線 音威子府

321レ「最果て鈍行」稚内行きが音威子府に到着した。旭川から129.3kmを3時間半程で走って来た。稚内までの259.4kmのちょうど中間地点だ。ここ音威子府では1時間程の停車時間がある。その間に天北線経由の急行「天北」の上りが、続いて下りが停車する。天北線方面と稚内へ急ぐ旅人は、下り「天北」の人となる。「最果て鈍行」の使命は、荷物と郵便を各駅に届け、受け取ることで、先を急ぐことではない。そのために残されたスユニとマニを連結する客車列車だ。

音威子府では、長い停車時間を使って、罐の整備が行われる。C55は、一旦客車をホームに残して、単独で給水、給炭に向う。その後、罐替え、足回りの点検などがなされる。名寄機関区音威子府支区での一通りのルーティーンが終わると、再び客車へと戻って来る。冬場は、その間は客車の暖房が止まることになるので、のんびりとはしていられない。とは言え、座り疲れた乗客には息抜きの時間でもあり、音威子府名物の黒いそばを啜る、腹ごしらえの時間でもある。

写真は給水の様子だ。給水装置は何ともアナログな仕掛けで、両手で操るようになっている。テンダーの下から水が流れ出ているので、満水になったようだ。もう一人は石炭の掻き寄せを行っている。決まって、同時に二人して行われる蒸気の恒例の儀式だ。今時の機関車なら空調の効いた運転室で休憩といったところだろうが、今の機関士も蒸気には憧れるようだ。経験と技と勘が物を言う、どこまでも人間染みた機関車は、電子化の時代に在っても特別な存在のようだ。


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  1. 2018/02/16(金) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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漂泊の道標 雪掻き

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1977年3月 宗谷本線 芦川


雪上り、ひとり黙々と続けられる転轍機の雪掻き
こんな地道な作業の積み重ねが北の鉄路を支える


※芦川は、かつて徳満と兜沼の間にあった駅だが、2001年7月1日に廃止。


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  1. 2018/01/19(金) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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「あさひがわ」という駅

日が沈む頃、宗谷線331レが出発の時を迎える
広い貨物ヤードには幾条ものキューロクの煙が立ち昇る

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1973年3月 宗谷本線 旭川

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国鉄時代、この旭川駅の読み方は、「あさひがわ」だった。近隣駅の新旭川、東旭川も同じように「あさひがわ」だった。ところが、北旭川と旭川四条は、何故か「あさひかわ」の読みが付いていた。一方、本家の旭川市は一貫して「あさひかわ」を名乗っている。どうして、この様な事になってしまったのだろう。当時、国鉄を信じて「あさひがわ」が正式名称なのかと思い込んでいた自分も浅墓だった。調べていくと、出発点の官営鉄道時代には、正しく「あさひかわ」だったものが、鉄道局への移管に際して「あさひがわ」に化けてしまっている。それを引き継いだ国鉄は、頑なに「あさひがわ」で押し通し、分割民営化翌年に全てがJR北海道の手によって「あさひかわ」に正されている。となると、北旭川と旭川四条はというと、国鉄時代に開設され、初めから「あさひかわ」だ。つまり、国鉄は確信犯だったということになる。日本国有鉄道時代には、駅名を付与する際の細々とした内部規定があったようだ。誤りを正す規定があったかは知らないが、そんなお役所仕事が駅名を正す機運を奪ってしまったのかもしれない。この点においては民営化に拍手を送りたい。さすがに誤りの85年間は、色々な弊害を生んだことだろう。

話のついでに、読みの問題をもうひとつ。当時、石北本線には急行「大雪」というのが走っていた。読み方は「たいせつ」だ。かの有名な「大雪山」の正式名称は「だいせつ」という。自分は、「だいせつ」と思っていたが、地元旭川では何の疑いもなく「たいせつ」と呼ばれ、列車もそう命名されているのであれば、これまた軽薄にも、本当は「たいせつ」なのだと信じてしまった。どちらが、起源なのかは知らないが、地元が揺るぎない「たいせつ」派では、「だいせつ」が正統とは言い切れない状態になっている。ものはついででもうひとつ。山梨県には精進湖というのがある。もし「しょうじんこ」と読んだ奴がいたら、バカにしそうな輩がおられよう。確かに、正式名称は「しょうじこ」だ。ところが地元では広く「しょうじんこ」と呼ばれている。そもそも、地元の呼び名と異なる正式名称が付くこと自体が、おかしいと言えばおかしい。先の旭川の呼び名のようなトラブルも起きよう。精進湖もまた、読み方が二通り併記されることになるかもしれない。

さてさて、やっと本題に入る。冒頭のモノクロは、現役蒸気の時代、夕方に旭川から名寄に向かう331レの出発シーンだ。牽引するC5530は、北のC55として旭川に最後まで残った罐で、キャブの丸味が特徴の流改機だ。立ち並ぶ架線柱の中を、夕日をバックにサービスの豪快なドレインを残して、北へと旅立っていった。この頃、北海道第二の都市旭川の駅は巨大なものだった。宗谷、石北の両線を行き来する貨物列車は、多くがここ旭川で組み換えが行われていた。そのため、駅の南側には巨大な貨物ヤードが存在し、何両ものキューロクが走り回っていた。一方、旅客はといえば、夜行急行列車が華やかな時代で、稚内へは「利尻」、網走へは「大雪」が向かっていた。真夜中に上り下りの列車が停車するため、旭川駅は不夜城だった。そのため、夏には多くのカニ族で賑わっていたこともある。徒歩圏にある銭湯にも何度か通った。冬の帰り道、髪の毛が凍り、タオルが棒になったのをよく覚えている。待合室に荷物を放っておいても何事もなかった大らかさ、写真の方も、何時もながら凄い立ち位置だが、大都市旭川でもこんなことが出来た、古き良き国鉄時代だった。

そんな旭川駅に、久しぶりの2013年の初冬に降り立った。駅の高架化工事はほぼ終わり、周辺整備が行われていた。それにしても、昔の面影の欠片もないようなモダンな駅になってしまっていた。全てがリニューアルされた設備には、昔の記憶に繋がるようなものはなかった。中心街にある駅の南北を分断していた貨物関係や車両・運行関係の施設は郊外に引っ越してしまっているので、ごくごく普通のターミナル駅で、鉄道好き、貨物好きとしては、何とも物足りない光景だが、街の発展にはなっているのだろう。この4代目駅舎は2011年11月の全面開業で、竣工時にはちょっとした話題にもなった。ご覧になった方もそう多くはおられないと思うので、新しくなった旭川駅をご紹介したい。


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2013年11月 旭川

この日は稚内から宗谷線でやってきた。最後に塩狩の夜間撮影を終えて、この日の宿泊地の旭川に到着した。電光掲示板は、乗ってきた単行のヨンマルは回送で引き揚げ、次に稚内行きのスーパー宗谷3号が入線することを知らせている。「スーパー宗谷」という列車名も、既に懐かしい。


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隣のホームには785系のエル特急「スーパーカムイ」だと思うが、「uシート」の表示のある車両が見える。反対側をコンテナ貨物が轟音を響かせ通過中、機関車は電化・非電化問わずDF200だ。真ん中に入線してくるのは国鉄製電車の赤い711系の最後の姿となる。


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ホームから1階の改札口へと繋がるエスカレーター。北海道の森林をイメージした、木材を多用した意匠が特徴となる。コンコースは北海道らしい広々とした作りだ。


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北口の夜景。この時、駅前はまだ工事中。昔の駅舎の面影は何処にもないモダンな外観だ。


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ホテルに入る前に、ちょっと腹ごしらえ。やはり、塩狩の夜撮りで冷え切った体には旭川ラーメンだろう。老舗のひとつ蜂屋本店に行くが、閉店時間に間一髪でセーフ。濃い目の醤油ラーメン定食で体を温める。


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一夜明けて、翌日の南口。広大な貨物ヤードがあった場所はこんな風になっている。将来的には賑やかになるのだろうが、この時はご覧の通りだ。


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ホームの表示板の駅員さんは動物に変身している。観光地としての旭川の今を象徴するのは旭山動物園だ。休日には動物が描かれた臨時列車がやってくる。もう、動物園さまさまだ。


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待っていた函館線上り普通列車がヨンマルで入線してきた。この函館本線の札幌-旭川間はJR北海道のドル箱路線になる。特急が引っ切り無しに行き交うが、旭川からの普通列車は驚くほど少ない。一日に数えるほどだ。電光板には、行先なしで「普通 10:21」としか表示されていない。この岩見沢行きに乗って、次の目的地の室蘭線追分方面へと向かう。


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  1. 2018/01/11(木) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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東六線という名の駅

朝靄の中、鄙びた乗降場を目指して列車が近づく
最北の鉄路を守る防風林が秘境駅を醸す

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2017年10月 宗谷本線 東六線

周遊券で北海道を旅していた頃、この東六線に下車したことはない。というのは、単純に降りる理由が見つからなかったからだ。峠があるとか、雄大な絶景に会えるとか、風情のある駅舎があるとか、どれにも当てはまらない。在るのは、停車する列車が少ないので、降りるのは危険だということぐらいしかなかった。ただ、「東六線」という駅名には、原野開拓を連想させる北海道的なものを感じていた。そうこうしているうちに、確か広田尚敬さんの写真集「永遠の蒸気機関車」だったと思うが、雪降る夜明前の東六線の写真に目が留まった。雪が深々と降る早朝に、電球の灯りに木製デッキの短いホームが薄らと浮かんでいた。車輌がなくとも鉄道写真が成立するということを思い知らされた作品だった。その後にも、同じような作例を何人かの写真家に見ることになったが、実際にその東六線を訪れるまでに、40年以上の時間を要してしまった。

この地まで北海道官設鉄道天塩線が延伸されたのは1900年のことだ。それから、半世紀以上経った国鉄時代の1956年に東六線仮乗降場は開設された。3年後には駅に昇格し、現在に至っている。その駅は、和寒町と剣淵町の町境近くの剣淵側にある。町を南北に貫く基幹道の県道から、西に向かうのが西線、東に向かうのが東線で、北から一線、二線となっている。ここも北海道らしい地割の場所だ。名寄国道を剣淵から和寒に向うと、東五線の次が東六線の交差点で、右折して少し進むと宗谷線の踏切に出る。その踏切横にこの東六線が在る。実に分かり易い駅名だ。剣淵町のHPには秘境駅とし紹介されているが、そんなことはない。民家は確かに少ないものの、田園地帯の只中に位置している。だだし、線路両側が鉄道防風林に守られているため、田園風景とは遮断されてしまっているので、秘境駅の雰囲気があるやも知れない。


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実際に東六線のホームを眺めると、広田さんの作品にはなかったアイテムが数々出現している。すくなくともワンマン化のためのミラー、列車の接近を知らせる警報機は無かったはずだ。保安設備は時代の要請で、欠かせないもののようだ。質素なホームのはずだったが、随分と賑やかになっている。幸いにも、二つの灯りは昔のままのようだ。

待合室に目を移すと表示は「駅」ではなく「乗降場」になっている。仮乗降場時代からのものかは判然としないが、地域によって補修されたのかもしれない。地域住民にとっては、やはりこの駅は乗降場でなくてはならないのかもしれない。さて、内部はと言うと、ご覧の通り土間だ。夏草の名残だろうか、椅子の下に枯れ草が残っている。鄙びた待合室を通り越して、宗谷線の行く末が案じられる。待合室が在るだけましだという向きもあるが、やはり考えさせられる。ただし、今やローカル駅の待合室など、物好きな乗り鉄趣味氏が使うくらいで、地元民には縁のないものになりつつある。決まって、数分前に車が横付けされ、生徒が足早に降りてくるというのが定番だ。必要なのは駐車と転回に必要なスペースだ。

残念ながら今回は夜間の撮影は行わなかった。列車は必要ないのだから、日が暮れれば何時でも撮れるはずだが、やはりあの雪の夜明け前が気になる。雪の季節に再訪したいのだが、それは何年後になることだろう。

その夜明け前の作品は、広田さんのブログで紹介されている。やはり、こうじゃなければいけない。品川のニコンミュージアムで企画展「Fの時代 広田尚敬」が開催されているので、こちらも気になるところだ。 「広田尚敬の鉄道コラム」はこちらから


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  1. 2018/01/07(日) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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塩狩への道 クリスマスツリーロード

塩狩に秋の優しい日差しが降り注ぐ
人知れずひっそりと峠の時間が流れてゆく

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2017年10月 宗谷本線 塩狩

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この狩勝峠に信号所が設置されたのは101年前の1916年のことだ。8年後の1924年に旅客取扱いが始まり塩狩駅となって現在に至っている。地理的に信号場が必要なことは理解できるが、近辺には殆ど民家のない場所柄だけに、旅客となると不思議な感じがするが、1923年の塩狩温泉の開業に合わせてのことのようだ。その塩狩も、電子閉塞に伴い無人駅となって、30年余りが経った。当の塩狩温泉の塩狩温泉ユースホステル、塩狩温泉娯楽センター、塩狩温泉観光ホテルという3つの施設も2006年に幕を閉じている。このところの乗降人員数は1人を切った状態が続いており、時たま、秘境駅趣味の鉄道好きか、小説の現場に興味のある文学好きの旅行者が、峠の駅の散策に訪れるくらいだ。

この駅にはこれまでに3回訪れている。44年前のC55の時代には、有人駅の暖かい待合室が迎えてくれ、道内で知り合った方に誘われて、そのユースに泊まっての撮影だった。5年前の車両トラブルの臨時ダイヤの時代は、雪の降る寒い夜に冷え冷えとした待合で列車を待った。そして今回は、穏やかな秋の日をしみじみと過ごさせてもらった。現在、駅周辺の建屋は、塩狩峠記念館と塩狩ヒュッテユースホステルの2施設のみだ。こちらのユースは、先代ユースに思い入れのある方が、2013年に新たにオープンさせたものだが、乗降人員を増やすまでにはないようだ。そんな訳で、塩狩も廃止の俎上に挙げられている。信号場としては残るだろうが、駅としての佇まいは見納めになってしまうかもしれない。


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44年前の現役蒸気時代の訪問の際の狙い目は、両脇に防雪林が並ぶ峠道を登る罐を正面撮りすることだった。サイドからの視界が利かないため、誰もが線路端に構えることになった。線路と防雪林の間には、下草が綺麗に刈られた緩衝帯があり、登って来る罐が遠くからよく見え、多くのファンを収容することも出来た。汽罐車からの野火を防ぐとともに、除雪の雪捨て場の目的があり、峠道では特に手入れが欠かせなかった。そんな眺めを再びという期待をもって現場に向ったが、どうしてもお目当ては見つけ出すことは出来なかった。灌木や雑草に覆われた塩狩の道に、過日の面影はなかった。時代が流れ、車輌が進化し、線路端の風景も変わってしまう。あの塩狩の象徴的な眺めは、汽車とともに消えてしまったということだ。些か狭くなってしまった鉄路を、列車が高速で過ぎ去る。それが今の塩狩ということだろう。


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1973年3月 宗谷本線 塩狩

ちょうどこの日は前夜からの降雪で、防雪林が雪をいただくクリスマスツリー状態になった。運よく塩狩を最も象徴する風景となった。和寒から塩狩へと登って来たのは、C5547の牽く322列車の上り「最果て鈍行」旭川行きだ。次第に大きくなってくる汽罐車と煙に、こちらの鼓動も高鳴る瞬間だ。列車は塩狩を越えれば上川盆地へと下るだけだ。長かった旅路にも終わりが近づき、終着の旭川まではもう一息だ。


これで「塩狩への道」を終わります。


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  1. 2017/12/09(土) 00:00:00|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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