駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

塩狩への道 サロベツ塩狩進入

秋の日に輝く塩狩にサロベツが勢いよく進入してきた
軌道も車両も高速化された宗谷南線の今の姿だ

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2017年10月 宗谷本線 塩狩

宗谷本線には、かつて「利尻」、「礼文」、「天北」といった優等列車があったが、この春からは札幌発着の「宗谷」の1往復、旭川発着の「サロベツ」の2往復の特急が稚内とを往復している。「サロベツ」が旭川発着なのは、盛況のための車両不足からということだ。何れにも高速車両の261系が使用されており、「スーパー宗谷」名は使用されなくなった。旭川発の61Dサロベツ1号が塩狩に進入してきた。2000年に完成した旭川・名寄間の高速化事業の一環で、塩狩の駅舎寄りの1線が両端片開き分岐になり、通過線の役割を果たしている。上下の特急は減速することなく塩狩を高速で通過していく。構内を見下ろす場所に建つ記念館の、三浦綾子の「塩狩峠」の時代とは隔世の感だろう。

実はこの車両も地上設備もJR北海道のものではない。北海道高速鉄道開発株式会社の所有となっている。この会社はJR北海道と道・沿線自治体の折半で設立された第三セクターで、石勝線・根室本線高速化事業、宗谷本線高速化事業、札沼線電化事業などを行ってきたが、その主たる原資はなんと国土交通省からの補助金だ。「スーパーおおぞら」や「スーパー宗谷」が登場できたのは、国税のお陰ということだ。一方では、国の意向で、北海道新幹線の施設使用料の殆どはJR東日本が負担している。こうやって、陰で中途半端で無責任な干渉をするくらいなら、国が前面の立って、もっと根本的かつオープンな議論をすべきだろう。全国的な基幹交通体系をデザインするのは国の責務だ。


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  1. 2017/11/19(日) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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塩狩への道 樹海を往く

塩狩峠の彩の季節も終わりが近い
間もなく雪と防雪林のモノトーンの世界となる

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2017年10月 宗谷本線 蘭留

塩狩峠の宗谷線は両脇に鉄道防雪林を抱えているので、とにかくサイドからの視界が利かないのが悩みだ。俯瞰も限られ、この眺めが唯一といっていいかもしれない。現場までは熊笹の藪漕ぎを少々強いられるが、内地のものと違って道内の熊笹は巨大で固い。優に人の丈を超えているので、これまた見通しが利かず苦労する。もっと恐ろしいのはヒグマだ。蘭留駅近辺でもヒグマの目撃情報は絶えない。そんな場所での、熊笹に埋もれながらの藪漕ぎはスリル満点だ。そう簡単には出くわさないはずだが、出会ってしまえば万事休すだ。内地のツキノワグマと違ってこちらも巨大で、オスのヒグマは500kgにもなるというから軽自動車ほどで、勝負になるはずもない。

宗谷線は等高線に沿うように右に左にカーブしながら塩狩を目指すが、国道は手前を真直ぐに登っている。宗谷線の向こうには、道央自動車道がこれまた一直線に走っているが、こちらは影も形も見えない。それだけ木が大きく、森が深いということだ。塩狩は左手になるが、宗谷線も僅かに開けたこのカーブを過ぎてしまうと、樹海の中へと消え去ってしまう。冬になれば、もう少し見えてくるようにも思えるが、常緑針葉樹の防雪林はどこまでも手強そうだ。この時、下りの快速「なよろ」に大きな遅れが生じ、ダイヤがかなり乱れていた。ドコトレがあるわけでもなし、さすがに何時もの手持ちでは耐えられないので、三脚使用でレリーズを握り続けることになった。


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  1. 2017/11/15(水) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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塩狩への道 大雪を背に

峠のシェルパで賑わった蘭留も小さな無人駅となった
彼方に聳える白銀の大雪が冬の到来を告げる

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2017年10月 宗谷本線 蘭留

旭川から始まる宗谷本線は、まずは上川盆地の田園地帯を北上することになるが、比布町蘭留で盆地の北の端に着く。前方に迫るのが石狩と天塩を分ける塩狩峠だ。比較的平坦な宗谷線の道中で、唯一峠の名を持つ分水界だ。蘭留からいきなりの登攀が始まり、ピークの塩狩を越えれば、和寒までの下りとなる。最大勾配は20‰と、小海線などの山岳路線に比べれば可愛いものだが、本線筋の貨物列車にとっては決して楽なものではなかった。そのため、蘭留、和寒間では、貨物列車を中心に後補機が推進役を務めた。その補機が屯っていたのが蘭留だ。現在は交換設備だけの駅だが、かつては機回し線や転車台を備えていた。周辺の広い跡地がかつての賑わいを伝える遺構だ。

蘭留駅の後方に聳えるのは大雪の山並みだ。宗谷線の車窓からの大雪の眺めはここまでとなる。富良野線沿線からの広がりのある山容とはまた異なる大雪の迫力ある眺めだ。10月ではあるが、北海道の高山らしく早くも度重なる降雪に雪山の様相を呈している。紅葉に彩られた里との美しいコントラストも、冬を前にした僅かな間の出来事だ。間もなく塩狩にも凍てつく雪の季節がやってくる。蘭留を出発した単行のキハ40は、紅葉に染まる5.6kmの山道を8分程でゆっくりと登り切り塩狩の駅に達する。特急列車は大した減速もなく峠を楽々と越えてゆく。C55の客レとD51の貨物列車が、補機に助けられて喘ぎながら通った塩狩の道は、今どんな姿を見せてくれるのだろうか。

以前、C55の走る蒸気機関車時代の雪の塩狩を連載したことがありますが、今回は現在の塩狩峠の秋をお送りしようと思います。何回かに分けて「塩狩への道」をアップしていきます。


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  1. 2017/11/09(木) 00:00:00|
  2. 宗谷本線
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夕暮れの狼煙

最果ての地に夕闇が迫り、構内の明かりが灯りだした
一瞬風が止み、キューロクの煙が天高く立ち上った

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1975年3月 宗谷本線 幌延

現役蒸気が間もなく終焉を迎えようとしていたこの時期、宗谷本線の最果て鈍行は、既にC55からDD51にバトンタッチされており、宗谷北線では数少ない貨物列車を牽くキューロクのみが生き残っていた。この写真は稚内方向を撮ったものだが、向って左の島式ホームの外側の線が羽幌線のりばで稚内側で分岐していた。中央に給水塔が見えるが、最果て鈍行はじめ蒸気列車の殆どがこの幌延で給水給炭を行っていた。以前「北緯45度の青い空」という記事で、2013年の2面2線のこじんまりとした構内の幌延をお送りしたことがあるが、その旭川方向の写真の右側の空き地が、以前どんなだったかが今回の写真でお解りになる筈だ。

この日は、「利尻」で札幌から南稚内に到着後、下沼、徳満などで過ごして、17:10に幌延に辿り着いて、上りのキューロク貨物の発車を撮っている。18時近いので構内の明かりが灯りだしている。日の出前や日の入り後の僅かな時間風が止まることがある。この時も一瞬無風となり、キューロクの煙が狼煙のように真っ直ぐに立ち上った。その後、駅周辺を歩き回り食料を調達している。風呂に入りたいところだが、風呂屋があっても時間があまりないので、この日は早々にスキップと決め込む。そして19:19発の「礼文」で旭川着23:02、翌1:02発の「大雪5号」に乗り換えて遠軽へと向かっている。こんな無宿生活が周遊券の有効期間中ずっと続くのだった。


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  1. 2017/01/29(日) 00:30:00|
  2. 宗谷本線
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Sohya NORTH LINE

多くのファンが上り下りの最果て鈍行を待ち受ける
その最果ての地が今揺らいでいる

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1973年3月 宗谷本線 名寄

宗谷本線321列車稚内行きがC5530に引かれて、春浅き名寄駅のホームに滑り込んできた。反対側のホームには、同じく宗谷本線322列車旭川行きのC5547が既に待機している。13時、上り下りの「最果て鈍行」と呼ばれる宗谷本線を縦貫する普通列車がここ名寄駅で交換する。当時すでに殆どの旅客列車がDC化されていたが、荷物と郵便の輸送のために、全線を走破する各駅停車の客車列車が1往復だけ残されていた。それが「最果て鈍行」だった。

このC55同士の交換は、「最果て鈍行」同士ということもあって、当時多くの蒸気ファンに注目されていた。この日の午前中は、名寄本線一の橋で、天北峠を往くキューロクを撮るのに充てていたが、運悪く補機にDDが入っていたので、名寄本線を早々に切り上げ、ここ名寄にその交換を狙いにやって来た。2輌のC55をカメラに収めようと、あちこちにファンが固唾をのんで待ち構えていた。

さて、注目は2輌の機関車の間に見える雪山に並んで、こちらを窺う4名の方々だ。左端の方はビシッとトレンチコートを着込んでいる。当時は、こうしたダンディーな出で立ちのファンも結構おられた。もし、このブログをご覧になっている方が居られれば、是非ご一報をお願いしたい。写真を交換させて欲しい。反対側のシーンが何時までも気になっているし、そこにはみすぼらしい格好の若かりし頃のこあらまが写っているはずだ。


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2013年11月 名寄

2013年に宗谷本線を普通列車で乗り鉄したことがある。始発で稚内を発ち、抜海でのたった1駅の途中下車だったが、名寄到着時には既に日が傾き出していた。ホームには、旭川と行き来する快速なよろ号が停車している。かつては旭川側の先で、西に名寄本線、東に深名線が分岐し、名寄機関区も設置された要衝の駅であったが、今は名寄をはじめ、宗谷本線から分岐する鉄道はその全てが廃線になり、宗谷本線がたった1本の北への鉄路となっている。一方、なよろ号の向こうに鉄道コンテナが見えるが、この駅には定期貨物列車はもう来ない。名寄はJR貨物の駅でもあるが、コンテナはトラックで北旭川へと運ばれる。「名寄オフレールステーション」なる奇妙な名称がつけられている。


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キハ54の「宗谷北線運輸営業所」のシンボルマーク『Sohya NORTH LINE』

この宗谷北線シンボルマークに綴られた一つ一つの地名を思い起こしてほしい。決して剥がしてはならない鉄路であるという思いが込み上げてくるはずだ。それは鉄道ファンとしての単なる感傷から来るものではない。先人たちが遠く樺太を目指して北へ伸ばしていった道標であり、紛れもない第一級のレガシーだ。それと同時に、類い希な四季の景観をもつ観光路線としての大きな可能性も秘めている。北辺の最後の砦であり、何としても後世に譲り渡さなければならない大切な資産だ。

先日、宗谷北線が『自社単独では老朽土木構造物の更新を含め「安全な鉄道サービス」を持続的に維持するための費用を確保できない線区』という長ったらしい線区に指定され、沿線自治体との協議に入ることになっているが、地元が了承すれば廃止というのはあまりにも早計だ。国の財産という見地からは、国民目線の議論も必要だ。そもそも、赤字線を廃止するということであれば、黒字線のないJR北海道自体が廃止ということになる。赤字額から言えば函館本線の函館―長万部間が筆頭だ。路線を維持しつつ全体の赤字額の削減を模索するというのが真っ当な道だ。それでも残った赤字は、ユニセフの真似ではないが、国民一人一人が年間25円を出せば宗谷北線は維持できますが、どうしましょうかということになる。結果、国民のコンセンサスが得られなければ、その時は万事休すだ。ただ、それとは別に国鉄時代からの因習に終止符を打ち、営業権だけを民間に貸し出すという手もある。日本にも大実業家が現れだした。ビジネス感覚で社会貢献してもらうのも一興だ。


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名寄駅 駅舎

よく見ると駅前にANAとJALの看板がある。これは宗谷本線にとって非常に有難いことなのだが、起点の旭川にも、終点の稚内にも空港がある。実は小生の2013年の乗り鉄の旅も、稚内空港に始まり函館空港で終わっている。北海道内の観光を考える時、最大の拠点は空港であり、新幹線などではない。稚内空港に降り立ち、利尻を遠望しつつ、風雪に耐える抜海の木造駅舎を愛で、果てしない豊富のサロベツに目を奪われる。幌延のトナカイ牧場とメグミルク工場の見学もいいかもしれない。大いなる流れの天塩川をさかなに中川温泉につかり、音威子府の黒いそばを賞味しつつ、美深の美幸線跡のトロッコ王国で遊ぶ。最後は旭山動物園と旭川ラーメンで締め括る。帰りはもちろん旭川空港だ。逆コースも作れば車輌の運行効率も上がる。美瑛のオプションもありかも知れない。ツアーにはJR東から「リゾートしらかみ」のお古でも貰い受ければいい。もちろん航空2社には冬の需要喚起のお礼に、路線の維持にも協力してもらおう。宗谷北線のシンボルマークだって、地元だけで使っていても役には立たない。東京や大阪、東南アジアの都市にばら撒かなくては意味がない。存続募金を兼ねたステッカーも売り出そう。勿論、これは絵に描いた餅かもしれない。ただ、何事も初めの小さな一歩からだ。

長々と書いてしまったが、宗谷本線の存続を切に願う者の戯言なのだろうか。鉄道ブームとやらが続いているが、多くは鉄道車輌ファンか葬式屋なのかもしれない。小生的にはちょっと寂しいところだ。宗谷北線が消えることにでもなれば、驚くほどの人々が我先に訪れることになるだろう。しかし、それまでは只の閑散路線だ。仮に、この線区を保存鉄道に出来るようになったとしよう。その時、どれだけの好き者が集まるのか。まあ、趣味の世界の話なので、他人がとやかく言うことではないが、とにかく「宗谷本線を守ろう」という世間の声が高まってほしいと願う年の瀬だ。


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  1. 2016/12/29(木) 00:30:00|
  2. 宗谷本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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