駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

八高線から蒸気が消えた日 「46年前の“今日”へ」

尾花の咲く頃、一声の汽笛を響かせて、さよなら列車が去って行った
その日、小生の八高線の蒸気時代が終わった

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1970年9月27日 八高線 折原-竹沢

46年前の今日は月曜日だった。通学にせよ通勤にせよ、月曜日の朝はあまり気分のいいものではないが、その日は特別に憂鬱な月曜日だった。前日の日曜日に、八高線で高崎第一機関区のさよなら運転があったからだ。通い慣れた八高線の無煙化は結構堪えた。今でいえば八高線ロスといったところだろうか。普段から不真面目な生徒だったが、この日は尚更だった。もう、日曜日が来ても八高線がないかと思うと、授業など上の空だった。それまでも、小海線や米坂線、中央西線などへの夜行日帰りには出掛けていたが、それはあくまで特別な日であり、西武池袋線一本で日常的に行くことが出来た八高線は本当に有難い存在だった。

この翌週には八高線での八王子機関区のさよなら、翌々週には東京駅までやってきた高島線のさよならと続いたが、この一連のさよならで脳に異変を来したのか、フィールドを全国に広げ、我武者羅な体力任せの無宿撮影旅が始まった。周遊券代と僅かな食費があれば、時間に追われるように旅に出ては、腹を空かせた野良犬のように歩き回った。後から苦しめられることになったが、フィルムはコダックがいいことは分っていたが先立つものがなかった。フィルムの質より旅に出ることが優先された。今となっては、そんな蒸気の追っ掛けに、どれだけの意味があったかを、問うてみてもしょうがないが、少なくとも放浪めいた金欠旅の経験は、その後に大きな影響を与えたことは確かだ。それだけでも、十分に意味があったということにしておこう。

さて、写真の方はさよなら重連客レの高崎への帰りとなる。行きはD51、帰りはC58が先頭に立った。ヘッドマークを付け、熱狂する多くのファンを乗せた旧客を引いている。その日は高崎第一機関区が一般公開されていたので、撮影後、高崎第一まで行ってみた。記憶ではD51、C58、C12が展示され、その日の牽引機のD51631が転車台に乗っていた。高崎操車場で入換をしていたキューロクの姿は見当たらず、巨大な扇形庫の賑わいは既に過去のものとなっていた。現在は、高崎第二機関区がJR貨物の高崎機関区に、第一機関区がJR東日本の高崎車両センター高崎支所になっている。復活蒸気のC6120、D51498、C58363もここの所属だ。かつて八高線の蒸気が屯した機関区は、復活蒸気の基地として再利用されている。

翌週の八王子のさよならは、飾り付けや塗装がけばけばしく、天候にも恵まれず、あまりいいものではなかったので、この日が気持ち的には最後の日となった。小生が最後に撮ったのは、もちろん後追いだ。これだけ見ればイベント列車の騒々しさは無い。蒸気の向こうには茅葺の古民家も見える。尾花の咲く頃、一声の汽笛を響かせて、小生の八高線の蒸気時代が終わった。


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  1. 2016/09/28(水) 00:30:00|
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DD51の時代

国鉄の動力近代化の波が、八高線にも押し寄せてきた
完全無煙化を前に、既にDD51の牙城と化していた

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1970年9月 八高線 毛呂

1960年に国鉄の動力近代化計画がスタートした。要は蒸気機関車を電車やディーゼル車に置き換える無煙化を意味した。幹線においては電化が進められ、東北本線、奥羽本線、羽越本線、常磐線、総武本線、信越本線、中央西線、篠ノ井線、北陸本線、山陽本線、呉線、鹿児島本線などが次々と全線電化され、大型蒸気が消えて行った。そして、電化計画の無い路線については、あらゆる路線に対応すべく、軸重の異なるDD51、DE10、DD16といった凸型ディーゼルが開発、投入された。厳しい峠を有する輸送量の大きい線区から始められ、じわじわと全国に広がって行った。ついに1975年の年の瀬、夕張線のD51を最後に本線上から煙が消え、そして翌1976年の春に追分の入換用のキューロクが火を落とし、国鉄の近代化計画が完了することとなった。

1962年から、大型蒸気の老舗でもあった日立製作所、川崎車両、三菱重工業で製造が開始されたDD51だが、いよいよ1970年に入り八高線にも投入が始まった。八高線は都心迂回の輸送ルートの役割に加え、高麗川のセメント会社の原料・製品輸送もあり、一日に20本程の貨物列車が組まれていた。輸送には、八王子、高崎第一の両機関区のD51、C58がその任に当たり、大宮のキューロクも川越線から乗り入れていた。東飯能-高麗川間の鹿山峠、金子坂などの勾配のため、八王子-高麗川間のセメント列車は、多くで重連での運行となっていた。DD51への置き換えは、1970年の春頃から始まり、その年の10月改正で完全無煙化となった。

この日は朝からD51を待ち続けたが、撮影対象の10本程の貨物列車のうち、蒸気で来たのは午前のたった2本だけだった。八王子寄りは既にDD51の牙城と化していたので、ちょっと足を延ばして、ここまでやって来たが、やはりDD51の勢力拡大は着実に進んでいた。諦めムードの中、こんな写真をとっている。画の手前は日立製の686号機で、1970年2月20日に高崎第一に送り込まれた最初の刺客だった。500番台と言われるSG付、全重連タイプの標準的な機体で、八高線では通年スノープラウを付けていた。この日のネガには、DD51重連やDD51とDE10の重連も写っている。DD51重連の機関士目線の画まである。今の凸型DDファンが見たら生唾ものだろうが、その時の蒸気ファンにとっては本当に悲しい一日だった。こうしてDD51の時代の幕開けとなったが、小生にとっては、この日が八高線最後の蒸気定期列車の撮影となってしまった。そして、悲運にも貨物列車の時代は足早に過ぎ去り、686号機は1987年に僅か17年の車齢で、一度も転属することなく高崎第一で廃車になっている。


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  1. 2016/09/20(火) 00:30:00|
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八高線にキハ10系がいた時代

国鉄キハの系譜は、昭和の狭幅、バス窓のキハ10系に始まった
ここ八高線でも、キハ17がD51重連とともに武蔵野の丘陵地帯を走っていた

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1970年2月 八高線 金子 キハ17の3連

今の時代にこんなものが走っていたら、折からの鉄道ブームもあって大騒ぎになっていることだろう。現在に続く気動車の系譜は、このキハ10系から始まった。総括制御か可能になったことと、貫通式運転台で編成が自在であることは、その後のキハに連綿と受け継がれた。そのため、現代の新型車が登場するまで、特急用の車両を除けば、どの形式であっても編成を組むことが出来た。10系、20系、35系、58系などが一堂に会する編成も組成できた。日本中を凸凹編成が当たり前のように走り回っていた。

このキハ10系は小生と同じころに生まれた車両で、生きていれば還暦といったところだ。狭幅なバス窓の車体はいかにも昭和的な容姿だ。車内中央の壁面には排気ダクトの大きなでっぱりがあり、窮屈な座席の背ずりは、反対側の人の動きが分かるほどの華奢なものだった。ドアには大きな段差のステップがあり、バリアフリーなどとは程遠いものだ。確か車内灯は白熱灯だったような気がする。当時、撮影の移動の足として散々乗っていたこともあり、その愛らしい顔つきも相まって、小生にとっては蒸気ともども忘れられない懐かしい車両だ。

二枚目の画だが、ちょっと雰囲気が平常でないことにお気づきだろうか。高崎方面から来たキハ20を先頭にした3連だが、窓が開け放たれ、手を振る人も何人か見える。そう、この日は高崎鉄道管理局のさよなら運転の日だ。この上りのキハの後、DE10の貨物が下り、その後にD51とC58の重連の客レがこの築堤を登って来る。待ち受けるカメラマンに向けて手を振っているのだ。このキハも何処かで記念列車を追い抜いてきたのかもしれない。さよなら列車は後日ご覧頂こうと思うが、今回は懐かしの凸凹キハの編成美(?)をご堪能あれ。


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1970年9月 八高線 折原―竹沢 キハ20+キハ17の3連


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  1. 2016/02/22(月) 01:49:53|
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D51重連とお地蔵さま

庭先を八高線が通り、蒸気好きには羨ましいお宅だった
お地蔵さまに見守られて、D51重連が鹿山峠を目指す

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1970年2月 八高線 東飯能-高麗川

写真を始めたころ、知識も経験もなく、シャッター速度と絞りは、フィルムの取説に従うしかなかった。当時のASA100の富士のネオパンSSには、1/100のシャッター速度で、絞りは、雪、山の晴天は16、晴れは11、曇りは8・・・などと書いてあったような。つまり、シャッター速度は1/100しか書いてなかった。この画はそのことからすると、1/100で絞り8で撮ったはずだ。おかげで見事にブレている。シャッター速度と絞りの関係を習得するのには、もう少し時間が必要だった。

この場所は農家の庭先だ。画の左端に洗濯物が見える。家の人に頼むと、いつも快く撮らせてくれた。どうやら、この谷戸を耕す農家の軒先に八高線が通ってしまったようだ。築堤で分断された向こうの田に通うための小径が右端に見える。小径のむしろが何とも時代を感じさせる。線路を辿ってくる小生もこの小径を利用していた。
庭先から、ずっと遠方まで続く田んぼの様子を見守ってきたはずの、1737年生まれの小久保村のお地蔵さまは、八高線のD51重連を眺めることになってしまった。

このD51重連は、まもなく鹿山峠のサミットに達し、絶気合図が聞こえてくる。この辺りで一日うろうろしていると、上下列車の絶気合図を何回も聞くことができた。何とも贅沢な場所だった。


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  1. 2015/07/16(木) 00:45:19|
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雨のC58重連

雨が降りしきる中、短い貨物列車が徐々に近づいて来た。
この列車こそが、わざわざこの地までやってきた目的のC58重連だ。

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1970年4月 八高線 松久-用土

八高線で出会った方から、高崎寄りにC58重連が走っているという情報をキャッチした。八高線の八王子寄りと言えばD51重連で、撮影できるC58のスジは僅かに1本だけだった。物珍しさに惹かれて、C58重連の撮影に赴いた。

その日は、生憎の雨模様だった。寄居周辺で、大降りの雨の中何本か撮った後、本命のC58重連を狙うべく、田んぼの広がるこの地にやってきた。雨の中、遠方から単機回送かと見間違うほどの短編成の貨物列車がやって来た。これが標的のC58重連の姿だ。機関車2両で貨車2両を引いている。この列車の前にD51の貨物も通過したが、その列車もヨが1両だけだった。どうやら運が悪かったのは天候だけではなかったようだ。

こんな天候では、写真を撮り始めたばかりの初心者には、厳しい一日だった。撮れた画の良し悪しは別として、C58重連が走っていたことは事実だった。この後、C58重連を撮ったのは陸羽東線だけだから、貴重なシーンと言えなくはない。

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  1. 2015/04/17(金) 00:13:03|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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