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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

50年前のあの日

50年前八高線が無煙化された
これがSLブームの幕開けとなった

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1970年9月27日 八高線 折原

ちょうど50年前の秋、八高線が無煙化された。春先から姿を現したDD51は、次第に勢力を拡大し、夏頃には既に蒸気の姿はかなり少なくなっていた。そして、9月27日に北部の高崎-高麗川間にさよなら列車が運行された。翌週の10月4日には南部の八王子-高麗川間でもさよなら運転が行われ、八高線の現役蒸気の時代に幕が降りた。こあらまにとって蒸気機関車撮影の事始めとなった八高線にはかなり多くの思い出がある。西武池袋線一本で行ける八高線には、足繁く何度となく通った。日曜日が来るのが待ち遠しかった。小学生だった時、小児のきっぷを買おうとして疑われたこともあった。友達の親父さんが、当時は珍しかった自家用車で連れて行ってくれたこともあるが、その親父さんも嵌ってしまったとか。お袋に弁当を作ってもらって、弟を連れて行ったこともある。色々な思い出が走馬灯のように駆け巡る八高線だが、無煙化は容赦なくやって来た。

八高線は八王子機関区、高崎第一機関区、大宮機関区の罐が担当していたが、川越線から乗り入れる大宮のキューロクは一足早く無煙化されていた。そして、この年、残る二つの機関区も無煙化となった。写真は9月27日の高崎第一機関区のおわかれ運転の模様だ。高麗川に向かう往路で、本務機はC58309でD51631が前補機に付いている。帰りは逆にD51が本務機でC58が前補機となった。この日は今では考えられないようなハチャメチャなファン無礼講の一日になっている。客車のデッキには一応鉄道公安員が立ち、その横では録音に励むファンの姿も見られる。この日は、晴天に恵まれ気持ちのいい秋の日だったが、翌週の八王子機関区のおわかれは生憎の雨模様となった。


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この日は、名門高崎第一機関区から蒸気が消える日でもあり、機関区で蒸気の展示会が行われた。国鉄時代、北関東の要衝の高崎には二つの機関区が置かれていた。蒸気とディーゼル機関車の第一機関区と、電気機関車の第二機関区となる。現在の第一は、JR東日本の高崎車両センターの高崎支所になっており、D51498、C6220、C58363が在籍していることは周知のとおりだ。一方、第二の方は、JR貨物の高崎機関区になっている。

写真は扇形庫になるが、さすがは要衝機関区で何と16番まである。中央のC12は47号機で足尾線を走っていた。足尾線も同時期に無煙化されており、この罐は既に廃車になっていたものを、展示のため引っ張り出したものだ。右はさよなら列車のC58309だが、この後、陸羽東線で使われたが半年余りの余生だった。


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帰区したさよなら運転のD51631が扇形庫に戻るところだが、このまま火を落とし帰らぬ罐となった。このD51631は高島線の無煙化に先立って新鶴見から移籍してきたため、八高線では数回撮っただけの馴染みの薄い罐だった。その高島線も同時期に無煙化になっている。こちらは、10月10・11・18と東京-横浜間で盛大なさよなら運転が執り行われた。この頃の一連のさよなら運転が起爆剤となって、SL狂騒曲へと繋がって行った。写真左下に隣の方のカメラがちょこっと写っているが、何とも時代を感じさせるシャッターを押す仕草だ。


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機関区全体の様子はこんな感じだ。多くの人が見学しているが、若いカップルが居たりして、ファンに占領されていないのがこの時代だ。左の方は、当時の蒸気ファンの典型的な出で立ちになる。一眼レフ1台に華奢な三脚の身軽な装備が標準だった。既に機関区の主となったDD51の向こうに並べられている罐はと云えば、殆どが火を落として休車か廃車になったものだ。火が入っていたのはおわかれ列車の2両の牽引機ぐらいで、冷たくなった罐を眺めるのも一抹の寂しさがあった。長々と続くアッシュピット、巨大な給炭設備、多くの罐たちが屯った高崎第一機関区のひとつの時代が終わろうとしていた。

しかし、こあらまにとってこの日は終わりであり始まりでもあった。この時を境に関東から蒸気機関車は消えて、日帰りで行けるところは無くなり、瞬く間に周遊券による無宿旅へと突き進んで行った。この先5年間、北へ南へと蒸気を求めての全国行脚の始まりでもあった。


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  1. 2020/12/20(日) 00:00:00|
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漂泊の道標 望郷踏切

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1977年5月 八高線 金子


かつてそこには鄙びた砂利道の踏切があった
夕暮れに広がる茶畑が古という名の望郷を誘う



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  1. 2020/02/04(火) 00:00:00|
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鉄道の日

鉄道開基から127年が経った
古き良き国鉄時代が懐かしい

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1970年2月 八高線のとある駅

今日10月14日は「鉄道の日」だ。国鉄時代の方々には「鉄道記念日」と言った方がピンとくるだろう。今から127年前の1872年10月14日に、新橋-横浜間に本邦初の鉄道が開業した。1921年には鉄道開基50周年事業として東京駅丸の内北口に初代鉄道博物館が開館し、翌1922年に鉄道省が鉄道記念日を制定している。その記念日は日本国有鉄道、JRへと連綿と受け継がれてきたが、1994年に当時の運輸省によって、全ての鉄道事業者の記念日として、「鉄道の日」に改称された。それ以来、記念日には全国の鉄道事業者がイベントを催している。

もう半世紀も経ってしまったので、こんな写真をアップしてもよいのではと思えるようになった。こあらまが蒸気機関車を撮り始めた頃には、貨物の列車ダイヤや蒸気の筋の情報を入手するのは難しかった。現地で駅員さんから情報を入手するのが、最も現実的で手っ取り早い手段だった。当時はいい時代で、情報を懇切丁寧に教えてもらえた。後に必需品となった「SLダイヤ情報」の創刊は1972年10月のことだ。そうこうしているうちに、こんな写真まで撮らせてもらった。鉄道記念日とともに制定された鉄道省の省旗で、後の国鉄に引き継がれた。

この旗には、動輪と二条のレールがあしらわれている。事ある毎に日の丸と共に掲げられていたようで、国鉄時代を彷彿とされる逸品だ。しかし、旗は本当は脇役で、主役はやはり駅員のお二人さんだ。左が駅長さんで、右が助役さんになる。仕事には厳しい駅長さんと、場を和ませる助役さん。本当にいいコンビだった。助役さんのトレードマークは蝶ネクタイで、「ちょちょさん」と呼ばれていた。色々とお世話になったお二人だが、もうお会いすることも叶わなくなってしまった。小さな蒸気ファンにとって、国鉄の方々は鉄道趣味の大先輩でもあった。


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  1. 2019/10/14(月) 00:00:00|
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漂泊の道標 夜の通票受器

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1977年5月 八高線 金子


微妙な螺旋がホームに鎮座する
夜のしじまに通過列車を待ち受ける



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  1. 2019/09/06(金) 00:00:00|
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金子 DD51重連の頃

金子は茶畑の中の鄙びた駅だった
貨物路線だった頃の八高線が懐かしい

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1977年5月 八高線 金子

夕暮れ迫る金子に2両のDD51のディーゼル音が近づいて来た。八高線が無煙化されてから6年が経ったが、高麗川のセメント列車は健在だった。D51重連はDD51重連に置き換わったが、まだまだ古き良き八高線の風情が残っていた。その頃の興味の対象は、車両にはなく、木造駅舎や旧式の鉄道設備、そしてそこに集う人々の生活臭のようなものにあった。この列車のシャッターのタイミングにもよく表れている。この重連貨物に次のコマはない。今なら原色DD51の重連ともなれば大騒ぎになるだろうが、それは時代の変遷で、当時はごく当たり前の列車風景だった。タブレットや腕木式信号機なども引き続き活躍していた。この1931年の初代木造駅舎は幸運にも2014年まで存在していた。大きな改装を重ねていたので、建設当時の風情は大分失われていたが、東京近郊の駅としては珍しいことだった。

あの日から42年。八高線は東京で唯一の地方交通線として今も走り続ける。ちょうど東京の都市化の波の最前線が八高線辺りだったのだろう。埼玉県入間市の金子駅周辺も東京のベットタウン化した。緑の中の鄙びた駅は電化され、朝夕には東京駅との直通電車も走る。廃れていくローカル線には寂しさを感じるものだが、逆に都市路線化していくのには味気なさを感じてしまう。全く勝手なものだ。


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  1. 2019/07/10(水) 00:00:00|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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