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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

魚沼へ 車窓の眺め

夏の日差しがコシヒカリを育てる
車窓に流れる魚沼の風が懐かしい

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1977年7月 上越本線 小出

今回は165系の急行「佐渡」でスタートです。当時、昼行3往復、夜行1往復の計4往復が運転されていました。ビュッフェのサハシ1両とサロ2両を含む、堂々の13両編成での運用でした。前照灯がシールドビーム化される前の、大きな目玉の原形ですが、残念なことに、後ろにはあの大きなヘッドマークは付いていなかったようです。

こあらまが魚沼への往路に乗っていたのは、「とき」でも「佐渡」でもなく733Mです。この列車の前身は、所謂「ヨン・サン・トウ」までの、上越線、羽越線経由の1821レ上野発秋田行の夜行鈍行です。43年10月改正で、電車化されて上野発長岡行に短縮されています。115系にクモユとクモ二が連結されていました。週末には、谷川岳や越後三山などを目指す山屋で賑わっていましたが、高崎までは通勤客も大勢居たので、山屋や旅行者が羽を広げられるのは、長時間停車する高崎から先でした。


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上越線の車窓から

733レで夜明けの塩沢をロケした後に、小出に移動中の塩沢付近の上越線の車窓から撮った写真です。越後の山並みから朝日が昇ります。この辺りにも稲架木がまだまだ残っていました。塩沢は「魚沼コシヒカリ」の本場を自称する場所です。こあらまの好きな清酒の一つである「鶴齢」の青木酒造があります。


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只見線の車窓から 

この風景は、越後須原から上条に向かう途中でしょうか。この時代から、鉄塔があったんですね。現在もこの鉄塔が強敵です。稲架木ではなく、杉並木があります。


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只見線の車窓から

入広瀬の大栃山の田圃の中のカーブを通過中です。この道の先には今も農家が健在です。どうして集落から離れて、ぽつんと住んでいるのか知りたいところです。一連の写真にはO2フィルターを使っています。山岳写真には欠かせないフィルターでしたが、今では使うことのないモノクロ用フィルターの一つです。


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上越本線 小出

最後は小出から旧形国電40系です。モノクロですが、スカ色であることは間違いないでしょう。何とも愛嬌のある顔付です。なかなかスノウプラウもよく似合ってます。国鉄40系は大宮の鉄博と青梅鉄道公園に各1両が保存されているだけです。


さて、春から夏に掛けての魚沼をお送りしてきましたが、この春夏編で「魚沼へ」は一旦終了といたします。当初は、春夏秋冬を1年掛けてご紹介するつもりでしたが、更新が遅れて来てしましました。また、この先、長期旅行も計画していますので、秋冬編は態勢を立て直して、またの機会にお送りしようと思います。最も印象的な季節は雪に閉ざされる冬期なのですが、そこまで一気に辿り着けず残念ですがご容赦ください。


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  1. 2018/09/26(水) 00:00:00|
  2. 上越本線
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魚沼へ 稲架木を渡る風

魚沼の青田に夏の日差しが降り注ぐ
田圃を渡る涼風が稲架木を渡ってゆく

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1977年7月 上越本線 小出

今回の鉄道シーンは、上越線を往く181系特急「とき」です。さすがは、ボンネットこだま型の流麗な編成美ですが、この頃は181系の末期で、老朽化の傷みが痛々しい状態でした。ちょうど、無骨な旧型電機EF15の上越貨物との擦れ違いとなりました。まさに、ザ・国鉄時代といった眺めです。当時、「とき」は13往復で、4往復の急行「佐渡」とともに上野-新潟間を結んでいました。その他にも多くの優等列車で賑わっていましたが、1982年の上越新幹線の開業で一変しました。「とき」は、上越新幹線の各駅停車タイプに引き継がれましたが、その後一時その列車名は消滅しています。新潟県内から強い復活の要請があり、再登板となったという経緯があります。この朱鷺という名称は、新潟県民にとって象徴的なもののようです。

この日は、例によって前夜に夜行鈍行で上野を発ち、早朝に小出に着いています。朝方、入広瀬をロケして、早々に小出に戻ってきました。この季節、日中の撮影はしんどいものがあり、主に涼しく光線状態の良い朝晩に活動して、日中はのんびりと乗り鉄というパターンが多かったと思います。この後、再び只見線に乗車して、会津若松に向かっています。只見線の出発まで時間があったので、上越線を往く列車を撮っていました。この時代は、まだ車を持っていなかったので鉄道旅行でした。現役蒸気が終焉を迎えてまだ日が浅かったため、まだまだ鉄道への興味があったので、こんな写真も残っています。車を手に入れてからは、一旦暫くの間、ぐっと鉄道写真は減って行きます。それでも、駅に寄る習性は健在で、駅撮り専門でした。


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さて本題ですが、今回も入広瀬の稲架木です。前回は梅雨時の曇天でしたが、今回は梅雨明け後の夏の眩しい日差しの中の稲架木です。田圃の稲も順調に成長し青田になりました。同じ入広瀬の大栃山地区ですが、天候次第で全く雰囲気が変わります。やはり、写真は朝晩が勝負時間です。朝日に、稲架木の影が田圃に長々と伸びています。夏の朝の、稲架木を渡る涼風を感じていただければ幸いです。


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向こう側の山の斜面には結構な田圃が広がっています。実はこの途中を只見線が走っています。現在、ここに撮影に訪れると、その斜面の田圃の多くが、叢になってしまっていることに気付かされます。この山村でも確実に離農が進んでいることの現れでしょう。田圃は小さなものから消えていきます。何時しか、この大栃山の田圃だけになってしまうような気がします。魚沼産コシヒカリも、北海道産の特A米に押され気味とも聞きます。何とか山村の田園風景を守る手立てはないものでしょうか。


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  1. 2018/09/18(火) 00:00:00|
  2. 上越本線
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魚沼へ 田への思い

人里離れた山間に棚田が広がる
山村の田への思いの結晶を見るようだ

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1977年5月 上越本線 湯沢

魚沼の米作りや酒造りなどの産業の基盤になってきたのが魚野川です。大正年間までは、水運にも利用されていました。谷川岳の西麓一帯を水源地として、長岡で信濃川に合流します。ちなみに、谷川岳東麓は湯檜曽川の源流で、利根川と合わさり太平洋へと注ぎます。上越線は、その湯檜曽川を遡り、分水嶺の谷川連峰を清水隧道で抜け、魚野川に沿って下るというコースを採っています。峠を越えて、越後側の最初の町が湯沢になります。今回の「魚沼へ」は、その南魚沼の湯沢から始まります。

最初の写真は、上越線を往く特急「とき」です。1974年に、ボンネット型181系の老朽化を補うために183系1000番台が投入されましたが、181系も在来線「とき」の最後の日まで上越線を走り続けました。魚野川の支流に架かるこの小さな橋梁の右奥に建設中なのが、上越新幹線の「ガーラ湯沢駅」です。本線は、駅は通らずに、この沢を渡ると直ぐに湯沢隧道に入り、次に地上に出るのは石打になります。その隧道工事の看板が写真左手の線路脇に立てられています。

湯沢は、川端康成の「雪国」によって、知名度が大きく上がった温泉町ですが、1982年の上越新幹線の開業によって、町の景観が大きく変わりました。折からのスキーブームが追い風となって、民宿やペンション、ホテルが次々と建てられました。さらに、1987年成立の天下の悪法のリゾート法の影響で、50棟以上の高層リゾートマンションが出現しています。その末路はご存知の通りです。リゾートマンションは10万円でも買い手がつかず、13億円近い固定資産税の滞納が生じているようで、廃墟だらけの町と化してしまっています。

そんな湯沢の町も、温泉地を除けば、新幹線が通じる前は静かな山間の農村の風情でした。何となく、バルビゾン派の絵画を連想するような、長閑な風景が広がっていました。この季節、魚野川沿いの田圃では、田植えが始まります。まだ、使われているのは小さな耕運機くらいで、田植機などはなく、一家総出の人手による田植えでした。人の手によって、3条に苗が植えられていきます。


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ここからは、北魚沼の守門村、入広瀬村です。山間部ですから、平地は僅かで、多くが山の斜面の棚田になります。今、棚田が脚光を浴びる時代になりましたが、それは観光資源としてのことです。有名になった棚田が各地にありますが、多くで農作地としての意味合いは失なわれつつあります。当時、この地にも見事な棚田が数多く存在していました。苗が何本も植えられないような、本当に小さな田にも水が張られ、大切に稲が育てられていました。今の世の中で、こんな手間暇掛かる田圃を維持しようという人はいないでしょう。日本がそれだけ豊かになったということなのでしょう。


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帰りに乗った只見線の小出行きの列車が、越後須原で列車交換しました。当時の小出口は、越後広瀬、越後須原、入広瀬、大白川に交換設備がありました。現在は、1列車のみが往復するだけの線区になってしまいましたから、除雪拠点駅の大白川を除いて全て棒線化されています。もう、2度と見ることのできない、小出口の交換風景かもしれません。キリリとした車掌さんの眼差しからは、国鉄の風格が伝わって来るようです。


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  1. 2018/07/20(金) 00:00:00|
  2. 上越本線
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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