駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

旅の車窓

既に夕刻になっているが、夏の日は長く、日暮れまでもう少し時間がある
朝夕の通勤通学時間帯には、客車を連ねた蒸気列車がやってくる

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1973年7月 山陰本線 長門三隅

どうして貴重なD51客レを真面に撮らずに、悠長にDCで移動をしていたのだろうか。実はこのDCは二つ前の三見ではD51貨物とも交換している。時刻は夕方6時近くになっている。夏の日は長く、まだまだ撮影は続けられるが、次の普通列車までは2時間半程の間が空いている。どうしても明るいうちに長門市の機関区に行きたかったようだ。理由はともあれ、この車窓の眺めも悪くはない。風情のある木造駅舎に桜の大木とくれば、判で押したような日本の田舎駅の象徴だ。ホームには昭和を思わせる服装の二人のご婦人が列車をお待ちだ。もちろん、まだ無人駅などではなく、駅員氏だって二人も写っている。今となっては、下手な走行写真などよりこの方がずっと楽しめる。お手軽なスナップショットの方が良かったとは皮肉なものだ。

この春「青葉の山陰線を往く」というシリーズを長々とお送りしたが、その際には兵庫県の竹野から山口県の飯井までの行脚だった。この長門三隅は飯井の西隣の駅になる。この駅の近年の写真を見ると、大分容姿が変わってしまっているが駅舎は木造のままで、長いホームも桜の樹も健在のようだ。次回の山陰線は、この長門三隅から幡生までを予定している。それで山陰線非電化区間は完遂ということになる。


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  1. 2016/08/24(水) 00:30:00|
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キハ82の夏休み

夏休み、ホームには多くの見送りの人がいた
非電化の地方都市を繋ぐのがキハ82特急だった

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1973年7月 山陰本線 東萩

キハ82系の特急「まつかぜ4号」新大阪行きの乗降が完了し発車時刻となった。白制服、赤腕章の専務車掌が安全確認中だ。夏休みを実家で過ごした子供や孫たちを見送っているのか、ホームには列車の窓を名残惜しそうに見上げる大勢の親たちの姿がある。時代が流れても、変わることのない親子の別れのシーンだ。車内には、楽しかった夏休みが終わる、ちょっと気怠いような空気が漂っていることだろう。列車は、美しい山陰海岸の余韻を車窓に映しながら、東へとひた走る。

蒸気が終焉の時期を迎えていた頃、非電化区間の昼行特急の任を一手に担っていたのがこのキハ80系だ。こんな両者のツーショットが各地で見られた。所謂蒸気の敵ではなかったので、蒸気ファンに毛嫌いされることもなく、優美な鉄道車両として、貴重なフィルムを費やされた方も多いはずだ。小生にとっても、鉄道趣味の切っ掛けになった車両の一つで、各地のキハ82特急がフィルムに収まっている。我が家には16番の短編成が鎮座しているが、さすがに「おおぞら」仕様のNゲージ14両編成は普段は箱の中だ。

さて、画の「まつかぜ」だが、1973年当時は、京都発着から大阪-博多間(着は新大阪)の運行に変わってはいたが、勿論全線通しで乗車することを想定した列車ではない。山陰圏内、山陰と京阪神、山陰と北九州の輸送を1本の列車で賄ってしまおうという算段だ。この東萩からの上りは松江、米子、鳥取、京阪神への乗客だろう。現在は、山陽新幹線の全線開業で、中国山地縦断ルートが主流で、山陰線は継ぎ接ぎ路線のようになってしまいった。もし、現在もこんな列車が走っていたら、乗り鉄諸氏の垂涎の的になっているだろう。ウェブのあちこちに「まつかぜ乗車記」なるものが見られたはずだ。


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  1. 2016/07/29(金) 00:30:00|
  2. 山陰本線
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青葉の山陰線を往く その17 旅の終わり

山陰線は、期待に違わない風光明媚な路線でいてくれた
夕日に映える去りゆく列車に、さらなる再訪を誓った

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2016年4月 山陰本線 玉江

長々とお送りしてきた「青葉の山陰線を往く」も最終回となった。前回のポイントから萩方面に戻った玉江の倉江集落での撮影がラストショットとなった。日が傾き、西日が由緒ある萩の街を照らしている。逆光の木立の向こうから山陰線を象徴するタラコのキハがやって来た。その後ろ姿を見送り山陰線の旅が終わった。始まりがあれば、必ず終わりがある。夕陽に照らされた後ろ姿は何とも感慨深いものであった。つい、また来ようと心に誓った一瞬だった。

現役蒸気を追いかけていた時代には、どうしても北海道や九州に足が向いてしまっていた。その方が、ワイド周遊券をフルに使って、多くの路線を回り多様な罐に会うことが出来、旅もし易かった。山陰ワイド周遊券もあったが、西部を狙うとすれば、山陰線以外には閑散路線の木次線、三江線、山口線くらしかなかった。おまけに、夜行列車を塒にするには条件が悪過ぎた。それでも、1973年の夏には山陰線メインの長旅に出ている。山陰への憧れのようなものがあったからだ。山陽と山陰、どっちがお好きと問われれば、山陰と答えたくなるのは小生の性だ。

それから40年という時間を挟んで、再び山陰線を撮りに行くとは、なかなか因果なものだ。かつての名路線を再び訪れるのは、懐古趣味だけではない。もちろん、記憶をたどるセンチメンタルな旅であることも確かだが、今を撮ることが最大の楽しみだ。山陰線は、今も石州瓦の家並を繋ぐ風光明媚な路線で、素晴らしい被写体だった。小生と同年代の方々には、このような旅を是非お勧めしたい。還暦と言うくらいだ。若かりし頃熱中した場所を、新たな出発点にするのも悪くはない。次回の山陰線は、下関を起点に小串、湯玉、梅ヶ峠、特牛などを訪れてみるつもりだ。

最後までご覧いただきありがとうございました。
何本か単発の記事を挟んで、次は「春色只見線」をお送りします。


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1973年7月 山陽本線 下関

夜の下関駅で出発時刻を待つ山陰線の上りD51普通客レ。今では考えられない現車10両の長大編成。牽引するのは長門機関区の戦時型1031号機。今でも残る山陰線の長いホームは、こんな列車が停車していたからだ。


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  1. 2016/06/13(月) 01:20:23|
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青葉の山陰線を往く その16 山陰の蒼い海

山陰海岸の海の蒼さは格別だ
降雪期の鉛色の海がくれた贈り物だ

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2016年4月 山陰本線 三見

振り返れば、山陰線の旅の始まりは兵庫県の竹野駅だった。この日、今回の旅の終着駅の山口県の飯井駅に着いた。距離にして422.1km。さすがは最長路線だけのことはある。東海道線でいえば、東京から関ケ原近くまで行ってしまう距離だ。撮り溜めた駅舎の数だけでも相当なものになった。ただ、現在は山陰線を全線走り抜ける列車はなく、幾つかの毛色の異なる線区の寄せ集めのようになっている。昔、山陰線の京都―下関間を走りぬく、820レ、826レという客車の夜行普通列車があり、京都―出雲市間は寝台車も連結されていたが、72年に廃止された。現在JR西日本が来春からの運行を計画している「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が走れば、45年ぶりの貫通列車となる。

山陰海岸は本当に美しい。日本一風光明媚な海岸だと思う。雪国の春が何所よりも素晴らしいように、冬には荒海となる日本海のもう一つの姿は、何所までも澄んだ紺碧の海だ。その海の蒼さは、実際に行った者でしか実感できないものだろう。画の青色は、決してレタッチで増幅したものではない。写ったままの青さだ。現実味を出すために、逆に彩度を落とそうかと思ったくらいだ。

萩市街はずれの玉江から、車が擦れ違えないような細道が、線路沿いに三見、飯井へと続いている。飯井までは行ったものの、数少ない列車は海の見える三見で撮ることにした。43年前、乗っていた列車から、思わず飯井の駅名票を撮った。漢字で表記すれば何ら注目するものではないが、ひらがなとローマ字での表記は何とも単純で面白い。駅名票の両脇から飯井の集落が見えるが、現在よりもずっと鄙びた感じで、軒数も多いように見受けられる。何てことないぶれた画だが、小生的には何とも気になる一枚だ。


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2016年4月 山陰本線 三見


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1973年7月 山陰本線 飯井


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  1. 2016/06/11(土) 02:59:03|
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青葉の山陰線を往く その15 木与の棚田

天候が良くなり、春の陽光に輝く美しい山陰海岸が戻って来た
海辺の集落を抜けるタラコのキハが、石州瓦と良く似合う

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2016年4月 山陰本線 木与

早朝の奈古で天気の行方を様子見していたが、前日の荒天が嘘のように天気が良くなった。となれば、やはりこの眺めは見ておきたい。情報が乏しかった現役蒸気の時代には、この場所の作例は少なかった。車窓から偶々見つけた健脚の方だけが、眺めることが出来た風景だった。棚田としては「やまぐちの棚田20選」ということだが、圃場整備もされており、それ程見応えのあるものではない。ただ、日本海に沈む夕日が眺められるという特典が付いている。今回はこの朝の画で終わりにしたが、機会があれば夕刻も狙ってみたい場所だ。

木与鎌所は小さい集落で、ファインダー内にその全景が納まる。国道191号線に沿って石州瓦の家屋が連なる。駅は交換設備のある2面2線の構造だが、今や乗車人員は限りなく「ゼロ」に近く、実質的には信号所のような存在になっている。駅前の砂浜は「清ヶ浜」と呼ばれる、鳴き砂のある美しい白砂の海岸だ。都会が近ければ、いい観光地になりそうだが、山陰ではよくある海岸だ。この辺りはサーフポイントのようで、サーフショップらしきものもあり、やって来るのはサーファーのようだ。

この場所で2本の列車を待ち受けたが、幸いなことに、どちらもキハ40の単行で、タラコと広島色の黄色だった。タラコ色は石州瓦と同系色で目立たないかと思いきや、コーディネートされたかのように良く似合い、存在感も十分だ。旧時代人の小生は、このタラコ色こと朱色5号の首都圏色が登場した時は、同世代の方々と同様に、当然のことのように好きでなかった。今回、山陰線と中国地方のローカル線で多くのタラコに出合い、派手な塗装やラッピングよりは、余程ましだと思えるようになった。山陰線のタラコは塗装まで手が回らないのか、退色が激しく、やや地味に見える。どうも「焼きタラコ」と呼ばれているらしい。


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  1. 2016/06/09(木) 00:31:10|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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