駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

続・青葉の山陰線を往く その23 特牛という名の駅

新緑に包まれて、とびっきりの難読駅が佇んでいた
海岸の駅とは趣の異なる、緑の香りのする場所だ

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2017年4月 山陰本線 特牛

難読駅名も難しさが群を抜けば、逆に皆の知るところとなる。そのいい例がこの特牛だろう。さまざまなメディアに取り上げられ続けているので、知名度はかなり高い。当然、鉄道ファンの間では誰もが知る有名駅だ。この特牛から滝部に向かう列車には、25‰の急勾配が待ち構えている。山陰線にまだD51が走っていた頃、その力走を求めて全国から多くのファンが撮影に訪れた。そんな撮影の記事を雑誌などで読み、「こっとい」という読みを知った。

この駅に来るのは、そのD51の時代以来のことだ。この駅が無人化されたのは国鉄時代の1971年のことで、同じ頃に島式ホーム2面2線の交換設備も閉じられ、棒線化された。その後、元国鉄職員が駅舎の空いた事務スペースを利用して食料品店を営んでいたらしいが、2001年頃にこちらも敢え無く閉店となったとのことだ。駅舎は開業当時の木造駅舎らしいが、売店開設時のものと思われる改装で新建材だらけになり、外観に開業時の趣は感じられない。

駅は少し内陸に入ったところにあるので、中心となる海辺の集落と港からは3kmほど離れている。駅は民家が点在する田畑から少し登ったところにある。緑に包まれた何とも長閑な駅だが、昔はちょっとした交通の要だったようだ。角島とを結ぶバス路線の停留所が駅前にあり、通学の生徒で賑わっていたという。映画のロケで「いがみはた」という駅に化けたことがあり、聖地巡礼のための観光客のため、臨時列車が走ったという、嘘のような話もある。


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7時50分発の下りの滝部止りの列車が単車で到着したが、乗車する人はおらず、女性が一人降りてきただけだ。通学は6時台の列車で終わっていたようだ。2015年の平均利用者数は32人とあるので、10人くらいの生徒が乗車したはずだが、残念なことをした。もうすこし計画を詰めておけばよかった。


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以前はこのホームが島式2面2線であったことがよく解る。前方のポイントが残され、行き止まりのごく短い引込線になっている。こちらが滝部方面で、この先に25‰の登り坂がある。D51の牽く客レは、特牛を出ると勢いよく加速していた。以前の構内踏切を渡って、白い手すりの階段を下ると駅舎がある。


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駅舎は大幅に改装されてしまっているが、どう云う訳か古めかしいラッチが残されていた。擦り減り具合から見て、開業時からのものだろう。開業したのが1928年、無人化されたのが1971年。このラッチで駅員氏が出迎えをした年月よりも、ラッチだけが鎮座していた年月の方が長くなってしまった。


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  1. 2017/09/18(月) 00:00:00|
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続・青葉の山陰線を往く その22 小串線終着駅

日本最長在来線の旅もそろそろ終わりが近づいた
線路は南下を始め、山陽線の待つ幡生を目指す

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2017年4月 山陰本線 阿川

ホーム上に629キロポストがある阿川までやってきた。終点の幡生まであと15駅、44.8kmを残すのみとなった。この阿川からは海岸を離れ、特牛、滝部と25‰の小峠を幾つか越えて、長門二見の先で再び海の見える響灘の岸辺に出る。阿川は幡生から延びた国有鉄道小串線の終着駅として1928年に開業した。駅舎は開業時からの木造だが、色々と手が入れられているので古の風情には乏しい。ただ、正面の待合室入口の三角屋根には、この駅舎が出来た頃の面影が感じられる。美禰線が接続したのが2年後、山陰線が全通してその駅となるのは5年後の1933年のことになる。

山陰線にはキハ40系の後継としてキハ120形、121系、126系が導入されているが、長門市-下関間は、唯一今もキハ40系が独壇場の区間だ。小串-下関間はぐっと列車本数が増えるが、やはり全てがキハ40系で運用されている。観光列車の「〇〇のはなし」以外はラッピング車もないので、撮る側としては安心な線区だ。ところが瑞風が走るようになって、ちょっと沿線がざわついている。本来は風景重視ののんびりとしたローカル線なのだが、瑞風が車両特異性の高い専属カメラマンを引き連れて来た。なかなかハードな仕事っぷりなので、運転日には心積りしておいた方がよさそうだ。


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山陰線の小串-幡生間は、もともとは長州軽便鉄道、後の長州鉄道という民間会社により敷設された。下関から現長門市までの免許を得ていたが、資金不足で小串までとなってしまった。国有化され小串線と改称され、阿川まで延伸されたところで、東から美禰線が伸びてくるのを待つことになった。長州鉄道に残された幡生-東下関間は電化されたが、関連会社ともいえる山陽電気軌道に譲渡され、同社の幡生線となった。下関市街を巡る路面電車として半世紀近く活躍したが、1971年に廃止され、同社はサンデン交通というカタカナ名のバス会社となって現在に至っている。生き残りのために、ANAの空港業務も受託している。一世紀程前に、多くの鉄道が民間の英知によって建設され、その路線を繋ぎ合わせて国鉄の全国鉄道網が完成することとなった。再び、JRという民間会社に分配されたわけだが、そんな経緯があることを無碍にしてはならない。もちろん、国有化の流れがなければ、さらに多くの路線が失われていたであろうことは確かなのだが・・・。


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  1. 2017/09/12(火) 00:00:00|
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続・青葉の山陰線を往く その21 集落の守り

潮風を避けるように農家と山陰線が続いている
厳しい冬が終わり集落の守りも緑に包まれた

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2017年4月 山陰本線 長門粟野

今年1月まで新下関―仙崎間で運行されていた「みすゞ潮彩」がリメークされ、JR西日本の山口デスティネーションキャンペーンに合わせて、8月5日に「〇〇のはなし」という観光列車に生まれ変わった。「みすゞ潮彩」は下関市と長門市の要望で始まった列車だが、今回は萩市も加わり、運転区間も新下関―東萩間に拡張された。車両は「みすゞ潮彩」に使われていたキハ47の2両編成を再び改造した車だ。この列車名は「まるまるのはなし」と読むそうだ。「はなし」の部分は、萩の「は」、長門の「な」、下関の「し」だそうだ。何とも奇妙な命名だが、「〇〇」はデジタルでは化けやすい記号なので要注意だ。

この2両編成全車指定の「〇〇のはなし」も、事前予約を入れておけば、下関の老舗料亭「古串屋」のこだわり弁当や萩のスイーツが味わえる。多分、肥薩オレンジ鉄道のオレンジ食堂が、起爆剤になったのだと思うのだが、各地にこの種の列車が投入されている。小海線の「HIGH RAIL 1375」も全く同じ趣向だ。一般人でも気軽に楽しめる、ちょっと贅沢な鉄道旅と云ったところが受けているのか、どの列車もまずまずの人気を博している。風光明媚な路線があってこその物種だが、そんな路線は決まって赤字に喘ぐローカル線だ。ローカル線風景と食を楽しむ、新たな鉄道文化として定着して欲しいものだ。


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  1. 2017/09/04(月) 00:30:00|
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続・青葉の山陰線を往く その20 春うらら

リアスの小さな峠を越えながら列車は入江を巡って往く
春麗らかな粟野川を軽やかに渡る朱色のキハが青空に映える

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2017年4月 山陰本線 長門粟野

深川湾を望む長門市を出た西行きの列車は、黄波戸の先の黄波戸トンネルで深川湾に別れを告げる。湾を隔てる半島の付け根にある田園風景の長門古市、人丸と停車し、伊上で次の油谷湾岸に出る。山陰線と北浦街道の国道191号線が絡み合いながらに西へと進むが、なかなか上手く海が捕らえられない。そうこうするうちに、長門市から下関市に入り長門粟野に着く。以前、ここは豊浦郡の豊北町というところだったが、郡が下関市と合併し、今は下関市になっている。ここから先、終点までずっと下関市が続くことになる。

1889年に法律第一号として市制および町村制が公布され、翌1890年に初めて全国に31の市が誕生した。下関市はその一つだったが、当時は赤間関市という名称だった。萩から下関に通じる赤間関街道というのがあり、その北浦道筋に沿って山陰線が走るが、この赤間関というのは下関のことだ。下関には、この赤間関以外にも、長門関、馬関や関という呼び名も存在した。1901年の山陽鉄道の開業時の駅名は馬関だった。呼び名を統一する意味合いもあって、1902年に最も通りの良かった下関に市名が改称された。

一方、この長門粟野は美禰線の駅として開業している。現山陰線の宇田郷-阿川間と仙崎支線は美禰線の本支線として建設された。阿川は長門粟野の西隣だ。西から延びて来ていた小串線の阿川に美禰線が繋がるのが1930年、東からの山陰線が美禰線の宇田郷に達したのが1933年。その年、厚狭―正明市間を除く美禰線と小串線が山陰線に編入され、目出度く山陰線が全通となった。つまり、最後の未成区間は、山陰線最長の2,215mの大刈トンネルと、189mの惣郷川橋梁のある須佐-宇田郷間ということになる。


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春の油谷湾の眺め


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  1. 2017/08/27(日) 00:30:00|
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続・青葉の山陰線を往く その19 国境の海

風光明媚な山陰海岸は国境に海でもある
沿岸警備という文字にそのことに気付かされる

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2017年4月 山陰本線 長門三隅

長門市の西隣の黄波戸の駅は、深川湾に面し、対岸に青海島を望む風光明媚な浜にある。立ち寄ってみると、駅前には「許すな密航!! 守ろう 山口長門海岸」のスローガンを掲げたポスターが下がっていた。ポスターの主は「長門地区沿岸警備協力会」とある。忘れかけていた「密航」という言葉に改めて気付かされた。美しい山陰海岸ということで、山陰線の旅をご紹介しているが、その入り組んだ海岸線は、密航者にとっては絶好の隠れ場と言える。日中は人気のない小さな入り江に潜み、夜間に上陸を試みるというのが常套手段のようだ。この地に暮らす人々にとって、日本海は生活と心の拠り所であると同時に、危険を運ぶ海なのだ。

10年程前であろうか「脱北」という文字が新聞紙上に度々見られた。小型の中国船らしき謎のボロ船が日本海沿岸で次々に発見され、地域社会を恐怖に陥れていた。人気の無くなった集落の片隅に、見知らぬ人が棲んでいるようだ、などという情報も飛び交っていた。かつては、神隠しのように沿岸の住民が消え、北朝鮮による「拉致事件」と判るまでにかなりの時間を要した。日本は島国であり、現在は陸上で国境を接する国はない。しかし、狭い日本海の対岸には確かに国情が全く異なる国が存在する。太平洋岸に住む人々にはあまり実感がないようだが、日本海沿岸の方々には、海の向こうに異国があるというのは切実な問題なのだ。

先般、日本海側のゴミの漂着について書いたが、流れてくるのはゴミやPM2.5ばかりでなく、密航者もだということだ。単に体制から逃れるための亡命ならまだしも、スパイや拉致のための密航であったら、それこそ日本としても一大事だ。当時、国も警察も海上保安庁も暢気に構えていた。「裏日本」などという言葉があるように、日本海側ということで、国家を揺るがす異常事態でありながら、軽視されていたのかもしれない。そのような意識が、多くの拉致被害者を出す結果となったのだろう。北朝鮮にとって日本は忍び込むことが容易な国の一つとされているようだ。結局、これまでに帰国を果たせたのは、小泉首相が電撃的に連れ帰った5名だけだ。


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2017年4月 山陰本線 黄波戸

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  1. 2017/08/25(金) 00:30:00|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

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