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駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

去りゆく冬を惜しむ

春先の天候はまだまだ不安定だ
期せずして小雪の舞う朝になった

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2017年3月 飯山線

気象庁の桜の開花状況を覗いてみると、まだソメイヨシノの観測木の開花は記録されていないが、日本気象協会やウェザーニュースの桜の開花予想によれば、今春の開花のトップは福岡、宇和島などで3月18日、東京は3月21日だ。早くも桜の季節がやってくる。満開は開花から1週間くらいと言うから、3月末には見頃を迎えそうだ。花見好きの日本人にとって桜の話題が欠かせない時期の到来だ。そろそろ、こちらのブログも衣替えの頃合いになった。十分に活動できなかったこの冬も終わり、何とも後ろ髪をひかれる思いだが、新しい四季の始まりに賭けよう。移ろいゆく季節への出会いは、何時だって一期一会だ。


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  1. 2019/03/18(月) 00:00:00|
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オホーツク 早春

オホーツクの早春はまだ深い雪の中だ
ロシアの町の名が何時しか日本語になった

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1975年4月 天北線 浜頓別

「オホーツク」と聞けば、日本人であれば、北海道のオホーツク海とその沿岸地域を連想するだろう。しかし、この名はもちろん元々は極東ロシアのハバロフスク地方の町の名で、この地方で最も古い町のひとつとされている。1647年に、カムチャッカ、千島、樺太、日本、アラスカなどへの東方探索のためのコサックの越冬地になったのがこの町の始まりとされている。オホーツク(OXO’TCK)という地名は、「狩猟」というロシア語からきている。その後の時代の流れで、極東ロシアの中心地はハバロフスクやウラジオストクへと移っていくことになる。

さて、鉄道界にオホーツクの名が登場したのは、1959年に運行が開始された、旭川-網走間の準急「オホーツク」ではないだろうか。1956年には戦後処理の「日ソ共同宣言」が発効し、両国の国交が回復している。それにしても、親方日の丸の国鉄がロシア語の列車名を採用するとは驚いたものだ。当時、国交回復の祝賀ムードがあったのかもしれない。しかし、1960年には、第二次岸信行内閣が行った安保条約改定にソ連が反発し、共同宣言に謳われた歯舞・色丹の返還なども帳消しとなった。再び日ソ首脳会談が再開されるのは田中角栄の時代だった。

日本に大きな影響を与えたのは、その町の名から命名された「オホーツク海」の存在だろう。日本の北洋漁業にとって重要な場所で、気象学的にも注目される海域になっているので、「オホーツク海」という言葉の露出度は高く、日本人の日常生活の中にも、徐々に浸透していったのだろう。特に、北海道オホーツク海沿岸に押し寄せる流氷は、地域の冬の貴重な観光資源となっているばかりではなく、流氷のイメージは、海産物のイメージアップにも繋がっている。「オホーツクの流氷が育んだ北の幸」とか言われると、ついついというのがその効果だろう。

北海道は余りにも広大な場所のため、1897年に郡役所の代わりに、渡島、桧山、胆振、日高、空知、石狩、後志、上川、留萌、宗谷、網走、十勝、釧路、根室の14の支庁が置かれた。2010年には振興局に再編され、9つの総合振興局と5つの振興局となった。何れもが地方自治法の支庁の機能を維持しているので、再編の目的が達成されたかは甚だ疑問だが、何れにしても、支庁時代と同じ名称をもった振興局が誕生した。そのなかで、唯一名称を変えたのが「網走支庁」だ。何とロシアの町の名を採った「オホーツク総合振興局」になってしまったのだ。

この経緯がまた面白い。この地域は古来「北見国」と呼ばれた。つまり、中心地はあくまで「北見」で、「北見」が「網走」から支庁の座を奪還しようとした。しかし、先立つものもなく、支庁舎を移転させることも出来ない。そこで、周辺の町村が仲裁に入った。いっそのこと「北見」でも「網走」でもなく、思い切って、イメージが定着してきた「オホーツク」にするという案が飛び出した。その旗振り役は、過疎化の進展が停まらない北見のお隣の置戸町だったようだ。網走の抵抗もなく、すんなり「オホーツク」の名を持つ行政組織が日本に誕生することになった。

ロシアの町の名が海の名になり、その海の名が日本の地域のイメージとなる。そして、その名を採った行政区まで生まれた。オホーツク紋別空港、JA 何だらオホーツク、オホーツクドーム、日本野鳥の会オホーツク支部、東京農大オホーツクキャンパス、オホーツクカントリークラブ、ドコモショップ オホーツク支店・・・・・。もう「オホーツク」は立派な日本の地方名だ。


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  1. 2019/03/16(土) 00:00:00|
  2. 天北線
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野蒜駅は今

繰り返し報道された野蒜の出来事
保存された駅が問いかけるものとは

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2018年11月 仙石線 旧野蒜

8年前の3月11日の昼過ぎ、こあらまは山梨にいた。激しい地震に家の外へ飛び出したが、揺れで道がゆらゆらとうねっていたのを、はっきりと覚えている。直ぐに停電になり、非常用のラジオから流れてくる大津波の報道に、事の重大さを知った。車中泊用のランタンの光を頼りに、薪ストーブで夕食を作り、湯を沸かして水回りの凍結を防いだ。電気が復旧したのは翌朝だったが、夜明け前に再び強い揺れに見舞われた。こちらの震源は、長野県北部だった。

あの大津波から8年が経った。先日、山田線の沿岸部の宮古-釜石間でのJR東日本による設備の復旧工事が終わり、三陸鉄道による試運転が始まった。これで、被災した路線は廃線になることなく、全線の復旧の目途が立った。一足早く2015年に復旧した仙石線も、大きな被害を受けている。被害の中心は東松島市の野蒜地区だった。多くの津波被害の報道が発信された場所なので、皆さんご記憶のことだろう。今回はその野蒜駅の現在の様子をご紹介したい。

現在、陸前大塚-陸前小野間のルートは、100億円の経費を投じて、高台に付け替えられている。新しい野蒜駅も500m程離れた内陸に新設された。残された旧野蒜駅は「災害復興伝承館」として保存開館され、震災の記憶を後世に伝える役目を負った。この時は「ファミリーマート東松島野蒜駅店」が同居していたが、今は閉店の上、伝承館の一部に充てられているようだ。奥松島の玄関駅は、期せずして震災のモニュメントとして観光客を迎えることとなった。


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がれきはすっかり撤去され、清掃もされているので、一見大きな被害があったようには感じられない。頑丈な単純構造のホームは、津波の襲来にも耐えたのだろうが、細部にはやはり傷跡を見て取れる。中央の電柱の先の高台に建物が見えるが、こちらが新しい野蒜駅になる。旧駅と同じ島式ホームの2面2線になっている。


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旧駅舎の災害復興伝承館に展示されている自動券売機。形は辛うじて保たれているが、ディスプレイなどは破壊されている。Suica対応機であることが、余計に痛々しい。


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写真パネルがメインの展示室内の大時計は、元は駅舎正面に掲げられていたもので、地震発生時刻の2時47分を指している。


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地震発生時刻は、上下の列車が夫々野蒜を出発した直後だった。駅と夫々の列車での出来事は、何度となく報道されている。人的被害を最小限に留められたのは、乗務員と乗客の的確な判断だった。


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4両編成の上り1426Sあおば通行きは、津波の直撃を受けて流された。50名の乗客は乗務員の誘導で高台の野蒜小学校の体育館に逃れたが、そこすら安全な場所ではなかった。運転士は濁流にのまれたが、運よく避難の男性たちに救助されて、九死に一生を得ている。


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一方、4両編成の下り3353S石巻行きは、この場所で停止した。野蒜駅から少しばかり登った小高い丘の切通だった。写真は陸前小野側から見たものだ。こちらも、揺れが落ち着くと、96名の乗客は乗務員の誘導で、同様に野蒜小学校への避難を開始した。乗客の一人だった石巻市の阿部義美さんは、元消防隊員でチリ地震の津波を経験していた。彼の直感ともいえる判断によって、全員が元居た車両へと引き返したが、その直後に避難経路は津波にのみ込まれたという。乗客・乗員は、持ち合わせた菓子などを分け合って一夜を凌いだという。

ここには重要な示唆がある。乗務員は指令から野蒜小学校への避難を指示されていた。しかし、その指示に反した行動を採り、結果的にその判断が乗客の命を救うことになった。非常の緊急時、指令の指示が優先するのか。現場の判断が優先するのか。その答えは後者ということになった。同時に、乗務員の判断能力がより問われることにもなった。旅客航空機での乗客の安全確保は、常に現場の機長の判断が基本だ。鉄道においても同じということだ。JR北海道の車両火災事故での乗務員の対応は、激しい非難を浴びたが、乗務員が我先に逃げ出したどこかの国の航空機とは、比べものにならないほど野蒜の鉄道員は優秀だった。


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同じ場所から陸前小野側を写したものだ。前方の立派な高架橋が新線になる。旧線には既にレールはなく、徐々に線路の痕跡も消えつつある。こうやって津波の記憶も消えていくのであろうか。


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歪んだレールが津波の威力を伝えている。自然災害の前には人間は余りにも無力だ。鉄壁と思われた田老の防潮堤も呆気なく破られた。それでも人工物による防災のため、三陸沿岸の町々は今も工事現場の様相を呈している。盛り土によって造成された新たな敷地は、高度成長期の東京近郊のニュウータウンを連想させる。あれほど風情のある港町だった陸前高田には、もうその面影は微塵もない。その首都圏のニュータウンにも、今や高齢化による存亡の危機が迫る。立派な道路が開通すれば集落が消えるというのは、北海道でよく言われたことだ。山田に造成された高台の新たな街区は、すでに当初のニーズを失い、その8割に利用予定がないという。被災地の復興計画は、どういう過程を経て策定されたのだろうか。巨大防潮堤や新たな街区の造成のような大規模防災土木事業ばかりが、最優先課題とされてきた。被災地が公共工事の食い物にされた感すらする。大規模工事が終わった時、そこに何を見るのか。近い将来、結果が出るだろう。


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  1. 2019/03/14(木) 00:00:00|
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飯山線の4連

列車のジョイント音が春浅き里に響く
飯山線の朝日の4連が長野へと向かう

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2018年3月 飯山線

ローカル線には単行の気動車が良く似合う。飯山線では、特に長野・新潟の県境地帯の閑散区間では、自ずと単行列車が多くなるが、豊野口にはちょっとした混雑もある。JR東日本のキハ110系は、両運転台のキハ110、片側運転台2両固定のキハ111/キハ112の2タイプから成っている。国鉄時代のキハの普通列車は、両端に運転台さえあれば、中間はどうなっていようがお構いなしで、形式も入り乱れた凸凹編成だった。そのための、形式を越えた貫通扉であり協調態勢だった。

キハ110系の登場によって、編成はスマートになり、協調の効率も良くなった。ただし、この形式は同族間の連結しか許されない。写真は長野側の朝の通勤・通学の列車で、ローカル線っぽくない4両編成が走っている。キハ111/112の固定編成に、キハ110が2両付いている。帰ってくるときは、ばらばらにされて3列車に充当される。只見線のキハ40のように、積雪期の出力不足を補うための2両編成は、ここキハ110系の飯山線では希だが、安全確保のための二人乗務にはなっている。

早春の朝日が昇るころ、通勤・通学客で込み合う4連が長野へと向かう。里に残った雪も僅かになり、春本番も近い。稜線の向こうに見える雪山は、北信五岳のひとつの飯縄山だろうか。飯山線に、雪山バックの新緑が見られるようになるのはもうすぐだ。


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  1. 2019/03/12(火) 00:00:00|
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早春賦

冬枯れの畑にも鍬が入った
残雪の八ヶ岳の郷の早春賦だ

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2019年3月 小海線

凍り付いていた畑の土が解け、早くも今シーズンの高原野菜の農作業が始まった。まずは、大型トラクターで耕され、元肥となる有機肥料がすき込まれる。苗は専業農家のビニールハウスで育てられ、5月の連休の頃、一斉にマルチングされた畑に定植される。毎年繰り返されるこの高原の営みだ。ちょうど、桜が咲き、木々が芽吹くのも連休の頃だ。八ヶ岳の残雪とカラマツの新緑のコントラストが楽しめるまでには、あと2ヵ月程掛かる。春と云っても、まだまだ、氷も張るし霜も降り雪だって降る。唱歌「早春賦」の歌詞は「春は名のみの 風の寒さや」で始まる。


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  1. 2019/03/10(日) 00:00:00|
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プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

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