FC2ブログ

駅舎の灯

旅の始まりにも、終わりにも、そこには何時も駅舎の灯があった。

1000話達成記念 「C55 華麗なる一族」

先月の5月26日の土讃線の記事で、当ブログは1,000話を迎えた。開設以来ずっとほぼ2日毎の更新を続けているので、およそ2000日を要したことになる。中身がどうあれ、マイルストーンの5年も、1,000話も一応達成したので、三日坊主の誹りは免れたいところだ。その間、使った写真は2,200枚ほどで、記事の駄文も400字詰め原稿用紙にすれば、ゆうに1,000枚を超えている。自分で気に入っている記事を100本くらい選んで自費出版し、ご愛顧いただいている皆さんにお配りしたいところだが、さてどうなるか。

ということで、1,000話達成記念の記事を作ろうと目論んでいたのだが、1,005話までずれ込んでしまった。内容は現役蒸気のC55と、大して考えもせずに落ち着いたが、そのレタッチに思いの外時間が掛かってしまった。未公開の写真を10枚選んだが、状態の良くないネガの再生にはなかなか根気が要る。時節柄、畑の作業も忙しく、10日遅れでやっと上梓に漕ぎ着けた次第だ。本当はC51と言いたいところだが、それは諸先輩方にお任せするとして、こあらま世代が間に合ったその流れをくむ末裔でご勘弁いただきたい。

それでは、「駅舎の灯」 1,000話突破記念の、「C55 華麗なる一族」の始まりだ。


Z005F16.jpg
C55 34 吉松 1971年7月 吉都線 京町 (現京町温泉)

それにしても美しい罐だ。K-7の仲間が多い中、低く構えたK-3’門デフ、夕日に輝く製造時から守られた形式入りナンバープレート、ランボードの白線。こあらまが最も好きなC55だ。この翌月の8月には休車、10月には廃車となってしまった。第一動輪が帖佐駅前に保存されている。

C55は1次形19両、2次形21両、3次形22両の計62両が製造されている。この34号機は、流線形で製造された2次形の1両だが、メンテナンスのし難さなど、現場には大いに不評で、全車、ケーシングが撤去され、1次形の外観に改造された「流改」と呼ばれるグループだ。しかし、キャブの屋根や出入り口、蒸気ドーム、安全弁などに、流線形時代の面影を残している。

この日の宿泊場所は京町駅前の「あわじ荘」で、夕方、横着にも旅館の2階から見える京町駅を行き交うD51を眺めていたが、この罐が現れて慌てて駅に急行した。折角の34号機の写真だが、左端に草だか木だかが写り込んでいる。停車中だというのに慌てていたようだ。今なら模型化も意識して、隅々まで何十枚も撮っていただろうが、この時はフィルムが貴重で、停車中と発車シーンの2枚きりだ。何とも贅沢のような貧乏な時代だった。


04407F16.jpg
C55 30 旭川 1973年3月 宗谷本線 名寄

こちらも「流改」の30号機。キャブに流線形の面影を色濃く残している。北海道形の密閉式キャブとは明らかに異なる出入り口が見て取れる。また、このキャブの下部のラインが2次形流改の特徴だ。従輪に目を移すと、そこには1軸の美しいフォルムがある。この後のC59に次ぐ旅客大型機は、軸重軽減のための2軸従輪を持つハドソンになるが、無理くり押し込まれた従輪はどう見ても不細工だ。やはりオリジナル設計のパシフィック機のプロポーションには適わない。

この罐は「最果て鈍行」を牽いて、最果ての地の稚内に向かうところだ。ここから先、音威子府、幌延と、上川から宗谷へと抜けて往く。原野を直走る孤独の走りが待ち受ける。春まだ浅き名寄の構内には、列車から落ちる雪片が散らばっていた。


04406F16.jpg
C55 30 旭川 1973年3月 宗谷本線 名寄

こちらは30号機の直径1,750mmのスポーク動輪になる。C51やC54では、強度不足からくるスポーク動輪の破損や変形が大きな問題となっていた。ボックス動輪化したC51の写真を見たことがあるが、当然のことながら、C51の優雅さは台無しになっていた。そこで、C55では「水かき」が採用された。スポーク両端の付け根が「水かき」状に補強されているのが分かる。この「水かきスポーク動輪」によって、問題はほぼ解消され、動輪の振り替えは皆無だったが、この後製造されたD51、C57からは、アメリカ流のボックス動輪が採用され、スポーク動輪はC55が最後となった。

この「流改」の30号機は保存の予定だったが、手違いで敢え無く解体されてしまう。50号機に30号機のナンバープレートを付けて誤魔化そうとしたことは、以前の記事の通りだ。


02113F16.jpg
C55 46 若松 1971年7月 筑豊本線 筑前垣生

次は筑豊の46号機だ。K-7門デフの持ち主だが、少々位置が高いように感じるのは、幅広のK-7だからだ。嫌と言うほど蒸気列車が走っていた筑豊本線だが、D51やキューロクはパスすることはあっても、C55が来るとやはり嬉しかった。この頃既に、C57が進出してきていたので、必ずしもC55が来るとは限らなかった。

C57がダブついてくると、C55の置き換えが始まった。両形式は近縁の姉妹機で、多くで共通運用された。C57は、当初C55の4次形として製造されることになっていたが、ボックス動輪等の設計変更が多く、別形式に落ち着いた経緯がある。C57でも貴婦人と呼ばれるのは、C55のフォルムを継承する1次形のみとする説があるくらいで、C55の方がよっぽど貴婦人ということだ。そもそも、ボックスとスポークの違いは決定的だ。まあ、この一族の最終形の大所帯のC57が、時代的にも目立ったのは当然の成り行きなのだが。


012_24F_16.jpg
C55 46 若松 1971年7月 筑豊本線 筑前垣生

こちらはセラを牽く46号機になる。筑豊本線では、D60の旅客が来たかと思えば、C55の貨物がやって来たりもする。どういう運用になっていたのか些か疑問だが、要所は押さえられていたような気もする。この列車も下りで、セラは空っぽで返送のため、C55が牽いていたのかもしれない。

さて、この46号機は、この直ぐ後の9月に休車となり、12月には廃車となっている。そして、53号機として若松公園に保存展示されている。何故、このようなことがまかり通るのかは知らないが、駅舎にしても、車両にしても歴史的な価値は置き去りのような気がする。機関車さえあれば、仔細は問わないというのでは、ただの見世物だ。


04334F16.jpg
C55 47 旭川 1973年3月 宗谷本線 名寄

再び北海道は宗谷本線に戻って47機に進む。「最果て鈍行」を牽いて稚内から戻って来た。塒の旭川まではもうひとっ走りだ。この春、散々泣かされ春闘のスローガンが残っている。よく見ると、石炭の掻き寄せだろうか、テンダーに上がった機関士と助士がこちらを見ている。天候に関わらず、こうした作業を要するのが蒸気機関車の辛いところであり、面白いところでもある。下りの「最果て鈍行」の到着を待ってからの出発で、少々時間があるが、何故か蒸気圧が上がって、安全弁から勢いよく蒸気を吹き上げている。前部テールライトの取り付け位置が高いのも北海道タイプの」特徴だ。

この47号機は、撮影した3月の月末に旭川区で休車になり、そのまま11月に廃車になっている。この時が、この罐の最後の最後になってしまった。この後、宗谷本線にもC57の姿が見られるようになり、旭川区のC55は順次廃車となった。


04410F16.jpg
C55 47 旭川 1973年3月 宗谷本線 和寒

続けて47号機をサイドから。和寒を出発して塩狩峠に挑むところだ。やはり、C55はサイド狙いがいい。塩狩峠は針葉樹の防雪林に守られているためサイドから狙うことは難しい。そこで、ちょっと開けた和寒としたが、どうにもスポーク動輪がはっきりしないのは、写真の腕の悪さか。


05514RF16.jpg
C55 52 吉松 1973年8月 日豊本線 青井岳

次は、ご存じ青井岳の境川橋梁だ。多くの方々にとって懐かしさ一杯の橋梁だろう。ただし、定番のお立ち台ではないので悪しからず。この橋梁をサイドから撮るのは物好きのようで、作例はあまり多くない。C55のスポーク動輪の抜けを期待して、夕焼け空バックで列車を待った。入手していた情報通りC55が現れたが、ちょっと不満の52号機だ。この罐の下部取り外し式のK-6門デフは、何とも厳つさばかりが目立ち、お世辞にも美しいとは言えない。これが急行機というものだろうか。その急行機時代には、D51のテンダーを借用していたというから、実用に徹してきた罐ともいえる。まあ、見上げるような角度からでは、大した写真にはならず、罐のことをどうこう言ってもしょうがないのだが。

現在この52号機は吉松駅前広場に静態保存されている。以前この記事でご紹介したことがあるが、国鉄OBによって管理されているようで、状態は極めて良好で、少し手を入れれば本線復帰も可能と思われる程だ。梅小路の1号機以外で、復活できそうな最有力候補だ。


08230F16.jpg
C55 50 旭川 1974年8月 宗谷本線 和寒

北と南の二元中継が続くが、またまた宗谷線に戻って、50号機の和寒出発シーン。盛大にドレインをサービスしているが、どうやら写真の左側に写っている親子に対するもののようだ。反対側にはキハ22が顔を覗かせている。つまらない写真だが、親子とキハ22に免じて許して欲しい。実は、このシーンがこあらまの現役C55との別れとなった。この数日後50号機は休車となった。続けて30号機も休車となり、宗谷線のC55にピリオドが打たれた。

前述の通り、手違いで解体されてしまった「流改」の30号機の身代わりで、当時の小宮の北海道鉄道記念館に保存されたが、替え玉であることがバレて、50号機として保存されている。小樽市側は流線形を展示したくて、30号機に唾を付けたというから、そちらも驚きだ。そのことが発端となってバレてしまったようだが、何とも不思議な保存劇だったようだ。


05713RF16.jpg
C55 57 吉松 1973年8月 日豊本線 日向沓掛

記念記事の最後を飾るのは、現役C55の最後の1両となった57号機だ。K-7門デフを持つ、九州の標準的なスタイルのC55だ。C55は最も門デフが似合う罐だった。北海道には申し訳ないが、美しいプロポーションと云う観点では、門デフの九州形の方が数段上だった。57号機の廃車は1975年3月31日のことで、この日をもって現役のC55は消滅した。57号機にも保存の話があったが、結局は纏まらず、1年余りの留置の末、解体されてしまった。


これで、C55の記念記事は終わりだが、当時、休みとなれば、九州へ、北海道へと出掛けていたことがよく分かる。現役蒸気を追った時代には、休みをすべてバイトと旅に捧げていたのは事実だ。この記事でも判るように、無煙化との追っ駆けっこだった。昨今の「葬式鉄」と通ずるところも無きにしも非ずだ。蒸気に熱中して、良かったのか悪かったのかは、今更問うてみても始まらない。ただ、確実に言えることは、「旅」することの楽しさだった。「旅」によって鍛えられ成長したことだけは間違えのない成果だったと思う。

この記事を作ってみて、改めて強く感じたのは、過ぎ去りし蒸気の時代は素晴しかったということだ。現役の蒸気機関車と旧客。これからどんな車両が登場してきても、これを越える感動はなさそうだ。しかし、鉄道写真の世界は車両だけとは限らない。次の感動を得られるかは、自分の精進に掛かっていることも事実だ。次の時代の扉を開くのは、何時だって自分だ。これからも、鉄道写真の旅は続くと思うが、どこに辿り着くかは未知数だ。旅すること自体が目的になってしまうかもしれない。それはそれで楽しいはずだ。

このブログを始めようと思った時、現役蒸気だけで行こうかと考えたこともあった。そんな時、ある大御所のブロガーの方から、「過去画だけじゃ駄目だよ。現在進行形じゃなくちゃ。」というご意見を頂戴した。今となって、確かにそれも一理あるなと実感している。そう、何時だって現在進行形じゃなくちゃ次は生まれてこない。

ということで、「駅舎の灯」は、2,000話を目指してまだまだ続きます。
今後とも、よろしくお願いします。


スポンサーサイト



テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2020/06/05(金) 00:00:00|
  2. 吉都線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

駅舎の灯 上町一丁目 18時36分

高知の街に夜の帳が降りてきた
明治維新の夜明けの場所でもある

70022745.jpg
2020年4月 とさでん交通 伊野線 上町一丁目

西の空が染まりだし、春の長い一日が暮れようとしていた。夕方のラッシュアワーの最中、次々と電車がやってくる。路面電車のある街の夕暮れ時は、本当に風情がある。こちらに向かってきたのは200系の後免行きだ。どこかで見たような顔付だか、そのはずで、都電6000系のコピー車になる。この214は非冷房で、夏季には朝の混雑時にしか走らないそうで、車歴は60年越えの古参車輌だ。嬉しいことに、土佐電のトレードマークの菱形の「ごめん」の方向板も健在だ。

以前は民間の「土佐電気鉄道」が運行していたが、経営難から、2014年に新会社の「とさでん交通」に承継された。新会社の株主は県と地元自治体で、事実上の公企業となった。路線は、伊野線、後免線、桟橋線の3路線で、総延長は25.3kmになる。伊野線と後免線は通しの運行で、はりまや橋で桟橋線とクロスしている。というわけで、伊野線の上町で伊野行きと後免行きの行違えとなる。伊野行きはとさでん交通カラーの新塗装の600系で、都電7000系がモデルだ。

この「上町一丁目停留所」には、以前廃止の話が持っち上がったことがあるが、坂本龍馬の生誕地であることなどから存続している。この電車通りは、かつての往還道で、龍馬は、上町の大店であった「才谷屋」の分家で、土佐藩の足軽である坂本家に生まれている。直ぐの処に生誕地の碑が建っている。黄昏まで少々時間があったので、傍の「城下湯」という銭湯で汗を流していた。高知城が近いということだ。風呂上がりのビールならぬ路面電車もなかなか乙なものだった。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2020/06/03(水) 00:00:00|
  2. とさでん交通
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

尾道 坂の街

山の手の坂道は踏切から始まる
車の入れない家並は迷路のようだ

70022151.jpg
2020年4月 山陽本線 尾道

貨物列車の通過を、こんなに間近に見たのは、現役蒸気時代以来のことだ。海と山に挟まれた僅かな平地には、商店が牽きめき合っている。その山側を、国道2号線と山陽本線がぴったりと並走している。一段高くなった山陽本線には、歩行者用の踏切が続くが、スペースに余裕などなるはずもなく、踏切に上がる階段の途中で、遮断機の下から見上げるように撮ったらこんなふうになった。この道は、真っ直ぐ尾道観光の中心地である千光寺へと繋がる「千光寺道」の入口だ。

ここ尾道市の「山の手」地区では、車が入れない狭い坂道が唯一の生活道路だ。その独特の家並と多くの寺社仏閣が、「坂の街」として人を呼ぶことになった。しかし、空き家の数は500戸とも云われている。若者を中心に、空き家再生のプロジェクトが組まれ、今風の商売も増えてきて、新旧混交の街の様子が観光客の動員にも繋がっている。さて、果たしてこの街の人気がいつまで続くのか。「古き良き尾道」をどのようなかたちで継承していくかが、キーポイントになるだろう。


20008368.jpg


20008373.jpg


20008374.jpg


20008416.jpg


あなただったら、こんな階段道しかない街に住みますか。車では家まで帰れませんよ。どれだけの人がそれでもいいと答えるかは知らないが、確かにそうした人たちはいる。近頃の若者は車離れのため、逆に車の入れない街は魅力的かもしれない。年を取ったらどうしようなんて、ずっと先の話なので、それはそのときと割り切れる。尾道の山の手が生き残れるかは、ちょっとばかり不便があっても、海の見えるアンティークの香りのする「坂の街」を愛する若者力次第と言えそうだ。


70022153.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2020/06/01(月) 00:00:00|
  2. 山陽本線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

めがね橋 最後の春

直後にめがね橋は通らずになった
そして期せずして最後の春となった

80009548.jpg
2017年4月 日田彦山線 筑前岩屋

淡い期待はあったが、やはり、この「めがね橋」に再び列車が走ることはなくなった。5月26日、村内に3つの駅がある福岡県東峰村の渋谷村長が、県知事が提示したバス高速輸送システム(BRT)による復旧案を受け入れた。これで、日田彦山線の災害不通となっている添田-日田間の鉄道での復旧が断念され、3年に渡る議論に終止符が打たれた。添田町と日田市は、早々にBRT案を容認していたため、東峰村の孤軍奮闘となっていたが、さすがに受け入れざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

JR九州の初めての路線廃止となるが、被災さえしなければという思いは強い。日田彦山線の田川後藤寺-夜明間の輸送人員は299人/日だ。九州最下位の肥薩線山線は何と108人/日だ。それでも、廃止の噂が全く聞こえてこないのは、JR九州の鉄道事業への思い入れの強さからだ。だからこそ、余計に残念な結果だ。さすがに、超赤字路線を一から建設し直すことなど民間企業となったJR九州には土台無理な話だ。それも、上場直後のことでは尚更だ。BRTでの復旧が、譲歩の限界なのかもしれない。

筑前岩屋のめがね橋を往くキハ147の2連だが、さて乗客は何人いるのだろうか。車窓をひとつずつ覗いていくと、僅か2人と判明。左がキハ14754、右がキハ1471043、そこまでハッキリ見えるのだから間違いないだろう。この人数では鉄道復旧は如何とし難いだろう。その昔、ここにはC11の客レが通っていた。客車は4両だっただろうか。煙を吐き吐き、めがね橋を渡り釈迦岳隧道へと登っていた。BRT化後、この橋は保存されるのだろうか。近くに民家があるので放置という手は使えそうもない。


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2020/05/30(土) 00:00:00|
  2. 日田彦山線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

走れ「なんちゃって新幹線」

まるでプラレールの0系新幹線だ
果たして予土線の救世主になれるか

70022544.jpg
2020年4月 予土線 十川

さてさて、この珍車両をどう評すればいいのか。大分デフォルメされているが、不思議と0系新幹線と直ぐ分かるところが面白い。プラレールをそのまま大きくしてしまったような、ゆるいオモチャ感が結構受けているようだ。警笛と座席は本物譲りというから、バカにしたものでもない。キハ32に、なんちゃって0系マスクを取り付けただけなので、こんな顔になってしまったようだ。宇和島側にはマスク装着はなく、経費削減のためかと思いきや、連結のためらしい。団子っ鼻から連結器が、とはいかないようだ。よくぞ、こんなものを作ってしまったものだ。バカバカしいものが好きなこあらまとしては、その勇気には大きな拍手を送りたい。

予土線には、この「鉄道ホビートレイン」の他に、「しまんトロッコ」と「海洋堂ホビートレインかっぱうようよ号」があり、合わせて「予土線3兄弟」と呼ばれていることは、それなりに世間に広まってはいる。しかし、「四万十川」という大きな観光資源に恵まれはしたものの、予土線の赤字度はJR四国のトップクラスだ。何とかして観光客を呼び込もうと、あの手この手と繰り出しているが、凋落ローカル線の挽回には到底至っていない。乗客の減少は緩やかにはなったが、通過人員は300人/日程で低空で推移している。予土線が無くなると、四国内の3方面の路線は、皆行き止まりになってしまう。JR四国としても何としても存続させたいところだ。

少なくとも、「予土線3兄弟」は、四万十観光の大切なアイテムに成長したことは確かだ。と言っても、予土線を黒字化することは至難の業だ。それでも、これだけ努力しているのだから、救いの手も考えるべきだろう。不採算の道路を山ほど造るくらいなら、予土線の1路線くらい国の力で守っても罰は当たるまい。


70022516.jpg


テーマ:鉄道写真 - ジャンル:写真

  1. 2020/05/28(木) 00:00:00|
  2. 予土線
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
次のページ

プロフィール

こあらま

Author:こあらま
1950年代後半、東京生まれ。少年時代は国鉄現役蒸気を追いかけ、その後は山岳・高山植物・風景・街角等を題材に撮影旅を続けてきました。
2000年代、たまたま小海線のキハにカメラを向けてから俄に鉄道画に復活。ローカル線を中心に、鉄道絡みの画を撮っています。

著作権について

拙ブログに掲載する写真、記事に関する著作権は放棄しておりませんので、無断使用、転載等はお控えください。

なお、拙ブログへのリンクは自由です。

最新記事

最新コメント

カテゴリ

小海線 (181)
飯山線 (50)
宗谷本線 (37)
天北線 (4)
興浜北線 (2)
名寄本線 (1)
深名線 (2)
石北本線 (15)
渚滑線 (2)
湧網線 (2)
相生線 (4)
釧網本線 (14)
根室本線 (23)
太平洋石炭販売輸送臨港線 (1)
白糠線 (1)
池北線 (1)
士幌線 (1)
広尾線 (3)
富良野線 (7)
留萌本線 (11)
札沼線 (5)
函館本線 (55)
室蘭本線 (16)
千歳線 (1)
石勝線 (1)
夕張線 (3)
夕張鉄道 (1)
日高本線 (5)
江差線 (11)
函館市電 (2)
大湊線 (9)
津軽線 (1)
津軽鉄道 (3)
五能線 (16)
八戸線 (9)
弘南鉄道 (1)
花輪線 (4)
三陸鉄道 (4)
山田線 (1)
釜石線 (8)
北上線 (9)
男鹿線 (3)
秋田内陸縦貫鉄道 (5)
由利高原鉄道 (2)
石巻線 (4)
仙石線 (1)
陸羽東線 (2)
陸羽西線 (3)
長井線 (2)
米坂線 (8)
羽越本線 (6)
磐越東線 (1)
磐越西線 (4)
日中線 (3)
只見線・会津口 (40)
只見線・小出口 (31)
真岡鐡道 (15)
東北本線 (1)
上越本線 (3)
しなの鉄道 (1)
総武本線 (1)
中央東線 (11)
東海道本線 (3)
東海道新幹線 (1)
横須賀線 (5)
八高線 (17)
秩父鉄道 (10)
東京都電車 (6)
西武鉄道 (3)
小田急電鉄 (2)
江ノ島電鉄 (22)
箱根登山鉄道 (4)
御殿場線 (2)
岳南電車 (6)
中央西線 (4)
明知鉄道 (2)
名古屋鉄道 (1)
樽見鉄道 (1)
関西本線 (3)
小浜線 (2)
宮津線 (3)
山陰本線 (39)
山陽本線 (2)
播但線 (3)
姫新線 (6)
若桜鉄道 (5)
因美線 (4)
津山線 (4)
伯備線 (1)
芸備線 (11)
木次線 (8)
福塩線 (1)
境線 (1)
一畑電車 (1)
三江線 (6)
山口線 (7)
予土線 (2)
鹿児島本線 (2)
日豊本線 (21)
筑豊本線 (10)
日田彦山線 (7)
伊田線 (2)
後藤寺線 (2)
田川線 (3)
唐津線 (5)
松浦線 (4)
佐世保線 (1)
大村線 (3)
長崎本線 (2)
島原鉄道 (1)
久大本線 (6)
宮原線 (1)
豊肥本線 (4)
高森線 (4)
肥薩線 (27)
くま川鉄道 (2)
吉都線 (2)
日南線 (4)
宮之城線 (2)
指宿枕崎線 (4)
海外 (1)
鉄道展示館 (1)
写真集・書籍 (4)
鉄道模型 (1)
ご挨拶 (0)
はじめまして (3)
未分類 (0)
牟岐線 (1)
予讃線 (1)
土讃線 (1)
とさでん交通 (1)

月別アーカイブ

最新トラックバック

リンク

写真に写った方々へ

鉄道は人を運び、人に見送られ、人に支えられています。時として人が主役になります。

撮影の際には、なるべくご了解を頂くようにはしておりますが、そうできない場合もあります。写った方々と見る方々が不快に思われないようなものに限っていますが、ご本人やそのご関係者の方で、掲載に不都合がある場合には、メールでご連絡ください。 また、登場する鉄道員の方をご存知でしたら、差し支えがなければご紹介ください。

こあらまへのメール

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

ご来場者累計

RSSリンクの表示

QRコード

QR