吹雪の合間を突いて国越え列車が到着した
やっと雪化粧した山間の駅が闇夜に浮かぶ
2020年3月 只見線 大白川
この写真を見る限り、穏やかな山間駅の夜景と思われがちだが、この晩の撮影は大変辛いものだった。寒冷前線の通過後、次第に冬型の風雪が激しくなりつつあった。天気予報は暴風雪だった。大白川の夜景を眺めるつもりでいたが、果たして天候が吉と出るか凶と出るかは難しいところだった。吹雪で視界が閉ざされてしまえば、手も足もだせない。この日は30分周期くらいで荒れていた。吹雪の後の10分間くらいは雪は治まっていた。天候に邪魔されることも考慮して、2本の列車をターゲットにして、夜の大白川にトライすることにした。
現場に着くと、予想を遥かに上回る暴風雪になっていた。どうやら、地形が風を集めて増幅させているようで、被写体の大白川駅の方から強烈な風が吹き上げてくる。雪は降るというより、横に流れていた。平均風速は20m/sを優に超えているようだった。完全な向かい風のため、いったいどうやって撮ればいいか思案したが、なかなかいい策は浮かばない。夜景撮影で前玉に雪がついてしまうと画が滲んでしまう。もう、雪が治まるのを祈るしかなかった。列車到着5分前に運よく雪が上がった。しかし、次のブリザートまでは10分しかない。
雪が上がって機材のセットを始めるが、今度は風対策だ。夜景となると三脚だが、三脚もカメラごと吹き飛ばされそうだ。非常時用のガン鉄チェーンを三脚に縛り付けて、何とか飛ばされるのだけは防いだが、カメラの揺れが激しい。感度を抑えて繊細な画質で捉えたかったが、シャッター速度を稼ぐために、ぎりぎりまで感度を上げざるを得なかった。それでも、揺れの影響は甚大だった。試写を繰り返すが、風が強まるとブレは相当なものだった。手振れ防止機構を使うことも考えたが、セットした玉には付いておらず、悪天候の中での交換も憚れた。
列車は、暗夜行路の只見から定刻に現れた。幸いにも雪は避けられたが、風は相変わらずで、止まってくれよと、普段の何倍ものシャッターを切った。デジタルの時代で結果は直ぐに確認できる。多くはボツの部類だが、何枚かが辛うじて大甘の許容範囲内だった。再び吹雪出した天候に、次を狙うべきか少しだけ迷うが、当然続行だ。次は最終の大白川止まりで、向かって右の線に入って折り返す。シチュエーションの違う列車を狙わない手はない。その模様は次の機会にご報告したい。撮影後、駅まで下ると、嘘のように静かなホームの佇まいが在った。
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2020/03/19(木) 00:00:00 |
只見線・小出口
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45年前の今日の石北本線575レ 緋牛内にて 1975年3月17日 その1 端野側から緋牛内に進入してくるシーン
その2 緋牛内を出発するシーン 交換の列車は556D 2019/12/11掲載 「
あの日の緋牛内は今 」から
その3 美幌との間にある小峠に向け力走するシーン 2015/12/06掲載 「
貨物列車の時代 」から
ちょうど45年前の今日の1975年3月17日。こあらまは、前日の興浜北線、天北線の撮影を終えて、深夜01時02分に旭川を出る517レ「大雪5号」に乗車した。大雪5号は北見からC58牽引の「大雪崩れ」こと1527レとなって網走を目指すが、この日の最初の撮影地は、06時42分着の緋牛内と決めていた。
下車前に、絞りもシャッター速度も予めセットした愛機 Nikon F を首から下げ、列車が停車するや否やホームへと降り立つ。ザックと三脚をホームに放り投げて、列車先頭部へと急ぐ。普通自由席は後ろの方で、急がなくてはならない。短い停車時間の後、C58は直ぐに急行寝台編成の引き出しに取り掛かる。暖房の蒸気が列車のあちこちから漏れている。荷物車、寝台車、グリーン車がゆっくりと加速していく。列車がホームを離れると、今度は駅南側に広がる雪田を、中程にある農道に向かって突っ走る。道沿いの農作業小屋に辿り着く時には、黒煙を残して去っていく「大雪崩れ」がちょうどいい距離感で視界にあった。これらのシーンは既にアップ済みだ。ご記憶の片隅にでも残っていたら光栄だ。
休む間もなく、ホームに放置した荷物を回収して、1527レと美幌で交換となる522レを迎え撃つ準備を始めるが、持ち時間はおよそ30分しかなく、駅から遠くには行けない。取り敢えず、集落外れの冬木立と民家を絡めてサイドから狙う。ネガには線路端で構える同業者も写っていた。この522レは、当時のダイヤ情報のダイヤグラムにはDLとなっていたが、実はC58だった。これで、朝の2本の客レをやっつけて、まずは一安心と云ったところだが、この時の本命は522レの1時間半後の貨575レだ。予定通りに、以前のロケで目星をつけていた雪田の向こうにある丘に登ることにする。天気は上々で風もない。朝の冷え込みも申し分ない。
春先の雪は、新雪でなければ表面が凍っているので、冷え込んだ朝であれば雪上を難なく移動できる。ワカンを付ける必要もなく、すたすたと丘を歩き回ることが出来た。この丘からのこの日の575レは、これまで2回に渡ってアップしたが、もう一つ好きなアングルがあった。緋牛内進入シーンだ。時間軸を逆にしての上梓となってしまったが、今回は改めて経時的に3つのシーンを並べてみた。最初からそうしろよという声が聞こえてきそうだが、現役蒸気画は傷や現像むらなどのレタッチに思いの外時間と手間が掛かる。状態のいいコマからアップしていったらそうなってしまった。
最初に来るべき最後の作は、575レが端野側から緋牛内に進入してくる場面になる。若干の登り勾配にはなっているが、緋牛内直前であり、絶気で来るかと思いきや、綺麗な白煙を伴って姿を現した。如何にも道東らしい緩やかな起伏の畑作地帯が広がってる。背景の山並みの向こうには、サロマ湖、そしてオホーツク海も遠くはないはずだ。罐の白煙がこの朝の空気感を語っている。
この丘からの眺めは本当に秀逸だった。緋牛内進入、緋牛内発車、峠に向けてのスパートと、それそれに趣向の異なる場面が楽しめた。蒸気機関車ならではの素晴しい眺めが堪能できる場所だった。実は、2日前の同年3月15日に、同じようにこの丘に登って、575レを狙った方がおられる。「銀『塩』鐵道の夜」のぜっきあいずさんだ。その作は
こちら になる。驚いたことに、こあらまと殆ど同じ立ち位置だ。ということは、ぜっきあいずさんの踏み跡を、こあらまは辿ったのだろうか。哀しいことに、45年と云う年月は、記憶を大胆に風化させてしまう。細かいことは全く覚えていない。ただ、丘の上でスッキリした抜けを探して歩き回ったことだけは覚えている。結局、ぜっきあいずさんもこあらまも、探索の結果、この立ち位置に落ち着いたのだろう。
45年という長きを隔てて、また一つニアミスが明らかになった。45年後にも、変わることなく蒸気機関車に愛着を持ち続け、発信を続ける同胞たちに乾杯だ。
この後、こあらまは、好天に誘われて、緋牛内10時31分発の558Dで常紋信号場へ向かい、予てより気になっていた三角山の登頂を果たしている。それにしても、何というハードな毎日だ。若さと云うのは恐ろしいものだ。
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2020/03/17(火) 00:00:00 |
石北本線
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季節外れの雪のない雪国の小駅
塒に帰る回送で駅の一日が終わる
2020年3月 只見線 入広瀬
冬型の気圧配置にはなったが、寒気の入り込みが弱く、冷たい雨はなかなか雪へと変わらない。季節外れの積雪の無い入広瀬が続く。早朝の05時59分の大白川への送り込み回送で眠りから覚めたこの駅に、4往復の列車が過ぎ去った。最終列車となる20時32分の大白川行からは、5人程の乗客が下車し、足早に暗闇に消えていった。その最終列車は、大白川からトンボ返りの回送となって小出に戻って行く。職員の労務管理上のものなのか、車両の保安上のものなのか、今の時代に小駅での駐泊は希だ。往復1時間の回送の方が、理に適っているらしい。車内灯が点いているか少々不安だったが、この駅の一日を締めくくる回送の赤いテールライトを、降り頻る冷たい雨の中で見送った。
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2020/03/15(日) 00:00:00 |
只見線・小出口
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この駅は製紙工場と共に長きを歩んできた
大煙突との記念撮影で北の大地の旅が始まる
1973年3月 室蘭本線 苫小牧
北海道を鉄道で旅したことのある方なら、この駅の名前は直ぐに出てくるだろう。駅に隣接する製紙工場の大煙突から吐き出される白煙は、この地のランドマーク的な存在だ。この駅が北海道炭礦鉄道によって開設されたのが1892年。国有化され官営鉄道となったのが1906年。王子製紙苫小牧工場が操業を開始したのが1910年。以来110年にわたって、苫小牧駅と王子製紙は共に歩んできた。官営鉄道は国鉄、JR北海道と名を変えていった。製紙工場の方も離合を繰り返し、王子製紙工業苫小牧工場や新王子製紙苫小牧工場という名の時代もあったが、現在は創業時の名称に戻っている。新聞用紙の生産が主であり、主要施設が経済産業省の「近代化産業遺産」に指定されている。
室蘭線の岩見沢行きの普通客レが、C57144に牽かれて沼ノ端に向け苫小牧を出発した。追い風が強く、煙の方が先にやって来た。危ないところだった。本線を走っているはずだが、何故か線路脇には給水、給炭設備があり、線路にはアッシュピットまである。線路は間違いなく駅ホームから続いているから不思議な本線だ。機関区はホームの右向こうで、大煙突の前辺りにある。写真左手には貨物用のホームが見える。今は、貨物駅は分離されて苫小牧貨物駅の名で沼ノ端寄りにある。この日は北海道初日で、上野からの長旅を終えて、高揚した気分で苫小牧のホームに降り立った。冷たい空気に触れて北の大地に立ったことを実感する。これから始まる蒸気三昧に胸が躍ったものだ。
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2020/03/13(金) 00:00:00 |
室蘭本線
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雪国特有の気怠いような朝が明けてきた
送り込みの通過でこの駅の一日が始まる
2020年3月 只見線 入広瀬
朝5時半、時折北西の季節風が吹雪を連れてくる。ホームの灯に雪が舞う。この駅も例によって今は委託駅だ。入広瀬で生まれ育った二人のお年寄りが駅を守る。何時もは6時にお出でになるが、雪の朝は雪掻きのため早出となる。新型コロナウィルスのために学校が休みとなったため、始発の小出行の乗客は少なくなっていたが、この日は高校の入学試験だという。この地にしては大した積雪ではないが、試験に臨む集落の子供たちが滑っては一大事と、列車最後尾のドア口まで雪掻きをして始発を待つ。
6時が近づくと、雪国らしい、ちょっと気怠い、ぼんやりとした冬の入広瀬の眺めが、徐々に視界に現われてきた。只見線小出口の始発は、大白川発の小出行だ。その送り込み回送によって、この線区が目覚める。正確には、この朝は積雪のため、その3時間前に、保線車両が露払いに小出から只見に向かった。午前3時過ぎの深夜に入広瀬を通過して行った。こうした人目に付かない地道な作業によって、鉄道が守られていることを忘れてはなるまい。5時59分、何時もの様に送り込み回送が通過して行った。
この冬は極めて異常だった。日本の代表的な豪雪地帯であるこの地にも、ほとんど積雪が記録されなかった。例年であれば積雪深が最大となる2月下旬から3月上旬には、3m以上の積雪が当たり前の場所だ。ここに通い始めた40年程前には、4mを越えることも度々あった。スキー場のリフトが積雪に閊えて休業になる時期が毎年あった。今回もどうしても雪が見たくて、粘りに粘ってやっとこの雪の朝を迎えた。しかし、暖かさのため積雪はあっと言う間に解けだして、積雪深はすぐに「ゼロ」に戻ってしまった。
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2020/03/11(水) 00:00:00 |
只見線・小出口
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